第226話:花火
空に、光が上がった。
一瞬、遅れて――音。
「……花火?」
甲板の上で、俺は顔を上げた。
この距離。
このタイミング。
――おかしい。
地上の陣営は、揃っている。
シンたちも、ドワーフも、難民も。
いまは全員、逃げている最中のはずだ。
だったら――
合図を上げる理由がない。
「……俺か」
喉の奥で、そう呟いた。
舵を握っている影に、短く指示を出す。
「降りる」
返事はいらない。
船はすでに、静かに高度を落とし始めていた。
―――――
船は、陣の外側に静かに降りた。
派手な着地はしない。
脅す必要がない。
土煙も最小限。
それでも、空気が変わるのは一瞬だった。
衝撃。
――俺は、立てなかった。
膝に力が入らず、その場で崩れそうになる。
「はいはい〜」
次の瞬間、身体が浮いた。
「……っと」
ミラだ。
三メートル近い体躯を持つ牛人の女。
大きな、包み込むような腕。
その見た目に反して、動きも声も驚くほど穏やか。
当然みたいな顔で、
俺を――横抱きにしている。
完全に…赤ん坊扱い…。
「おい……」
「無理しないでくださいねぇ。今のこーるちゃん、立たせたら本当に崩れちゃいますぅ」
否定できなかった。
腕の中は、やけに安定していた。
そのまま、ミラに抱えられた状態で、地上へ降ろされる。
――視線が、集まる。
ざわめき。
困惑。
警戒。
そして、遅れて――理解。
「あ……」「船の……」
「……あれが、……空の悪魔?」
厄災を“復活させた”存在。
同時に、空から――この一団を守っていた存在。
評価が、定まらない。
助けられた。
だが、信じきれない。
そんな視線が、痛いほど分かる。
ドワーフの戦士が、一歩前に出た。
俺を見て――
正確には、ミラに抱えられた俺を見て、
一瞬だけ言葉に詰まる。
「……き、来てくれたか」
短い一言。
「状況は?」
俺は、息を整えながら聞いた。
ドワーフの戦士は、空を見上げる。
「日が、傾き始めてる」
嫌な答えだ。
「このまま残ってる国を目指せば……夜になる」
夜。
魔物が、活性化する時間帯。
「人間と球核機だけなら、強行で間に合うかもしれねぇ。
だが……」
視線が、後ろへ流れる。
そこには、
疲れ切った難民。
装備を削ったドワーフの戦士たち。
「俺たちドワーフの足じゃ無理だ。
しかも今、難民を守ってるのは、ほぼ俺たちだ」
沈黙が落ちる。
誰も、否定できない。
「……行き先を変えるしかねぇ」
俺は、ミラの腕の中で言った。
「近場で、夜を越せる場所は?」
ドワーフは、少しだけ迷ってから答える。
「……廃墟の王城が近くにある」
空気が、わずかに張り詰める。
「千年前に滅んだ場所らしい。
元は人間の王国だったが、魔王が治めてたとかいろいろあるが……今は廃墟だ」
「魔物は?」
「分からねぇ。
だが城と壁は残っとる。
野営よりは、はるかにマシだ」
理屈は通っている。
「だから――悪いが先に見てきてほしい」
俺は、ミラに抱えられたまま、少しだけ息を吐いた。
「……分かった」
―――――
船は、再び浮上した。
向かうのは、ドワーフから聞いた方角。
旧魔王城――かつて人間の王国だった場所。
上空から、慎重に周囲をなぞる。
瓦礫。
崩れた塔。
風に削られた石壁。
だが――
「……気配はない」
「うん……大丈夫そう……」
ネラとリネアが告げる。
魔物の気配も、
結界の痕跡も、
異常な魔力の集中もない。
少なくとも、
“今は”空いている。
合図を送る。
地上では、すぐに動きがあった。
難民たちは旧魔王城へと誘導され、
ドワーフの戦士たちは散開する。
壊れた城壁。
崩れかけた門。
だが、動きは早い。
石を積み直し、
歪んだ防壁を補強し、
最低限の守りを形にしていく。
「……ミラ」
「はい〜?」
「地上の補助、頼む」
「了解ですぅ」
俺をそっと下ろし、
ミラはそのまま、防壁の修復へ向かった。
―――――
俺は、船の影の中で、浅く息を整える。
まだ、昼だ。
だが――
夜は、確実に来る。
そして、その向こう側には、
まだ“終わっていないもの”がいる。
(……逃げるだけじゃ、終わらねぇな)
胸の奥で、重たい感覚が沈んだまま、消えない。
だが、今は――
まず、守る。
ここにいる全員を。
―――――
防壁が完成し、廃墟に火が入った。
崩れた石壁の内側。
焚き火と簡易炉の赤が、冷え切った空気を少しずつ押し戻していく。
人の声が、増え始めた。
安堵。
困惑。
そして――評価。
「……厄災を呼び戻した張本人だろ」
「でも、さっき空で守ってたぞ」
「斬ったの……見た」
「英雄、ってほどじゃねぇが……」
「少なくとも、敵じゃない……」
言葉は揃わない。
定義も、決まらない。
俺は少し離れた場所で、そのざわめきを聞いていた。
ミラに抱えられたまま。
(好きに言えばいい)
世界が俺をどう呼ぶかなんて、興味はない。
今ここにいる人間たちが、夜を越えられるかどうか――それだけだ。
「……やっぱり」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げると、瓦礫の向こうから一人、手を振る男がいる。
埃まみれで、鎧も傷だらけ。
それでも、その顔はやけに落ち着いていた。
「来てくれると思ってました……コールさん」
シンだ。
「……信じすぎだろ」
俺がそう返すと、シンは小さく笑った。
普段の少年みたいな笑い方で、すぐに真顔へ戻る。
「でも、僕は……信じたかったんです」
その言葉は柔らかい。
だけど、逃げ道みたいな弱さはなかった。
その後ろに、ナイが立っている。
警戒は解いていない。
だが、剣に手をかけてもいない。
「……あなたが悪人じゃないことは、分かりました」
淡々とした声。
「少なくとも、今は……私たちを守る側にいる」
一瞬、言葉を選んでから、わずかに視線を逸らす。
「……助かりました」
それだけだ。
礼でも信頼でもない。
だが、確かに感謝だった。
さらに少し離れた場所。
アスハが立っている。
腕を組み、こちらを真っ直ぐに睨んでいる。
その視線に、遠慮はない。
怒りも、憎しみも、隠していない。
「……全部の原因が、あんたじゃないって言うつもりはない」
低い声。
「私は、今でもあんたを許してない」
一歩も近づかない。
それでも、目は逸らさない。
「……でも」
言葉が、一拍止まる。
「事実として……あんたは、一度だけ、厄災を止めた」
唇を噛みしめる。
「それが何を意味するのか……まだ、整理できてない」
正直な言葉だった。
俺は、少しだけ息を吐いた。
「……それでいい」
全員を見る。
信じてるやつ。
理解しようとしてるやつ。
許さないやつ。
揃わない評価。
バラバラな感情。
でも――
「俺も、まだ整理ついてねぇ」
そう言うと、シンが小さく頷いた。
普段の少年のまま、でも声は少しだけ低くなる。
「コールさん……来てください」
一拍。
「みんな集まってます。いま、逃げ道を作る話をしないと」
火が、ぱち、と音を立てる。
夜は、まだ来ていない。
だが、確実に近づいていた。
簡易の会議場は、崩れた広間を片付けただけの場所だった。
天井は抜け、壁も半分は崩れている。
だが、焚かれた火と結界で、冷え切っていた空気だけは戻っていた。
長机の代わりに並べられた石材。
そこを囲むように、人が集まっている。
ドワーフの戦士長。
鍛冶師と魔導技師。
難民の代表者数名。
アスハとシンとナイ。
そして――風の国の神官。
俺は、その少し外側にいた。
正確には――
ミラに横抱きにされたまま、だ。
「……降ろせ、さっき歩けた」
「だーめですぅ。ころんだの見ましたよぉ?まだ立てないでしょぉ?」
低い位置から見る会議は、妙に現実感がない。
だが、向けられる視線だけは重い。
「おっほん!では……まず確認したい」
口を開いたのは、ドワーフの戦士長だった。
「空での戦闘だ。
炉神級の守護機構が停止したにも関わらず、
厄災に対して“決定的に効いた”のは――お前の攻撃だった」
視線が、俺に集まる。
「魔術陣も見えなかった。
神術の詠唱もない。
どうやって、あれを斬った」
戦士長は率直に言った。
「……例の物か?」
俺は一瞬だけ息を整え、答える。
「あぁ、剣だ」
ざわ、と小さなどよめき。
風の国の神官が、すぐに声を上げる。
「剣?
あれほどの存在を?
神の祝福もなくだと?
バカバカしい!……」
俺は、そっちを見ない。
「事実だけ言う」
そう前置きしてから、続けた。
「かつての勇者が使っていた剣を、俺は手に入れた」
会場が、静まる。
「それは……厄災を斬れる性質を持っている」
風の国の神官が、鼻で笑った。
「そんな都合のいい――」
「ただし」
俺は、遮る。
「あの規模は俺一人じゃ、使えない」
神官が言葉を止める。
「今回使ったのは、ミラが用意した魔道具があってこそだ」
ミラが、にこっと笑って小さく手を振った。
「補助具、ですねぇ〜」
「それでも」
俺は続ける。
「しかも、一回が限界だ。
俺はシンたちよりも魔力が多い。それでもあの一回でこのザマだ」
全員の視線が、俺の体に向く。
「今、立てないのが答えだ。
魔力欠乏。
次は、同じことは簡単にはできない」
重い沈黙。
技術者の一人が、ぽつりと呟く。
「……つまり、切り札は一度きり」
「そうだ」
ドワーフの戦士長が、腕を組む。
「だが、その“一度”で、厄災の外殻は確実に崩れた」
神官が、苛立ったように声を荒げる。
「それでもだ!
厄災を復活させた事実は消えない!
世界の秩序を乱した罪は――」
「秩序……?」
シンが、低く言った。
全員の視線が、そちらへ向く。
シンは一瞬だけ息を吸ってから、普段の口調のまま言う。
「……僕、さっきから聞いてますけど」
その声は静かだ。
けど、逃げてない。
「その“秩序”って、誰が守られて、誰が切り捨てられるやつなんですか?」
神官が顔を歪める。
「それは……神意によって――」
シンの目が、ほんの少しだけ細くなる。
「神意で……あの場を生き延びられた人、何人いました?」
言い方は丁寧だ。
でも、刃は引いてない。
「現実として、今ここにいる人間は、空で戦ってたコールさんに助けられてます」
神官が、俺を指差す。
「それでも危険だ!
この男は――」
その時、ドワーフの戦士長が、低く言った。
「……危険かどうかは、俺たちが決める」
神官が言い返そうとする。
だが、戦士長は続けた。
「少なくとも今この場で、“使える力”を手放す余裕はない」
沈黙。
俺は、ようやく口を開いた。
「誤解するな」
全員を見る。
「俺は英雄でも、救世主でもない」
一拍。
「厄災を止められるのは、俺だけじゃない。
俺より強い奴も、賢い奴も、正しい選択ができる奴もいる」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「……正しいからでも、世界のためでもない」
低く、はっきりと言う。
「俺が、そうするしかなかった。
そして、そうしたいから動いた。
それだけだ……」
その時だった。
ミラの腕の中で、
俺の身体が――少し強めに揺れ始めた。
ゆら。
ゆら、ゆら。
一定のリズム。
さっきより、明らかに大きい。
「……ミラ?……」
喉の奥から、かすれた声が出る。
「……やめてくれ……」
だが、揺れは止まらない。
ゆら、ゆら。
大きな腕で、丁寧に。
完全に――あやす動きだ。
「♪〜……」
ミラの口から、無意識の音まで漏れている。
「……おい!」
会議の場に、
一瞬だけ、言葉にできない間が落ちた。
次の瞬間。
「――あっ」
ミラが、ぴたりと動きを止めた。
「……すみません……」
ゆっくりと俺を見る。
「無意識でしたぁ……」
少しだけ、気まずそうに笑う。
「こーるちゃん、揺らすと落ち着くので……つい……」
「……」
返す力もなく、俺は目を伏せた。
会議の場に、
一瞬だけ――言葉にできない間が落ちる。
誰かが咳払いをした。
ドワーフの戦士長が、
低く声を落とす。
「……話を続けるぞ」
―――――
会議が一段落し、
人が散り始めた頃だった。
焚き火の数が増え、
廃墟の王城に、少しずつ人の気配が戻っていく。
俺は相変わらず、
ミラに抱えられたまま、ぼんやり天井の抜けた空を見ていた。
「……降ろせ」
「だーめですぅ。立ったら倒れますぅ」
そのやり取りの最中。
「ほら、行くわよ」
少し低い声がした。
視線を向けると、
アスハが立っている。
その横に、ナイ。
そして――その前に、子供たち。
人間の子供と、ドワーフの子供。
合わせて数人。
服は汚れ、
顔も煤けているが、
表情だけは妙に明るい。
「……?」
俺が首を傾げると、
アスハが腕を組んだまま言った。
「この子たちがどうしても、って言うから仕方なくよ」
声はぶっきらぼうだが、
子供たちを急かす仕草は、やけに慣れている。
「ほら、早くしなさい。
言いたいことあるんでしょ」
「えっと……」
一番前の子供が、
もじもじしながら、一歩出る。
その手に、
小さな花束。
野に咲いていた花を、
適当に摘んだだけみたいな、不揃いな束だ。
「これ!」
勢いよく、差し出される。
「……?」
「さっきね!
空で、ぐるぐるーって!」
子供は両手を回して、
大げさに再現する。
「ばーんってして!
おっきい悪い奴倒してくれたから!」
「すごかった!」「かっこよかった!」
口々に、好き勝手な感想が飛ぶ。
誰一人、怖かったとか、
そんな言葉は言わない。
ただ――
楽しそうに、興奮したまま話している。
ナイが、静かに補足する。
「……あなたが空で戦っているのを、見ていた」
アスハは軽くため息をつく。
「で、勝手に“お花あげる!”って盛り上がって。
止める暇もなかったわ」
そう言いながらも、
花束を持つ子供の手を、そっと支えている。
「ほら、落とさない」
俺は一瞬、言葉を探してから――
手を伸ばした。
「そうか……ありがとう……」
花束を受け取ると、
子供たちは一斉に笑った。
「やったー!」
「渡せた!」
それだけで満足らしい。
用は済んだ、と言わんばかりに、
もう次の話題に移っている。
「ねぇねぇ、また飛ぶの?」「次はもっとくるくるして!」
「夜もやるの?」
「こら、質問しすぎ」
アスハが即座に制止する。
「この人はいま休憩中。
ほら、行くよ」
子供たちは、
名残惜しそうにしながらも、素直に頷く。
去り際、
一人が振り返って手を振った。
「またねー!」
そのまま、
ナイとアスハに連れられて戻っていく。
アスハは、
最後まで俺を見なかった。
ただ、
子供たちの背中に手を添えながら、言った。
「あんまり無理は、……。……なんでもない」
その場に残ったのは、
焚き火の音と、
俺の手の中の花束。
少し潰れて、
茎も折れかけている。
でも――
不思議と、悪くなかった。
「……ふふ」
すぐ近くで、小さく笑う声。
ミラだ。
横抱きのまま、俺の手元を覗き込んでいる。
「よかったですねぇ、こーるちゃん」
「……何がだよ」
「お花、もらえたことですぅ」
言い方が、やけに素直だった。
俺は花束を軽く持ち上げ、
適当に視線を逸らす。
「別に。勝手に渡されただけだ」
「はいはい〜」
ミラは、分かってないふりで頷く。
でも、その次の一言が、
少しだけ真面目になる。
「こういう時に、今みたいにはしゃげるの、すごくいいことですぅ」
俺は返事をしなかった。
返す言葉が、思いつかなかった。
ミラはいつもの調子に戻って、
俺を軽く揺らす。
ゆら、ゆら。
「……揺らすな」
「落ち着くでしょぉ?」
「落ち着かねぇ」
「ふふ」
そんなやり取りの間に、
焚き火が、ぱち、と音を立てた。
夜が近い。
そして――
空は、まだ静かすぎる。
(……嫌な予感がする)
花束を握った指に、
少しだけ力が入った。




