第224話:炉神、起動
ズン――……
足の裏から、いや。
砦そのものが、下から叩かれた。
次の揺れは、横じゃない。
“持ち上げられる”揺れだ。
「……っ」
僕は咄嗟に、石壁の縁から身を引いた。
球核機の脚が、ぎし、と嫌な音を立てる。
アスハも反射で踏ん張る。
ナイの機体が、半歩遅れて体勢を立て直した。
「なに……今の?」
……分からない。
でも揺れ方が、厄災と違う。
あれは遠くから“来る”地鳴りだ。
これは――砦の真下が、動いている。
ズ……ズ……ン……
地面の奥で、重い歯車が噛み合うような音がした。
砦の石壁が、みし、と鳴る。
ドワーフたちが、一斉に顔色を変えた。
「上は下がれ! 壁から離れろ!」
怒鳴り声。
指揮じゃない。
悲鳴に近い。
「退避だ! 外縁へ!」
その言葉と同時に、
砦の内側で――何かが、折れた。
「……っ、来る!」
考える前に、身体が動いた。
僕はアスハの機体を掴み、外へ跳ぶ。
次の瞬間だった。
――ドンッ!!
砦の中心が、内側から崩れ落ちた。
石床が割れ、
壁が沈み、
粉塵と破片が噴き上がる。
さっきまで立っていた場所が、
丸ごと――消えた。
僕たちは、砦の外縁。
半壊した斜面に転がり込み、
瓦礫の向こう側から、それを見るしかなかった。
ズ……ズ……ン……
粉塵の奥。
崩れた砦の“下”から、音がする。
重い。
遅い。
確実に、近づいてくる。
瓦礫が、内側から押し上げられた。
岩を押しのけ、
砕いた石を踏み割りながら――
巨大な“何か”が、立ち上がる。
黒い金属みたいな腕。
人の形。
だが、大きさが違う。
「……炉を、回したな」
白髭のドワーフが、唸る。
怒りでも恐怖でもない。
諦めに近い声だった。
――知ってるんだ。
僕には分からない。
でも、彼らには分かっている。
“起こしてはいけないもの”が、
起きたことを。
粉塵が晴れ、
巨大な人型が、全身を現した。
胸の奥。
そこだけが、脈打つように光っている。
燃えているんじゃない。
揺れている。
色の定まらない、定義できない光。
「……なによ、これ」
アスハの声が、掠れた。
「炉神だ」
白髭のドワーフが、短く答える。
神なんて言葉が、軽く聞こえた。
でも、その名が出た瞬間、
周囲の空気が“決まった”。
兵器だ。
それも――隠されていたもの。
厄災の方角。
煙の向こう。
歩く影。
炉神も、同じ方向を向いた。
操縦席はない。
号令もない。
ただ――
“向いた”。
それだけで、背筋が冷えた。
もし平和になったとしても、
これが外に出れば危険だ……。
第二の厄災になりかねない……。
だから、球核機をもらった僕たちにも知らされなかったんだ……。
今、それが――
崩れた砦の向こうに、立っている。
「……見て」
ナイが、低く言った。
ズン。
厄災の足音が、また一つ近づく。
ズン。
炉神の足元も、同じように軋む。
逃げ場は、もうない。
瓦礫の斜面で、
僕は理解した。
ドワーフたちは、
“勝つため”にこれを起こしたんじゃない。
“終わらせるため”でもない。
――逃げる場所が、なくなったからだ。
炉神が、一歩、前へ出る。
ズン。
厄災も、一歩、こちらへ来る。
二つの巨影が、
崩れた砦の向こうで、
同じ空の下、真正面に重なり始めていた。
ズン――!!
炉神が、踏み込んだ。
一歩で、世界が歪む。
次の瞬間、
拳が――厄災に叩き込まれた。
――――――ッ!!!
音が、遅れて来た。
空気が潰れ、地面が沈み、山の稜線が、わずかに揺れた。
厄災の巨体が、横へ吹き飛ぶ。
砕ける。転がる。地形ごと、抉れていく。
大地を削り、ようやく止まった“それ”は――
ズ……ン……
立ち上がった。
崩れた体を引きずりながら、ゆっくりと、起き上がる。
怒りも、声もない。
ただ――殴り返すために。
厄災の腕が、振り上がる。
山ほどの質量が、
そのまま落ちてくる。
ズン――――!!!
拳が、炉神を捉えた。
だが。
――砕けた。
拳の先端が、わずかに、欠けた。
粉塵が舞う。
衝撃は、確かに届いている。
それでも――
炉神は、動かなかった。
一歩も、下がらない。
軋む音すら、上げない。
ただ、そのまま――前へ出る。
ズン。
もう一歩。
厄災の懐へ。
そして――殴った。
今度は、真上から。
ズドンッ!!!!
大地が、悲鳴を上げた。
厄災が、地面へ――叩き伏せられる。
頭部が沈み、肩が割れ、胴が、めり込む。
砕けた衝撃で、岩盤が波のように隆起した。
それでも、炉神は止まらない。
腕を引き、もう一度――
ズンッ!!
殴る。
ズンッ!!
さらに。
叩きつけるたびに、厄災の体が砕け、地形が削れ、世界が後退していく。
逃げ場はない。
距離も、意味を失う。
「……っ」
言葉が、出なかった。
戦いじゃない。競り合いでもない。
質量が、意志を持って殴っている。
厄災が、再び腕を振るう。
今度は、両腕。
ズン――!!!
衝突。
衝撃が、爆風になる。
炉神の胸部が、軋む。
だが。
それでも、立っている。
拳の欠けた厄災の腕が、再生しきる前に――
炉神の拳が、振り下ろされる。
ズドンッ!!
頭部が、砕け飛んだ。
粉塵の中で、炉神は一切、止まらない。
殴る。進む。殴る。
壊れるまで、殴る。
「……すげぇ……」
誰かの声が、震えた。
圧倒している。完全に。
今この瞬間だけは――
間違いなく、炉神が勝っている。
砕けた厄災が、地面で、蠢く。
再生しながら、立ち上がろうとする。
その上へ――
ズン。
炉神が、足を下ろした。
踏み潰す。
地面ごと。
そして、拳を構える。
もう一度、終わらせるために。
――だが。
その拳が、次に振り下ろされる前に。
空気が、歪んだ。
熱が、立ち上る。
粉塵の中で、厄災が――
……笑った。
そう見えただけかもしれない。
だが、粉塵の奥で――
確かに“それ”は歪んだ。
「……笑った?」
アスハの声が、掠れる。
誰も答えない。
答えようがない。
空気が、変わった。
熱だ。
ただの熱じゃない。
近づいてくるだけで、肺の奥が焼ける。
ズ……ン……
厄災が、立ち上がる。
さっきまで砕けていた体が、
あり得ない速さで“繋がっていく”。
崩れた岩盤を吸い上げるみたいに、
溶けた肉が、形を取り戻す。
「……再生が、速くなってる……」
ナイの呟きは、ほとんど独り言だった。
炉神が、もう一度踏み込む。
ズン――!!
だが。
その一歩が、
さっきより――重い。
確かに、遅れた。
ズドンッ!!
拳が、再び叩き込まれる。
厄災の体が、砕ける。
――だが。
衝撃と同時に、
熱が、噴き上がった。
爆風じゃない。
炎でもない。
空間そのものが、焼けるような暑さが、離れたこの距離まで伝わる。
「……っ!」
思わず、機体の姿勢を落とす。
装甲が、軋んだ。
炉神の胸部。
そこが――
赤く、鈍く、光った。
へこむ。
はっきりと、目で分かるほどに。
「……え」
「まずいな……炉神もあくまで儂らが作った物……熱で柔くなっとる」
隣の瓦礫から見守るドワーフがそう呟いた。
炉神は、止まらない。
止まらないまま、殴る。
ズンッ!!
ズンッ!!
だが、叩きつけるたびに――
その光が、広がっていく。
厄災の拳が、振るわれる。
今度は、避けない。
ズン――――!!
直撃。
衝撃が、爆音になる。
炉神の上半身が、
わずかに――仰け反った。
一歩。
ほんの、半歩。
「……下がった?」
誰かの声が、ひっくり返る。
否定は、できなかった。
炉神は、まだ立っている。
まだ、殴れる。
だが。
さっきまでの“絶対”が、
確実に、剥がれた。
厄災が、熱を纏う。
笑った気がした“それ”が、
今度は、はっきりと――向かっていく。
ズン。
ズン。
二つの巨影が、
再び、詰め寄る。
ズン――――!!
今度は、炉神が倒れた。
大地に叩きつけられる音が、
さっきまでの衝撃とは“質”が違う。
鈍い。
重い。
逃げ場のない音。
巨体が横倒しになり、
地面が裂け、岩盤が沈む。
「……っ」
誰も、声を出せなかった。
厄災は、止まらない。
倒れた炉神の上に、
その影が覆い被さる。
熱が、爆発する。
ズン――!!!
拳が、振り下ろされた。
炉神の胸部。
あの、脈打つ光の中心。
――叩かれる。
鈍い音。
金属が潰れる音じゃない。
“壊れかけの心臓”を殴ったような音。
光が、歪む。
へこみが、はっきりと広がった。
「……っ、あれ……」
ナイの声が、震える。
炉神は、動こうとする。
腕が、持ち上がる。
だが――遅い。
厄災の拳が、もう一度。
ズン――――!!!
衝撃が、地面を伝って、
ここまで跳ね上がってきた。
瓦礫が、宙を舞う。
「……もう……」
誰かが、呟いた。
“勝てない”。
その言葉が、
全員の胸に、同時に落ちた。
厄災は、炉神を殴り続ける。
殴る。
殴る。
躊躇も、意味もなく。
炉神の光が、
赤から――鈍い橙へ変わっていく。
焼かれている。
熱に、負け始めている。
その光景を見て、
ドワーフたちの表情が、変わった。
恐怖じゃない。
理解だ。
白髭のドワーフが、
歯を食いしばって叫ぶ。
「……地上だ!!」
一瞬、意味が分からなかった。
「全員地下から地上へ出せ!!
難民も、職人も、全員だ!!」
叫び声が、砦跡に反響する。
「この国は捨てる!!
生き残らせろ!!」
……捨てる?
その言葉が、
頭の中で、重く落ちる。
「……捨てるって……」
声が、掠れる。
目の前では、
自分たちの“最後の切り札”が、
地面に押さえつけられている。
アスハは歯を噛みしめて、叫ぶ。
「また……逃げるしか、できないのッ」
ナイは、
厄災と炉神から目を逸らさず、
静かに、言った。
「……生き残るため……私は諦めない」
それだけ。
アスハは静かに頷き、
地下から人々を避難させるために、一番に穴に入っていった。
ズン――――!!!
厄災の拳が、再び落ちる。
炉神の光が、
一瞬――脈打って、
確かに、弱くなった。
―――――
それからは防戦一方だった。
炉神はまだ動き続けている。だが片腕がもがれ、胴体の一部ももぎ取られ。
いつ止まってもおかしくない姿に変わり果てていた。
「……行け!!」
ドワーフの叫びが、重なる。
「今だ!!
地上へ出ろ!!
ここに残れば、終わりだ!!」
背後では、
厄災の攻撃が、止まらない。
前には、
逃がすべき人々がいる。
この場所を守れば、全滅する。
それだけは、誰の目にも明らかだった。
瓦礫の斜面で、
僕は歯を食いしめる。
そして背後で――
ズン。
また一撃。
炉神が、きしむ。
完全に、限界を迎えていた。
もう、見ていられないほどに歪んだ巨体が、
それでも立ち上がろうとして、
次の拳で、押し潰されかける。
「……終わる」
誰かが、呟いた。
その瞬間だった。
遠く。
空の端に――黒い影が出た。
最初は、鳥か魔物だと思った。
違う。
雲を割って降りてくる、帆の影。
空を滑る、あり得ない物。
“船”だ。
難民の誰かが叫ぶ。
「悪魔だ!!」「また来た!!」
「終わりだァ!! 殺される! みんな殺されちまう!!!」
叫びが連鎖する。
恐怖が、雪崩になる。
――だが。
船は、こっちを見ていない。
まっすぐだ。
砦跡でも、人の群れでもない。
その進路は――
厄災。
「……やっぱり、来てくれた」
息が漏れた。
巨影同士が殴り合う、その中心へ。
燃え上がる熱の壁へ。
炉神が押さえつけられている、その上へ。
船が、突っ込もうとしている。
「……コールさん」




