第208話:地下都市
目を覚ましたとき、
最初にあったのは――暗さだった。
闇じゃない。
夜でもない。
薄暗い。
ぼんやりとした光が、
天井の木目をなぞっている。
(……知らねぇ天井だな)
そう思った瞬間、
身体の奥が、ゆっくりと重くなった。
息はできる。
苦しくはない。
ただ――気持ち悪い。
頭の中が、ぐらつく。
視界の端が、にじむ。
吐き気に近い感覚が、
腹の底からせり上がってくる。
(……血、抜けすぎたか)
そう理解したところで、
違和感が、はっきり形を持った。
左側。
あるはずの重さが…、…ない。
動かそうとして――
何も返ってこない。
感覚が途切れている。
…途中から、空だ。
遅れて激しい痛みが来た。
鋭さじゃない。
焼けるようでもない。
――重い。
ずっと押し付けられているみたいな、
鈍く、逃げ場のない痛み。
「ッッッ……」
声は出さなかった。
出したところで、 何も変わらない。
「はぁ、はぁはぁ」
視線を、ゆっくりと落とす。
毛布の下、
左肩から先は、厚く包帯で固められていた。
止血は、完全だ。
雑じゃない。
(……助けられてるな)
事実だけを、受け取る。
混乱はない。
動揺も、思ったほどじゃない。
腕がない。
それだけだ。
「……クソッ」
小さく呟くと、
その声はちゃんと、自分の耳に届いた。
そのとき。
遠くで、金属の触れ合う音がした。
カン、という乾いた音。
続いて、低い話し声。
人がいる。
ここは――
少なくとも、化物の巣じゃない。
天井を、もう一度見る。
削られた岩の梁。
その内側に組まれた、太い木材。
人が、
長く住むために作った空間だ。
記憶の奥……。
シンが言っていた……“下”……。
(……地下都市、ってことか)
厄災のあと、
地上を捨てた者たちが辿り着く場所。
全てが繋がり、導き出される答え……。
ドワーフの国……。
そこまで考えたところで――
気配に、気づいた。
入口のほうだ。
光が、わずかに遮られる。
誰かが、立っている。
俺は首だけを動かし、そちらを見る。
腕を組んだまま、
動かない影があった。
赤い髪、
装甲の名残を残したような服装。
剥き出しの感情。
視線が、真正面から突き刺さる。
憎しみを、隠す気もない目だった。
逃げ場のない距離で、
じっと俺を睨んでいた。
「……ふんッ」
短い舌打ちだけを残して、
赤い髪の女は踵を返した。
扉が、重い音を立てて閉まる。
残ったのは、
薄暗さと、血の匂いと――静けさだけだ。
数拍。
今度は、ノックもなく扉が開いた。
「……コールさん、もう起きれるんですか!?」
さっきとは違う、張りつめていない気配。
入口に立っていたのは、
少しだけ、見覚えのある顔だった。
シンだ。
俺は天井を見たまま、息を整える。
「……助けられたな」
声は、思ったより出た。
シンは一瞬だけ、目を伏せてから頷いた。
「そんな……。森の方で戦闘音がして……そこにコールさんがいたので」
それだけで、十分だった。
俺はゆっくり視線を向ける。
「……俺の仲間は?」
問いは短い。
余計な感情は乗せない。
シンは、少し迷ったが、はっきり答えた。
「……分かりません」
事実だけを告げた。
「ミラさんも、他の人達も。
……足止めのために残ったので……」
「……そうか」
少しだけ、苦い顔になる。
外がなにか騒がしい。
シンが顔を向ける。
「噂が……想像以上で。
特に、神官崩れの人たちが」
俺は、目を閉じた。
「……噂、か」
それ以上、言わない。
シンは、俺の左肩を見ない。
視線を外したまま、続ける。
「ここは、ドワーフの都市です。
正確には……国ですね」
「だろうな……」
短く返す。
「生き残った連中の、行き着く先か……」
シンは、少し驚いたように目を瞬いた。
「……コールさん」
それから、真っ直ぐ俺を見る。
「ここでは……あなたは、
“助ける側”として見られてません」
知ってる。
だから、何も言わない。
シンは、少しだけ息を吸った。
「それでも……」
一拍。
「僕は、あなたを運びました。
僕が、そうしたかったからです」
はっきりした声だった。
覚悟の音がする。
俺は、ゆっくり目を開ける。
「……後悔は?」
「今のところは」
小さく、笑う。
「でも……簡単には済まないってのも、
分かってます」
「そうか」
それで、全部伝わった。
俺は天井に視線を戻す。
「世話になった……」
俺は、ベッドの縁に手をついた。
……左は、使えない。
だから右だけで身体を起こす。
頭が一瞬、ぐらりと揺れた。
「待ってください!」
シンの声。
「まだ……動かない方が……!」
「平気だ」
短く返す。
ぼろになったコートを引き寄せ、
肩に引っかける。
左がない分、重さのバランスが狂う。
だが――今さらだ。
ベルトを右肩から斜めに通し、
腰の位置を確かめる。
武器は――あった。
奪われていないが……銃が足りない……。
あいつに腕ごと食われたままだ……。
「はぁ……指輪もか……」
「コールさん……」
シンが、迷うように言う。
俺は振り返らない。
「外が騒がしいな」
「……はい」
「行く」
「……いまはやめたほうが」
少しだけ、間があった。
俺は、扉に手をかける。
「ここにとどまる理由がない……」
扉を開けた。
――音が、ぶつかってきた。
ざわめき。
怒号。
悲鳴に近い声。
広い。
天井は高く、
岩盤をくり抜いた巨大な空洞の中に、
街――いや、そんな大きさじゃない。
国が広がっている。
足場は石。
建物は岩と木。
無数の灯りが、闇を押し上げている。
「……あいつだ!!」
「悪魔だ!!」
「そいつのせいで街が……!!」
俺が外に出た途端。
罵声が、矢のように飛んでくる。
泣き叫ぶ声。
怒鳴る声。
何かを投げようとする動き。
その奥で――
「見ろ!! あの黒衣だ!!」
どこかで見た格好の男。
白衣。
だが、擦り切れ、煤に汚れている。
セレスティアだったか……その神官だ。
――生き残った側の。
男は、俺を指さし、
群衆を煽るように叫ぶ。
「巫女を奪い!!
封印を壊し!!
厄災を解き放った外者だ!!」
言葉が、火をつける。
「殺せ!!」
「近づけるな!!」
「ここまで災いを呼び込む気か!!」
だが――前には、壁があった。
低く構えた、重装の戦士たち。
分厚い盾。
岩を削り出したような鎧。
ドワーフの戦士団だ。
「下がれ!!」
太い声が響く。
「ここは我らの国だ!!
勝手は許さん!!」
押し合いへし合い。
一触即発。
その時――
戦士たちの列が、静かに割れた。
ひとり、
ひときわ背の低い、だが重みのある影が前に出る。
白い髭。
深い皺。
石のような眼。
ドワーフだ。
――年季が違う。
長老か、
それに近い立場。
ドワーフは、
俺を真っ直ぐ見た。
敵意でも、同情でもない。
ただ――計る目だ。
「……起きたか」
低い声。
「お前を、
この国で“自由”にさせるわけにはできん」
群衆が、ざわめく。
ドワーフは続けた。
「だが――
ここで殺すことも、せん」
一瞬、静まる。
「理由は三つある」
指を一本立てる。
「一つ。
この国は、お前の扱いを決めていない」
二本目。
「二つ。
お前は、シンに守られてここに運ばれてきた」
三本目。
「三つ――」
ドワーフの目が、細くなる。
「厄災は、まだ終わっとらん……それにシンから話は聞いた」
その言葉が、
空洞に、重く落ちた。
「よって……決定だ」
ドワーフは宣言する。
「外者コール。
お前は――“保護対象”として拘束する」
守られる。
同時に、縛られる。
俺は、一歩も動かない。
「……ダメだ」
俺の声は、思ったよりはっきり出た。
ざわめきが一瞬だけ薄くなる。
空洞の灯りが揺れて、無数の視線が俺に刺さる。
ドワーフの老人は眉ひとつ動かさない。
「ほう」
短い相槌。
それだけで、こちらの言い分を聞く気があるのかないのか分からない。
俺は息を吸う。
吐き気が喉元まで上がってきた。
足が、軽く震える。
血が足りない。
だが――止まれない。
「仲間がいる」
言葉を削る。
「だから……戻る」
群衆の中で、誰かが笑った。
すぐに別の声が重なる。
「仲間だと!?」「そんなもん最初からいないだろ!」
「嘘つけ!!」
神官崩れが、勝ち誇ったように叫ぶ。
「聞いたか! 戻るだと!
また奪う気だ!!」
火に油。
怒号が膨れ上がる。
ドワーフの戦士たちが盾を寄せ、
押し返す。
「黙れ!!」
「一歩でも前に出たら叩くぞ!!」
俺は群衆を見る。
顔。目。体。爪。
全部――生き残りの顔だ。
憎しみだけじゃない。
恐怖。飢え。焦り。
こいつらは、ここが最後の壁だ。
だから必死だ。
(だが……出口も分からねぇ)
この空洞は広すぎる。
地上へ続く道がどこにあるかも知らない。
この身体で、押し切れる相手でもない。
左はない。
右も、万全じゃない。
視界の端がまだ白い。
(……今出ても、倒れる)
結局――仲間の所へ行く前に死ぬ。
それじゃ意味がない。
俺は、視線をドワーフの老人に戻した。
「はぁ……分かった」
言葉が、喉の奥で少し苦い。
「今は出ない……従う」
群衆がまた騒ぐ。
「嘘だ」「信用できない」と怒号が飛ぶ。
ドワーフの老人が、手を上げた。
それだけで、戦士たちの動きが揃う。
空気が、少し締まる。
「賢いな」
老人は短く言う。
「お前の望みは“今すぐ”では叶わん。
だが――“完全に”潰すとも決めとらん」
俺は、表情を動かさない。
「条件がある」
老人の声が低く響く。
「お前は、この国の中でしか動けん。
外へ出る道は、教えん」
群衆が「当然だ」とざわつく。
「そして、お前の身柄は“預かり”だ。
逃げれば、殺す」
淡々とした宣告。
脅しじゃない。規則だ。
俺は、小さく頷いた。
「……シン」
後ろへ声を投げる。
「お前、外で生き残りを探してるんだろ」
「……はい」
「なら、ついでに頼む」
シンが息を呑む。
「俺の仲間だ。
見つけたら……教えてくれ」




