第203話:背中は、私が見る
生きている。
三人とも。
それだけで、十分だったはずなのに――
「このバカシン!!」
次の瞬間、世界がひっくり返った。
頬に、衝撃。
乾いた音がして、視界が一瞬だけ白くなる。
「――っ」
何が起きたか理解する前に、胸倉を掴まれていた。
近い。
赤い髪。
「どんだけ心配したと思ってんのよ!!」
怒鳴り声が、耳を打つ。
「簡単にやられすぎなのよあんたは!!
戻ったら居なくなってるし!そのまま死んだと思ったじゃない!!」
揺さぶられる。
思ったより力が強い。
(あぁ……いつものアスハだ……)
反論しようとして、言葉が出なかった。
「……アスハ」
「なに!?」
睨み。
完全にキレてる。
その横で――
「……今、それ?」
低い声。
ナイだった。
少し離れた場所に立ったまま、
腕を組んで、淡々とこちらを見ている。
「再会して、すぐそれ?」
アスハが一瞬だけ言葉に詰まる。
「だ、だって!」
「分かるけど……今じゃない」
ナイは視線を外さずに続けた。
「順番……間違ってる」
沈黙。
アスハの手が、ゆっくりと胸倉から離れる。
「……」
その瞬間、力が抜けた。
アスハの足が少し震える。
「……ごめん」
ぼそっと言った。
怒鳴っていた声とは別人みたいに。
「……生きてて、よかった」
その一言で、
胸の奥に溜まっていたものが、やっと落ちた。
「……うん」
僕はそれしか言えなかった。
ナイはそれを見て、小さく息を吐く。
「……本当に」
一拍。
「心配、した」
それだけ。
でも、その一言が、
一番重かった。
地面が、少し騒がしくなった。
低い振動音。
土を蹴る音。
ひとつ、ふたつ――
球核機の部隊が姿を現す。
装甲の色も、傷の数も、古さも違う。
次々と止まり、
外装が開く。
「……シン!」
「無事だったか!」
「お前、どこ行ってたんだ!」
声が飛ぶ。
年上もいれば、同じくらいの年もいる。
一気に肩から力が抜けて、下がる。
「ごめん……ただいま」
それだけで通じた。
誰も、詳しい話を聞こうとしない。
でも――
「みんな……話したいことがあるんだ」
―――――
――雲の切れ目。
イルクアスターの縁で、望遠鏡を下ろす。
下では、球核機の一団が止まっている。
人の数も、動きも――もう単独じゃない。
「……合流したな」
隣で、ネラが同じ方向を見ていた。
「全部で6だな……」
「この距離で数えられるのかよ……相変わらずすげぇな」
「まぁ、な」
日が傾き始めていた。
空が焼ける。
橙と赤が混じり、雲の端がゆっくり暗くなる。
――空はきれいだ。
だが……隣のネラの気配が、わずかに動いた。
「……揺れてる」
ネラの声は低い。
視線の先。
シンたちとは別の場所――森の奥。
望遠鏡で覗く。
風じゃない。
一点じゃない。
奥から、波のように揺れが広がっている。
「魔物か……」
地面を裂くような動き。
数は多い。
シンたちを狙っている?
いや、引き寄せられてるのか?
次の瞬間、
さらに別の影が動いた。
一度、シンたちに知らせるべきか迷ったが、必要はなさそうだ。
――速い。
「アレなら……追いつかないな」
俺は、目を細めた。
地上を走る球体――あれは速い。
森を避け、
斜面を使い、
速度を落とさない。
魔物の群れが、散る。
数体が前に出るが――距離が縮まらない。
「……判断、早いな」
ネラが息を吐く。
「追う気がない個体も混じってる」
確かに。
魔物の動きが、鈍る。
一体が立ち止まり、
別の個体が方向を変える。
そして――
群れが、引いた。
森の揺れが、収まっていく。
「諦めたか」
手すりにかけていた手を、離す。
知らせる必要はない。
介入する理由もない。
下では、
球体の群れがそのまま速度を落とさず、
遠ざかっていく。
「……生き延びる力、か」
独り言みたいに呟く。
ネラが、短く頷いた。
「……うむ」
空が、さらに赤くなる。
夜が来る。
今日は、ここまでだ。
イルクアスターは高度を保ったまま、
雲の中で進路を変えた。
―――――夜
甲板に、匂いが広がっていた。
焼いた肉と、香草。
湯気の立つスープ。
リネアが作った料理が、
順番にテーブルへ運ばれていく途中だった。
「……今日は、うまくできたと思います」
少しだけ緊張した声。
皿を置く手つきは丁寧で、慎重だ。
「今日も、だろ?」
リネアは微笑み、
影たちは、それを待っている。
誰も手を伸ばさない。
――いつもの光景。
その時だった。
「コール!!! 来るぞ!!」
甲板の上に、ネラの声が落ちる。
見張り台からだ。
鋭く、短い。
「飛行型! 下からだ!」
一瞬。
次の瞬間、
甲板の空気が、完全に変わった。
「料理引っ込めろ!」
命令するよりも早く、
影たちが動いていた。
皿が持ち上げられ、
鍋が引き寄せられ、
テーブルは一気に空になる。
日常が、片付けられる。
その直後――
下から、風が突き上げた。
ゴウ、と空気が裂け、
甲板の縁を越えて影が跳ね上がる。
羽だ。
濡れた革みたいな翼。
骨張った脚。
口を開いたままの顔。
「おいおい、この高さで魔物かよ!」
一体じゃない。
二体、三体――
雲の下から、次々とせり上がってくる。
普段なら、ここまで上がってこない高度だ。
だが今夜は違う。
「ッ戦闘配置!!!」
声を張る。
影たちが銃を構える。
シガが一歩、前へ出る。
リネアは、弓を取ろうとして――
一瞬、動きが止まった。
料理の匂いが、まだ残っている。
それを切り裂くように、
羽音が重なった。
最初の一体が、
甲板へ――落ちてきた。
反射で、両手が動いた。
――パンパンパンッ。
魔導銃を二丁。
照準を絞らず、間を詰めさせないための乱射。
空気が裂け、
衝撃波が羽を打つ。
最初の一体を落とした、その直後だった。
影が、もう一つ跳ね上がる。
雲の切れ目から、真っ直ぐ――こちらへ。
「ッ……!」
反射で銃口を向けるが、射線にリネアが。
撃てば、巻き込む。
判断が、一拍遅れた。
魔物が眼前に迫る。
――その時。
一閃。
「……動くな」
低い音。
落ち着きすぎているほど、静かな声だ。
次の瞬間、
風が裂けた。
――キン。
金属音。
俺の肩越しを掠めて、
細い光が一直線に走る。
魔物の喉が、
正確に――断ち切られ、頭部が空に舞い上がる。
黒い影が、
音もなく甲板に落ちる。
背後で、足音が止まる。
「……お前は前だけを見ていろ」
エレナだ。
剣を下げ、
半歩だけ後ろに立っている。
「お前の背中は、私が見る」
一切、感情を乗せない声。
だが、
そこに迷いはなかった。
「……任せた」
短く言う。
返事はない。
ただ、剣先がわずかに上がった。
――了解、という合図だ。
次が来る。
空から。
横から。
だが、
背後を気にする必要はなくなった。
前だけを見ればいい。
引き金を引く。
撃ち落とす。
落ちてきたものは――
後ろで、消える。
役割が、完全に分かれた。
「リュカ! シェアラ!」
「おう!」
「了解!」
二本の影が跳ねる。
ナイフが回転しながら空を切り、
羽の付け根に突き刺さる。
重心を失った魔物が、
甲板へ転がり――
そこで終わりだ。
「――はぁっ!」
シガが踏み込み、
骨ごと叩き潰す。
「……これで、終わり!」
ほぼ同時に、
シアが喉元を潰す。
迷いはない。
処理だ。
だが、数が多い。
下から、さらに羽音。
「……ッ!」
リネアが弓を構える。
一射。
――外れた。
風だ。
揺れだ。
実戦だ。
矢は雲に吸われる。
「……っ!」
息を呑む。
次の瞬間――
一体が、リネア目掛けて急降下してきた。
近い。
速い。
リネアが引き絞るが、
指が震え、狙いが流れる。
「――!?」
当たらない。
羽が、目の前に迫る。
その刹那――
影が、割り込んだ。
ネラだ。
短剣が閃き、
翼の付け根を浅く裂く。
致命傷じゃない。
だが、軌道が逸れる。
「下がれ!」
シガが吼えた。
一歩。
魔物の前に出る。
「俺の後ろに居ろ!」
次の瞬間、
拳が振り抜かれ――
――粉砕。
魔物は甲板に沈黙した。
リネアは、
その場で固まっていた。
息が浅い。
震えている。
その左右から、
影が挟む。
シガ。
そして――ネラ。
二人が立ち、
自然に盾になる。
獣化したシガの背は広い。
ネラの視線は、空を睨んでいる。
「私が、守るッ……!」
静かな声。
だが、戦闘は終わっていない。
まだ来る。
羽音が重なる。
戦闘が続く。
数が、減らない。
「多すぎだろ……! コールやべぇって!」
リュカが声を上げる。
俺は一瞬だけ空を見る。
夜はまだ浅い。
「ッチ、これ以上は!、ジリ貧になってくるかぁ?」
そう判断して、舵の方を見る。
「ウィンスキー! かっとばせ!!」
「ッザ(敬礼)」
返事はない。
だが――即座に動いた。
次の瞬間――
イルクアスターが吠えた。
船が一気に加速し、立ってるバランスが崩れる。
「掴まれ!!」
風が殴ってくる。
帆が鳴き、船体が軋む。
魔物が追う。
だが――距離が、開く。
一体が高度を落とし、もう一体が追撃を諦める。
速度が違う。
雲へ突っ込む。
視界が白く潰れ、羽音が、途切れる。
抜けた先は――夜空。
「……振り切ったな」
独り言みたいに呟く。
魔物はいない。
風だけが残っていた。




