表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
202/211

第201話:疑いのまま、立て


甲板は、まだ少し騒がしかった。


ミラが紫の機体の周りをうろつき、

リュカは端の方でシアに背中を擦られながら文句を垂れている。


その時――


ふと、視界の端で動くものがあった。


船室へ続く扉。


完全には開いていない。

ほんの少しだけ、隙間が空いている。


そこから、黒髪の頭が、そっと覗いた。


目が合う。


一瞬だけ、空気が止まった。


俺は、甲板から動かないまま言った。


「……起きたか?」


少年は、黙ったまま口を開きかけ――

すぐに、言葉を飲み込んだ。


「あ……あの……」


一瞬、視線が泳ぐ。


次の瞬間。


「うわぁ!?」


黒髪の少年が、勢いよく扉から――

飛び出してきた。


……いや、違う。


後ろから、何かが当たった。



ゲールの腹だ…。



少年は前につんのめり、

慌てて振り向いて――


「なっ……!?」


ぎょっとした顔で、固まった。


ゲールは俺に視線を送り、

そして少年の頭に手を置く。


ぽん。

ぽん。


優しい手つきだった。


そして、片手で軽く親指を立てる。


――問題ない。


そう言いたげなジェスチャー。


少年は、しばらく瞬きを繰り返してから、

恐る恐る息を吐いた。


「……な、んだこれ……?」


ゲールは、何も言わない。


ただ、いつものように、

そこに立っているだけだった。


俺は、思わず息を吐く。


「……とって食ったりしねぇよ。調子はどうだ?」


俺の言葉に、少年は再びこちらに向きを直す。


「え……は、はい……大丈夫だと思います」


少し間を開けて、少年は続けた。


「僕は……殺されるんですか……?」


甲板の音が、少し遠くなる。


ミラの金属音。

リュカの文句。

帆を打つ風。


全部があるのに、

少年の視界には、俺しかいない。


俺は、一度目を閉じて少年を見直す。


「……誰に?」


「え……?」


「誰に殺されると思った?」


俺は少し鼻を鳴らして、首を傾けた。


少年の視線が揺れる。

逃げ場を探すみたいに、


一瞬だけ、甲板の端を見る。


それから――

観念したように、俺を見た。


「ここで、あなたに……」


恐怖と緊張感が見て取れる。


だが、俺は、ただ質問を続けた。


「……理由は?」


俺が聞くと、

少年は、ぎゅっと唇を噛んだ。


「……その……」


声が、少し震える。


「空を飛ぶ船に乗ってる……紺のコートと帽子で、顔は隠れて目元しか見せない……

そして……誰もいなくなったあの港を、平然と歩いてた……」


一つ一つ、少年は確かめながら告げていく。

そして、最後に答えへとつなげた。


「……厄災を……」


少年は、そこで言葉を詰まらせた。


それでも、

逃げずに、言った。


「厄災を、呼び戻した人、だから……です……」


甲板の空気が、

ほんの一瞬だけ、冷えた。


俺は、否定しない。


笑いもしない。


「……それで?」


促すと、

少年は、息を吸い直した。


「……だから……もしその船がまた現れたなら……生き残りは……

見つけたら、消される……」


目が、伏せられる。


「そう、聞いてました……」


俺は、少しだけ考えてから言った。


「……なるほどな」


それだけだ。


少年が、恐る恐る顔を上げる。


「少なくとも」


俺は、甲板から一歩も動かずに言った。


「殺すつもりなら、

起こす前に終わってる」


はっきりと。


言い訳も、

説明も、

正義も、添えない。


ただの事実として。


少年の目が、見開かれた。


「…………」


言葉が、出てこない。


胸が上下している。


しばらくして、

ようやく、掠れた声が出た。


「……じゃあ……僕は……」


俺は、肩をすくめた。


「死なねぇよ」


一言。


「それ以上でも、それ以下でもねぇ」


沈黙。


少年は、しばらく立ち尽くしてから、

大きく、息を吐いた。


「……はぁあ〜」


それを聞いて、

俺は、初めて少しだけ視線を外す。


「……名前は?」


「……シン、です……」


「そうか、コールだ」


それだけ言って、

俺は甲板の騒がしさに目を戻した。


ミラは、まだ機体に夢中だ。

リュカは、相変わらず文句を言ってる。


いつも通り。


「……シン」


呼ぶと、

少年は、びくっと肩を揺らした。


「はいっ」


「安心しろ」


一拍。


「少なくとも、この船は――

生き残りを狩るために飛んでねぇ」


それだけ言って、

俺は背を向けた。


説明は、しない。

信用も、強要しない。


だが――


少年の胸に、

確かに、何かが落ちた音がした。


俺は背を向けたまま、ひとつだけ言った。


「……俺を、どこで知った?」


それだけだった。


振り返らない。

声も低いまま。


甲板の向こうで、シンが一瞬、息を詰まらせる気配がした。


「……」


答えないなら、それでいい。

そういう間を置いたつもりだった。


だが――


「……見たわけじゃ、ありません」


掠れた声が、背中に届いた。


「僕は……あなたや、この船を……直接、見たことは……」


俺は何も言わない。


続けろ、とは言わない。

止めもしない。


シンは、少し言葉を探すように間を置いてから、続けた。


「……別の街に、いました。

港でも、風の都市でもない……

ただの、交易路沿いの、小さな街です」


風が帆を鳴らす。

甲板のざわめきが、遠くなる。


「ある日……空が、赤くなって……

遠くで、地面が鳴って……」


シンの声が、わずかに震えた。


「最初は……噂でした。

“厄災が動いた”って……

でも、誰も信じなくて……」


唇を噛む音。


「……信じた時には、もう……

逃げるしか、なかったんです」


俺は、まだ振り返らない。


「街は……一晩で、なくなりました」


余計な説明はない。


「……逃げて……」


ぽつり、と声が落ちる。


「僕たちは……とにかく、逃げ続けました」


言葉を選ぶように、

一拍ずつ区切って話す。


「街じゃ……もう、どこも……

長くはいられなくて……」


俺は、何も言わない。

続きを促しもしない。


それでも、シンは続けた。


「人が多く、強い場所は……危なくて…… 港も……」


そこで、わずかに視線が揺れた。


――言いすぎた。

自分で、そう判断したらしい。


「……だから……」


言葉が、止まる。


俺は、ようやく口を開いた。


「……どこにいた」


短く。

事実だけを聞く声。


シンの肩が、びくりと跳ねた。


「……」


一瞬、完全に黙る。


逃げ場を探すみたいに、

甲板の木目を見て――


「……下です」


それだけ言った。


場所の名も、

種族も、

街の規模も、言わない。


「……あそこは、まだ安全なので」


付け足す声は、

明らかに“線を引いて”いた。


俺は、それ以上突っ込まない。


「さっきの……。逃げた他の二人とずっと一緒か?」


問いは、そっちへ流した。


シンは、少しだけ安堵した顔で頷く。


「……はい。

アスハと、ナイです」


名前を出したあと、

また口を噤む。


何をどこまで言っていいか迷っている顔だった。


俺は、それを見て言った。


「……そうか」


短く。


「守りたいもんがあるなら、

隠せ」


シンの目が、わずかに見開かれた。


「……え……?」


「信用してねぇ相手に、

全部話すほど、命は安くねぇだろ」


事実を言っただけだ。


評価でも、許可でもない。


シンは、数秒固まってから、

小さく息を吐いた。


「……やっぱり……

怖いです」


正直な声だった。


「……あなたが……

優しいのか、冷たいのか……

僕には……分からない」


俺は答えない。


答えないまま、

甲板の向こうを見る。


「……でも……」


シンが、続ける。


「殺すなら……

さっき、殺せた……」


自分に言い聞かせるみたいに。


「聞き出すなら……

無理に、聞けた……」


そこで、言葉が詰まる。


「でもそうしない……だから……」


言葉にならないまま、

視線が落ちる。


俺は、背を向けたまま言った。


「信じなくていい」


一拍。


「疑ったままでいろ」


それだけだ。


シンは、しばらく黙ってから、

小さく頷いた。


「……はい……」


完全な信頼じゃない。

安心でもない。


ただ――

“今すぐ逃げなくていい”という判断。


シンは、その中で、

まだ少しだけ距離を保ったまま、

俺の背中を見ていた。


――悪魔かもしれない。

――でも、今は、刃を向けていない。


その程度の認識で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ