第196話:狭まる船、残る印
船は、村の外れに停泊していた。
甲板には、すでに全員が揃っている。
リュカ、シア、リネア、ネラ、ミラ、エレナ、シガ。
その視線の先――
見送りとして集まったのは、獣族の村の者たちだった。
シラヴァ、レアナ、グルドの三人の族長。
そしてシルヴァク。
戦士たち、民。
勢揃いだった。
シラヴァが一歩前に出る。
「行くのだな」
「ああ……」
それだけで、通じる。
シルヴァクは、シガを見る。
「……無様な死に方はするな」
「分かっている……」
リネアは一歩下がり、弓を胸に抱えたまま頭を下げた。
リュカとシアは前に出て手を振る。
「帰ってきたらまたやろうなぁ〜!」
「……ありがとうございました」
獣族の戦士たちは、何も言わない。
ただ、拳を胸に当てる。
俺は最後に、村全体を見渡した。
「世話になった」
それだけ言って、船に戻る。
帆が降ろされ、
船が、ゆっくりと浮かび上がる。
地面が遠ざかる。
焚き火の煙が細くなり、風に溶ける。
一瞬見た甲板の様子に、つぶやく。
「……手狭になったなぁ」
その後に間の抜けた声。
「ほんとそれ、寝るとこなくて困った困った〜」
全員が、声の方を見る。
そこにいたのは――
シェアラだった。
荷物は最小限。
当然の顔。
「「……え?」」
俺とリュカが固まる。
「なんで?」
「だって、行くでしょ? ここまで来て残る理由なくない?」
シアが額を押さえる。
「……いつから乗ってたんですか?」
「最初から?」
誰も言葉が出ない。
船はすでに高度を上げている。
戻る理由も、時間もない。
俺は空を見上げた。
「……本当に、狭くなったな」
だが――
不思議と、悪くない。
船は、そのまま雲へ向かう。
ここから先は、
戻る旅じゃない。
―――――その後
シェアラは、医務室に居座った。
「ここ、空いてるし」
そう言って、荷を置き、
寝台に腰を下ろし、
あとは当然のような顔で居着いた。
医務室は、元々広くはない。
怪我人用に最低限の寝台と棚があるだけだ。
だが――
船内で、唯一残っていた「個室」だった。
「……医務室は、怪我人のための場所だ」
エレナが言う。
「うん、だからいいでしょ?」
シェアラは悪びれない。
「これから危ないとこ行くんだし。
あたし、怪我する予定あるし?」
「予定で使う場所ではない」
「じゃあ予備ってことで」
話は終わった、という顔だった。
結局、誰も動かせなかった。
船は、狭くなった。
本当に、狭くなった。
食事の席も、交代の時間も、必ず誰かがいる。
誰かが見ている。
誰かが聞いている。
――常に。
(……タイミングがない)
俺は、何度目か分からない溜息を飲み込んだ。
部屋に戻っても、シガに匂いで感づかれそうで、なんかやだ……。
甲板には、リュカとシア。
下には、ミラ。
通路には、ネラかリネア。
シェアラも飽きもせず探索を繰り返す。
(人目が切れない!!)
意図しているわけじゃない。
だが、船というのはそういうものだ。
手の中で、
小さな硬さが、存在を主張する。
ミラが作ってくれた形。
目立たず、邪魔にならず、
だが、確実に“渡すためのもの”。
(……どこで渡すんだよ)
部屋の問題じゃない。
二人きりになれないことでもない。
誰にも見られず、誰にも勘付かれず、
自然に渡せる瞬間が、ない。
それが、一番厄介だった。
―――――
食事のあと。
エレナが、湯を汲みに行く。
――今か?
いや、後ろにリネアがいる。
交代の時間。
――今か?
いや、シガがすぐ横だ。
夜。
――今か?
甲板には、星を見に来たシアとシェアラ。
(……くそ)
俺は、思わず顔を押さえた。
厄災の大陸に向かっているというのに、
こんなことで足が止まるとは思わなかった。
「どうした?」
不意に、エレナの声。
振り返ると、すぐ後ろにいた。
距離が、近い。
「……いや」
誤魔化す。
「船が、狭くなったなって…」
エレナは、周囲を一度見回した。
「確かにな」
それだけ。
だが――
そのまま、少しだけ声を落とす。
「必要なら、何でも言え。
私は、気にしない」
今は……それが、逆に困る。
俺は、短く笑った。
「そのうち、な」
「そうか」
深追いはしない。
エレナは前を向き、
何事もなかったように歩き出す。
俺は、その背中を見送りながら、
掌の中の重みを、もう一度確かめた。
(……まだだ)
渡すのは、
ここじゃない。
だが――
いつか必ず、渡す。
「…いつか」
口にした瞬間、俺の中である光景が流れていった。
一つは俺が心臓を抜かれて死んだ時、そしてもう一つは…。
「いつかじゃ…ダメだな」
そう決めて、
結局、俺は自室に戻った。
―――――
シガは、黙って壁に背を預けていた。
気配だけで分かる。こいつは、もう察している。
「……頼みがある」
そう言うと、シガは一瞬だけ目を細めた。
「面倒ごとか……」
「協力してほしい、少し…場所を作りたい」
理由は言わない。
だが、シガにはそれで十分だった。
「……外に出ていればいいのか」
「ああ」
「時間は?」
「短くていい」
シガは、短く頷いた。
「了解した……」
それだけ言って、扉の外へ出る。
―――――
数分後。
灯りは落としてある。扉が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。
シガは外にいる。
理由は言っていないし、聞かれもしなかった。
エレナは、部屋の中央で立ったままだ。
「呼んだか?……用件は?」
いつもの声音。
だが、警戒はしていない。
俺は、腰に手をやった。
ベルトにかかる、小さな重み。
白銀に近い光。淡く青を含んだ片割れ。
それを指で示してから、手を開く。
同じ形。
同じ石。
もう一つの、片割れ。
エレナの視線が、はっきりと止まる。
「……それは」
「空島で見つけたソラル石で作ってもらった」
即答だった。
エレナは、すぐには手を伸ばさない。
「理由は?」
「今回は、贈り物に理由なんて…とは言えない」
一拍、置く。
深呼吸をして、言葉を整える。
「リュカとシアには耳飾りを渡した。
リネアには指輪だ」
エレナの眉が、わずかに動く。
「……皆違うな」
「あぁ」
俺は、腰の片割れにもう一度触れる。
「これは、南の港で知った“再会の印”と同じ意味だ」
逃げない。
「片割れは、もう俺が持ってる……」
エレナの目が、ほんの少しだけ揺れた。
「……それは」
「だからこれは、誓約じゃない」
はっきり言う。
「お前は騎士だ。
無事に帰れたら、たぶん国に戻るだろ?……」
否定しないのを、分かっていて言う。
「俺は……まだどこかに根を下ろす気はない」
一息。
「でも」
視線を外さず、続ける。
「それでも、俺が選ぶ相手はお前だ」
静寂。
船体が、低く軋む。
「縛らない。
帰る場所も決めない」
だが――
「それでも、戻りたいと思った時に、
同じ印を持ってるってだけだ」
エレナは、しばらく黙ってチャームを見つめていた。
やがて、静かに言う。
「……随分、不器用だな」
「知ってる」
「だが」
彼女は、それを受け取り、指の中で確かめた。
「軽くはないな」
エレナは、大事そうに懐にそれをしまう。
「預かる」
「預けた」
短いやり取り。
だが、十分だった。
「アーク」
「ん?」
「私は、騎士だ」
「知ってる」
「だが」
一瞬、間。
「……同じ印を持っているのは、悪くない」
――がちゃ。
突然扉が開いた瞬間。
「っ……?」
ずるっ
――なだれ込んできた。
リュカが先頭。
耳を扉に押し当てたままの体勢。
「うわっ!?」
その背中に、シア。
「ちょ、リュカ急に――!」
さらにその後ろ。
リネアまで寄りかかっていたらしい。
「え!? え!?」
三人まとめて、
前のめりに部屋の中へ転がり込む。
床に倒れ、視界に入ったのは――
俺。
エレナ。
距離、近い。
灯り、落ちてる。
沈黙、濃い。
一瞬で理解。
「…………」
空気が凍る。
次の瞬間。
「――あ」
リュカが最初に声を出した。
「……やべ」
即座に起き上がり、後ずさる。
「やべやべやべやべ!!」
シアも真っ青。
「あぁ〜……あぁ! もうリュカ! ダメでしょう?」
「あ、おい! シアも乗り気だったくせに!!」
リネアは一拍遅れて状況を把握し――
「っ!?」
顔が一気に赤くなり、悲鳴寸前。
「す、すみません!!」
三人、同時に方向転換。
「逃げろ!!」
「撤退!!」
「今すぐ!!」
――全力で逃走。
その勢いのまま、扉の外にいたネラとシガに激突。
「……」
「……」
リュカがネラの肩を掴む。
「任せた!!」
シアは全員の顔をキョロキョロ見た後リュカをわざとらしく追う。
「え!、あ!、こらリュカ〜」
リネアは顔を覆いながら、
「ご、ご無事で……!!」
意味不明なことを叫びつつ、三人まとめて通路の角へ消えた。
沈黙。
床に転がったままの空気が、まだ残っている。
ネラが、ゆっくりと視線を逸らす。
「……私は、何も聞いていない」
シガは腕を組み、低く言った。
「……盗み聞きは、良くはないな」
「お前も止めろ」
「止めた……」
「遅ぇよ」
シガは一度だけこちらを見てから、踵を返す。
「……用は済んだな」
「ああ」
「…もう少し、出ておく」
扉が閉まる。
部屋には、俺とエレナだけが残った。
数秒後。
エレナが、笑いながらぽつりと呟く。
「騒がしい船だな」
「だろ?」
少しの間、互いに笑いあった。
大事な時間だった。
だがそれだけで終わらせられない。
多分ここを逃したら、またタイミングをなくすから……。
だから必死に俺は、自分の中にある言葉と気持ちを整理してエレナに伝える。
「……ミラのことなんだが」
エレナの視線が、ゆっくりとこちらに戻る。
「ここの所、あいつに助けられた……何度もな」
短く言ったのに、喉が少し渇く。
続けなきゃいけないのは、ここからだ。
「船の空気が壊れそうになった時も、
俺が誰かに甘えすぎそうになった時も、
……逆に、誰かを突き放しそうになった時も」
自嘲が混じる。
「俺さ、“俺だけ見ろ”って言えるほど、器でけぇ男じゃないくせに――
いざ不安になると、誰か一人に寄りかかって、他を置いていく」
指先が、机の縁を掴む。
「お前とリュカ達の間でもそうだ、
どっちかを守るって顔して、どっちかを捨てる方向へ……無意識に寄ってた……。
俺は、そういうことをする……」
言ってしまえば簡単だ。
でも、言うのがいちばん難しい。
「今回それを止めたのが、ミラだった……あいつが狙って動いたわけじゃないんだ。でも……」
エレナの目が、ほんの少しだけ動く。
「好きだって言われた時、正直、嬉しかった。
でも、あいつは――それを武器にしなかった、
俺が崩れそうなとこだけ、分かってないふりで支えて……、この船の...俺達のバランスを守った」
息を吐く。
そうして、机から”包み”を取り出した。
「……だから、礼じゃ足りねぇんだよ、
認めたい、“必要だった”って、ちゃんと言いたい」
だが、そのうえで言い切る。
「それでも――俺が選ぶのは、お前だ。最初からずっと変わらねぇ」
逃げずにエレナを見る。
「けど、ミラが居なきゃ……俺はたぶん、もっと酷いことしてた。
だから……俺の中で、あいつはもう“いていい”じゃなくて、“いてくれ”なんだ」
いてることはハチャメチャだ…おまけに情けない。
でもそれが今の自分だと受け入れる。
「……なぁエレナ。
俺って、ダメ男か?」
冗談めかしているが、逃げではない。
本気の問いだった。
エレナは、少しだけ視線を落とし、
それから――静かに息を吐いた。
「……ダメだな」
即答。
だが、その声に突き放す色はない。
「不器用で……、
余計なものを自分で抱えて、 整理も下手だ」
エレナは一度、呆れたように鼻で笑う。
「だが」
そして、こちらをまっすぐに見る。
「お前は、
逃げない、
隠さない、。
すべて分かっていて私に聞いた」
それだけで、十分だと言うように。
「……その包み」
エレナは、そっと手を伸ばす。
「私が渡そう……お前を支えてくれた“礼”としてな……」
包みを受け取る指は、確かだった。
「勘違いだとは言わない」
一瞬だけ、言葉を置く。
「ミラの想いも、お前の“必要だった”も――本物だ」
視線を上げる。
静かに続ける。
「ただし、それを“恋の約束”にすり替えはしない。そこは、私が線を引く」
短く、しかし揺れない声。
「それで、いいな?」
「その前に……一つだけ……」
俺は、はっきり言った。
「お前を“選ぶ”のは変わらねぇ。でも、他を“捨てる”って意味じゃない」
改めて、自分がしてることと。
なんでそうなのか、気持ちを問いただす。
「大事さの形が違うだけだ……誰かを落として帳尻合わせるのは――やらねぇ」
エレナは、わずかに目を細めてから言う。
「……なら、覚えておけ。
“捨てない”のと、“抱え込む”のは違う」
「……ああ」
それで、十分だった。
胸の奥で、何かが静かに落ち着いた。
エレナは包みを懐にしまい、踵を返す前に一度だけ言った。
「アーク。私がここにいるのは、任務だけじゃない」
扉に手をかけて、振り返る。
「私も……選ばれた以上、簡単には降りないぞ」
それだけ残して、部屋を出た。
扉が閉まる。
俺は、深く息を吐いた。
「...はぁ」
逃げなかった。
隠さなかった。
あとは――
朝を待つだけだ。




