第195話:形になるもの
夜。
船の中は静かだった。
動力の鼓動も、もう深く、遅い。
ミラの部屋――
甲板をぶち抜いて作られた低い空間。
壁際の敷布の上で、ミラは寝転がったまま、
何か細かい部品を指先でいじっている。
工具の音は小さい。
眠りを邪魔しない程度の、規則的な音。
俺はその横、梁から吊ったハンモックに身体を預けていた。
しばらく、言葉はない。
やがて、ミラが手を止める。
「……そろそろ、寝ます〜」
いつもの調子。
区切りの言葉だ。
「おやすみなさい、コールさん」
その直前。
「……ミラ」
俺が呼ぶと、
彼女は顔を向けず、寝転がったまま返した。
「はい〜?」
視線が、作業台の脇に置かれた石に落ちる。
白銀に近い色。
そこに、淡く混じる青。
ソラル石の原石。
俺は、少し間を置いてから言った。
「それ、頼めるか」
ミラの指が、ぴたりと止まる。
「加工、ってことですか〜?」
「ああ」
理由は言わない。
誰に渡すかも言わない。
ただ、それだけ。
ミラは、ようやくこちらを見る。
「……形とか、用途とか、決まってます?」
「邪魔にならないやつ」
「壊れにくい?」
「当たり前だろ」
ミラは、ふっと息を吐いた。
「了解です〜」
それ以上、聞かない。
原石を手に取り、
床に近い位置で、ころ、と転がす。
白銀に近い光が、淡く反射した。
「……それでぇ」
ミラは、まだこちらを見ない。
「どんな道具に使うんですか〜?」
軽い声。
ただの確認みたいな調子。
俺は、少しだけ間を置いた。
「道具じゃない」
「……?」
ミラの指が止まる。
寝転がったまま、首だけこちらに向ける。
「じゃあ……装備?」
「違う」
短く否定してから、息を吐く。
「贈り物だ」
一瞬、音が消えた。
工具の触れる音も、
原石の転がる音もない。
ミラは、ほんの一拍だけ黙って――
それから、にこりと笑った。
「あ〜……なるほど」
納得した顔。
だが、からかいはない。
「相手は……」
言いかけて、止める。
「……聞かないほうがいいですね〜」
「助かる」
「はい〜」
ミラは原石を軽く持ち上げ、
光に透かす。
「じゃあ、余計な装飾はいらないですね〜。
意味が見えるやつは、贈り物には向かないですし〜」
俺は、黙って頷いた。
「邪魔にならなくて、身につけても、戦いの邪魔にならない形で頼みたい」
ミラは、指先で大きさを測るような仕草をする。
「……耳でも、首でも、指でもない」
独り言みたいに呟く。
「でも、目に入る位置。失くしにくくて……壊れにくい」
そのまま、原石を布で包んだ。
「すぐ、取りかかりますね〜」
「今からか」
「はい〜。今、気分いいので」
そう言って、工具を引き寄せる。
「おやすみは、あとで〜す」
俺は、ハンモックに身を預け直した。
「……頼む」
「はい〜」
それだけ。
「ミラ」
「はい〜?」
「……ありがとう」
「……いいえ〜」
火花は散らない。
叩く音も、まだしない。
だが――
確実に、“形になる時間”が始まっていた。
俺は目を閉じる。
次にそれを見るとき、
それはもう“石”じゃない。
そう分かっていた。
ーーーー
早朝、獣族の村は、まだ静かだった。
焚き火の煙が細く立ち、空気は冷えている。
俺は一人、村の奥へ向かった。
前族長シラヴァの家――
そして、シガの父、シルヴァクのいる場所だ。
扉の前で足を止める。
一度、息を整えてから、声をかけた。
「……入るぞ」
返事は短かった。
「来い」
中には二人いた。
老いたが背筋の伸びたシラヴァ。
そして、久しぶりに見るシルヴァク。
「久しいな、人の子」
「久しぶりだな、シルヴァク」
互いに、余計な言葉はない。
俺は、まず頭を下げた。
「礼を言いに来た」
二人の視線が集まる。
「この村が、俺たちを受け入れてくれたこと、
鍛えてくれたこと、
守り、血を流してくれたこと」
一つずつ、言葉にする。
「……感謝している」
沈黙。
焚き火の音だけが、低く鳴る。
シラヴァが、ゆっくり頷いた。
「それを言いに来たなら、十分だ」
だが、俺は首を振る。
「もう一つある」
視線を上げる。
「俺は、近く旅立つ。
厄災のいる大陸へ向かう」
空気が、わずかに張った。
「その前に――頼みがある」
シルヴァクが、腕を組む。
「……ほう」
俺は、正直に言った。
「俺一人じゃ、足りねぇ」
弱音だ。
だが、隠すつもりはなかった。
「守るものが増えた。
背負う判断も、責任も増えた」
一拍、置く。
「リュカたちやリネアは、俺にとっては守る家族だ。
危ない時は、隣で戦ってくれるのも分かってる」
拳を、軽く握る。
「だが――」
言葉を選ぶ。
「俺には、戦士として並んで立つ相手が必要だ」
シラヴァの目が、細くなる。
「守る側でも、守られる側でもない
同じ前線に立って、同じ危険を見る」
視線を、まっすぐ向ける。
「戦士同士としてだ」
一息。
「シガに、ついてきてほしい」
静寂。
最初に口を開いたのは、シルヴァクだった。
「……理由は、それだけか」
「ああ」
飾らない。
「俺がこの世界で、対等に……守る守られるを抜きに、背中を預けられる存在だからだ」
家族でも、庇護でもない。
戦士としての信頼。
シルヴァクは、ゆっくりと笑った。
「……やはり、選んだか」
シラヴァが、静かに言う。
「シガは、もう来ている」
扉の外で、気配が動いた。
軋む音。
シガが立っていた。
聞いていたのだろう。
「……今さらだな」
低い声。
「断る理由もない……」
視線が、俺に向く。
「前に立つ覚悟なら、とっくにある……」
俺は、短く頷いた。
「助かる」
「礼はいらぬ……」
シガは、肩を鳴らす。
「どうせ行くなら、最後まで付き合うだけだ……」
シルヴァクが、深く息を吐いた。
「……行け」
それだけだった。
俺は、頭を下げる。
「必ず、連れて帰る」
誰を、とは言わない。
シラヴァが、静かに締めくくった。
「獣族の名に恥じぬ戦をしろ」
外に出ると、朝の光が差していた。
俺とシガは、並んで歩き出す。
言葉はない。
だが――
これで、俺の前線は揃った。
ーーーーー
そのまま俺達は船に戻ってきた。
板を渡る重い足音に、真っ先に反応したのはリュカだった。
「……あれ?」
振り返る。
肩に担がれた荷。
無駄のない装備。
「……シガじゃん?」
シガは足を止めず、そのまま甲板に乗る。
「来た……」
それだけ。
今度はシアが首を傾げた。
「シガ? その荷物は?」
「持っていく……」
「どこに?」
少しだけ、間が空く。
「お前たちとだ……」
一瞬、静まる。
リュカが目を瞬かせた。
「……は?」
次の瞬間。
「そうなのか?」
リュカはすぐに笑う。
「まぁいいけどよ」
そして、ふと思い出したように首を傾げる。
「……でも」
船を見回す。
「部屋、どうすんだ?」
沈黙。
その場にいた全員が、同時に気づいた。
――もう、空きはない。
シガは気にしないように言った。
「床でいい……」
即座に、別方向から声。
「だめです」
エレナだった。
「戦士が床で寝る船は、縁起が悪い」
「……そういう問題か?」
そこにミラが、にゅっと甲板に頭を出して現れた。。
「だいぶ賑やかになりますねぇ〜。でも私の部屋なら一人だけなら平気ですよ〜?」
シアが、にやりと笑った。
「じゃあ、決まりですね」
リュカが首を傾ける。
「なにが?」
シアは親指で後ろを指す。
「コール様は自分の部屋でシガと」
即答。
シガは一瞬だけ俺を見る。
「問題はない……」
エレナは一瞬だけ考え、納得したように頷く。
「……了解した」
そう言って踵を返す。
「ミラ、部屋を借りる。しばらくな」
「はい〜。どうぞどうぞ〜」
ミラは甲板に肘をつき、のんびり答える。
エレナは自分の荷をまとめ、何事もない顔でミラの部屋へ向かった。
「こーるちゃん……ちょっとだけ、いいですか〜?」
誰にも聞こえない距離。
ただの確認みたいな口調。
「?」
俺が一歩寄ると、ミラは手のひらを軽く返した。
そこにあったのは――
白銀に近い光。
淡く青を含んだ、小さな塊。
ソラル石。
だが、もう“石”じゃない。
削り落とされ、整形された綺麗なチャームだ。
目立たず、邪魔にならず、けれど――失くさない。
「……できました〜」
声は、ほとんど息。
「抽象的なのじゃなくて見ても“何か”とは分かりにくい形にしてます〜」
俺は、反射的に掌を閉じた。
「早ぇな……」
「気分よかったので〜」
にこっと笑う。
「……誰にも、言ってませんよ〜?」
「……助かる」
「はい〜」
それだけ。
ミラは何事もなかったように体を戻す。
「じゃ、部屋はご自由にどうぞ〜」
賑やかな声が戻る。
リュカの笑い声。
シアの軽口。
エレナのため息。
その全部を背に、
俺は、掌の中の重みを確かめた。
(……これでいい)
まだ渡さない。
まだ言わない。
だが――準備だけは整った。




