第194話:証
昼前。
森を抜け、獣族の村が見えてきた。
風に乗って、鉄と土と血の匂いが混じる。
嫌な予感がした。
「着いたな」
エレナが、低く呟く。
村の広場に入ると――すぐに分かった。
シガとシェアラが、そこにいた。
立ってはいるが、満身創痍だ。
獣化の痕が消えきらず、息が荒い。
肩、脇腹、脚。どこも浅くはない。
「あ、コールだ〜」
先に気づいたのはシェアラだった。
いつもの軽い調子。
だが、声の奥が少し擦れている。
「お帰り〜。騎士さんも〜」
「……戻ったか」
シガは短く言うだけだった。
俺は視線を走らせる。
「おまえら……なんでそんな……」
答えを聞く前に――
ドンッ!!
地面が震えた。
轟音。訓練場の方角。
獣の咆哮が、遅れて届く。
「……まさか」
俺が言い切る前に、シガが低く答えた。
「その、まさかだろうな…。
……リュカとシアが、予想よりも遥かに早く型を学んだ」
「そんで切りが良いから一回休もうと思ったんだけど…、
“あれ”が船から出てきて『わたしもやります〜』って」
もう一度、地面が揺れる。
訓練場は……、
すでに“戦場”みたいになっていた。
獣化したリュカが、跳ぶ。
爪と牙を剥き出し、全力の突進。
シアも続く。
連携。左右からの挟撃。
――だが。
真正面。
ミラが、そこにいた。
巨大な体。
だが、動きは鈍くない。
手にしているのは、ハンマーじゃない。
代わりに――
丸太。
巨体に似合う、太い一本。
「え〜っと……」
いつもの、のんびりした声。
「それずるいですね〜、なら…えい!」
丸太が、横薙ぎに振られた。
ゴォンッ!!
風圧だけで、リュカが弾かれる。
地面を転がり、体勢を立て直す。
「っ……!!」
シアが背後を取る。
だが、ミラは振り向かない。
丸太を地面に突き立て、その反動で、後ろに肘打ち。
ドンッ!!
直撃は避けた。
それでも、衝撃でシアが吹き飛ぶ。
「……あれ、意外と当たらないですねぇ?」
ミラは首を傾げる。
「もうちょっと、近いほうがいいですか〜?」
ふざけているようで、一切、油断がない。
壊さない。
殺さない。
でも、止める。
完全に“止める戦い方”だ。
エレナが、低く息を吐いた。
「……なるほど」
俺は腕を組んだ。
「まじか……あいつあんな強かったっけ?」
視線は、ミラから離れない。
リュカが、歯を剥く。
「……っ、こいつ……!」
ミラは、丸太を肩に担いだまま言った。
「大丈夫ですよ〜」
にこり、と笑う。
「折らないですし、潰さないです〜」
その言葉と同時に、
丸太が、寸止めで止まった。
リュカの鼻先、数センチ。
風だけが、髪を揺らす。
沈黙。
ミラは、ゆっくり丸太を下ろした。
「……なので、今日はここまでにしませんか〜?」
獣化した二人が、荒い息のまま立ち尽くす。
――勝敗は、最初から決まっていた。
エレナが、ぽつりと呟く。
「……あれは、手強いぞ…」
俺は、短く笑った。
「…だな」
―――――
村の焚き火場には、肉の焼ける匂いが広がっていた。
骨付きの獣肉が串に刺され、脂が落ちて火が跳ねる。
平和な光景――のはずだが。
座っている四人は、全員ボロボロだった。
リュカは地面に座り込み、獣化を解いたばかりの尻尾を苛立たしげに揺らしながら、肉にかぶりつく。
「……くそ」
がぶっ。
「倒せねぇ……」
がぶっ。
歯を立てるたび、悔しさが混じる。
視線の先では、少し離れてミラが丸太に腰掛け、同じように肉をもぐもぐしていた。
「……あれ、なんなんだよ……クソッ……。……うま」
ぼそり。
シアも黙って肉を食べていたが、ちらりとミラを見る。
そして、素直に思った。
(……あれは、ヤバい)
力がある。
速さもある。
でも何より――余裕がある。
殺さず、折らず、潰さず。
それでいて、完全に制圧する。
シアは肉を噛みながら、静かに息を吐いた。
「強敵……過ぎますね」
その様子を見ていた俺は、串を置いてミラに視線を向ける。
「なぁ、ミラ」
「はい〜?」
口の端に脂をつけたまま、のんびり顔を上げる。
「お前、なんでそんなに強ぇんだ?」
場が、一瞬静まる。
リュカも、シアも。
全員、答えを聞きたがっていた。
ミラは少し首を傾げた。
「え〜……なんででしょうねぇ?」
間延びした声。
だが、すぐに続ける。
「オルデアで、鍛冶屋してたじゃないですか〜」
「ああ」
「他の種族の方もいっぱい来るんですよね〜」
ミラは、串をくるっと回す。
「偉そうなのとか〜、乱暴なのとか〜。
気に食わないお客さんとか〜」
ぽつぽつと、軽い調子で並べる。
「で、最初は言葉で追い返してたんですけど」
少しだけ、笑う。
「……そのうち、聞かなくなりまして〜」
焚き火の音が、ぱち、と鳴った。
「なので、外に出して〜二度と来ないように、えい!って」
串の先で、地面を軽く突く。
「“止める”ようになったら……」
肩をすくめる。
「いつの間にか、こんな感じでした〜」
沈黙。
リュカが、ゆっくり顔を上げる。
「……それ」
真顔。
「追い返すレベルじゃねぇだろ」
「そうですか〜?」
本気で分かっていない顔。
シアは、思わず苦笑した。
「あ、あはは……鍛冶屋って、なんでしたっけ…」
シェアラは興味深そうにミラを見て、笑いながら肉を食う。
「でもあたし牛人の人始めてみたよ、オルデア行ってみたいかも?」
シガが、短く息を吐く。
「……オルデアという国は、猛者が集うのだな」
(ちげぇ……ともいい切れない……)
キリサもバルグも強ぇし……そういや獅子の議員も居たな……。
俺は、苦笑して肉を持ち上げる。
「なるほどな……」
一口かじってから、言った。
「そりゃ、“止める戦い”が上手いわけだ……」
ミラは、にこっと笑う。
「壊したら、直すの大変ですからね〜」
その一言で、全員が理解した。
「「「「……」」」」
「……次は」
もぐもぐ。
「……絶対、追いつくからな……」
ミラは、のんびり返した。
「はい〜。楽しみにしてますね〜」
焚き火の火が、ゆらりと揺れた。
―――――
三日後。
リュカは無駄に吠えなくなった。
踏み込みが鋭く、止まる位置を知っている。
シアも同じだ。
連携の中で“欲を出さない”動きが増えた。
以前なら狙っていた一手を、あえて引く。
――仕上がってきている。
その頃、森からリネアたちも戻ってきた。
弓を背負ったリネアは、以前より姿勢が安定している。
当たる当たらないよりも、“崩れない”立ち方を覚えた顔だ。
「……そろそろ、だな」
俺はそう呟いて、船に戻った。
久しぶりの自分の部屋。
……と言っても、今はエレナが使っている。
だが、入った瞬間に分かる。
物はほとんど動かされていない。
棚の位置も、床の擦れも、そのままだ。
「……宝物庫みたいだな、ここは」
背後から、エレナの声。
振り返ると、扉のところに立っていた。
「いじってはいない。だが……妙なものが多い」
視線が、壁際の棚をなぞる。
クラーケンの牙。
巨大鮫の骨。
折れた刃、
欠けた護符。
どれも、今までの“生き残り”だ。
「戦利品ってやつだ」
俺は言って、部屋の中央へ向かう。
机の上には、地図。
ただの紙じゃない。
魔力で描かれ、勝手に線が動く。
大陸の地形。
そして――
そこには厄災がいる大陸も記されている。
エレナが、地図を覗き込む。
「……厄介な代物だな……動く地図とは」
「便利だろ」
「便利すぎる」
視線が、地図の上部に移る。
そこに、小さな箱が置いてあった。
「……その箱は?」
俺は、少しだけ間を置いた。
「獣族にもらった」
箱を手に取り、蓋を開ける。
中には――牙。
磨かれて宝石のようにも見える。
飾りではない。
「家族の証だそうだ」
エレナは、黙ってそれを見る。
「……なるほど」
その言葉で、終わるはずだった。
だが。
俺の中で、引っかかる。
(……証、か)
リュカ。
シア。
リネア。
あいつらには、すでにある。
渡した、小さな証。
そして――俺自身。
耳元に、触れる。
潮の約束。
かつて、シャンディと交わした……片割れを渡し、再会を願う印。
(……これから、また旅に出る)
厄災の大陸。
戻れる保証なんて、どこにもない。
ふと、エレナを見る。
騎士。
だが、今は同じ船に乗る者だ。
それに……。
(……渡すべきか?)
胸の奥で、迷いが揺れた。
エレナは、地図から目を離さず言う。
「考え事か、コール」
「……顔に出てたか?」
「出ている」
短く、即答。
「お前は、決断するときほど黙る」
俺は、苦笑した。
「厄介だな」
「相手の顔を読むのも騎士の仕事だ」
エレナは箱から視線を外し、俺を見る。
「……証というのは、軽く渡すものじゃない。
だが、持っている意味は大きい」
言葉を選ぶ。
「それを渡す相手は……選べ」
それだけ言って、踵を返した。
扉の前で、一度だけ止まる。
「……私は、急がない」
そう言って、出ていった。
部屋に、静けさが戻る。
俺は、耳飾りに触れたまま、地図を見下ろした。
厄災の大陸が、ゆっくりと脈打つ。
(……もう少し先だ)
今は、まだ渡さない。
だが――準備は、しておくべきだ。
箱を閉じ、机の端に寄せる。
脳裏に浮かんだのは、
丸太を振り回し、肉を頬張り、
「壊したら直すのが大変です〜」と笑う、あの巨体だった。
「……ミラなら」
小さく呟く。
証は、誓いじゃない。
命令でも、束縛でもない。
帰る場所を、同じにするための印。
それを形にする役目は――
剣でも、騎士でもなく、
“壊さずに直してきた者”がいい。
俺は地図を畳み、部屋を出た。
次に取る行動は、もう決まっている。




