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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第193話:森の稽古


森の奥。

枝を組み、根を削り出したような円形の空間が、訓練場になっていた。


足元は柔らかい土。

踏み込めば沈み、止まれば音を吸う。


リーフェンが弓を構える。


長弓。

肘を高く、肩は落とし、背筋は真っ直ぐ。

無駄がない。


――ひゅっ。


放たれた矢は、音もなく飛び、

遠くの標的の中心に吸い込まれた。


弦の余韻すら、森に溶ける。


「……これが、こちらの基本だ」


淡々とした声。

見せびらかす気はない。


次に、ネラが前に出る。


短弓。

引きは浅く、構えは低い。


――だが。


連射。


ひゅ、ひゅ、ひゅ。


三本がほぼ同時に飛び、

標的の左右と中心を、叩く。


そのまま腰の短剣。


一歩で距離を詰め、

想定された“敵の喉”の位置で止める。


「お前達は、優しいな…。

 …殺意を捨てれば、森で死ぬ」


短く、それだけ。


リーフェンが、わずかに目を細めた。


「……速いな」

「仕留め続けるのが我らだった……」


互いに、否定はしない。


やり方が違うだけだ。


その様子を、リネアは黙って見ていた。


弓を持つ手が、少し震える。


白い長弓。

エルフのもの。


構えを真似る。

肘を上げ、肩を落とし、背筋を伸ばす。


深く息を吸い――


引く。

……引く。

………引ききれない。


「……っ」


それでも、放つ。


――ぽて。


矢は、力なく。

数歩先で、土に落ちた。


音もない。


沈黙。


ネラが一瞬、目を閉じる。


リーフェンは、驚きも嘲りもせず、

ただ事実だけを見る目で言った。


「……力が、入ってない」


リネアは唇を噛む。


「……ごめん」


「謝るな」


即座に、ネラ。


「いまのは“当然”だ」


リーフェンが続ける。


「弓は“引く武器”じゃない」

「“預ける”武器だ」


リネアが、顔を上げる。


「……あずける?」


リーフェンは、弓を差し出した。


「今日は、当てなくていい」

「まず、落とせ」


「……落とす?」


「自分の力を」


森の風が、葉を揺らした。


矢はまだ、一本も飛んでいない。


――――


訓練場に、乾いた音が続く。


――ひゅ。

――ぽて。


――ひゅ。

――ぽて。


リネアの矢は、相変わらず届かない。

引き絞る前に力が抜け、放てば手前に落ちる。


「……はは」

「それ、本当に弓か?」


少し離れた場所で、別のエルフが笑った。


「木の枝のほうが、まだ飛ぶぞ」

「ウッドエルフって、森の子じゃなかったのか?」


悪意は薄い。

だが、遠慮もない。


リネアは何も言わず、ただ弓を持ち直す。

唇を結び、もう一度構える。


――ぽて。


今度は、笑い声が増えた。


「ほらな」

「やっぱり向いてないんじゃ――」


「黙れ」


低い声が、場を切った。


リーフェンだった。


弓を下ろし、からかっていたエルフたちを睨む。

感情を表に出すことの少ない彼にしては、珍しい。


「最初からできる奴なんていない」

「それに――」


一歩、前に出る。


「できない理由を見ずに笑うのは、教える側にもなれない。

 何も学んでいないからだ」


一瞬、空気が止まる。


「……は?」

「大げさだろ」


「大げさじゃない」


言い切る。


「引けないのは筋力じゃない。

呼吸と重心が合ってないだけだ」


ネラが、少しだけ口角を上げた。


「良いやり方だ、森の者」


「お前のやり方もだ」


リーフェンは視線を逸らさず続ける。


「短弓の連射と近接。

“当てる前提”じゃなく、“止める”動き……この娘には、そっちも必要だ」


ネラは頷く。


「だから今日は――」


リネアを見る。


「当てなくていい」

「“落ちない立ち方”だけ覚えろ」


二人の声に、リネアは小さく頷いた。


「……うん」


からかっていたエルフたちは、

気まずそうに視線を逸らし、散っていく。


訓練場の端。


俺は、その様子を黙って見ていた。


隣に、エレナ。


「……いいのか?」


前を見たまま、低い声。


「何が?」


「今の」


一瞬、言葉を選ぶような間。


「――あれは、お前の女だろう」


“確認”ではない。

“事実”として置く言い方。


俺は、鼻で息を吐いた。


「まぁな」


少し間を置いて、続ける。


「リネアは平気だ。

ああいうの、折れる性格じゃない」


視線を訓練場に戻す。


「……ただ」


リーフェンの背中を見る。


「あいつには、少し悪い気がしないでもないな」


エレナが、俺を見る。


「ほう」


短い声。

だが、その一音で全部分かっている、という顔だった。


「随分と、見せつけるな?」


俺は肩をすくめる。


「悪いか? あいつが褒められるのは悪くない。実際、褒めてたしな」


エレナは確かに、と視線を訓練場に戻す。


「だが」


俺の視線が、鋭くなる。


さっき、笑っていたエルフたち。

完全に気を抜いた顔で、遠巻きに様子を見ている。


(――あれは、気に食わない)


俺は、エレナの横を離れた。


「……おい」


エレナが、小さく息を吐く。


「やめておけ……(嫌な予感しかしない)」


だが、俺はもう歩き出していた。


訓練場の中央。

リネアの隣に立つ。


「……コール?」


俺は答えず、腰に手を伸ばす。


銃を抜いた。


空気が、変わる。


「……なっ」

「それは――」


誰かが言いかけた、その瞬間。


――パン。

――パン。

――パン。


三発。


魔導弾が、一直線に飛ぶ。


標的だった木製の的が、

衝撃音もろとも、粉砕された。


破片が、土に降る。


森が、一瞬だけ沈黙した。


俺は、煙の上がる銃口を下げ、

そのままリネアに差し出す。


「これも使ってみろ」


リネアが、目を見開く。


「え……?」


「弓が駄目でも、道は一つじゃない」

「“当てる”ってのは、形の問題だ」


そして、ゆっくりと視線を上げる。

視線を向けられたエルフたちは、息を呑んだ。


さっきまでの軽さは、どこにもない。

笑いも、囁きも、消えた。


「気に食わない的をを撃てばいい」


誰も動かない。


それ以上の言葉はいらない。


銃は、まだリネアの前に差し出されたまま。

撃鉄は起きていない。

だが――“次”があることは、誰の目にも分かる。


次に、あの娘に何か言えば。

次に、同じ笑いを向ければ。


――撃たれる。


そう理解するには、十分だった。


リネアが、小さく俺を見る。


「……コール?」


俺は、視線を逸らさずに答えた。


「気にするな」


それだけ。


その時。


「……待て」


静かな声が、割って入った。

リーフェンだ。


俺と、銃を見る。

表情は硬いが、怯えはない。


「その武器は……」


一拍、言葉を選ぶ。


「この森の奥では、使わないでくれ」


命令でも、懇願でもない。

“教える者”としての線引きだった。


「ここは、技を積む場所だ。威圧で黙らせる場所じゃない」


周囲のエルフたちにも、聞かせるように。


「怯えて静かになるのと、理解して黙るのは違う」


俺は、しばらくリーフェンを見る。


――悪くない目だ。

銃を、下げた。


「分かった」


短く、それだけ。


「だが」


一歩だけ、前に出る。


「次に、あいつを笑ったら……それは“訓練”じゃない」


視線を、さっきの連中に向ける。


「その時は、俺が口を出す。いいか?」


リーフェンが、静かに頷いた。


「……それでいい」


ネラが、鼻で小さく笑う。


「……私は自覚があるが、お前も大概だな……」


緊張が、ようやく緩む。


リーフェンは、リネアに向き直った。


「さっきのは、忘れろ」


落ち着いた声。


「当てなくていい。最初からできりゃ訓練なんかいらねぇ」


リネアは、一瞬だけ俺を見て、

それから、強く頷いた。


「……うん」


弓を握り直す。


笑い声は、もうない。


あるのは、

張り詰めた空気と、

教えようとする目だけだった。


エレナが、後ろで小さく溜息を吐く。


「……まったく」


呆れたように言って、俺の横へ一歩。


視線は、リネアの弓。

次に、俺の腰――もう下げた銃。

そして、訓練場の土を見た。


「……いまのは『怖がらせて黙らせた』だけだ」


「黙らせたのは、俺のついでだって」


「言い訳はいい」


エレナは淡々と言った。


「“止める戦い”を教えたいなら、やり方がある。

 ……ここは森だ。森のやり方で見せればいい」


リーフェンが、わずかに眉を動かした。

ネラが小さく鼻で笑う。


「彼女の言うとおりだ。見せてやれ……コール」


エレナは、俺を見る。


「手合わせだ、コール。

今なら、全員が見てる。ちょうどいい教材にもなる」


「……おい」


俺が言いかけると、エレナは首を傾けた。


「怖いのか?」


「ちげぇよ」


俺は舌打ちして、腰の銃から手を離した。


「……分かった」


エレナは頷く。


「一合で終わらせる」


訓練場の空気が、静かに張り詰める。

誰も笑わない。

さっきの“沈黙”とは違う。


“見て学ぶ”ための沈黙だ。


エレナは剣を抜かない。

代わりに、訓練用の木剣を拾った。


軽く振る。

風を切る音が、短く一度だけ鳴る。


「……来い、コール」


言い方が命令じゃない。

“見せる”ための合図だ。


俺は腰の銃から手を離し、地面に置いた。

同じく木剣を拾う。握った瞬間、掌に馴染む。


(半年。空で磨いた分の“自分の剣”だ)


エルフたちの視線が集まる。

リーフェンは黙って、呼吸だけ見ている。

ネラは腕を組み、口元だけで笑っていた。


「一合で終わらせてやる」


エレナが言った。

嘘じゃない。あいつは本当に一合で止める。


「っふん、抜かせ」


俺が返すより早く――足元の土が沈んだ。


来る。


音がない。

“踏み込み”じゃなく“距離の消失”だ。


――ガンッ。


木剣がぶつかって、衝撃が腕を抜ける。

昔みたいに持っていかれない。

俺は肘を落とし、受けるんじゃなく“流す”。


(型……ってより、呼吸と重心の癖を潰しただけだ)


エレナの目が細くなる。

驚きが一瞬だけ混ざった。


「……ほう」


次が来る。二太刀目。


俺は避けない。

剣を引かない。前に出る。


――カンッ。


刃ではなく、“手首”に当てる。

打ち落とす角度。力点。


エレナの木剣がわずかに浮いた。


(いまなら、取れる……が。)


昔の俺なら、ここで欲を出して叩き込んでいた。

勝ちに行く。倒しに行く。


でも――。


俺は踏み込まず、半歩止めた。

代わりに、刃を外して“肩”に添える。


同時に、エレナの木剣が俺の喉元で止まっていた。


互いの呼吸が重なる。

誰も動けない距離。


静寂。


エレナが、先に剣を引いた。


「……止めたな」


「止めた」


俺も引く。

そこで初めて、訓練場の空気が戻ってきた。


リーフェンが、低く息を吐く。


「……すごい、あれが剣の動きか」


ネラが鼻で笑う。


「やつは、ただの口だけの男ではない……」


俺は肩を回して、からかっていた連中を一瞥した。

さっきみたいな威圧はもうしない。

代わりに、言葉を落とす。


「今の見たろ。笑ってる暇があるなら、目で盗め」


エルフたちは黙った。

怯えじゃない。理解の沈黙だ。


エレナが、木剣を肩に担ぐ。


「……これでいい。怖がらせるのは簡単だ。だが、それは“技”じゃない」


そして、リネアを見る。


「リネア。さっきも言ったが、当てる腕より先に――落ちない立ち方だ」


リネアは一瞬きょとんとして、すぐに頷いた。


「……うん」


俺は木剣を地面に戻し、リネアの弓を軽く指で叩く。


「ほら。もう一回だ。

落とせ。力じゃねぇ、呼吸でもってこい」


エレナが横で小さく息を吐く。


「……まったく」


呆れた声のはずなのに、どこか納得している。


リーフェンが、弓を構え直すリネアの背中を見ながら言った。


「……さっきの武器は、森の奥じゃ使うなよ」


「ああ。分かってるよ」


俺は短く答え、視線を戻す。


笑い声は、もうない。

あるのは、教える目と、折れない背中だけだった。

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