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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第192話:牙を折る


合図はなかった。

準備も、説明も、声かけもない。


いきなりだった。


――ガンッ!!


乾いた衝撃音が地面を叩く。


獣化したリュカが、反射で跳んだ瞬間――

赤毛の影が、視界から消えた。


「――っ!?」


脇腹。


呼吸が抜け、地面を転がる。


起き上がるより早く、背中。


踏みつけ。


「遅いよ」


シェアラの声は軽い。


「獣化したなら、考えるよりも先に反射で動けるようにしないと」


言葉の途中で、踵。


肋骨に走る痛み。


「――がっ!!」


「はい、二回死んだ」


刃が首元に来る。


「三回」


笑っているが、目は完全に冷えていた。


逃がす気は、最初からない。


―――――


反対側。


音が重い。


――ドンッ


地面が揺れた。


獣化したシアが、正面から叩き伏せられている。


剣はない。


獣化の身体同士の、純粋な肉弾。


上から、さらに重い影。


シガだ。


喉元を押さえつける。


「……息を吸うな」


低い声。


「今、吸えば折れるぞ……」


シアの体が震える。


腕を動かそうとして――遅い。


肩を踏まれ、地面に叩きつけられる。


「一度目」


腹。


鈍い音。


「二度目」


転がろうとした瞬間、尾。


体勢を崩し、また落ちる。


「三度目」


シアの視界が揺れる。


「……ま、だ……」


「黙れ」


シガの声は冷たい。


「獣化した時の力を過信したな?。

  正面だけで倒せるほど甘くはない……それは子どもの喧嘩だ……」


さらに踏み込む。


「戦いは“止める”ものだ……殺したくないなら、壊せ……」


シアはもう、声も出ない。

だが――


逃げなかった。


歯を剥き、立ち上がろうとする。

それを見て、シガは言った。


それだけ。

評価は、それだけだった。


―――――


俺は、その様子を少し離れた場所から見ていた。


介入するつもりはない。


止める理由もない。


ここから先は――

生き残れるかどうかの話になるからだ。


(ネラではないが、俺が教えても加減が出るから……これでいい)


その時。

足音が、隣に並んだ。


「……見物か?」


まっすぐな声。

振り向かなくても分かる。


「お? やっと出てきたな」


俺は視線を訓練場から外さない。


「引きこもりの騎士さんよ」


エレナだった。


鎧姿のまま、腕を組み、同じ方向を見ている。


「……この村は、嫌いか?」


軽い調子で聞いた。

エレナは、少しだけ間を置いてから首を振る。


「違う」


視線は、獣族たちへ。


「……むしろ、彼らが人間を嫌っているのだろう」


「お前は別だが、な……」


「?」


俺が眉をひそめる。


エレナは、静かに言った。


「気づいていないか?……彼らがお前を見る目と、私を見る目は違う」


シェアラがリュカを踏みつける音。

シガがシアを叩き伏せる重音。


その全部を見ながら、続ける。


「獣族は、人間に苦しめられてきたと聞く。ならば……仕方がないことだ」


エレナはその光景を見てきたかのように拳を握る。


「今回は、私がそばにいれば……話の邪魔になる」


沈黙。


俺は、ようやくエレナを見る。


「お前……それで、一人で引っ込んでたのか?」


エレナは答えない。

俺は短く吐き捨てた。


「バーカ」


エレナが、わずかに目を見開く。


「だからなんだ」


声が低くなる。


「そばにいろ、そう決めて、ここまで来たんだろ?」


一歩、距離を詰める。


「俺の邪魔になるかどうかは、俺が決める」


エレナはしばらく黙って――小さく息を吐いた。


「……まったく、お前は変わらないな」


そして、何も言わず俺の隣に立つ。


―――――


獣族の村を抜け、東へ。

木々の色が変わる境目で、空気が切り替わった。


隣にはエレナ。

少し後ろに、ネラとリネア。


ネラが、最初に止まる。


「……まて」


次の瞬間――


トン。


音もなく、一本。


ネラの足元、指先数寸の地面に矢が突き立つ。

狙いは正確。殺す気はない。


警告だ。


リネアが息を呑むより早く、

俺は一歩、前に出た。


両手を軽く上げ、森に向かって声を張る。


「〈待て。撃つな〉」


一拍。


「〈俺だ。覚えてるか?〉」


木々が、わずかにざわめいた。


気配が動く。

枝の上、幹の影、視線の高さが変わる。


やがて、ひとり。


若いエルフの男が、木陰から姿を現した。

弓は下げているが、弦は張ったまま。


「……やはり、お前か」


低い声。

敵意より、確認の響き。


「久しぶりだな」


俺が言うと、青年は眉をひそめた。


「今度は、獣族と一緒じゃないんだな?」


俺は肩をすくめる。


「今日は、用が違う」


青年の視線が、ネラとリネア、そしてエレナへ流れる。

一瞬、エレナの鎧で止まり――すぐに逸れた。


「……長老に話を通す」


それだけ言って、森の奥へ合図を送る。


矢は、もう飛んでこない。


ネラが、低く息を吐いた。


「……顔は通るようだな」


「最低限な」


俺は森を見据えた。


(ここから先は――言葉じゃない)


過去が、空気の下に沈んでいる。

踏み込むたび、掘り起こされる。


それでも行く。


今度は、逃げるためじゃない。


―――――


長老たちとの話は、長くならなかった。

いや、長くさせてもらえなかった、が正しい。


円形の根の間。

枝葉の影の奥で、エルフの長老たちはこちらを見下ろしていた。


質問は少ない。

だが、鋭い。


――なぜ来た。

――どれほど滞在する。

――何を求める。


俺は余計なことは言わなかった。


「この娘を、鍛えさせてほしい」


リネアの肩に、手を置く。


「森を荒らす気はない。戦を持ち込む気もない」

「滞在は短い。終われば、すぐに出ていく」


空気が、重く沈む。


長老たちは互いに目配せし、短い言葉を交わした。

その間、誰も口を挟まない。


やがて、最も年長のひとりが言った。


「……人間と獣族を連れて来たことは、本来なら許されぬ」


視線が、エレナとネラへ流れる。


「だが――」


一拍。


「お前が関わった戦の後、この森の縁が静かになったのも事実だ」


それだけだった。

評価でも信頼でもない。ただの事実確認。


「よって、条件付きで許可する」


枝が軋む音。


「村の奥へは入るな」

「武器の持ち込みは制限する」


そして、最後に。


「師は、我らが選ぶ」


その瞬間、少し離れた場所に立っていた若いエルフが、わずかに目を見開いた。


「……リーフェン」


名を呼ばれて、本人が一歩遅れて反応する。


「お前が教えろ」


「え……俺が、ですか?」


ざわり、と小さな波。

だが長老は続ける。


「お前はまだ、外を見る目を失っていない」

「森の中だけで完結する教えでは、この娘は生き残れぬだろう」


リーフェンは言葉を失ったまま、こちらを見る。


――そして、初めて。


リネアを、まじまじと見た。


「……」


少し、戸惑ったように視線が彷徨い。


「……な、なに?」


リネアが首を傾げる。

リーフェンは一瞬、言うか迷って――正直に口を開いた。


「あぁ……黒いな、と……」


ぴし、と空気が凍る。


ネラの視線が、即座に刺さった。


「……おい、貴様」


「ち、違っ」


慌てて手を振る。


「いや、その……綺麗だと思ったんだ。肌も……その、髪も……白くて……」


しどろもどろ。


「……あ、ありがとう?」


リネアは小さくそう言って、無意識に――

俺の手を、ぎゅっと握った。


その瞬間。


「え……?」


リーフェンの声が、素で裏返った。


年若いエルフたちが、互いに視線を交わす。

理解が追いつかない、という顔。


――人間と?

――あの娘が?


声にはならない疑問が、確かにそこにあった。


長老たちは何も言わない。

ざわめきを制するでもなく、咎めるでもなく、

ただ――その違和感ごと、場に沈めた。


やがて、最も年長のひとりが、短く告げる。


「……では、ゆけ」


それは許しでも祝福でもない。

ただの“通行”の言葉。


森は、まだ閉じている。

だが――扉は、わずかに軋んだ。


俺はその音を背中で聞きながら、

握られた手を、離さなかった。

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