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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第191話:牙の稽古


風の質が、変わった。


それに一番早く気づいたのは、リュカだった。


舵の近く、半歩離れた位置で――

耳が、ぴくりと跳ねる。


もう一度。

今度は、はっきりと。


「……おい」


低い声。


俺は船の前方から視線を外さない。


「なんだ?」


リュカは、前を見たまま言った。


「この方角……」


尻尾が、ゆっくり揺れる。

鼻先が、空気を切るように動いた。


「獣族の匂いが、混じってきてる」


甲板の空気が、わずかに張る。

シアが反応した。


「たしかに、コール様? この方角で良かったのですか?」


「あぁ」


シアに一言返事をして、そこでようやく俺は舵を少しだけ切った。

高度を落とす準備。


「予定通りだ」


短く告げる。


「一度、獣族の村に戻る」


―――――


イルクアスターの影が、獣族の村の上空をゆっくりと横切った。

以前よりも、着地の動きは静かだった。

空を裂くというより、風に溶けるように高度を落とす。


見張り台の狼族が、いち早く気づく。


「……空だ」

「船だぞ……空の船だ!」


次の瞬間、毎度のことながら村に走るざわめき。


「また帰ってきやがったぞ!」

「はやくねぇか!?」

「おい、焚き火そのままでいいぞ!」


歓迎の声が、笑い混じりに飛ぶ。


(……相変わらずだな)


船を降ろすと、地面の感触が足裏に伝わった。

空島の床とは違う、重くて確かな“地”の感触。


出迎えてくれる獣族は皆、牙を見せ笑顔で迎えてくれる。


「早かったな!」

「帰ってきたニャ?」

「今シガがすぐに来る」


出迎えに来てくれた戦士たちの間を抜けて、相変わらず仏頂面な奴が現れる。


腕を組んだまま口を開く。


「……早いな」


低く、静かに重い声。


シガだ。


以前と変わらぬ無表情。

だが、その視線ははっきりとこちらを捉えている。


「この前、帰ったばかりだろう?……。

空の連中と、一悶着でもあったか?」


「残念ながら、平和そのものだ」


そう答えると、シガはふっと鼻で息を抜いた。


「“風”は気まぐれだが……今回は、ずいぶん素直だな?……」


周囲で、村の者たちが集まり始める。

子どもたちは影の縁からこちらを覗き込み、大人たちは距離を保ったまま、空気を読む。


俺は一歩、前に出た。


「いきなりで悪い、族長連中また集めてくれ。話したいことと……“おまえ”に頼みがある」


俺の言い方を聞いた瞬間、シガの目がわずかに細くなった。

……だが、それだけだった。


「……分かった」


一切の無駄な問い返しはない。

そのまま踵を返し、短く指示を飛ばす。


「族長を呼べ! 全員だ。今すぐ」


周囲の空気が、はっきりと切り替わる。


見張りが走り、焚き火の番が立ち上がる。

誰も理由を聞かない。


シガは歩きながら、低く付け足した。


「シラヴァもいる。

今回は、早い方がよさそうだな?……」


「あぁ、助かるぜ……兄弟」


それだけ言って、

軽く拳を合わせてから村の中央へ向かう。


村のざわめきが、意図を持った動きに変わっていく。

数分も経たず、集会の準備が整い始めていた。


―――――


村の中央。焚き火が寄せられ、石の円が即席の集会場になる。


集まったのは早い。


灰狼の長――シラヴァ。

剛熊族の長――グルド。

猫族の長――レアナ。

その脇にシガ。

そして猫の輪の隙間から、赤毛がひょいと顔を出す。


シェアラだ。

紅猫族。

獣化したままのしなやかな体つきに、軽い笑み。刃物の匂いがする。


誰も形式ばった挨拶はしない。戻ってきた理由が軽くないのは、全員もう分かっている。


俺は一歩、前に出た。


「手短に話す」


焚き火の音だけが残る。


「別の大陸で……俺がやらかした。ガキを助け、救った。だが、その結果――厄災が動いた」


誰も口を挟まない。睨むでも、騒ぐでもない。獣族の“聞く姿勢”だ。


「今すぐ世界が終わるわけじゃねぇ。だが、いずれ確実に呑み込む」


拳を握る。


「だから行く。自分のケツを拭くために、厄災を止めに」


言い切って、間を置く。


ここまでは説明だ。


「……その前に、頼みがある」


視線が、俺の後ろへ流れる。

リュカ、シア。

仲間たちに。


「この先は、今までみてぇにはいかねぇ……」


後ろに立つリュカとシアの気配を感じながら、言葉を続ける。


「相手が常に格下とは限らねぇ。

俺一人で前に出て、全部片づく保証もない。

……守りきれねぇ場面も出てくる」


そこで、はっきりと頭を下げた。


「だから」


視線を上げ、シラヴァとシガを見る。


「旅に出る前に――

こいつらを、“本物の戦場”に耐えられるようにしてぇ」


村を見回す。


「獣族の戦士が誇りを持ってやってきたことを、

そのまま叩き込んでやってほしい」


沈黙。


最初に口を開いたのは、シラヴァだった。


「……ならば我らの戦士を、代わりに連れて行けばいい」


一瞬、空気が揺れる。


だがシラヴァは、そのまま続けなかった。

俺の後ろを見る。


リュカの立ち方。

シアの視線。

逃げない背中。


そして、小さく息を吐く。


「……とは、いかない顔だな」


シラヴァはまるですべて指したように口元をニヤけさせ、俺を見た。


だが俺は真剣に、目を閉じてあの時を思い出す。


「一度、置いていこうとした……」


そして、ただ真っ直ぐに事実を告げる。


「そんで情ねぇけど叩き直された……もう切り離せなくなった」


シラヴァは、焚き火越しに俺を見る。


「だから鍛えるか……。連れて行くと決めた以上、半端にはできんというわけか」


グルドが低く頷く。


「なるほど。

戦は力だけでは越えられんが……

覚悟があるなら、鍛えぬ理由もない」


レアナが肩をすくめる。


「我も同意だ。

 戦となれば、逃げ足と判断が重要だ。でなければ死ぬ」


その瞬間、石の縁に腰をかけていたシェアラが、ぴょいと立ち上がる。


「ねえ叔母上。だったら、私も混ぜてよ」


レアナが眉だけ動かす。


「……シェアラ」


だがシェアラは止まらない。獣化した足で軽く一歩、円の内側へ。


「私、こういうの得意だよ?

“殺さずに折る”の。逃げ足も、刃の当て方も、怖さも」


冗談みたいな口調なのに、目は笑っていない。


あの倉庫で見た顔だ。冗談で済ませない顔。


シラヴァが一言だけ言う。


「ならば、話は早い」


シガも小さく頷く。


俺はもう一度、頭を下げた。


「……頼む」


シラヴァが言い切る。


「その頼み、聞き入れた」


焚き火の赤が、獣族たちの牙を照らす。


「ただし、分かっているな」


視線が、リュカとシアへ落ちる。


「手合わせは“遊び”の範疇だ。

今日からは違う。……本気で折る」


リュカが口角を上げた。


「上等」


シアは一礼だけで答えた。


「……お願いします」


シェアラが軽く肩を回す。爪の先が焚き火の光を拾う。


「泣いても知らないよ。私、速いから」


俺はようやく息を吐いた。


「助かる」


シラヴァは短く頷く。


「準備は今からだ。

“旅に出る前の最後の地”――ここで、生き残る形に変える」


誰も笑わなかった。


焚き火の向こうで、獣族の村が静かに牙を剥いた。


―――――


船へ戻る道は、思ったより静かだった。


夜の獣族の村は、ざわめきよりも“気配”が先に立つ。


足音、呼吸、風の流れ。

戦の前の、張り詰めた静けさだ。


イルクアスターの船影が見え始めた、その時。


後ろから、小さな声がした。


「……コール」


足を止める。


振り返ると、リネアが立っていた。

焚き火の赤がまだ頬に残っている。


一瞬、言葉を探すように視線を泳がせ――

それから、はっきりと俺を見た。


「……私も」


息を吸い込む。


「戦い方、教えてもらえるの……?」


空気が、止まった。


「……は?」

「……リネア?」


俺と同時に声を上げたのは、ネラだった。


信じられないものを見るように、妹を見る。

次いで、俺を見る。


「リネア、何を言っている……」


リネアは視線を逸らさない。


「料理だけして、後ろにいるだけって……もう、嫌なの……」


拳を握る。


「皆が傷つくのを心配して見てるだけなのも……」


そこで、言葉が詰まった。


ネラが、一歩前に出る。


「……なら、私が教え……」


即答だった。


だが――

言い切ったはずの声が、わずかに揺れる。


ネラは、自分の手を見下ろした。


「……教えられる……だが……」


小さく、首を振る。


「私は、あの子に甘い……」


事実を認める声だった。


「手を抜くつもりはない。

でも……多分、どこかで“止める”だろうな……」


リネアも、それが分かっているからこそ黙っている。


俺は、その二人を見てから――

ふと、東の空を見た。


「村の、さらに東」


二人が顔を上げる。


「エルフの森がある」


ネラが目を細めた。


「あぁ。俺もそこまで顔が広いわけじゃねぇ」


正直に言う。


「だが、あいつらは一度、俺と獣族に加勢して人間の国を落とした」


沈黙。


「厄災の話をすりゃ……

協力してくれるかもしれねぇ」


ネラは、しばらく考え込んで――

それから、俺を見る。


言葉はいらなかった。


互いに、小さく頷く。


「……なら」


ネラが言った。


「私も同行する……」


リネアが、驚いたように目を見開く。


「ネラ……?」


「森なら、甘えずに済むだろう……」


きっぱりと。


「逃げ方も、隠れ方も、生き残り方も……

あそこなら、教えられる」


リネアは少し迷ってから――

深く、頭を下げた。


「……お願いします」


俺は、ようやく息を吐く。


「決まりだな」


背後で、リュカがニヤリと笑った。


「よっし。ならさっさと船に戻って飯にしようぜ」


尻尾がぴん、と跳ねる。


「どっかの騎士と牛が、腹減らしてるだろうし」


「牛ってなぁ〜……」


俺が言うより早く、ネラが淡々と突っ込んだ。


リネアが小さく笑って、すぐに真面目な顔に戻る。

その横で、シアは苦笑のまま肩を落とした。


「……エレナ“騎士”だが、ミラは”牛”ではない」


「うるせ。分かってて言ってんだよ」


リュカは楽しそうに鼻を鳴らす。


俺は、船影へ視線を戻した。


(……明日からだ)


焚き火の匂いが薄れ、代わりに夜の冷えた風が入ってくる。

村の空気が研がれていくのが分かる。


明日はその中心に――俺たちは戻る。

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