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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第189話:並びかけの場所


夜の甲板は、思ったよりも静かだった。


風の音と、帆の軋み。

それだけが、規則正しく耳に残る。


――いつもなら、これで十分だ。


背後の気配も、足音も。

誰かが近づけば、嫌でも分かる。


それなのに。


「……どうすれば」


言葉が、先に零れた。


しまった、と思った時には遅かった。

集中が、完全に内側へ落ちていたのだと、そこでようやく気づく。


その瞬間――


「そっかぁ〜」


背後から、間の抜けた声。


「……っ!?」


反射的に振り向いた。


――遅い。


気配に気づかなかった。

それ自体が、信じられなかった。


剣に手が伸びかけて、止まる。

声の調子で、敵ではないと分かった。


だが、それでも胸の奥がざわついた。


気配に気づけなかった。

それは失態だ。


戦場でも、廊下でも。

背後を許したことなど、ほとんどない。


なのに今は――

自分が、どこに立っているのかすら曖昧だった。


「……ミラか」


名前を呼ぶと、向こうは少し首を傾げる。


「はぁい〜」


いつもと変わらない、間の抜けた声。

それが逆に、胸に刺さった。


考えていたのは、答えの出ないことばかりだ。

どう踏み込めばいいのか。

どこまで並んでいいのか。


彼を守ると決めてきた。

離れないと決めた場所から離れ、この船にいる。


それでも――

自分は、そこに立っていいのか分からない。


言葉にしないまま、夜に溶かそうとした、その迷いを。


「へぇ〜そっかぁ〜」


ミラが、少しだけ柔らかい声で言った。

そして、続ける。


「私も、同じですから〜」


その言葉に、すぐ返せなかった。


「……何が、だ」


間を置いて、ようやくそれだけ口にする。


ミラは否定もしないし、急かしもしない。

ただ、夜風に揺られながら、隣に立つ。


「並ぶ場所が分からない感じ〜」


軽い言い方。

けれど、胸の奥を正確に突いてきた。


思わず、視線を逸らす。


当たっていたからだ。


あの三人は、もう決めている。

互いに自分の中を晒し、その上で並ぶことを選んでいる。


自分は――

そこに、後から来た。


今までの弱かった自分を捨てて……。


だが、それは“横に立つ”ことと同じなのか。


「……私は、遅れてきた」


独り言のように漏らす。


「ずっと、守る側に立ってきた。

並ぶことを、考えないようにしていた」


言いながら、少しだけ息を吐く。


ミラは、相変わらず穏やかだった。


「でも〜」


間の抜けた声で、しかし逃がさずに言う。


「それでも、来ちゃったんですよねぇ〜」


「……その通りだ」


それ以上、言葉は続かなかった。


必要なことは、もう言ってしまった気がした。


夜風が、二人の間を抜けていく。


「……不思議ですね」


ミラが、ぽつりと言う。


甲板の縁に腰を下ろし、脚をぶらぶらさせながら。


「前に進むって決めた人ほど〜

“どこに立てばいいか”分からなくなるんですよねぇ〜」


エレナは、少しだけ目を細めた。


「……そういうものか?」


「そうですよ〜」


即答だった。


「私も、そうでしたから〜」


その言葉に、エレナは視線を向ける。


ミラは笑っていない。

けれど、重くもない。


「好きって言うのも〜

一緒にいたいって思うのも〜

並ぶって、案外ちがうんですよねぇ〜」


風に揺れる髪を押さえながら、続ける。


「同じ場所に立つ、じゃなくて〜

どうして立ってるかを、見せ合う感じなので〜」


守る側として生きてきた。

背中を預けられることはあっても、

自分の立ち位置を“見せる”ことは、ほとんどなかった。


「……私は」


自然と、声が出た。


「見せることに、慣れていない……散々それはアークにも言われたな……」


「うんうん〜」


ミラは頷く。


「でも〜

慣れてないのに、来たんですよねぇ〜」


否定できなかった。


エレナは、夜の甲板を見渡す。


誰もいない。

だからこそ、ここに立っている。


「……逃げる気はない」


その言葉は、はっきりしていた。


「うん〜」


ミラは、少しだけ嬉しそうに言う。


「それなら〜

もう十分、並びかけてますよ〜」


その言い方が、答えでも慰めでもないことは分かった。


ただの事実として、置かれただけだ。


エレナは、深く息を吐く。


「……助言として、受け取っておく」


「はぁい〜」


軽い返事。

それで、ちょうどよかった。


――そのとき。


甲板の奥で、扉が軋む音がした。


静かな夜には、やけに大きく響く。


反射的に、そちらを見る。

月明かりの縁に現れた影は――妙だった。


背中に、樽。

両腕に、あり得ないほど大きな皿を一枚ずつ。


前のめりで、歩幅も不格好。

慎重というより、必死だ。


「……」


一瞬、言葉が出なかった。


見慣れた輪郭。

見慣れない姿。


あれは――アークだ。


「うをとと……重……」


ぼやく声。


足を運ぶたびに、皿がわずかに揺れる。

落とさないよう、全身でバランスを取っているのが分かる。


その様子が、妙に間が抜けていて。


……なのに、目を離せなかった。


「あ〜、こーるちゃん〜、おかえり〜」


横から、いつもの調子の声。


「それ、私の分もですよねぇ〜?」


即座に返事が返る。


「……あぁ。助けてくれ」


一歩踏み出した瞬間、皿が傾いた。


「あぶ!?」


「だいじょ〜ぶですよ〜」


次の瞬間、重そうだった皿の一枚が、あっさりと消えた。


片手で。

何事もなかったかのように。


「ふぅ〜……助かったぜ」

「えへへ〜、ありがとうこーるちゃん」


肩が、少し落ちる。


それから、残った皿と樽が甲板に下ろされる音。


どすん、と低く響いた。


ようやく、息をついたようだった。


顔が上がる。


視線が、こちらに向く。


……一瞬で、分かったのだと思う。


話していたこと。

その途中だったこと。


「なんだ? 二人で秘密の話か?」


問いというより、確認に近い声。


「ああ。少しな……」


そう答えると、視線は外に戻った。


ミラは皿を覗き込みながら、のんびり言う。


「ちょうどいいところでした〜」


「……ほう?」


「並びかけ、ってところです〜」


アークはすこし目を開き、ピクッと揺れた。

その間に、風が甲板を抜けた。


「……飯、冷めるぞ。エレナもくうか?」


場違いな一言。


だが、不思議と――

胸の奥が、少しだけ緩んだ。


迷いは、まだ消えていない。

答えも、出ていない。


それでも。


この夜の甲板には、

確かに、立つ場所がある。


「さっき食べたが……すこしもらおう」


―――――


皿の上には、肉と野菜を雑に盛ったものが並んでいた。

見た目のせいで感じないが豪華な食事だ……しかも温かい。


指先に触れた木皿の温度で、ようやく実感が戻る。

――生きている夜だ。


隣では、ミラが何の遠慮もなく大皿に手を伸ばしている。

樽から直接注いだらしい飲み物を、喉を鳴らして飲んだ。


「はぁ〜……おいひぃ〜。この味はリネアちゃんですね〜」


「あいつ、料理は天才だな」


「これはッ……確かにうまいな……」


短く返し、こちらも箸を取る。

一口、口に運ぶ。


味は、ちゃんとした。

少し濃い。


黙って食べていると、向かいから視線を感じる。


皿を下ろしたまま、こちらを見ている。

さっきまでの間抜けな姿とは違う、いつもの顔だ。


「……なあ、エレナ」


声が、少し低い。


「さっきの話、途中だったろ?

俺抜きで二人で何話してたんだよ〜?」


箸が、止まる。

アークはもうすっかりいつもの調子に戻ったらしい。


こちらの気も知らずに……。


ミラは気にした様子もなく、食べ続けている。

聞いているのか、いないのか。

たぶん、両方だ。


「三人のことだ……」


続ける声は、急かさない。

アークは動きを止め、すこし目を閉じた……。


それから後ろにより掛かるように夜空を見上げた。


「リュカも、シアも、リネアも……あいつらには前から言ってあるだぜ?……」


そう言って今度はこちらを射抜くように見た。

あの時と同じように……。


「俺は、お前が好きだってな」


胸の奥が、僅かに揺れた。

驚きはない。

だが、改めて言われると、やはり……。


「ミラにも、だ」


「はぁい〜」


即座に返る間延びした声。

それが逆に、嘘のなさを際立たせる。


「それでも、ここにいる。

ついてきてる……そんでこの状況だ」


視線が、真っ直ぐ向けられる。


「だから……さ」


逃げ道のない問い。


「エレナ……あいつらとうまくやれそうか?」


投げられた問いは、軽くない。


すぐには答えなかった。


皿の上に視線を落とし、一口、口に運ぶ。

噛んで、飲み込む。


それから、フォークを置いた。


「……先に、ひとつ言う」


声は落ち着いていた。

だが、逃げてはいない。


「私は、この船に……こんなに女がいるとは、知らなかった」


アークは動揺して目を泳がせている。


「あ、あぁ〜……いろいろあってな……」


「いろいろ?……はぁ……。

……着いてすぐは、状況を把握することに精一杯で、気づかなかった。

だが……見れば分かる」


視線が、リュカの姿の残像を拾うように夜へ向く。


「リュカとシアは、私が知っている頃とは違う。

国にいた頃、あの二人はまだ“少女”だった……たしか、獣醒だったか……」


言い切る。


「……見ない間に、大人の女になっていた。

それもずいぶん立派にな?」


胸の奥に、鈍いものが残る。


アークは相変わらず落ち着きがない。

いい気味だ。


だがそれでも考えてしまう。


知らなかった時間。

埋まらない距離。


「最初は、思った……」


目を逸らさずに告げる。


「お前が、はべらせたのか。

たぶらかしたのか。

……そういうふうに……」


空気が、わずかに張る。

だが、ここで引かない。


「ショックだった……」


短く、はっきり。


「私がいない間に、女が増えていたことが」


自分でも不格好な言い方だと思う。

それでも――誤魔化さない。


「私は、守ると言って離れた。

それでも……胸のどこかで、勝手に“同じ場所”を想像していたのかもしれない。

お前が騎士として、リュリシア様と、私と居た……ただの冒険者のままの場所を……」


吐息をひとつ。


「……だが」


言葉が、少しだけ柔らかくなる。


「嫌いには、なれなかった」


たったそれだけが、どうしても動かない。


「お前が、彼女たちを守ってきたことも。

彼女たちが、お前を守ろうとしていることも。

……見れば分かる」


だから、余計に厄介だった。


「嫉妬だ。たぶん」


恥じずに言う。


「私は、慣れていない。

だが、嘘は言いたくない」


そこで、ようやくフォークを取り直す。


――そして、ようやく“答え”へ戻る。


「……努力はする」


それから、目だけ上げて付け足す。


「だが、覚えておけ。

私がここにいるのは“任務”だけじゃない……そうさせたのはお前だぞ?」


そう告げるとアークは動きを止め、微笑んでまっすぐとこちらを見つめた。

その目には私だけが写っていた。


「ん〜、恋って味が濃いですねぇ〜」


ミラが肉をもぐもぐしながら言った。

すこしだけ不機嫌そうに樽が、こぽん、と鳴る。

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