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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第188話:ミラの揺り籠


俺の背中全体に、妙な感触が広がっていた。


硬くない。

冷たくもない。


――ミラだ。


俺は仰向けのまま、柔らかい腹部に背中を預ける形で寝かされていた。

体が沈みすぎない、妙に安定した感触。


「……おい」


声を出したつもりだったが、喉がほとんど動かなかった。


「大丈夫ですよ〜」


頭上から、のんびりした声。


ミラは鼻歌を歌いながら、何かを作っている。

金属音でも、布の音でもない。


軽く、規則的な、細工の音。


視線だけ上に向けると、巨大な指先が器用に小さな部品を編んでいるのが見えた。


「何やってんだ……」


「ん〜? あとで使いそうなやつです〜」


説明する気はないらしい。


まあいい。


俺は目を閉じた。


エレナの顔が浮かびかけて――途中で、やめた。


シアの視線。

リュカの声。

リネアの言葉。


全部、考えようとして――やめた。


(……今は、いい)


決めるのは、起きてからでいい。


守るだの、任せるだの、正しさだの、責任だの。


今日は、もう十分だ。


ミラの鼻歌が、一定のリズムで続く。


妙に、安心する。


「落ちないように、支えてますからね〜」


「……落ちねぇよ」


「落ちますよ〜。こーるちゃん、気絶寸前です〜」


返す言葉が浮かばなかった。


瞼が、重い。


最後に浮かんだのは、

剣でも、国でもなく――


船の軋む音。


それだけ。


意識が、沈む。


次に目を開けたとき、また全部、背負えばいい。


今はただ――


ミラの上で、船の音を聞いていればいい。


―――――


甲板に残った風が、まだ落ち着かない。


コールはもういない。

ミラにさらわれて、甲板の縁の下へ消えた。


誰も追わなかった。

追って取り返す話じゃない。

――取り返したところで、部屋が増えるわけでもない。


沈黙を切ったのは、リュカだった。


「……で?」


腕を組んだまま、エレナを見る。


「“どこでも構わん”って言ってたけどさ。

それ、マジで言ってる?」


エレナは一拍置いて、頷いた。


「私は任務で同行している。

船の規律に従う」


その言い方が、甲板の空気を一段だけ固くした。


リュカの尻尾が、ぴくりと跳ねる。


「ッチ、それがムカつくんだよ!」


堪えきれずに吐き捨てる。


「コールが好きなくせに! 分かってんのに!

“任務です”って言えば、全部綺麗になると思ってんのがさ!」


一歩、踏み込む。


「それ、逃げだろ。

なんかあった時に、傷つかねぇための言葉だろ!」


尻尾が、感情のままに揺れる。


「こっちはな!

嫌われる覚悟で腹割ってんだよ!

それでも置いてかれるなら、文句言わねぇって決めてんだよ!」


一瞬、声が詰まる。


「……なのに、

好きな顔して、

同じ船に乗って、

それで“私は騎士なので”って――ふざけんな! バカにしてんのかよ!」


「……リュカ」


シアが、そっと腕に触れる。


「だってそうだろ! コイツ!」


噛みつくように言う。


「それで逃げ道残してんのが、

一番ムカつくんだよ……!」


「……私は」


エレナが口を開く。


だが続かない。

言葉が遅れる癖が怖い、と本人が一番分かっている。


その“間”に、リュカが先に噛みついた。


「分かってんだよ。

お前が軽い気持ちで来たわけじゃねぇのは!」


目を細める。


「コールから、散々聞いた。

お前がどんな奴か。

どんな顔で、どんな声で、どんな言葉を言うかも」


シアが、静かに挟む。


「……リュカ」


止める声じゃない。

“それ以上は今言わないで”という、薄い制止。


リュカは舌打ちしかけて、飲み込んだ。


「……要するにさ」


改めて、エレナに向き直る。


「ここにいる私らはもう、腹割って決めてんの。

“守るから離れる”とか、そういうのはやめるって」


エレナの目が、わずかに揺れる。


理解しかけて、戸惑う。

分かった分だけ、足が止まる。


「……知らなかった」


声は、少し硬い。


「私は……この船での関係を、まだ知らない。

だから、踏み込んでいいのかも、分からない」


正直すぎる言葉が、逆に刺さる。


リュカは一歩踏み出し、言い切った。


「言えよ」


「……」


「言えねぇなら、なおさらムカつくんだよ。

“任務です”って言葉がさ」


語尾が荒れる。


「それって結局、全部終わった瞬間に

“私は騎士だから”って一人で引き下がる準備してるって聞こえんだよ」


甲板の温度が、すっと下がる。


エレナの喉が、小さく鳴った。


「……違う」


短い否定。


「そんなつもりはない。

だが……どう踏み込めばいいのか、分からない……」


拳を、無意識に握る。


踏み込みたい。

だが、踏み込んだ瞬間に壊れる何かを、騎士の勘が止めている。


シアが、柔らかく言った。


「輪の中にいるかどうかは、私たちが決めることです」


微笑んでいるのに、逃がさない声。


「エレナさんが決めるのは、

“どうしたいか”だけでいいんです」


リネアは、ずっと黙っていた。


俯いているわけでもない。

睨んでいるわけでもない。


ただ、甲板の木目を見つめ、

指先を強く握ったまま――言葉の順番を待っていた。


張りつめた空気の、そのとき。


小さく、息を吸う音。


「……エレナさん」


名前を呼ばれ、エレナが視線を向ける。


リネアは前に出ない。

声も、大きくない。


それでも、逃げない目で言った。


「私……コールのこと、好き」


前置きは、なかった。


空気が、ぴたりと止まる。


リュカが目を見開き、

シアが一瞬だけ瞬きをする。


ネラは、黙って見守っている。


エレナは否定しない。

取り繕いもしない。


ただ、まっすぐに聞いている。


「ナイルのことがあって……それでも、気持ちは消えなかった」


一度だけ視線を落とし、すぐ戻す。


「だから……“任務”って言われると……」


声が、ほんの少し震えた。


「気持ちに名前をつけないまま、

終わらせる準備みたいに聞こえる……」


責めてはいない。

泣いてもいない。


ただ、置くだけの言葉。


「……私達だけが、ちゃんと怖がってるみたいで」


無自覚な嫉妬が、静かに混じる。


「……エレナさんが、コールを大切に思ってるのは分かる」


はっきり言う。


「聞いたわけじゃない。

でも……見てれば、分かる……」


少し、間を置いて。


「だから余計に……

“任務”で来た、って言われると……

同じ場所に立ってる気が、しなくて……」


吐息のような声。


甲板に、風が抜けた。


しばらく、誰も言葉を出さない。


やがて、エレナが低く息を吐く。


「……そうか」


短い。

だが、逃げていない声。


ミラの出入り口を、一瞬だけ見る。

そこにコールがいることを、意識して。


「……私は今まで……人と並ぶ距離を、忘れていた」


今度は、遅れを恐れない。


「どう踏み込めばいいのか、

どこまでが許されるのか……

私には、まだ分からない……」


騎士の顔で。

だが、騎士の言葉だけじゃない。


「だが……少なくとも」


視線を戻す。


「“任務”だけで、片づけていいとは思っていない」


約束ではない。

宣言でもない。


ただの、不器用な一歩。


リネアは、それを聞いて――小さく息を吐いた。


納得はしていない。

それでも、“拒まれなかった”ことだけは、確かだった。


―――――


……ふわり、と体が揺れた。


「……ふぁ〜……」


意識が、ゆっくり戻ってくる。

揺れている。


風に揺れる船の軋みじゃない。

もっと規則的で――


目を開ける。


天井がやけに近い。


「……は?」


体を起こそうとして、やめた。

横を見る。


ミラがのほほんとしながらこちらを見ていた。


いつの間にか、ミラの部屋の壁に斜めに簡易のハンモックが設置されていた。


見覚えのある編み目。

――さっきまで、腹の上で作ってたやつだ。


俺は、その中に寝かされていた。


完全に。

包まれるように。


ミラの指先が、一定の間隔でハンモックの縁を、そっと押している。


ゆら。

ゆら。


「……何してる」


「寝かしつけです〜」


即答だった。


「さっき、呼吸が浅かったので〜

このくらいが、一番落ち着くかな〜って」


また、ゆら。


視線を天井に戻す。


(……俺は、赤ちゃんか)


そう思った瞬間、反論が浮かばなかった。


この体格差だ。


腕一本で持ち上げられる。

抵抗したところで、どうにもならない。


自尊心が、きしむ。


でも――不思議と、怒りは湧かない。


「落ちないように、見てますからね〜」


「うぅ……おろしてくれ」


「は〜い」


ミラの手で床に下ろされた。


(上が静かだな……)


俺は何も言わず、人差し指を一本立てた。


ミラはそれを見て、きょとんとする。

だが、すぐに理解したのか、口を閉じた。


俺はそのまま、指先で上を二回指す。


(どうなった?)


ミラは少し考えてから、首を傾げたまま、肩をすくめる。


揉めてはいない。

でも、終わった。


そういう仕草だった。


俺は頷くだけで、天井の扉を指差す。


ミラは無言のまま、俺を抱え上げた。


きい……と、極力音を立てないように、ミラの部屋の床扉が、少しだけ開く。


二人で、そっと頭を出す。


――夜だった。


―――――


みんなを起こさないように、彼をそっと甲板に足をつけさせる。


重さはあるけれど、扱いに困るほどじゃない。


ゆっくり、音を殺して。


下ろしたあと、少しだけ様子を見る。


……大丈夫そう。


「飯とってくる……」


「はぁぃ……いってらっしゃぁぃ」


小さな声。


それだけ言って、彼は船内へ消えていった。


足音が遠ざかる。


彼が戻るまで、また部屋に戻って寝転んでいた。


船の中で横になると、ふわっと浮いてる感じがして、静かで、暖かくてすぐ眠くなっちゃう……。


でも――その静けさの中に、ひとり分の気配がある。


「こーるちゃん?……」


またさっきみたく、ゆっくり扉を開けて頭を出す。


少し離れた場所。

月明かりの縁に立つ、背中。


剣も抜かず、誰にも向かず。


ただ、立っている。


様子を見る。


風が、髪を揺らす。

その動きに合わせて、肩がわずかに上下する。


「……」


聞こえないと思ったのか、

それとも、聞かれてもいいと思ったのか。


小さな声が、夜に落ちた。


「……どうすれば、よかったのだろうな」


(あぁ……それ。知ってる。)


この感じ。


「私は……」


言葉が、途中で止まる。


少し間があって、

それから、ぽつりと続く。


「……どう入ればいいのか、分からないな」


胸の奥で、なにかが、ふわっと動いた。


同じだ。


形は違うけど、立っている場所は、多分私と同じところ。


だから――


「そっかぁ〜」


後ろから、いつもの調子で声を出す。


「なっ……!?」


びくっと、肩が跳ねる。

一瞬で振り向く、その反応。


あ、ちゃんと驚くんだ。


少し、安心する。


「ミ、ミラ……? 聞いていたのか……?」


名前を呼ばれる。


大丈夫、大丈夫。


「びっくりさせちゃいました〜?」


軽く、首を傾げる。


夜の甲板。

月と風と、ふたりぶんの呼吸。


「今の、聞こえちゃいました〜」


エレナは、責めるでもなく、

隠すでもなく。


黙ってしまった。


「……」


「でも〜」


構わず続ける。


「それ、変じゃないですよ〜」


少し間を置いて。


「私も、同じですから〜」


エレナの目が、ほんの少しだけ揺れる。

その揺れが、答えだった。


風が、また甲板を撫でた。


夜は、まだ続いている。

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