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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第184話:逃げ場なし


リュリシアの一言で、謁見の間の温度が落ちた。


「この国は、あなたの帰る場所でもある。

 ですが、仲間も、守ると決めた命も、

 ただ捨てて置いて行くだけなら――最初から連れてこないで」


リュカが、肩を震わせた。


「やっぱりな」


低い声。笑ってない。


次はシアだ。

静かな声なのに、刃みたいだった。


「コール様? いい加減その癖を直してくださいね?」


そして――リネア。


いつもなら、先に口を開くのはリュカかシアだ。

でもこの時、リネアは妙に静かだった。


その静けさが、逆に怖い。


「……勝手に決めて、勝手に消える」


小さな声。

けど、芯が折れてない。


「……私たちが“足手まとい”だから?」


俺は息を吸った。

言葉を選ぶ暇がない。


(……仕方がねぇ)


俺は、ゆっくり右手を――上着の内側に滑り込ませる。


リュカが目を細めた。


「……おい? コール?」


その瞬間、俺は決めた。

――いつもの、最悪手。


外に向けて、銃を三発。


パン、パン、パン。


乾いた音が、謁見の間を割る。


「緊急出航だ! ウィンスキー!」


叫んだ瞬間、窓の外へ俺は全力で走った。


「させるかぁぁぁ!!」


リュカが飛んだ。

速い。冗談じゃねぇ。


背中に体当たりが直撃して、視界が反転する。


「ぐっ……!」


床に叩きつけられた俺の上に、さらにシアが乗る。

関節を決める角度が、“本気”だ。


「コール様。……動かないでくださいね?」


優しい口調なのに、容赦がない。


「折りますよ?」


「やめろ!? は、はなせ!」


俺の首根っこを押さえつけながら、リュカが低く唸る。


「ったく、お前ここまでバカだったか?」


その瞬間――


足音が、一つ増えた。


軽いのに、迷いがない。

近づいてくるだけで、空気が変わる。


リネアだ。


俺の視界の端に、白い指先が見えた。

左手――指輪。


……あの指輪。


リネアは俺のすぐ横に膝をついた。

拳じゃない。

でも、俺の逃げ道はまた一つ消えた。


「……ねぇ」


リネアの声は、怒鳴ってない。

泣いてもない。


だからこそ、刺さる。


「……“戻る場所はもうある”って思ったんでしょ?」


「……っ」


なんで分かる――って言い返せなかった。

当たってたからだ。


リネアは続ける。


「それ、言っていいのは……“一緒に帰る人”がいる時だけだよ」


俺は言葉を失った。


リネアの指が、自分の指輪を一度だけ撫でる。

まるで確認するみたいに。


「この指輪ね。

 “結婚の合図”だって言われた時、私は……否定しきれなかった」


声が少しだけ揺れる。

でも目は逸れない。


「過去の証だから。思い出だから。――そう言って逃げたかったのに」


リュカとシアが、黙る。

二人とも分かってる顔だった。


リネアは、静かに息を吸う。


「でも、今日分かった」


そこで、やっと怒りが滲んだ。


「……逃げるのは、私だけじゃない。あなたも同じ」


俺の喉が鳴る。


「私が“過去”に縛られてるなら、あなたは“守る側”に縛られてる」


その言い方は、まるで――判決だ。


「どっちも、ずるい」


そして、決定打。


「……私たちに……“家族”なのに?」


リネアは小さく笑った。

笑えてない笑いだ。


「家族を置いてく人、見たことあるよ……」


俺の胸の奥が、ひゅっと縮む。


リネアは、言い切った。


「……ナイルは、そんなことしなかった」


空気が、凍った。


俺の中で、何かが折れる音がした。


リネアは殴らない。

ただ、“戻れない言葉”を落とした。


リュカの拳が、ぎりっと鳴る。


「……なぁコール」


リュカの声が低い。


「覚えてるか?」


潮風と星の匂い。

フルーツ酒。月明かり。

青いガラス。


「――『もう……一生面倒見てやるよ』って」


リネアの指輪が、かすかに光を返す。

青い髪飾りと、同じ種類の“証”が、三つ揃ってそこにある。


シアが、俺の腕を押さえたまま、きゅっと力を込める。

声は出さない。

でも、視線は逃がさない。


リュカが続ける。


「で、そのあと何て言った?」


俺が答えられないのを分かった上で、吐き捨てる。


「――『逃げ場なしだぞ?』って、あたし言ったよな」


そして――


ドンッ!!


拳が、俺の頬を撃ち抜いた。


「ぐっ……!」


床に転がる俺を、リュカは見下ろしたまま言った。


「一発じゃ足りねぇけどな!」


声が震えている。

怒りだけじゃない。


「家族だって言ったんだ……」


シアが、ようやく口を開く。

声は静かで、柔らかい。


だから余計に怖い。


「……コール様」


揺れない目。


「言い訳はいりません」


短く、低く。


「私たちが欲しいのは、優しい言葉じゃなくて――同じ場所です」


リネアが、最後に小さく言った。


「……私も、同じ場所に立ったのに」


指輪に触れて。


「あなたは、ひとりだけ先に行くの?……」


リネアの言葉が落ちたあと、

俺は――何も言えなかった。


言い返そうと思えば、言葉はいくらでも浮かぶ。


危険だ。

確率が違う。

生き残れるのは俺だけだ。

俺が前に出れば済む話だ。


全部、正しい。


だからこそ――言えなかった。


それを口にした瞬間、

こいつらの“ここに立つ覚悟”を

踏み潰すことになるって分かってたからだ。


リュカが、低く息を吐いた。


「……なぁコール」


返事をしない俺を見て、眉がつり上がる。


「なに黙ってんだよ」


拳が震えている。


「分かってねぇ顔じゃねぇ。

でもな――それ、答えになってねぇんだよ」


シアは、俺の腕を押さえたまま、静かに言った。


「……分かってます」


その一言が、胸に刺さる。


「コール様が、私たちを守ろうとしてるのは。

置いていくのが“逃げ”じゃないことも」


そこで、少しだけ声が揺れる。


「……それでも」


リネアが、指輪に触れたまま言った。


「だったら、聞かせて?……」


目は逸らさない。


「私たちが“死ぬ可能性”と引き換えにしてるものが、

あなたにとって何なのか」


俺の喉が詰まる。


「守る対象? 責任? それとも――」


一拍。


「……一緒に立つ覚悟?」


その言葉が落ちた瞬間――

胸の奥で、何かが限界を越えた。


「……っ、あぁもう……!」


俺は、床に押さえつけられたまま、歯を食いしばる。


喉が熱い。

息が、うまく吸えない。


「当たり前だろうがぁあ……!」


声が、裏返った。


「死なせたくねぇからに決まってんだろ……!」


拳を握ろうとして、シアに押さえられて動かない。

それが逆に、余計に惨めで――腹が立った。


「お前らが……!」


視界が滲む。

くそ、なんで今なんだ。


「お前らが大事だからだよ!!」


叫んだ瞬間、喉がひくりと震えた。


「大好きで……っ、大事で……!」


言葉が続かない。

息が詰まる。


「だから……だから……」


声が、急に弱くなる。


「……死ぬ可能性がある場所に、立たせたくねぇんだよ……!!」


涙が、落ちた。

床に、ぽたりと。


「俺が死ぬのは……いい」


震える声。


「俺が前に出るのは、慣れてる……生き返る……這ってでも返ってくるさ……」


喉を鳴らしながら、続ける。


「でも……お前らが死ぬのは……無理だ、ダメなんだよ」


顔を伏せたまま、絞り出す。


「……耐えられねぇ」


謁見の間が、完全に静まり返る。


リュカも、シアも、リネアも――

誰も言葉を挟まない。


俺は、情けなく笑った。


「なぁ……」


声が、掠れている。


「家族だとか、仲間だとか……言葉にした時点で……」


一度、深く息を吸う。


「もう、失う前提で考えられなくなってんだよ……」


視線の端で、リネアの指輪が揺れた。

青い髪飾りも、そこにある。


「一緒に立つ覚悟? あるに決まってる」


声は低い。


「でも……それは“生きて帰る前提”だ」


歯を食いしばる。


「死ぬ可能性を天秤にかける覚悟なんて……」


首を振る。


「俺には、もう……無理だ」


沈黙。


そして、最後に。


「……好きなんだよ」


初めて、はっきり言った。


逃げも、言い訳もない。


「リュカも……シアも……リネアも……」


名前を、一つずつ。


「大好きで……大事で……」


涙が、止まらない。


「だから……置いていく」


声が、壊れる。


「……それしか、選べねぇんだ……」


頬を、涙が流れ続けていた。


ぽた、ぽた、ぽた。


床に落ちる音が――やけに大きい。


誰も、すぐには動けなかった。


叫んだ本人が、子どもみたいに、嗚咽を噛み殺して、肩だけが震えていた。


その沈黙を割ったのは、リュカだった。


「……は」


短い息。


笑ったんじゃない。

呆れたんでもない。


ただ、こみ上げたものが、喉の奥で引っかかった音。


リュカは一歩――いや、半歩だけ前に出て、俺を見下ろした。


拳が、まだ震えている。


さっき殴った拳だ。


「……やっと言ったな」


声が低い。


「ずっと、それ言えって言ってんだよ……!」


次の瞬間。


リュカはしゃがみ込み――


殴らない。


殴らない代わりに、襟首を掴んで、乱暴に引き寄せた。


「っ……!?」


顔が、無理やり上を向かされる。


涙でぐちゃぐちゃだ。

情けないくらい、正直な顔だ。


リュカは歯を食いしばった。


「……じゃあ聞く」


怒鳴らない。

でも、逃がさない声。


「大事なら――なんで一人で抱えんだよ」


俺は言葉が出ない。


でもリュカは続ける。


「死なせたくない?……わかるよ。あたしだって同じだ」


尻尾が、ぴく、と跳ねた。


「でもな。あたしらが今ここにいるのは」


目が、細くなる。


「コールが“生きて帰る前提”でしか世界を見れなくなったからじゃねぇ!」


一拍。


「――コールが“死ぬ前提で一人で行く”のを、もう見たくねぇからだ!」


その言葉に、コールの瞳が揺れた。


リュカは、ぐっと息を吸って、吐き捨てる。


「お前が死ぬのはいい?……ふざけんなッ」


声が割れる。


「良くねぇよ!!」


怒鳴ったあと、リュカは一瞬だけ黙った。


その間に、鼻の奥が赤くなる。


泣きそうなのを、必死で誤魔化している顔だった。


次に動いたのは、シアだった。


縄はほどかれた。


関節を決めた腕は緩めない。

でも、その手つきが少しだけ変わった。


“拘束”から、“支え”に。


「……コール様」


低い声。


シアは言った。


「置いていくのが、愛だって言うなら」


一拍。


「……わたしたちは、“置いていかれない”ことで返します」


リュカが、目を見開く。


リネアも、息を止めた。


「……ふざけんな……へたすりゃ、死ぬんだぞ……」


「はい」


シアは即答した。


震えない。


「死ぬかもしれない」


言い切って、そして続ける。


「でも、それを決めるのはコール様じゃないです」


「……俺は……」


「守るなら」


シアが、静かに言葉を重ねる。


「“守る相手の選択”も守ってください」


その理屈は、剣みたいに鋭かった。


反論できない。

できないから、食いしばるしかできない。


最後に――リネアが動いた。


拳は作らない。

声も荒げない。


ただ、指輪に触れていた指を離して、ゆっくりと視界に入る位置へ、手を差し出した。


左手。

指輪。


それは、過去の証であり、今この場で“立つ”と決めた証でもあった。


「……ねぇ、コール」


リネアの声は、柔らかい。


でも、逃げ場はない。


「ナイルは置いていかなかった……コールも言ったよね?」


さっき落としたその言葉を、今度は――刃じゃなく、手当てとして使う。


「……だから、置いていかないで」


コールの目から、さらに涙が溢れた。


「……無理だ……」


掠れた声。


「……守れなくなる……」


リネアは首を振った。


「違う」


小さく、でもはっきり。


「守れなくなるのが怖いんじゃない」


一拍。


「“守れなかった自分”になるのが怖いんでしょ」


その言葉は、芯まで届いた。


肩が、びくっと跳ねる。


リネアは続ける。


「でも……それを一人で背負うのは、もう終わり」


そして。


リネアは、ゆっくり笑った。


泣いてないのに、目が赤い。


「私ね。やっと分かったの……」


指輪に触れて。


「“過去に縛られてる”って言われた時、悔しかった……」


一拍。


「……でも、悔しいって思えたのは」


目がまっすぐ。


「今のあなたが、私の大事な人だから……」


謁見の間の空気が、また変わった。


“責める場”じゃなくなった。

“選ぶ場”になった。


リュカが、乱暴に鼻を擦る。


「……コール」


声が少し掠れている。


「お前がさ、“置いていく”って言ったの」


拳を握り直す。


「それ、優しさじゃねぇよ。……独りよがりだ」


息を吸い損ねる。


シアが、最後の釘を刺した。


「……コール様」


優しい声。


でも、それは“許す声”じゃない。


「好きだって言ったなら、責任を取ってください」


目が、揺れる。


「責任……?」


「はい」


シアは微笑まない。


「好きって言葉は、守るための免罪符じゃないです」


一拍。


「一緒に生きるための言葉です」


泣きながら笑った。

笑ったというより、壊れたみたいな顔だった。


「……ックソ」


嗚咽混じりの声で、吐き捨てる。


「……お前ら、ほんと……ずるいな……」


リュカが言う。


「ずるくていいんだよ」


そして、近い距離で言い切る。


「お前がずるくしたんだから。……ずるくする」


リネアが小さく頷く。


「同じ場所に立つって、そういうことだよ....」


シアが腕の拘束を、ほんの少しだけ緩める。


「逃げないでください」


目が、三人を映す。


逃げ場はない。


でも――それは牢屋じゃなかった。


帰る場所の形だった。


俺は息を吸って――吐いた。


「……分かったよ……」


震える声。


「じゃあ……条件だ」


三人が、同時に息を止める。


涙を拭わずに続けた。


「“俺のせいで死ぬ”って形だけは、絶対にさせねぇ」


リュカが睨む。


「当たり前だろ」


「じゃあ、俺の命令を聞け」


その瞬間、空気が張った。


王の謁見の間で、初めて“命令”を口にする。


「勝手に突っ込むな、

 勝手に庇うな、

 …死にに行くな」


嗚咽で切れながら、それでも言い切る。


「……生き残るために、俺の言う通りに動け」


沈黙のあと。


リュカが、舌打ちした。


「……それ、“一緒に行く”前提の命令だよな?」


悔しい気持ちがあるが……目を閉じて答えた。


「……あぁ」


リネアが、やっと微笑んだ。


「うん。なら、聞く……」


シアが、静かに頷く。


「はい。……その命令、受けます」


リュカは、襟首を掴んだまま、ぎゅっと引き寄せて――


額を、こつんとぶつけた。


「泣くな」


「俺はガキかっての……」


リュカから離れ、仕返しにワシャワシャ頭をかき回す。


「帰るぞ」


謁見の間の外で、どこか遠くの鐘が鳴った。


それは“出航”じゃない。


“帰還”の合図みたいに響いていた。

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