第183話:再会と線引
夜が明けきる前、城の外はまだ薄暗かった。
俺は誰にも告げず、船に戻った。
甲板を下り、居住区の奥へ進むと――
床いっぱいに横たわる影が目に入る。
ミラだ。
城の客室じゃ収まりきらねぇ体だ。
ここが一番楽なんだろう、丸太みてぇな腕を腹の前で組んで、深く眠っている。
(……でかいくせに、寝顔は静かだな)
起こさないよう、足音を殺して横を通り過ぎる。
さらに奥。
船の中枢――動力室へ。
扉を開けると、低い振動が掌に伝わってきた。
いつもと同じ、安定した脈。
中央に浮かぶ結晶は、青白い光をゆっくり明滅させている。
(……問題なし)
俺は一周、目で確かめる。
光量、揺らぎ、振動。
どれも好調だ。
「……優秀だな」
独り言が漏れる。
しばらく見つめてから、踵を返した。
甲板へ戻る。
朝靄の中、影たちが並んでいた。
シャドーズ。
…十体。
以前は十二。
無意識に数えてしまってから、舌打ちした。
(……減ったな)
モルト。
アドリアンを戻すために消えた。
ゴーグル。
俺が“戻る”ために使い潰した。
不死身だとか、便利だとか、
そんな言葉で片付けられる存在じゃない。
代わりはいねぇ。
あいつらが埋めてた“隙間”は、
もう誰にも埋まらない。
「……悪いな」
誰に言ったのか、自分でも分からない。
まとめ役のウィンスキーが、一歩だけ前に出る。
ほんの、半歩。
止める気も、諭す気もない。
ただ――
“ここにいる”って顔だ。
影たちは何も言わない。
ただ、いつも通りそこに立っている。
俺は手すりに腰を預け、空を見上げた。
(……やっぱり、ダメだな)
影がいても、だ。
俺は死なねぇかもしれない。
だが、他は違う。
リュカも、シアも、リネアもネラも。
ミラですら。
厄災相手じゃ、運が悪けりゃ一瞬だ。
俺の船の大砲ですら通じなかった相手だ。
影を盾にしても、巻き込まれて終わりだ。
(……守れなくなる)
それだけは、許せねぇ。
影たちを見渡し、俺は静かに息を吐いた。
「……お前らが減るのも、もう御免だ」
返事はなく、影はただ前に出る。
だが、それでいい。
俺は一人で行く。
行って、剣を見つけて、叩く。
それで終わらなきゃ――
その時は、その時だ。
甲板の端で、朝日が昇り始める。
城も、国も、仲間も、今はまだ眠っている。
(……戻る場所は、もうある)
だからこそ…俺は、行く。
影たちの前を通り過ぎ、船首へ向かう。
そのとき――
胸の奥で、かすかに震えた。
金属が触れ合うような、鈍い感触。
音と呼ぶには静かすぎるが、
確かに“反応”だった。
俺は一瞬だけ足を止める。
(グラナシル……場所を掴んだか?)
俺は静かにコンパスを開き、歩き出した。
―――――
朝の中庭は、まだ冷えていた。
石畳の上で、私は剣を構える。
正面に立つのは、エレナ。
いつも通りの距離。いつも通りの構え。
「……力が逃げています、陛下」
低く、静かな声。
私は歯を食いしばり、踏み込みを修正した。
剣が弾かれる。
「今のは、迷いです……」
言い切り。
叱責じゃない。
事実の指摘。
でもどこか……力がない……。
(……やっぱり)
私は息を整え、剣を下げた。
「エレナ」
「はい」
「……昨日、眠れた?」
問いは稽古と関係ない。
でも、エレナは否定しなかった。
「……任務に支障はありません」
視線が、わずかに逸れる。
それだけで十分だった。
(ああ……)
私は剣を地面に立て、両手を重ねる。
「どこまで、聞いたの?」
エレナは答えなかった。
少しの沈黙。
それから――
「……やはり、彼は旅に出る……と」
短い返答。
でも、声が硬い。
“聞いてはいけないところ”を、聞いた顔だ。
コールの言葉。
抱きしめた理由。
それがいつかの“誰に似ていたからか”……、
私は、小さく息を吐いた。
「……そう」
それ以上は聞かない。
聞かなくても、分かるから。
エレナは剣を握ったまま、動かない。
稽古を再開しない。
「陛下」
呼ばれて、私は顔を上げる。
「……私は、騎士です」
自分に言い聞かせるような声。
「陛下と、この国を守ることが使命なのです……」
――嘘だ。
長い時間、彼女を見てきた。
その言葉が、自分自身を縛るためのものだと分かる。
私は一歩、前に出た。
「そうよ……だから」
はっきり言う。
「命令するわ、エレナ」
彼女の目が、わずかに揺れた。
「コールについて行きなさい」
一瞬、風が止まったように感じた。
「……陛下」
「拒否は聞かない」
王としての声。
でも、感情は隠さない。
「あなたは行かなければ、後悔する。
それを分かったまま放置するほど――私は冷たい王じゃないわ」
エレナの手が、震える。
「ですが……王都は、ヴァルセリクスはどうなさいますか?」
「残る人はいる」
即答。
本来はエレナを少しでも休ませるための代理を探していた……それが違う形で実っただけ。
「あなたの“代わり”は用意した。それも、あなたが納得できる形で」
その意味を、エレナはまだ知らない。
でも――
これで、彼女は“心置きなく行ける”。
「……稽古は、ここまでにしましょう」
私は剣を下げ、深く一礼した。
弟子として。
そして――
「今まで、守ってくれてありがとう。今度は、行ってきなさい」
エレナは、しばらく動かなかった。
それからようやく、剣を地面に突き立て、膝をつく。
「……必ず、生きて戻ります」
その言葉に、私は初めて、微笑んだ。
そこに、足音が近づいてきた。
―――――
昼下がり、俺はリュリシアに呼び出された。
謁見の間は、妙に静かだった。
相変わらず、広い。
天井が高い。
声を出せば、やけに響きそうな空気。
だからこそ――この沈黙が、胃にくる。
俺は、すでにそこに立っていた。
玉座の正面。
逃げ場のない位置。
左右には、見覚えのある顔。
リュカとシア。
リネアにネラ。
そしてミラまで……。
船のメンツが全員いる。
(……なんじゃこりゃ?)
一瞬、本気でそう思った。
俺だけ呼び出されるなら、まだ分かる。
だが――“全員”は、話が違う。
リュカは腕を組み、露骨に機嫌が悪い。
シアは口を引き結び、俺を見てから、すっと視線を逸らした。
リネアとネラも、空気を読んで黙っている。
ミラは……。
「あらぁ〜、あの装飾凝ってますねぇ〜」
いつも通りだった……。
だが……誰も、何も聞いてこない。
それが一番、怖い。
(……まさか、な?……いや、それしかねぇ……)
もう、察しはついた。
俺が何か企んでること。
置いて行こうとしてたこと。
全部、バレてるやつだ。
玉座の前には、まだ誰もいない。
だが――足音が近づいてくる。
石を踏む、落ち着いた音。
急がず、しかし迷いのない歩調。
俺は、無意識に背筋を伸ばした。
(……来るなよ)
願ったところで、意味はない。
扉が、重く開く。
まず現れたのは、リュリシア。
そしてアドリアン。
その半歩後ろに――エレナ。
エレナは、俺を見なかった。
いや、正確には。
“見ないようにしている”。
それで、全部分かった。
(……おい、まさか)
俺は、思わず奥歯を噛んだ。
この並び。
この距離。
この空気。
――逃げられねぇ。
リュリシアが玉座の前に立ち、謁見の間を一瞥する。
全員、揃っていることを確認してから、静かに口を開いた。
「集まってもらったわ」
王の声。
でも、どこか――個人的だ。
「理由は、もう分かっている人もいるでしょう」
リュカの視線が、俺に刺さる。
シアも、ゆっくりとこちらを見る。
ああ、そうだ。
“やっぱりな”って顔だ。
(……最悪だ)
そのとき――
再び、扉が開いた。
重ねて入ってきた足音。
今度は、金属が擦れる音が混じっている。
俺は、嫌な予感を覚えたまま、そちらを見た。
騎士の鎧。
まだ新しい。
だが、着せられている感じじゃない。
先頭に立つ少女の顔を見て、俺は、完全に言葉を失った。
「……シャンディ?」
間抜けな声でその名が零れた。
少女は、きちんと一礼した。
鎧の継ぎ目が、かすかに鳴る。
「……ご無沙汰してます、コールさん」
その後ろに、二人。
短髪で革鎧の女が、場違いなくらい堂々としている。
「おー、ここが王城か! 天井たっか!」
ローブ姿の女が即座に肘で黙らせた。
「レザ。今は黙って」
「いてっ」
(……仲間まで連れてきやがった)
嫌な予感が、確信に変わる。
リュリシアが、淡々と言った。
「紹介するわ。彼女はエレナの門下シャンディ、そして同行者二名です。
以後、彼女達を王城付きの近衛に臨時編入として扱います」
リュカが、低く唸る。
「……騎士に臨時、ね」
シアは何も言わない……黙ったまま俺を見てる。
逃げ場を塞ぐ目だ。
リュリシアは続けた。
「シャンディ。あなたを本日付で第零位の騎士に任命します」
謁見の間の空気が、ぴんと張った。
「第零位? まさか……、……おいおいおいおいおい!?」
俺は思わず声を上げ。
その意味を知るエレナの肩が、ほんの僅かに動いた。
リュリシアが言葉を重ねる。
「そして――3本の王剣の一つ《ヴァルセリオン》」
布が払われ、台座の剣が姿を見せる。
俺は、息を止めた。
(……冗談だろ)
シャンディが一歩進み、柄に手を伸ばす。
指先が触れた瞬間。
金色に近い光が、剣から静かに滲んだ。
選んだ。
それだけで分かる。
リネアが目を見開き、ネラが唇を噛む。
ミラは、妙に感心した声で呟いた。
「あらぁ……綺麗」
リュリシアが、俺を見た。
王の目だ。
「――これで、王都は守れる」
そして、静かに言い切る。
「コール? あなたの仲間を城で保護する頼みは却下します」
(このッ……リュリシアのやつ……)
アークじゃなく……コール、か。
近い呼び方を、わざわざ捨てやがった。
――王として、線を引いた。




