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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第181話:言葉を遅らせない


――失いたくない。


口に出した瞬間、胸の奥が小さく軋んだ。


言葉は刃だ。

刺さる場所を間違えれば、相手を殺す。


それでも今は、刺してでも止めたかった。


肩が触れている。

たったそれだけで、私は呼吸の仕方を思い出せる。


――あの時も、そうだったら。


思考が勝手に、過去へ落ちる。


殴った手の感触が、まだ骨に残っている夜がある。


彼がしでかした事への怒りだった。

……そう思いたかった。


でも違う……あれは嫉妬だ。


剣を握る手で、私は“私情”を正義に塗って振り下ろした。

騎士として、一番やってはいけない形で。


だがその後……彼は行方も知れず……そして倒れた。

血を吐き、笑いもせず――ただ、目を閉じた。


しかし、いかなる神の奇跡だろうか……。

あの船は再び空に戻っていた。


「……バカ者め」


吐き捨てた言葉は、祈りでも罵倒でもない。

自分を守るための、薄い壁だった。


それから半年もの間、彼と言葉を交わす事ができなかった……。


草原には戦いと血の後だけが残っていた……。


あの日から私は、言葉を遅らせることが怖くなった。


「今度言おう」が、次の瞬間に奪われる。

「落ち着いたら」が、二度と来ない。


オルデアでアークの死で、……決定的になった。


抱いている腕の中で、温度が消える。

指先から、命が抜けていく。

伝えるべきことが、喉の奥で腐っていく。


――もう二度と、あれは嫌だ。


だから私は今、目の前の男から視線を逸らさない。

この人が、また遠くへ行こうとするのが分かるから。


隣で、彼の呼吸が一度だけ乱れた。


私は言葉を足す。

理由は言わない。

言えば、この人は自分を責めて、また一歩引く。


「……失いたくない」


それだけでいい。


彼が動けないのは、私のせいだ。

それでいい。


動けない間だけでも、この人はここにいる。


……私は、視線を逸らさない。


「……行くな」


短い。

命令でも懇願でもない。


「お前が世界のために動く奴じゃないのは、知っている……。

 使命で動く男じゃないのも、分かっている」


だから、と続ける。


「それでも――行くな」


言い切っても、胸の奥は静まらなかった。


私は、一度だけ息を吐く。

剣を振る前と同じ、短い呼吸。


「……私は、お前を失う選択はもうしたくない」


それだけで、言葉は十分だった。


「守れたとしても、隣にいないなら意味がない」


声は低い。

揺れていない。


「お前が行けば、私はここに残るしかないだろう……。

 それが分かっていて、黙っていろというのは無理だ」


一拍。


「私はもう、言葉を遅らせない」


だからこそ……。


「ヴァルセリクスは、私が持つ。

 そしてお前の船があれば、この国は守れる」


それは希望ではない。

感情を含んだ、判断だ。


「……二人で立てば、足りるはずだ」


少しだけ、声を落とす。


「それでも行くなら、止めはしない……。

 だが私は、行くなと言う」


視線を逸らさず、告げる。


「私は、ここにいる……。

   ……だからおまえもここに居ろ」


―――――


言葉が、追いつかない。

反論も、冗談も、逃げ道も――何一つ出てこない。


(……なんだよ、それ)


行くな。

ここにいろ。

私はここにいる。


どれも、予想してたエレナのセリフとはかけ離れていた。


覚悟がなけりゃ言えない言葉だ。


ましてや、こっちの性格を全部分かった上で……。


エレナは本当の俺を知らない。

アークとしてここに居た時の、上辺がいい素の俺の事しか分かってない……。


――そう思ってきた。


強くて、まっすぐで、騎士で。

俺とは生き方が違う。


だから、きっと最後は

「行くしかないんだろう」と言われると思ってた。


なのに。


(……反則だろ)


世界のためじゃない。

使命で動く男じゃない。


その一言で、胸の奥が嫌な音を立てた。


分かってる。

それはずっと、自分でも分かってた。


俺は英雄でもなけりゃ、救済者でもない。

ただ、放っておけないものを放っておけないだけだ。


だから旅に出る。

だから離れる。

だから――嫌われてもいい。


……そう、思ってた。


(……惚れてる相手に、こんなこと言われてみろよ)


喉が、ひどく乾く。


視線を逸らしたら、負ける気がして

逸らさなかったら、全部崩れる気がして。


結局、どっちも出来ずに

ただ、立ち尽くしていた。


(……冷たくすりゃいい)


突き放して、

嫌な言い方して、

「勝手にしろ」って言って出ていけばいい。


いつもなら、それで終わってた。


……でも。


今のエレナは、そんな程度じゃ折れない。


折れないどころか、

それを見抜いた上で――立っている。


(……帰れなくなる)


ここに残ったら、

守る顔が、また一つ増える。


戻る場所が、

また一つ増える。


そんなの――

今の俺にとっては、

守る理由じゃなくて、枷だ。


それなのに。


胸の奥で、

その“枷”が、妙にあたたかい。


(……クソ)


笑えない。

誤魔化せない。

軽口が、一つも浮かばない。


それが一番、まずかった。


――俺は今、

この女を傷つける嘘がつけない。


そして、

守るために突き放すことも、

もう出来なくなっている。


(……だから)


ここで、黙るわけにはいかない。


逃げるために去るなら、

何も言わずに出ていけばいい。


でも――

向き合ってしまった以上、隠せない……。


胸の奥に、

ずっと押し込んでいた“始まり”が、

じわりと浮かび上がってくる。


(……言うしかねぇだろ)


世界の話じゃない。

使命の話でもない。


俺が、

どうして「行く」しかないのか。


どうして、

「ここに残る」が怖いのか。


どうして――

守るものが、増えすぎたのか。


息を吸う。


思ったより、深く。


エレナの視線は、逸れない。


……逃げ道は、もうなかった。


考えていたわけじゃない。

選んでいたわけでもない。


ただ――

このまま黙ったら、

一生言えなくなると分かっていた。


俺は、ようやく口を開いた。


「……エレナ……一つだけ、話しておかなきゃならねぇことがある」


視線を合わせる。

逃げないために。


「さっきまでの話とは、ちょっと違う」


一拍。


「世界とか、使命の話でもない」


そこで、わざと息を吐いた。


「……むしろ、

 聞いたら幻滅するかもしれねぇ」


自分で言って、

少しだけ苦く笑う。


「俺はな……

 この世界に来る前、

 別の世界で生きてた」


反応を見る余裕はない。

続けないと、止まる。


「剣も魔法もない、“普通”の世界だ」


床に視線を落とす。


「家族もいて……大事だった女も、いた」


一拍。


「でもな……」


声が、わずかに低くなる。


「その頃の俺は……もう、生きる気力が無かった」


ここで、ようやく言葉を選ばずに吐き出す。


「悲しくて泣いてたとか、

 復讐を誓ってたとか……

 そんな立派なもんじゃねぇ」


肩をすくめる。


「朝、起きるのがだるくて……、

 飯食うのも、どうでもよくて……。

 人と話すのも……面倒でさ」


短く、鼻で笑う。


「……今のお前が見たら、

 間違いなく言うぞ」


視線を上げる。


「“そんな顔で生きてるくらいなら、

 剣を持て”ってな」


ほんの一瞬、

口元が緩んだ。


でも、と続ける。


「当時の俺は、そんなふうに生き直す気も、

 気力も……一切なかった」


拳を、ぎゅっと握る。


「守れなかったとか、後悔とか……

 そういう言葉すら……考えるのが億劫だった」


静かに言う。


「……そんで、そのまま死んだ」


重くならないように、

わざと淡々と。


「自分で終わらせたわけじゃねぇよ?

 ただ……放っといたら、終わってた」


顔を上げる。


「そんな俺がさ……次に気づいた時、この世界にいた」


息を吸う。


「アーリアに会って、

 “もう一度だけ”ってやつをもらった……。

 正直、最初はどうでもよかった」


視線を逸らす。


「生き直す覚悟なんて、最初から無ぇから……」


そこで、言葉を切った。


エレナを見る。


「でも、だ……」


そこで、言葉が一度だけ途切れた。


喉の奥に、引っかかるものがある。

吐き出せば楽になる類のものじゃない。


「気づいたら……」


小さく息を吐く。


「死なせたくねぇ顔が、増えてた」


名前は出さない。

出さなくても、分かる。


「獣族のガキどもがいて、

 ガキのくせに全部察しちまう奴がいて……

 バカみたいに真っ直ぐな女いて……」


自分で言って、少しだけ口元が歪む。


「……最初はな、守るつもりなんて、なかった」


正直に言う。


「放っておけなかっただけだ。

 巻き込まれただけで、責任取る気なんて無かった」


一拍。


「でも――」


声が、わずかに低くなる。


「一人でも死なれたら……前の俺に引き戻される気がしてな……」


拳を握る。


「今度こそ、立つことすらできなくなる気がした……」


視線を逸らしたまま、続ける。


「だから俺は……守る距離を、ずっと測ってた」


近づきすぎない。

期待させない。

居場所を作らない。


「この国も、同じだ……ちょうどよく守れる範囲だと思ってた」


ここにいれば、線を引けると思っていた。

いや、剣を探しに行く前に……線はもう引いたはずだった。


「……でも」


言葉が、少しだけ詰まる。


「お前が、ああ言った」


行くな。ここにいろ。私は、ここにいる。


「それ聞いた瞬間……決めてた線が、全部ズレちまった」


小さく、笑う。

笑えていない。


「もう、この国だけ守ればいいって……そんな都合のいい生き方、出来ねぇ」


息を吸う。


「俺は世界なんて、どうでもいい」


はっきり言う。

誤魔化さない。


「正義も、使命も、英雄も……お前の言う通り俺は最初から蹴り飛ばしてる」


そして、静かに続ける。


「でもな……」


視線を上げる。


「死なせたくない奴らが……いつの間にか、増えすぎた」


一拍。


「そのどまんなかに……お前もいる」


ただの事実として。


「だから……行くしかないのさ……でも」


小さく、肩をすくめる。


「正直いえば、このままお前と朝まで一緒にいて……

 目が覚めたら、全部なかったことにしてるのも……悪くねぇ」


軽い言い方だ。

いつもの、逃げ道を作る言葉。


でも――視線は逸らさない。


「……それやったら、たぶん俺、

 二度と立てなくなる」


一拍。


「お前に甘えて、

 ここに居場所作って、

 守るって言いながら……

 結局、やっと……生き返った自分からも逃げることしかできなくなる……」


短く、息を吐く。


「それだけは……出来ねぇんだ……」


背を向ける。


「だから行く」


言い訳はしない。

約束も置かない。


「戻れるかどうかは……正直分からん」


扉に手をかけて、止まる。


「でも――

 今の俺が、何も言わずに消えるよりは……

 その方が、まだマシだろ」


振り返らない。


「……悪いな、エレナ」


扉が閉まる音だけが、部屋に残った。


―――――


部屋を出て、城の通路を歩く。

足音は絨毯に吸われ、やけに静かだった。


――船に戻る。


それだけを考えていた。


角を曲がった、その先。


「あ!」


先に声を出したのは、リュカだった。


通路の向こうから歩いてきたのは、

リュカとシア。


「お〜い、コール!」


リュカは軽く手を上げ――

次の瞬間、鼻がひくりと動いた。


歩みが、止まる。


「ん?」


「ん?……ぁ」


その反応だけで、嫌な予感がした。


「お前……」


リュカが一歩近づく。

じっと、俺を見る。


「女の匂いついてるぞ?」


「……はぇ〜?」


間抜けな声が出た。


「はぇ〜、じゃねぇ!」


リュカの尻尾がぴんと立つ。


「しかも……今ついた匂いだぞ?

 さっきまで居たな? まさか〜?」


リュカは茶化すようにニヤニヤしているが、それどころではない……。


「コール様〜?」


被せるように、シアの声。

柔らかいのに、温度がない。


「確か、おつかれだったのでは〜?」


リュカが「やべ」って顔で口を閉じ、

すまねぇって顔でこちらを見ていた。


(わ、わりぃ……)

(おい……)


空気が変わる。


シアが一歩近づいた。

怒鳴らない。走らない。

それが逆に怖い。


鼻先が、俺の胸元あたりで止まる。

触れない距離で、もう一度だけ吸う。


数拍。


「……安心しました」


シアは意外にも落ち着いて、いつもどおりの感じになった。


「な、なんだ?」


シアは淡々と続ける。

嫉妬は確かにある顔ではあるが。


だが、それとは別に“確認”が終わったって感じだ。


「“そういう匂い”ではありませんね」


「そういう?……って!? 何確かめてんだ!」


シアは意味ありげに微笑み、首を傾げた。そして……。


「エレナさんですか?」


「あ、あぁ……まぁな」


リュカが「やっぱりか」と鼻を鳴らす。


「……そりゃそうか。城で女つったら、ほぼ一択だしな」


シアは俺から離れない。

怒ってるのに、どこかほっとしてる。


「……まぁいいですけど、それで?

 エレナさんとはなにか進展がありましたか?」


シアの声は落ち着いている。

落ち着いてるのが、余計に刺さる。


俺が言葉を探すより先に、リュカが横から入った。


「お、聞くんだ? シアが聞くんだ?」


口元だけ笑ってる。目は笑ってない。


「へぇ〜?」


「うるさいです」


シアは即答で叩き落とす。

ただし視線は俺から外さない。


嫉妬の感じだ……でも敵意じゃない。

――“確認”だ。


「……で?」


シアがもう一歩、詰めない距離で詰める。


「ちゃんと話せました?」


「……あぁ」


喉が乾いてる。

さっきからずっとだ。


「へぇ」


リュカが細い目で俺を見る。


「“あぁ”って言えるくらいにはってことかぁ〜?」


「お前も黙っててくれ……」


「やだ」


リュカは肩をすくめる。

からかいの皮を被った、探りだ。


シアが小さく息を吐く。

安心と、悔しさが混ざった匂い。


「……それなら、よかったです」


「よかった、って……お前らなぁ〜」


俺が言いかけたところで、シアは首を傾げた。


「だって、コール様。半年も、ちゃんと話してなかったでしょう?」


言い方は柔らかいのに、事実だけは容赦がない。


リュカが「それな」って顔をする。

尻尾が、ゆっくり左右に揺れる。


「殴られてから、まともに会ってないもんな」


「……お前、今それ言うな」


「言うよ」


リュカはあっさり。


「言わないと、また黙って置いてかれそうだしな!」


心臓の奥が、ひゅっと鳴った。


いや、分かってる……。

リュカが言ってるのは、俺が疾走してナイルの時のことだ。


シアが一瞬だけ眉を寄せる。


(まずい……!?)


――空気でバレたか……?


「……コール様」


呼び方が、ほんの少し低い。


「船に戻るんですよね?」


「あ、あぁ。リュリシアに食料とか頼んでおいたから確認だ……」


「“戻る”ねぇ」


珍しくリュカも、笑ってるのに笑ってない顔になっていた。


「なんだよ」


「いや」


リュカは首を振る。


「戻るって言い方、ちょっと優しいなって思っただけ」


シアが即座に追撃する。


「優しいのはいいことです……ただし」


微笑む。


「優しいなら、置いていく時も“優しく”してくださいね?」


「……は」


リュカが「ほら出た」って顔で肩をすくめた。


(こいつら……言わないだけで、もう感づいてやがるな……)


喉の奥が、ひりつく。


視線を逸らし、俺はわざと軽く肩を回した。


「……違ぇよ。考え事はあるけどな。

 エレナと話して、ちょっと疲れただけだ」


自分で言って、薄っぺらいと思う。

でも――それ以上は、言わない。


リュカがじっと俺を見る。

鼻を鳴らし、何か言いたげに口を開きかけて――閉じた。


「ふーん……ま、いーけど」


それだけ。


シアも、それ以上踏み込まない。

微笑みはそのまま、声だけを柔らかくする。


「でしたら、早めにお休みください。

 無理をなさると……顔に出ますから」


「……忠告ありがとよ」


俺は手を軽く振り、踵を返した。


振り返らない。

振り返ったら、何かが決まってしまいそうだったから。


通路を進む。

城の外へ。

船のある場所へ。


背中に、二人の気配が残っている。

追ってはこない。


でも――見送ってもいない。


(……やっぱり、分かってるよな)


胸の奥で、苦い笑いが漏れた。


それでも俺は、足を止めない。


今はまだ、“戻る”って言葉に、逃げ場がある。


そう思い込むことでしか、前に進めなかった。


俺はそのまま、歩き続けた。

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