第178話:影の翼
―――――翌朝。
甲板に出た瞬間、空気が一拍止まった。
リュカが、俺の顔を見て固まる。
「……おい」
次にシアが息を呑み、
「コール様!?……」
リネアは言葉を探して、目だけが揺れた。
「……こ、コール?」
ネラは短く結論だけ言う。
「……ひどい顔だな」
「うるせぇな…」
寝不足とか、疲労とか、そういう類じゃない。
頭の奥が、ずっと重い。削られてる感じがする……。
俺は話題を切るみたいに言った。
「工房は?…」
リュカが即答する。
「朝からずっとだぜ。休憩呼びに行った職人が、逆に追い出されたって言ってた」
「追い出された?」
「『今いいところですぅ〜』って」
想像できて、溜息が出た。
「見に行くか…」
―――――
工房は、静かな狂気みたいな空気だった。
いつもの木の香りが消え……、
空島の職人たちが仕事をする場所が……。
今では……、
金属の匂い。
魔導回路の淡い光。
そして、止まらない手。
ミラが中央でクランダを組んでいた。
職人たちが半円を作って見守っている。
誰も口を出せない。出す必要がない。
「……普通、三週間はかかるんだぞ……」
「もう仕上げだ……信じられん…」
そんな囁きが、あちこちから漏れる。
俺が近づいても、ミラは気づかなかった。
集中が“密度”になって、周りを切っている。
「ミラ」
呼んで、ようやく顔が上がる。
「あっ。こーるちゃ〜ん!」
さっきまでの余韻はどこへやら…。
にこっと笑う。
「……顔、怖くないですかぁ〜?」
「お前も鏡見ろ」
「えへへぇ〜今それどころじゃなくてぇ〜」
俺は核心だけ聞く。
「あとどれくらいだ?」
ミラは一瞬考えて、即答した。
「夕方までには試験飛行できますよぉ〜」
周りの職人が、息を止める。
「夕方……?」
「マジかよ……」
ミラは作業台を軽く叩く。
「だってぇ〜、教わったこと、全部理解しましたしぃ〜。
あとは“整えるだけ”ですぅ〜」
俺は頷いた。
「頼む」
「はぁ〜い」
それだけ言い残して、工房を出た。
―――――
島を一段下る。
石柱の古い広場。
風が隙間を抜け、低く響く――“あの場所”だ。
(……ここで、昔話を聞いた)
空島が生まれた理由。
クラナだった頃のグラナシル。
勇者と幼馴染。
そして厄災。
思い出すだけで、胸の底が重くなる。
俺は魔導銃を抜いた。
「……」
雲へ撃つ。
パン
雲の中で弾が弾ける音がした。
次の瞬間――空気が“圧”になる。
雲の海が山になり、
そこから少し不満そうに、でかい顔が現れる。
「……なんだ、その呼び方は?」
グラナシルの声。
「……随分と乱暴な」
「急ぎだ」
雲が渦を巻き、意識が降りてくる。
石柱の影が、一段暗くなった。
グラナシルが、俺を見て――わずかに止まる。
「……妙だ」
声が低く沈む。
「彼女の匂いが強まっている……」
俺は息を吐いた。
「夢で会った」
細かい描写は言わない。
必要な要点だけ落とす。
厄災が“今”やっていること。
女神の言葉。
そして――剣。
グラナシルの気配が、微かに揺れた。
「……そうか」
「女神は言ってた。勇者の剣がどこにあるか“見られない”ってな」
俺は石柱の一本に手を当てる。冷たい。
「お前は空の上にいる……風の流れも、魂の流れも見てる。 …だろ?」
視線を上げた。
「わからねぇか? 剣の在り処?」
少しの間。
グラナシルが答える。
「……断言はできぬ」
風が、わずかに唸る。
「だが、手掛かりは掴める可能性がある」
「それで十分だ」
俺は即答した。
「女神は“切り離す”って言った……なら、その剣に辿り着くしかねぇ」
グラナシルは、石柱の間を抜ける風を一つ撫でるみたいに整えてから、
「……条件がある」
「なんだよ」
「お前が“どこまで”背負うかだ」
俺は鼻で笑った。
「っは、背負わねぇよ」
「……ほう?」
「背負うのは嫌いだ」
石柱の影に、俺の声が落ちる。
「どっちにしろ――俺の仲間が死ぬ方向に転がるなら、止める」
グラナシルの気配が、ほんの僅かに柔らいだ。
「……愚かだな」
「知ってる」
俺は踵を返す。
「夕方にはクランダが飛ぶ」
「その前に、できるだけ頼む。情報探ってくれ」
「いいだろう……」
風が一回だけ、広場を撫でた。
合図みたいに。
―――――
石柱の広場を出たあと、俺はそのまま島の中心へ戻らず、集落側へ足を向けた。
長老の家だ。
道を歩いていると……背中に、気配が四つ増える。
追いついてきたリュカが、眉をひそめた。
「おいコール! どこ行く気だよ、足早ぇぞ!」
シアも息を切らし、
「コール様、待ってください……!」
リネアは不安そうに、
「……コール? どうしたの……?」
ネラは無言で、ただ俺の横に並ぶ。
「……」
俺は振り返らず、短く言った。
「仕事だ」
「……仕事?」
リュカが目を丸くする。
「今さら何の――」
俺は歩幅を落とさない。
「説明は後だ」
四人は顔を見合わせたが、結局ついてくるしかなかった。
―――――長老の家。
扉の前に着くと、中から声が漏れていた。
「……次の出稼ぎは早めに行こうと思う。選抜隊で人手が減ってる。運び手も足りねぇ」
ハッリの声だ。
俺は遠慮なく扉を開けた。
「悪い、割り込む」
「旦那!?」
ハッリが立ち上がる。
「……今ちょうど――」
長老がゆっくりこちらを見る。
「コールか。どうした?」
俺は懐から、金色の箱を取り出し、卓の上に置いた。
丸い盤に針。
だが普通のコンパスじゃない。
長老が目を細める。
「……これは?」
「コンパスだ」
言いながら、俺は側面の溝を指でなぞる。
「ここに――水晶を押し込む」
カチリ。
小さな振動とともに薄い水晶板に淡い光が走る。
――そして。
水晶板に、別の景色が映った。
「……っ」
そこに映ったのは――ネラの手元。
同じ形のコンパスを持つ、ネラの視点だった。
ネラも自分の懐からそれを出し、確かめるように押し込む。
カチリ。
二つの水晶板が、互いの像を映し合う。
長老が、息を呑む。
「……これはすごい」
「どこまで届くかわからねぇ」
俺は言い切る。
「でも、念のため置いてく」
ハッリが、言葉を失ったまま俺を見る。
「……置いてく、って……旦那、出ていくのか?」
その瞬間――
「「え!?」」
階段の上から、素っ頓狂な声。
顔を出したのは、ノッタとファッロだった。
ノッタは目を丸くし、ファッロは「やべっ」って顔で固まる。
ハッリが振り返る。
「……おい。お前らなんで二人で……。
まぁいい、……ファッロ」
「は、はいっ!」
「後で聞く……覚悟しとけ」
指で二人を軽く払う。
リュカが即座に割り込む。
「隠れて逢引きしてたんだろ?」
肩をすくめて笑う。
二人は階段の上で顔を見合わせて真っ赤になっていた。
「もうみんな知ってるし、今さら驚かねぇよ」
「う、うわぁぁ……!」
「ま、待っ――」
そのまま二人はバタバタと階段の奥へ消えていった。
その場に残った空気だけが、妙に軽くなる。
――だが、俺は軽くしない。
長老へ視線を戻す。
「明日、俺は一度地上に戻る」
リネアが息を呑む。
「……もどるの……?」
シアが震える声で、
「コール様? なにかあったのですか?」
ネラは何も言わない。
ただ、目だけで「理由は?」と聞いてくる。
俺は長老とハッリを見て、淡々と言った。
「仕事ができた」
リュカが眉を寄せる。
「それ、さっきから言ってる“仕事”か?」
「ああ」
俺は卓の上のコンパスを指で叩く。
「これがあれば、多分――連絡ができる。できない可能性もある。
……念のため、置く」
長老が、ゆっくり頷いた。
「……帰ってくるのか」
俺は一拍だけ間を置いてから答える。
「分からん」
ハッリが、まだ納得してない顔で前に出る。
「旦那……何をしに行くんだ?」
「宝探しってとこか?」
俺はそれだけ言って手を上げて、踵を返した。
長老の家を出て、船へ向かう。
歩く速度が、いつもより少しだけ速い。
それだけで、後ろの連中は気づく。
「……なぁコール」
リュカが、横に並んできた。
「さっきから急ぎすぎじゃねぇか?」
「そうです、リュカの言うとおり」
シアも頷く。
「何か……あったのですか?」
リネアは前を見たまま、ぽつりと言う。
「……仕事、って言った……でも、コール……“仕事ができた”時の顔じゃなかった」
ネラは一歩後ろから、短く刺す。
「判断が早い……何かを決めた直後の動きだ……」
「……」
俺は一度だけ足を止めて、振り返った。
「別に、隠す気はねぇけど……よ」
四人の視線が集まる。
「ただ……今は詳しく話す気がねぇ」
リュカが眉をひそめる。
「それ、余計怪しいんだけど」
「怪しくていい」
俺は肩をすくめる。
「ここ数日、地に足ついてねぇ感じがする。ろくに寝た気がしねぇし、飯も空島のもんばっかだ」
シアが少し安心したように息を吐く。
「……疲れが、溜まっているのですね」
「多分な」
リネアが探るように聞く。
「それで……地上なの?」
「ああ」
「……理由は?」
俺は即答する。
「地上の飯が食いたい。あと、土の上で寝たい」
沈黙。
数秒後――
「……それだけか?」
リュカが半目になる。
「それ“だけ”で、さっきみたいな顔するか?」
「する」
俺は即答した。
「最近、空の上だと眠りが浅ぇ」
ネラが一言。
「嘘は言っていない……ようだが……」
「言ってねぇよ」
シアはまだ少し心配そうだが、深追いはしなかった。
「……分かりました、コール様がそこまで口を閉ざすなら。
ですが、無理はなさらないでください」
「無理はしねぇ」
正確には――
無理をする前に動く、だ。
「ほら、船に戻るぞ」
俺は歩き出す。
問い詰めは、そこで終わった。
―――――
船に戻ると、空気が切り替わる。
全員、自然に動き始めた。
それがいつもの流れだ。
シアとリュカは影と荷の固定。
リネアは医療と保存食の確認。
ネラは甲板と見張り台で警戒。
その時――
「こーるちゃ〜ん!」
草原の方から、やけに元気な声。
振り返ると、ミラがいた。
両腕で、クランダを抱えている。
後ろには、放心した顔の職人たち。
「……もう来たのか」
「はいっ! こーるちゃん急いでたみたいなので頑張っちゃいました〜。問題ないはずですよ〜!」
リュカが固まる。
「……は? さっきまで組んでたんじゃねぇのか!?」
「えへへぇ〜。早速試してみてください〜」
俺はクランダを受け取る。
空島の木雲樹を使っているからか、見た目以上にクランダは軽かった――だが背負うと“馴染む”。
「……よし」
甲板に立ち、息を整える。
リュカたちが、自然に距離を取った。
「コール様……?」
シアの声が、少しだけ強張る。
俺は返さない。
代わりに、影へ合図を出す。
空気が、変わった。
影が集まり、俺の背にまとわりつく。
黒い布のように、液体のように。
形を取りながら、意思を持った“何か”になっていく。
そして――
クランダが、変質した。
枠が黒く染まり、魔導回路の光が反転するように沈む。
羽だ。
背中から伸びるのは、鳥の翼じゃない。
悪魔の羽――そのほうが近い。
硬質で、禍々しい。
「…………えぇ?」
ミラが、口をぽかんと開けた。
「な、なにそれぇ……!?
クランダ、そんな風になるんですかぁ……!?」
リネアも息を呑み、ネラは目だけを細める。
「……一度だけ見たが、影が干渉しているのか……」
俺は一歩踏み込み、翼を打つ。
風が鳴る。
次の瞬間――俺の身体が、甲板から“抜けた”。
影の翼が、空を掴み、クランダが、俺を押し上げる。
――飛ぶ。
まっすぐ、空へ。
「ちょっ、こーるちゃん! 飛んだぁ!?」
「へえ〜……調子良さそうじゃん」
「ねぇねぇリュカちゃん! あれなぁに!?
私あんな能力仕込んでないんだけれど〜?!」
リュカが、呆れたように、でもどこか誇らしげに言う。
「あぁ、あれな……コールがマジのときに使う奥の手だ」
ミラが、慌ててリュカを見る。
「お、おくのて……?」
「魔法も効かねぇし、斬っても死なねぇ。
“影の化物モード”ってやつらしい」
「えぇ〜!? そんなのあるなら、あの時使ってくださいよぉ〜!」
ミラが頬を膨らませた。
「ナイルちゃんが……魔族に心臓打ち抜かれて死んだ時……!」
一瞬、甲板の空気が沈む。
シアが目を伏せ、リネアも、唇を噛んだ。
リュカは、言い返さない。
ただ、空を見上げた。
……その時。
風が“戻る音”を立てた。
影が降りてきて、甲板に影を落とす。
次の瞬間――
俺が着地する。
翼は、解けるように消え、クランダは元の形へ戻っていった。
「……バッチリだ」
俺は短く言って、クランダを軽く叩く。
「ありがとうな、ミラ」
ミラはまだ半分呆然としている。
「……え、い、今の……すごいけど〜」
半分文句有りげな顔だ。
俺は肩をすくめる。
「……あと、あん時は無理だ」
「えぇ〜?……あの高さで聞こえてたの?」
「記憶なくしてたんだから、使えるわけねぇだろ」
ミラが、ぐぬぬ……って顔になる。
「うぅ〜〜……そ、それは……そうですけどぉ……」
そこへ――
「お〜〜い!!」
甲板の向こうから、騒がしい声。
ハッリが走ってくる。
その後ろに、気まずそうに顔を伏せたファッロがついてきていた。
「旦那! 今の、旦那のクランダか!? すげーな!!」
俺は即答する。
「すげぇのはミラだ」
ミラが、照れたようにふにゃっと笑う。
「え? えへへぇ〜……」
ハッリはファッロの頭を軽く押して前に出す。
「こいつは……叱っときました!
……なぁ?」
「は、はい……」
ファッロが小さく頷く。
リュカが鼻で笑う。
「ま、いいじゃん。もうみんな知ってるし」
ファッロはさらに赤くなって縮こまった。
俺は空気を切り替えるように言う。
「悪いが、クランダもできた」
クランダを背負い直す。
「――今から出る」
ハッリの顔が引き締まる。
「……旦那、もう行くのか」
「ああ。とりあえずの準備は整った。コンパスも預けたし、グラナシルが……」
俺は一度四人の顔を見て言葉を止めた。
「まぁ、なんかありゃ教えろ、それだけだ」
ミラはまだ、さっきの翼の余韻を追いかけるみたいに空を見ている。
「……こーるちゃん……ほんとに……何者なんですかぁ……」
俺は答えない。
ただ、舵を握る方へ歩き出した。
――地上へ降りる準備が、始まる。




