第173話:風を待つ者
風が耳を裂くみてぇに鳴っていた。
空。島。断崖。全部が逆さまに回転していく。
(……あぁ、やっちまった)
体は落ちてるのに、頭だけは妙に冷静だった。
「こーるちゃぁぁぁん!!」
下の方からミラの悲鳴が突き抜けてくる。
視界の端で、ミラがなぜか受け止める気満々で
両腕を広げて飛び出そうとしていた。
(いや無理だろ……俺の体重、さすがに怪我するって……!)
あいつ、本気で受け止めるつもりなのが逆に怖ぇ。
俺は腰にある一本の剣に手を伸ばす。
柄に仕込まれた“引き金”に指をかけ――
カチン。
静かな音とともに、刃が前方へ“弾丸みたいに”打ち出された。
ギュルルルルッ!!
刃と繋がる鎖が勢いよく伸びる。
回転しながらでも、狙いは外さない。
(――そこだ)
崖の突き出た岩角に、
刃がガンッ!!と深々と刺さった。
その瞬間、鎖がピンと張り、
俺の体がぐいっと上へ引っ張られる。
「ッ……おおおっ!」
落下の勢いと逆方向の張力がぶつかり、
体が“弧を描くように”持ち上がる。
風が視界を切り裂き、
遠心力で指が痺れる。
でも離さねぇ。
鎖はしなる。
腕が軋む。
岩がわずかに欠ける。
それでも――
(……間に合ったな)
落下していたはずの景色が、ふっと止まった。
鎖の先の刃は岩にしがみつき、
俺は宙ぶらりんの姿勢で揺れながらも、しっかり止まっていた。
ーーーーー
下の方では。
「コールちゃあああん!!今助けに――」
「ミラ!危ねぇから行くな!!死ぬ!!」
リュカが全力で羽交い締めしていた。
「だ、だってぇぇぇ!!落ちて……落ちて……っ!?」
シアは胸に手を当てて震えている。
「まったく……本当に……」
リネアは目を閉じて祈るように息を吐いていた。
ネラは淡々と呟く。
「……あれは……予期していたな?」
ノッタだけは全力で叫んだ。
「コールぅぅぅぅ!!二度とファッロの横でボケやんないでよおおお!!」
ーーーーー
宙を揺れながら、俺は鎖を手繰る。
(さーて……戻るのめんどくせぇな)
鎖一本にぶら下がったまま、俺は微動だにしなかった。
岩角に刺さった刃はぎりぎり耐えて、
俺の体は風に揺れる。
下では――
「……え?動かない……おーい、コール?」
「コール様……?」
「ちょ、ちょっと!?なんで固まってんのよ!!」
なぜか俺が死んだ前提で騒ぎ始めた。
「おい……あれ……死んだか?」「まさか……でも動かねぇし、勢いあったから……」
ミラは耳を伏せて号泣寸前。
「こーるちゃぁぁぁぁん!!いやぁぁぁああ!!」
リュカは頭を抱えた。
「おいおいおいおい……気絶か!?あの化け物が!?」
シアなんか手を合わせて祈り始めてる。
「コール様……どうか……どうかご無事で……」
リネアは青ざめながらも目を閉じていた。
「……そんな、コール…………」
ネラは冷静に眉をひそめた。
「……いや、あの姿勢で“死ぬ”のは物理的に難しい」
(死ぬわけあるか!?)
ノッタは半泣きで怒鳴っていた。
「なんでそこで止まるのよぉぉぉ!!ファッロより心配させないでよーー!」
(悪いが、返答できねぇんだわ……)
俺は“風を待っていた”。
落ちた時の風の癖。
この場所特有の上昇気流。
さっきの突風の残り香。
耳を澄ませ、肌の感覚に集中する……。
(……来る)
空の匂いが変わる。
ほんの一瞬だけ、
上へ向かって“押し上げる風”が走る。
(――ここだ!)
俺はトリガーをもう一度引いた。
カシャンッ!!
刃が刺さったまま、
剣の柄の内部が唸りを上げる。
ギュルルルルルルルッ!!
鎖が一気に巻き取られ始め、
その勢いで俺の体は岩壁へ吸い寄せられ――
次の瞬間。
風が俺を下から殴り上げた。
「ッ……おおおっっしゃぁあああああああ!!」
上昇気流が全身を押し上げ、
巻き取られる鎖がさらに速度を乗せる。
弾かれた矢みてぇに――俺は上へ舞い上がった。
下の断崖、浮島、観客が一気に遠ざかる。
そして。
「え?」「え、ちょ……早ッ!?」「なんで上がってくの!?」
――ファッロの横を、俺は普通に追い越した。
「はああああああああ!?!?!?!?」
ファッロは半泣き半叫びで絶叫した。
上へと飛ぶ俺の後ろで、
ファッロの頭がぽかんと口を開ける。
下では観客が騒然。
「飛んでった!?」「どうなってんだ……!!」
「さすが船長!風読みだ!」「すげぇ……」
ミラは感極まって崩れ落ちた。
「こっ……こーるちゃぁぁぁん……!
……生きてたぁぁぁ……!!」
リュカはもう笑うしかない。
「ったく……めちゃくちゃすぎだろ……」
風の余韻がまだ体をくすぐる。
俺は上段の岩場に着地し、鎖を巻き取りながらふっと息を吐いた。
(……さて。ファッロは――)
見下ろすと、ファッロが小島の端に立っていた。
「ほう?……」
さっきまで慎重に進んでたガキとは思えねぇほど、
妙に静かな背中をしている。
下の観客たちは一瞬でざわついた。
「え?」「まさか……」「ファッロ、飛ぶ気じゃ……?」
ノッタの声が悲鳴に変わる。
「ファ、ファッロ!?アンタ何しようとしてんのよ!!
やめなさいよぉぉぉ!!」
シアは手を口に当てる。
「と、飛ぶ……んですか……?そんな……」
ミラは混乱して尻尾を膨らませている。
「だ、だめですってぇぇぇ!!」
リュカが叫んだ。
「ファッロ!!真似すんな!!死ぬぞ!!」
リネアは青ざめたまま首を振る。
「……やめて……お願い……早すぎる……」
ネラだけが低く呟く。
「……“焦り”はない、“決意”の顔。彼次第だな……」
だが、誰よりも焦ったのは――兄のハッリだった。
「ファッロ!!やめろ!!バカ!お前じゃ無理だ!!」
声が裂けるほど叫んでいた。
ーーーーー
なのに。
ファッロは、振り返らなかった。
ただ、小島の端で軽く膝を曲げ――
上を見た。
視線の先にいるのは、俺。
俺はと言えば、斜め上の岩場に腕を組んで立っていた。
(……来るか?)
ニヤけながらファッロの目を射抜く。
ファッロはギラギラした目を閉じない、ただ一点だけを見据えた……。
ファッロは深く息を吸い込んだ。
喉が一度だけ震え、迷いはなかった。
(……来るぞ)
下からノッタが叫ぶ。
「ファッローーー!!やめなさいよバカぁぁぁああ!!!
死んだら……死んだら許さないんだからぁぁぁ!!」
その叫びを、ファッロは……
笑った。
ほんの少し、照れくさそうに。
そして。
「――行くぜ!!」
踏み切った。
風が弾け、
少年の体が空へ飛び出す。
ーーーーー
「うぉおおおお!!」
コールの旦那みたく飛んだ瞬間、胸が熱くなった。
ノッタを振り向かせたくて。
兄に胸張りたくて。
ただ“あの船長みたいに”なりたくて。
単純で、真っすぐで、バカみたいで――
でも、それが一番強ぇ。
ーーーーー
(――来い。俺が受けてやる)
腕を組んだまま、俺は真正面からファッロを見据えた。
風が、少年の体を押し上げた。
ファッロは足場を蹴った勢いのまま、
空を“跳ぶ”より“走る”に近い軌道で飛び上がる。
下では悲鳴と歓声が入り混じっていた。
「ファッローーー!!」
「やめろバカぁぁぁ!!」
ノッタですら叫びながら拳を握っている。
飛ぶ軌道が――悪くない。
(風の流れ、読めてんじゃねぇか)
俺の場所までは距離がある。
だが、追い風がちょうどいい角度で抜けていく。
ファッロは体勢を低く丸め、
浮島の端へ片足を着地させた。
――が。
「う、うおっ!?!?」
足場がわずかに傾いていた。
少年の体が、後ろに倒れる。
(……ちっ)
考えるより先に、体が動いた。
俺は腕を伸ばし、
落ちかけのファッロの腕をがしっと掴む。
布越しに伝わる震え。
必死で押し返す力。
「お、お、おわああああああああッ!!」
「落ち着け。暴れんな」
俺は軽く引き寄せ、
ファッロの体を足元の岩へ戻す。
ファッロはへたり込みそうになりながらも、
なんとか立ったまま息を切らした。
「はっ……はっ……い、いけた……!?俺……いけた!?」
「まあ……“ギリ”だな。あと半歩で死んでた」
「ギリ!?……でも! つ、着いた……!俺……!」
ファッロの顔がぱぁっと明るくなる。
下から、爆発みてぇな歓声が上がった。
「うぉおおおおおおおお!!!」
「ファッロ!!やったぞ!!」
「ハッリの弟すげぇ!!!」「飛んだぞあいつ!!」
途中でまだ岩場をよじ登ってる他の挑戦者まで叫んでいる。
「おいマジかよ!?」
「やべぇ……俺らも負けてらんねぇ!」
「うぉおお!やるじゃねぇか!」
ノッタは涙目で大声を張り上げた。
「ファッローーー!!バカだけどサイッコーーー!!」
ハッリは腰を抜かしそうになりながら天を仰いだ。
「……死ぬ……俺が先に死ぬ……心臓もたねぇ……!」
ミラは耳も尻尾も全開で跳ねている。
「ふぁっろくん〜〜!!すごいですぅ〜〜!!」
リュカは笑いながら頭を抱えていた。
「……コールの影響力、悪い意味で強すぎるだろ……!」
シアは胸に手を当てながら涙をぬぐう。
「なんだか……ファッロ君の将来が不安になってきたような……」
リネアは祈るみたいに息を吐いた。
「……でも、これは……大きな成長……」
ネラは腕を組み、静かに頷く。
「“恐怖より、飛ぶ理由が勝った”……悪くない……」
ーーーーー
ファッロは、俺の腕を掴んだまま震えていたが――
やがて、笑った。
「……見てたか、旦那」
「おう。
――よくやったな、ファッロ」
少年は少し大人になった顔だった。




