第172話:運び手の朝
ーーー朝
空島の中心部はいつもよりにぎやかだった。
木で組まれた簡易な屋台、香ばしい匂いの漂う鍋、
子どもたちの歓声、年寄りたちの祈る声。
“運び手の儀式”は厳しい。
だが、空島の住民にとっては“成人の祝い”みたいなものでもある。
「なんだか……お祭りみたいですね」
シアが目を細めて周囲を見渡す。
「死ぬかもしれねぇ儀式なのに明るれぇよな、この島は」
リュカは串焼きを片手に、いつもの調子で笑った。
屋台の間を、ちょろちょろと走り回る影がひとつ。
「ファッローー!!どこ行ったのーー!?
逃げたら承知しないからねーー!!」
ノッタだ。
村長の娘で、ファッロの幼なじみ。
片手に串焼きを三本くらいまとめて持ったまま、
客をよけては全力で走り回っている。
(相変わらず元気だな、あいつ)
そんな騒がしさを横目に――俺は、軽装だった。
いつもの海賊族っぽい衣装ではなく、
動きやすい白シャツに黒のズボン。
腰には一本の剣。
空気を吸い込むと、朝の冷気が肺にしみた。
「兄貴ー!!旦那ぁー!!」
元気な声がして振り返ると、
ファッロが駆けてきた。
今日はいつもの子供っぽい服じゃない。
運び手の“正式装備”が身に着けられていた。
・軽い革の胸当て
・風を切らない短いケープ
・滑り止めのついた靴
・腰には一本の小型ナイフ
・そして背中には “返しの付いたロープ” が巻かれている
ロープの先端には、
岩や枝に引っ掛けるための三つ又の爪。
「お前……思ったより似合ってるじゃねぇか」
「だろ!?兄貴が昔つけてた装備と同じやつなんだ!」
そこへ、横から勢いよく飛びつく影。
「ファッロー! うわ、本当に着てる!
なんか……ちょっとだけカッコいいじゃん!」
「いってぇ!?ノ、ノッタ!? 肋にひっつくなって!」
ノッタはファッロの胸当てをぺしぺし叩きながらニヤニヤしている。
「ほら、これ外れないようにちゃんと締めなさいよね。
アンタが落ちたら、ブッ飛ばしに行くんだから」
「落ちてからじゃ遅ぇよ……」
ハッリが後ろから歩いてきて、弟の肩に手を置いた。
「やりすぎんなよ。調子乗ると死ぬからな」
「わ、分かってるよ……!」
だが、声は緊張で震えている。
儀式前の少年の顔だ。
「ファッロ、顔こわばってるー」
ノッタが頬を指でつつく。
「笑っときなさい、笑っときなさい。
“ビビってる顔”で出発したら、一生言われんだからね?」
「お前が一番言いそうなんだよな……!」
二人のやり取りを見ていたその瞬間……。
ふ、と胸の内側が揺れた。
(……笑っときなさい、か)
今じゃまるで遠い昔みたいだった……記憶の影が、すっと差し込む。
(…………いや、違ぇよ)
俺は一度だけ深く息を吸い、流れる風に紛れるように吐いた。
誰にも悟られないように。
自分に聞こえないふりをしていた痛みごと、押し込める。
ほんのわずか。
一瞬だけ。
視界の端でノッタとファッロが笑い合う光景が、
別の時間と重なったように見えた。
ハッリが横から覗き込む。
「旦那、どうかしたか?」
「……いや。なんでもねぇよ」
ーーーーー
断崖へ向かう道へ人々が流れ始める頃――
俺達のところにも何人かの若者が寄ってきた。
「ファッロ!がんばれよ!」「死ぬなよー!」
「お前飲み込みいいし、絶対いけるって!」
皆が声をかけていく。
「帰ってきたら酒おごってやるぞー!祝い酒だ!」
「ノッタ泣かすなよー!」
「泣かないし!! でもアンタが死んだら一番泣くのあたしだからね!!」
ノッタは胸をどん、と叩いた。
「だから生きて帰ってこーい!。
あたしの“自慢の幼なじみ”のままでいなさいよ!」
ファッロは照れたように笑いながらも、胸は張っている。
「……ああ。絶対帰る!」
それを見て、ハッリは小さく息を吐いた。
「……くそ、なんで俺の方が緊張してんだか」
「それが兄貴ってもんだろ」
「旦那は平然としてんなぁ……」
「こういう時は楽しんだもん勝ちなんだよ」
「……やっぱ旦那には敵わねぇ」
軽口を返しながらも、内心はしっかり構えていた。
今日は“見守るだけ”とはいえ、
俺が失敗すればファッロが落ちて死ぬ。
(軽装にしたのもそのためだ。すぐ動けるように)
ーーーーー
そこへ、影がひょいっと落ちた。
「おはようございまぁ〜す……」
ミラだ。
いつもの派手なテンションじゃなく、
昨日より少し控えめな声色。
服も工房用のエプロンではなく、
白のゆるいトップスと動きやすいズボン。
(……少し気を遣ってんだな)
ミラは俺を見ると、一瞬だけ目を泳がせて、
「こ、こーるちゃん……その……おはよう……ございます……」
「おう。昨日の図面、進んだか?」
「はい……まぁ……ぼちぼち……」
尻尾が控えめに揺れている。
“距離感を測ってる”ってやつだ。
(……変に意識させちまったな)
でも昨日とは逆で、
今回は俺が少し歩み寄る番だった。
「あとで見せろよ。お前の案、面白かったし」
「……っ」
ミラの耳がふにゃっと上がる。
「はいっ!喜んで〜……!」
(単純だな)
リュカが肘で突いた。
「おい、ちょっと嬉しそうじゃねぇか、あいつ」
「知らねぇよ……」
「素直じゃねぇな〜旦那ぁ〜」
ハッリも笑う。
「ったく」
その横でノッタがミラを見上げる。
「ミラ姉ちゃんも応援してくれるんでしょ?」
「もちろんですよぉ〜。
ファッロくんもこーるちゃんも……ぜぇったい帰ってきてもらいますからね〜」
やがて――
島の断崖に沿って作られた“階段状の岩場”へ、
人々が集まり始めた。
やはり風が強い。
(多分グラナシルも抑えてるんだろうが……こいつは自然の風だな)
上空には薄い雲が流れ、浮島が何層にも重なる。
その最上段――
今日俺達が登る島が見える。
「……あんな高いとこ、登るんだ……」
ファッロが改めて驚嘆していると……。
「登るんじゃねぇ。風に乗って進むんだ」
ハッリが言う。
「ロープは最後の保険だ。基本は岩、枝、風、全部“自分の勘”で使う」
「……す、すご……」
俺は気圧されたファッロの肩を軽く叩いた。
「準備、できてるか?」
「……あ、あぁ!」
震える拳を握りしめ、少年は前を向く。
横からノッタがにやりと笑う。
「ファッロ。帰ってきたら、
“あたしの幼なじみ、あそこ登ったんだぞ”って!、
千回くらい自慢するから!。
だから、生きて戻ってきなさい!」
「……あぁもう、わかったよ!俺、絶対帰ってくる!。
兄貴にも、旦那にも……かっこ悪いところ見せられないし!」
「見せてもいいぞ?死ななきゃ」
「やだよ!!」
周囲から笑いが起きる。
ノッタも「そうそう、死ななきゃなんでもいいのー!」と笑いながら背中を叩いた。
ーーーーしばらくして
長老が前に立ち、杖を掲げた。
「――運び手の儀。
これより、今年の挑戦者を送り出す」
ざわり、と空気が張り詰める。
風が、断崖を舐めるように吹き抜けた。
ファッロの喉が、ごくりと動く。
「行くぞ、ファッロ」
俺は横に並び、少年と同じ高さになるよう腰を落とす。
「お前の儀式を邪魔する気はねぇ。
ただし――俺は落ちねぇ。お前も落とさねぇ。……たぶんな?」
ファッロの目が見開かれる。
「……たぶんって?!」
すぐ横で、ノッタが腕を組んで叫ぶ。
「“たぶん”じゃなくて“ぜったい”って言いなさいよ、もう!!」
その瞬間――
ミラが小さく拳を握って、ぽそっとつぶやいた。
「……がんばれぇ〜……二人とも〜……」
声は優しい。
昨日よりずっと、自然だった。
「新たな運び手たちよ、ソラル石を持ち帰るのじゃ!」
長老の号令とともに、挑戦者たちは断崖へ散っていく。
ファッロは深く息を吸い、最初の岩場へ手をかける。
岩肌はむき出しで、
ところどころに外へ伸びた「ツタ」がゆらゆら揺れていた。
上からの風が強い。
それだけで手汗がにじむような高さだった。
「よ、よし……っ!」
ファッロは慎重に岩をつかみ、足をかけ、
ゆっくりと登り始めた。
他の挑戦者たちも同じだ。
・ツタを束にして手繰る
・岩の凹みに指を入れる
・足場を探す
・次の島にロープを投げ爪を引っ掛ける
・何度も強度を確認してから移動する
本来はこうやって進む儀式だ。
――だが。
「……さて、と」
しばらく下の方で皆と一緒にファッロ達が登るのを眺めていたが、そろそろ頃合いだろう……。
軽く腕を回したあと、
俺は助走をつけて断崖へ向かって跳んだ。
挑戦者たちがよじ登る岩場を、
ぴょん
ぴょん
ぴょん
と、段差を登るみたいに軽々と飛び越える。
ツタどころかロープすら使わない。
それを目撃した下の観客は――
「えっ……は、速っ!?」
「なんで跳んでんだアイツ!?」
「命知らずにもほどがあるだろ!?」
ざわつきがどよめきに変わる。
見守っていた仲間たちも反応は様々だった。
「こ、コール様……!危ないですから……!もっと普通にしてください……!」
「いや無理だろ……あいつ、ぜってぇ止めてもやるし。……にしても速すぎね?」
「コール……楽しんでる?……」
「……あれは、儀式破壊の動きだな……」
「こ、こーるちゃん!?かっこ……じゃなくて……あぶないですよぉ〜〜!?」
それぞれの声が下の方から聞こえてくるが、流石によそ見する余裕まではない。
俺の視界に、見知った姿が映り込む。
ファッロがロープを投げ、安全確認をして――
ようやく次へ移ろうとした、その時。
「よっと」
俺はすでに後ろにいた。
「ビビってんのか?」
「うわあああああああああ!?!?!?」
ファッロが素で叫んだ。
「だ、旦那!?なんでここに!?早すぎだろ!!」
「スタート遅らせてもこれだ。悪ぃ」
「悪ぃじゃないよ!!こっちは命がけなんだよ!!」
下からかすかにリュカが怒鳴る声が聞こえた。
「もっと常識的に登れ!!公開処刑みてぇになってんぞ!!」
シアも両手を胸の前で握りしめながら震える。
「コール様、お願いですから……落ちたら……私……」
リネアは深呼吸していた。
「……うん……大丈夫……コールなら落ちない……でも……でも……普通じゃない……」
ネラは目を細める。
「相変わらず“死を避ける動き”じゃなくて“死が届かない動き”だな……」
ミラだけは半泣き。
「こーるちゃ〜〜ん!落ちたら……嫌ですからねぇ……!?」
ファッロは気を取り直し、
岩から突き出たツタを束にして掴み、
足場のない場所を慎重に渡る。
兄のハッリゆずりの勘がある。
手や足の迷いがない。
爪付きロープを次の島へ投げる。
カンッ といい音がした。
「よし……!いくぞ……!」
「無理すんなよ。飛んだ瞬間の風、強いぞ」
「わ、わかってるって……!」
ファッロは歯を食いしばり、一歩ずつ前へ進む。
下の人々も息をのむ。
「おお……あれ、お前の登り方に似てるぞ」
「……落ちるなよ、ファッロ」
「今年は大勢いけるかもしれん」
「落ち着いてるじゃねぇかファッロ!」
ミラも両手を胸の前でぎゅっと握る。
「ふぁっろく〜ん……がんばれぇ〜〜……!」
俺はあえて距離をとる。
離れる――が。
すぐ追いつく。
(……くそ、スピード抑えるの難しいな)
俺が足を一歩踏むたびに岩が軽く鳴り、小島が動く。
あんまりとどまりすぎると逆に危ねぇんだよなぁ……。
ーーーーー
下ではリュカが髪をかきむしる。
「頼むから儀式“らしく”してくれぇぇぇぇ!!散歩じゃねぇぞ!!」
シアは涙目で手すりを握っている。
「コール様……怖いです……ほんとに……!」
リネアはそっと目を閉じ、
「大丈夫……大丈夫……これはコールの日常……」
と自分に言い聞かせている。
ネラは一言だけ。
「……あれはもう“儀式”じゃなくて“自然への挑戦”だ」
ミラは耳をピンと立てながら、
「こーるちゃん……すご……
でも……ちょっとだけ……ひゅんっ……てした……」
頬を赤くしていた。
ーーーーーそして
ファッロが次の島に向かうため、
ツタの束を渡っている時だった。
ゴウッ……!
上空から、不意に風が巻いた。
「うわっ!?!?」
ツタが一気にしなり、
ファッロの足が滑る。
ロープはまだ掛かっていない。
下の観客が悲鳴をあげる。
シアが叫んだ。
「ファッロくん!!」
ミラが耳を伏せて泣きそうになる。
「だ、だめぇええ!!」
リュカが身を乗り出す。
「ファッロ!!」
俺も思わず身構えた――が。
「あっ」
ファッロは叫びながらも、ツタの束に必死でしがみついた。
足は宙を切っている。
だが両腕は岩とツタをがっちり掴んで離さなかった。
腕にめきめきと音がしそうなほど力をこめ、
少年はなんとか体を引き寄せる。
「だ、大丈夫だッ!まだいける!!」
下から歓声が上がる。
「おおおっ!」
「持ちこたえた!」
「さすがハッリの弟だ!」
ノッタはその場で飛び跳ねていた。
「ファッローー!!そうよそれ!しがみつきなさい!!」
シアも胸に手を当てて、ほっと息を吐く。
「よ、よかった……」
ミラは耳をぴんと立て直して、
「ふぁっろく〜〜ん……えらいですぅ〜〜!!」
……と、その瞬間だった。
さっきの突風の“余波”が、少し遅れて下の方へ降りてきた。
「あっぶね……ん?」
「……ぁ」
ファッロの隣を見覚えのある人物が横を通り過ぎて下に落ちていった……。
「……え? えぇえええ!?」
「ぅわぁ〜〜〜〜ッ」
俺です……。
自分でもびっくりするくらい間抜けな声が出ていた。
「「「「「ええええええええええええ!?!?」」」」」
「コール様!?」
「お前が落ちるんかい!!」
ミラは耳を伏せて半泣きで叫んだ。
「こーるちゃぁぁぁん!?!?」
ノッタなんか、ほぼツッコミだ。
「ちょっとーーー!? 守る側が落ちてどうすんのよーーー!?」
風が耳元で吠える。
視界がぐるりと回り、
断崖と空と浮島がめちゃくちゃに混ざった。




