第171話:風が押す場所
ソラル石の場所の確認を終えて船に戻る頃には、
空島の空も少し赤く染まり始めていた。
ミラはというと――
工房の職人たちに完全に溶け込み、まだ何かの図面を囲んで盛り上がっていた。
(……楽しそうだな。まぁ作業が進むならいいか)
そう思って背を向けかけた瞬間だった。
「こーるちゃ〜ん!」
ミラが巨体でひょいっと立ち上がり、こちらへ駆けてくる。
「ちょ、走るな! 工房壊す気か!」
「壊しませんよぉ〜〜。ほらほら、夜ご飯一緒に行きましょ〜?」
その距離の詰め方があまりに近いので、
俺は反射的にミラの額を手で押して止める。
「おい近い! 顔寄せんなっての!」
「えぇ〜!? ちょっとくらい良いじゃないですかぁ〜!」
ミラは楽しそうに笑っていたが、
俺は胸に埋められる未来を予感して本能的に後ずさった。
「夜はリネアが準備してんだ! 邪魔すんなよ!」
「え……あ、はい……」
一瞬だけ、ミラが“ぴた”と動きを止めた。
まるで尾を踏まれた犬みたいに、耳がしゅんと下がる。
「……邪魔……ですか?」
「あ? 別に変な意味じゃ……」
「ううん、いいんですよぉ〜。
わたし、図面の続き見てますからぁ〜……ね?」
笑顔はそのままなのに、
声がひとつだけ沈んでいた。
その違和感に気づいたのは、
俺ではなく横にいたリュカだった。
俺のことを肘でこずく。
だがここで優しくしたら変に勘違いされそうだしなぁ……。
「じゃ……あとでな」
仕方なく、軽く手を上げるだけで船へ戻った。
ミラはその場で少しだけ、
尻尾の先をしゅん……と床に落としていたのが見えた。
ーーーーー
船の中では、リネアが大鍋を前に立っていた。
「おかえり、コール。今日は空島の野菜シチューだよ」
「おぉ、毎度助かるぜ」
リュカとシアも席に着き、
次の冒険の段取りや儀式の話をしながら食事が進む。
ただ。
リネアが時々ちらりと俺の後ろを見ている。
「……ミラさん、来ないね」
「ああ、工房にいたからな。夢中なんだろ」
俺が軽く答えると、
リネアの眉が、ほんのわずか沈む。
リュカとシアも同じ表情をしていた。
夕食はにぎやかに終わったが、
最後までミラは来なかった。
ーーーーー
夜風が静かに甲板を通り抜ける。
俺は剣を膝に置き、砥石を滑らせていた。
風の音と、金属の擦れる音だけが耳に残る。
そこへ――
足音もなく、そっと座る影がひとつ。
「……ねぇ、コール」
リネアだった。
「ん?」
剣を動かす手は止めず、視線だけ向ける。
リネアは膝を抱えて、
少しだけ夜空を見上げた。
「今日……ミラさん、ちょっと傷ついてたよ」
「……は?」
唐突な言葉に手が止まる。
「傷ついてたって……どこがだよ」
「“邪魔すんな”って言ったでしょ?」
「なんで知って……言葉のあやだ」
「そうかもしれない……でもね……」
リネアはゆっくりと俺を見る。
「ミラさんは……コールに嫌われたくないんだと思う……」
剣を置く音が、やけに大きく響いた。
「……は? なんでだよ。
あいつ、あんな調子なんだから気にするタイプじゃねぇだろ?」
「ううん……そう見えないけど、小さく刺さるんだよ……」
リネアは微笑む。
優しくて、だけど少し切ない笑顔だった。
「コール……気づいてないけど言葉が“真っすぐすぎる”時があるの……。
それ、慣れてない人が受け取ると……
“あ、嫌われちゃったかな”って感じるんだよ……」
「……マジかよ」
「うん。ミラさん……あなたの顔見てたって。
“あ、怒ってるかな?”みたいな目でって……。リュカが言ってたよ?」
(リネアに言ったのあいつか……)
胸の奥が、ちくりと刺さる。
「いや……別に怒ってねぇ」
「そう……怒ってない。
でもね?……そう“見えちゃった”ってこと……」
「…………」
リネアはそっと俺の肩に触れた。
「コール……“嫌いじゃない人”には、ちゃんと一言でいいから伝えてあげて……
それだけで救われる人もいるんだよ?……」
「……あいつが?」
「そう……ミラさんは、コールの言葉で帰ってくるよ?……」
俺はしばらく黙り、
剣の柄を軽く握る。
「……俺、なんか悪いことしたか?」
「ううん。悪いんじゃなくて……“ぶっきらぼう”なだけ」
「あ、あのなぁ〜」
「でも……たぶんそこが好きなんだよ?」
「誰がだよ」
リネアはくすっと笑った。
「ミラさんだよ」
風が、夜気を運んで甲板を抜けていった。
(……まぁ、だからって急に距離を縮める気はねぇけどな)
ミラは鍛冶師としての仲間だ。それ以上でも以下でもない。
そう心の中で区切りをつけながら、
俺は空島の灯りをじっと見つめた。
ーーー
リネアと別れ、ひとり風の中に残された。
(……ミラのやつ。まだ工房にいるのか?)
そう思って足を向けかけたが、
ふと――工房側から風が巻き上がった。
“ゴォ……”と低くうなる風が、
俺の周りを一周し、
背中を押すように別の方向へ流れる。
「……グラナシルか?」
返事はない。
だが、わかる。
“行け”と言っている。
俺はため息をつきながら、剣を腰に戻した。
「……ったく。爺さんはおせっかいなんだよ」
風がさらに強く吹き、
一本道のように俺の前だけが開けた。
(どんだけ押す気だよ……)
仕方なく、その示す方向へ歩き出す。
空島の端へ近づくにつれ、
虫の声も、集落の気配も薄れていく。
夜の風が、冷たい。
そして――
視界の先に、ひとつだけ大きな影が座っていた。
ミラだった。
島の断崖の縁ぎりぎりで、
膝を抱えてうずくまっている。
あの巨体が、小さく見えた。
近づくと、
風に混じってかすかな声が耳に届く。
「……ごめんなさい……」
雲の海の手前、断崖の端。
ミラは膝を抱えて、小さくうずくまっていた。
「……ぐす……ごめんなさい……わたし……また……」
「……おい」
そっと声をかける。
ミラはびくっと肩を震わせ、
振り向く目が少し赤かった。
「こ、こーるちゃん……?」
「こんな端で丸まるな。落ちたらどうすんだよ」
「……大丈夫ですよぉ……重いから……風で飛ばないですし……」
語尾が弱い。
いつもの“ふわふわ陽気なミラ”じゃない。
俺は隣に腰を下ろした。
「……今日のは俺が悪かった」
ミラの耳がぴく、とだけ動いた。
「……え……?」
「邪険にした。言い方がキツかった。
別にお前が悪いわけじゃねぇのに」
ミラは視線を落とす。
尻尾がしょんと重く垂れた。
「いいんです……やっぱり……そう聞こえちゃったんですねぇ……」
「聞こえたじゃなくて、言い方が悪かった。俺のな」
ミラはしばらく黙っていたが、
ぽつりと、小さくこぼした。
「……わたし……ずっと思ってたんですよぉ……
話し方とか……声とか……ちょっと変で……
“好き嫌い分かれる”って……昔から言われててぇ……」
声が震える。
「だから……今日も……また嫌われたのかなぁって……
あぁ……またやっちゃったぁ……って……」
「……ミラ」
「ほんとは……こーるちゃんと一緒にご飯食べたかったですけど……
無理に誘ったから迷惑かなぁって……
わたし……でっかいし……声もうるさいし……
近づくと嫌がられること、多かったから……」
ふにゃり、と笑おうとした顔が、涙でにじんだ。
ああ――
こういう悩みだったのか。
俺は静かに息を吐いた。
「ミラ。嫌ってねぇよ」
ミラの指がぴくっと動く。
「……でも……」
「でもじゃねぇ。
俺の言葉が刺さったのはわかる。だからごめんな……」
「……ほんとに……嫌いになってなぁい……?」
「ああ。それに……」
少し言いにくかったが、言うしかなかった。
「……お前、綺麗だし。
周りにどう思われるか気にしたんだよ…。
……言い訳じゃねぇけど、最近シアとリネアが気にしてる……そこはお前もわかるだろ?」
「……え……?」
耳が真っ赤になってた。
「だから距離置いた。
あたり強くなったのは……そのせいもある」
「こ、こーるちゃん……それ……
言うのずるいですよぉ……」
「なんでだよ」
「……“嫌われた”って思って泣いてたのに……
急に綺麗とか……そんなの……
私単純だからぁ…すぐ好きになっちゃうじゃないですかぁ……」
「おい、それは困る……てかそこだけ聞くなよ!?」
「知ってますよぉ〜……
仲間として……ですよねぇ……?
……たぶん……」
「ったく……その“たぶん”はやめろ」
「えへ……へ……」
ミラは涙を拭いながら、
少しだけ笑顔を取り戻した。
「……ありがとう、こーるちゃん。
わたし……ほんとに嫌われたのかと思って……
胸が……ぎゅぅぅ〜〜って……なって……」
「言わなくていい」
「言わせてくださいよぉ……
こーるちゃんにだけは……わかってほしいのでぇ……」
ああもう、めんどくさい。
でも悪い気はしないのがもっとめんどくさい。
「そろそろ戻るぞ。リネアが心配する」
「……うん。
隣……歩いてもいいですかぁ……?」
「当たり前だろ。仲間なんだから」
「……“仲間”……かぁ……へへ……
でも……それで十分うれしいです……」
「だからその含み笑いをやめろって」
ミラは目元をこすりながら立ち上がる。
尻尾はもう、ほぼ元気だった。
雲海の風がふわっと吹き、
二人の影を長く伸ばす。
「こーるちゃ〜ん、あんまり遠く歩くと、迷子になりますよぉ〜」
「誰がだ。お前こそ足元見えねぇから見失って迷子になるなよ」
「ひど〜〜い」
泣きはらした目なのに、
笑って船へ向かって歩いていった。




