第167話:客室工事、シアの緊急出動
草原に停め直したイルクアスターは、昼の光を浴びて静かに浮いていた。
その下で――俺は影に命じ、甲板の一部をズドンと切り抜かせていた。
木片が飛び、影がそれを運び出す。
もちろん突然の大工事に、船にいた連中は大騒ぎだ。
「……おいコール、なんでいきなり甲板ぶち抜いてんだ?」
腕を組んだリュカが、あきれ顔で見下ろしてくる。
「理由はある。後で説明する」
シアはシアで、胸の前で手をそっと重ねていた。
「こ、コール様……これは……なにか“儀式”でしょうか…?」
「儀式じゃねぇよ。新しい客室を作ってるだけだ」
「客室……?」
リネアが首をかしげ、甲板の穴をのぞき込む。
「誰か……来るの……?」
「まあな。でかいのが」
ネラは既に察しているようで穴の前に立ち、淡々と言った。
「なるほど、なら……大きさが、足りないぞ」
「やっぱりそうか?。お前ら、もう一段階いけ」
ガガガガッ……!
さらに木材が削れ、草原に木片が飛ぶ。
そのとき――
「コールちゃ〜〜ん……来ましたよぉ〜……!!」
のんびりした声が草原を渡ってくる。
振り返れば、巨大な荷物を片手で持ちながら、
ミラがゆっさりゆっさり歩いてくるところだった。
背中の道具袋はパンパンで、尻尾はぶんぶん振れている。
リュカが眉をしかめる。
「デカ!?……歩くたびに地面揺れてんぞ……」
シアは手を口元に当てて、ミラのどこかを見ていた……。
「す、すごい……迫力……」
ミラの影が船の影と重なるほど近づいたころ――
リネアがぽん、と手を胸の前で重ねた。
「……ミラさん……ひさしぶり……」
ミラは歩みを止め、ぱぁぁっと表情を明るくした。
「……あらぁ〜〜!リネアちゃ〜ん
元気してましたぁ〜〜?
今日も耳、かわいい〜〜!」
「う、うん……ありがとう……」
リネアが少し照れたように耳を伏せる。
ミラは“懐かしい近所のお姉さん”のようにリネアに手を振ったあと――
ふいっと俺へ体ごと向き直った。
尻尾がぶんぶん。
「来たわよ、コールちゃ〜ん♪」
「お、おう……」
その瞬間、背後から冷たい何かを感じた。
リュカの眉がぴくりと動き、気配が張り詰める。
「……は? コール?
なんで“ナイル”じゃないんだ? 知ってんのか?」
冷静に聞いているようで、ほんのり不機嫌。
シアは、にこにこしていた顔が――ギギ……と音がしそうなほど固まった。
「…………“ちゃん”…?
コ、コール様を……“ちゃん”……?
誰ですかこの方は……?」
耳がぴーんと立ち、尻尾は完全に警戒モード。
声も震えている。
ミラは二人の反応に気づかず、
「え〜? だってコールちゃんは、コールちゃんでしょう〜?」
と、悪気ゼロの笑顔。
リュカはため息を吐き、少しミラの感じを理解したらしい。
「……こいつ、前からこうだったのか?」
リネアが小さく頷く。
「うん……ミラさん……こういう人……」
シアは両手を胸に当てたまま俺を見る。
「コール様……っあの、その……えっと……
この方とは、どういうご関係で……?」
言葉は普段のように優しいが、目の奥が笑ってなかった。
俺は慌てて手を振った。
「いや違ぇよ!? ミラはただの鍛冶師だ! 前に世話になっただけ!」
ミラは首をかしげる。
「ただの鍛冶師って言われるとぉ、なんだか寂しいですねぇ?」
「誤解を招く言い方すんな!!」
ミラは皆の反応などお構いなしに、尻尾をふりふりしながら船へと近づき――
ふと、甲板の巨大な穴に気づいた。
「……あらぁ〜?
コールちゃん……これ、壊れちゃったんですかぁ?
修理なら手伝いますよ〜?
大工道具も全部持ってきましたし〜」
リュカが即座に突っ込む。
「いや修理どころか“破壊途中”だろこれ」
ミラは首を傾げ、さらに穴の縁を触って、観察し始めた。
「わぁ〜……こんな綺麗にくり抜くなんて……
すごい“破壊精度”ですねぇ……♡」
「褒めどころそこかよ!」
俺は額を押さえつつ、ミラに向き直った。
「違ぇよ。壊してるんじゃなくて……
お前の部屋、作ってんだよ」
「え? 私の?……」
ミラは一瞬固まり、ゆっくり俺を見る。
「ああ。甲板で野ざらしに寝かせるわけにいかねぇだろ。
狭くて悪いが、下に一室つくる」
ミラの耳が、ふにゃっと溶けた。
「………………こ、こーる……ちゃん……?」
尻尾が震える。
「だ、大切な……船なのに……わたしのために……?」
「まあ、部屋一つくらいどうってことねぇよ。
お前の荷物も多いだろうしな」
その瞬間。
ミラの鼻息が一段強くなった。
「~~~~ッ!! コ、コールちゃあああああん……!!!
う、うれしすぎて……む、無理〜〜……!!」
「ん!? 待て来るなッ!? 今はやめ――ッ!!!」
ドォォォォン!!!
案の定、3メートル級が全力で飛びついてきた。
俺の体はまた宙に浮き、ミラの胸に吸い込まれる。
「ぎゅ~~~~~~っっ!!!
うれしいぃぃ……!!
コールちゃん……わたしのために〜嬉しすぎぃ〜!」
「うぎゃああ! し!! 死ぬ! 息できねぇ!!」
ミラの巨体に埋もれ、視界が白と柔らかさで消える。
「ちょッ!? コール様!! 今すぐコール様を離しなさい!!!」
シアの声が、珍しく刺すように鋭かった。
――そして。
次の瞬間、風がひゅんッ、と切り裂く。
シアの背中から毛が逆立ち、骨格が一瞬でしなるように変形する。
――獣化。
銀の毛並みが光を受けて立ち上がり、
細い腕は狼の前肢のように伸び、鋭い爪がミラの腕へ食い込む。
「今すぐ……コール様を……離しなさい!!」
ミラはまだ気づかない。
「あらぁ〜? シアちゃ〜ん? どうしましたぁ〜?
わたし、今ちょっと幸せで手が離せな――」
「離せって言ってんでしょぉおがッ!!」
シアの筋肉が爆ぜる音がした。
ゴッ……!
狼の前脚に変わった腕が、ミラの抱きしめる腕をこじ開けるように押し広げる。
普通なら木材でもへし折れる威力だ。
だが。
ミラの腕は――微動だにしない。
「……え〜?」
「なんっ……て硬さ……!!
コール様を返しなさ……っ!!」
シアの全身が震える。
それほどの力を込めてなお――
ミラの腕は柔らかそうに見えるのに、まるで鋼鉄の締め具のようだ。
リュカが呆れたように言う。
「おいマジかよ……シアが本気で引っ張ってんのに、なんで開かねーんだよ……」
ネラも小さくつぶやく。
「……牛人の本気は、力の系統が違う。
だが、シアの獣化はすぐに限界を越える。止めるべきか……」
リネアはハラハラしながら見ている。
「シア……無茶しないで……!」
シアは牙を食いしばり、さらに力を込めた。
「うぅぅぅ……っ……!!
は、な……せぇぇぇ……!!」
ギギギッ!!!
突如、ミラの腕の角度がわずかに変わった。
「あら? なんか引っ張られてます〜?
あ、もしかして……」
ミラは無邪気に笑いながら――
腕の力を「少しだけ」ゆるめた。
その瞬間。
「今!!」
シアがミラの腕をこじ開け、
俺の体を一瞬で引き抜く。
ぬぽんッ!
「ぷはぁぁぁぁぁ!!!
し、死ぬかと思った……!!」
シアは狼の形のまま、俺を支えるように抱え込んだ。
「……コール様。
本当に……危ないところでした……」
目は潤んでいるが、牙はしっかり出ている。
怒っているのか心配なのか、両方だ。
俺は咳き込みながら苦笑した。
「た、助かった……サンキュ、シア……」
シアは耳を伏せ、ほんの少し頬を染める。
「……い、いえ……
コール様をお守りするのは……わたしの役目ですから……」
その横でミラは、無自覚にニコニコしつつ拍手。
「すご〜〜い! シアちゃん、力持ちですねぇ〜。
わたしの腕をこんなに広げられるなんて〜、びっくりです〜〜!」
「……………………」
シアは少しミラに敵意を向けるが、ミラはまったく気にしていない……。
というか……分かっていなかった。
離れて見ているリュカも腕を組んで目を細めている。
「……こりゃ、なかなか強敵だな」
だがミラは尻尾ふりふりで、どこ吹く風。
気にせずかがんでこちらを覗き込む。
「コールちゃ〜ん。
次はどこを壊すんですかぁ〜?
わたしも手伝いますよぉ〜~」
「だから壊してねぇって言ってんだろ!!
あと抱きつくな! まだ死ぬ気はねぇ!!」
「コール様になにかしたいなら、私を超えてからいきなさい…」
「えぇ〜〜? かわいい対抗心ですねぇ〜。
ごめんなさい…悪気は無いんですけど、“小さくて”可愛いものを見るとつい…」
シアの耳がピクッと跳ねた。
「……誰が、“小さい”んですか?」
低く落ちた声に、リュカが「お、おい」と一歩引く。
ミラはその圧にまったく気づかず、首をかしげた。
「え〜っと……コールちゃんと……シアちゃんと……リネアちゃんと〜……」
「シア、落ち着け! 今のは悪気ゼロだ!!」
「リネアまで巻き込まれてるのかよ……」
リネアが「え、わたしも……?」と耳をぺたんと倒し、
ネラはこめかみを押さえた。
「……会話の火種が多すぎる……
誰か、一度この場を“休戦”にしろ」
草原には、ため息とツッコミと、
ミラののんきな笑い声だけが、しばらく交互に響いていた。




