第156話:魂の補填
風が止まり、
白い空の中心に巨大な影が沈黙した。
ハッリの願いを聞いたグラナシルは、
わずかに瞳孔を細めて――
「……出来ぬ。」
その一言が、
船全体を底の方から震わせた。
「で、出来ねぇって……なんで……ッスか……?」
ハッリの声は乾いていた。
グラナシルはゆっくりと雲の体をうねらせながら告げる。
「この島は――
我の力では、もはや支えきれぬ。」
「……え?」
空気が冷えた。
「島を浮かせる力。
雲の底から上がる魔物を払い、
湖に水を生み、
運び手たちが空を渡るための風を整える。」
ひとつひとつの言葉が重い。
「千年の間に……守るものが増えすぎたのだ。」
リュカがごくりと喉を鳴らす。
シアが袖を握りしめ、
リネアは息を止めたまま固まっている。
「ゆえに――“補填”が必要となる。」
黄金の瞳が、
苦しげに、しかし隠さず正面から告げた。
「若き魂の、濁りなき力が。」
その言葉の重みに、
ハッリの体がびくりと震えた。
「そ、それって……魂を……喰ってるって事ッスか……?」
「違う。」
雲がひらりと揺れた。
「魂を奪うのではない。
魂が“自然に発している力”を、受け取るだけだ」
(……あぁ、やっぱそういう理屈か)
俺は眉間に手を当てながら聞く。
グラナシルは静かに続けた。
「人の魂が持つ力は……
人間自身が思っているより、はるかに強い。」
「強い……?」
「老いた魂は濁りが多く、力が弱い。
幼すぎる魂は未熟で量が少ない」
黄金の瞳がすっと細くなる。
「もっとも純粋で、もっとも強く輝くのは……
“若者の魂”だ」
シアが息を呑んだ。
「人間が知るよりも……魂って、そんな……」
「強いのか、ってか?」
俺がつぶやくと、
グラナシルがこちらにわずかに視線を寄こす。
「人の子よ。
魂がどれほどの力を持つか、お前は理解しているはずだ。」
俺は背後で沈黙しているシャドーズたちを見る。
(こいつらはただの船員じゃない、俺の分身…魂の一部)
アーリアから聞いたわけじゃない…だが、きっとコイツラは…、
俺の一部だ…。
(だから…”元に戻った”時におかしくなりそうになる…)
「はぁ…確かにな」
再びハッリへ視線を戻した。
「若き魂の“純粋な力”を受け取ることで、
我は一年間、この島々を守ることができる。」
「一年、って……そんなに……」
「そうだ。
魂の力は、時間が経てばまた溜まる。
だが――」
黄金の瞳に、うっすらとした影が差した。
「純粋ゆえに強すぎるその力は……
人から取りすぎれば、命が耐えられぬ。」
ハッリの目に涙が浮かぶ。
「……ノッタは……死ぬんだな……。
魂の力を……全部、持ってかれて……?」
「若き魂の力は強大ゆえ、負荷が大きい。
人の命は、魂より脆い。」
(……なるほどな。魂の“力”と“魂そのもの”は別。
だが受け渡しに身体がもたねぇ、って話か)
グラナシルは続けた。
「我も望んではいない。
ただ、我が力だけでは……
この空を支えるには足りぬのだ。」
それは千年を背負った存在の、
どうしようもない疲れの響きだった。
「皆が一部だけ差し出せば…なんてことができたらとっくにやってるよな」
「無論だ……。」
グラナシルは静かに首を垂れたように雲を沈めた。
「つまりこうだ。
お前の力だけじゃ支えきれねえ。
だから誰かの“魂の力”を毎年つぎ足して、
島を維持してきた。」
「……そうだ。」
「その“誰か”がノッタってわけか。」
ハッリが歯を噛みしめる音が聞こえた。
「グラナシル様……でしたら……」
「できねぇんスか……? 今年は……その……」
「――出来ぬ。」
黄金の瞳が、痛むように揺れた。
「今、力を失えば……
この島は三日と持たぬ。
そして…空しか知らぬお前達が、汚れた地上で生きるのはあまりにも酷だ…」
「それは、わからなくもねぇな…この島、
軍隊も戦争もありゃしねぇ…地上で生きられるかって聞かれたら…」
甲板が、静まり返った。
皆が息を呑み、
雲の海だけがざわ……と揺れる。
(さて、なら――)
俺は大きく肩を回した。
「――魂に頼らなくても支えられる仕組み、
作りゃいい話だろ。」
「……!」
全員がこちらを見る。
「旦那……?」
「こ、コール、それって……!」
「コール様、そんな方法……本当に……?」
「……あるの?」
俺は肩をすくめた。
「知らねぇよ、今思いついただけだ」
「おい!!」
「えぇ……」
「……いつもの、コール……」
仲間の苦情は無視して、
グラナシルへ視線を向ける。
「ただし――
この島を支えてる力の“何が足りねぇ”のか。
どこにどれだけ必要なのか。」
指を鳴らす。
「その中身さえわかりゃ、
代わりの手段が作れる可能性はある。」
白空がわずかに揺れた。
千年ものの竜が、
信じられないものを見る目で俺を見下ろす。
「……その言葉、
空の子でも、歴代の巫でも、誰も言わなかった。」
「そりゃそうだろ。
お前らは“魂を使うのが普通”と思ってる世界で生きてるんだからな。」
俺はにやりと笑った。
「けど俺は地上で生きて、空を渡る人間だ。
魔物の力も、魔術の仕組みも、
魂の扱いも、ぜーんぶ違う世界で見てきてる…
まぁ使ったことなんてほとんどねぇけどよ」
「…………」
「可能か不可能かは後で考える。
まずは――」
俺は手をひらひらと振った。
「島に戻るぞ。
ハッリが戻ったってだけで人は集まるだろ。」
ーーーーー
グラナシルが風をほどくと、
白雲がゆるく開き、風が穏やかに戻った。
イルクアスターは再び島の草原へ降りていく。
着地した瞬間――
「ハッリ!? 戻ってきたぞ!!」
「風が……さっきまで荒れてたのに……」
島の人たちが一斉に駆け集まった。
誰も武器など持たず、
不安と心配だけを抱えて。
(やっぱルミナの国と違う……
誰一人“仕方ない”からなんて顔してねぇ)
ハッリは深く息を吸い、
皆の前に立った。
「皆! 聞いてくれ!!」
街中のざわめきが静まり、
風の音だけが草を揺らした。
「……グラナシル様と話してきた」
ハッリは声を震わせながら続けた。
「島を支えるために……
魂の力が必要だってこと。
足りない分を……毎年、若い誰かが補ってたってこと。」
人々が苦しそうに目を伏せる。
ずっと知っていた“事実”を
改めて言葉にされる痛み。
「でも……
誰もノッタを犠牲にしたくなんてねぇ。
たぶん……ここにいる全員が、ずっと……そう思ってたんだ。」
ハッリは振り返る。
俺と目が合った。
「だから……聞いてほしい。
――代わりの方法を探す。
魂を差し出さずに島を守る、別の道を。」
皆が一斉にざわめいた。
「そんな方法が……!」
「でも……もしできるなら……」
「ノッタを助けられる……?」
(よし、やっぱりコイツらは最期まで助ける)
俺はゆっくりと前へ出た。
「俺がどうこうじゃねぇ。
必要なのは――お前ら全員の“意志”だ。」
息を吸い込む。
「魂を差し出す以外の方法を、
この島全員で考えなおすんだ。」
その瞬間――
長老が静かに前へ出てきた。
「……全島の評議を開く。」
空気がぴん、と張りつめる。
「“千年の掟”を一度、すべての上で問い直す。
……それが、この島に生きる者の務めだ。」
風が、静かに吹いた。




