第157話:出稼ぎと、幼き竜の名
湖のそばの広場に、島じゅうの人間が集まった。
老人も、若者も、子どもも。
“誰もノッタを失いたくない”――
その思いだけで全員が静まり返っている。
長老が杖を軽く鳴らす。
「――評議を始める。」
ざわ……と緊張が走った。
最初に声を上げたのは、若い母親だった。
「……だったら……だったら皆で分け合えば……!
魂の力を少しずつ差し出せば……ノッタ一人を犠牲にせずに……!」
すぐに別の男が頷く。
「そうだ……!
誰か一人じゃなく、島全員で負担を――」
その時、島の端。
雲の海が静かに揺れる。
――ゴォォ……
グラナシルの巨大な影がゆっくりと姿を現した。
「……出来ぬ。」
「グラナシル様……」「本当に……」「おぉ……」
突然の登場に人々は驚き、頭を下げるものもいる。
その声は広場の全員を震わせた。
「“分け合う”という考えは……既に何度も試みられた。」
「っ……!」
島の人々が息を呑んだ。
「だが魂の力は、均等ではない。
わずかに差し出すつもりでも、魂の“純度”を損なえば、
その者の命は二度と立ち上がれぬほど揺らぐ。結果……何も得られずに無に帰す」
静まり返る。
「若者の魂の力――
それは“量”ではなく、“質”なのだ。」
母親らしき人物がが唇を噛みしめて泣き崩れた。
(そんなに繊細なのか……分担はやっぱ無理か)
俺は腕を組む。
(魂を少し抜くって考え自体が間違ってる。
“純粋”じゃなきゃ意味がねぇんだ……)
長老が低く問う。
「……では、なぜ今まで我らにその事を語らなかったのですか?」
「語れば、お前たちは“自分を差し出す”と言い出す。」
空島の全員が息を止めた。
「我は……お前たちの“死に急ぐ姿”を……見とうない」
その言葉は、怒りでも強制でもなく――
ただの、深い深い疲労だった。
(こいつ……本気で島を守ってんだな)
俺の胸の奥に、ちりっと熱が走る。
だが――まだ引っかかる部分がある。
俺はグラナシルを指差す。
せっかくこうして面と向かったんだ……。
今一度、島の人達はグラナシルを知る必要がある。
「あえて聞く――なぜ“地上に行く”って選択肢を避けてきた?」
ざわっ。
島民たちがどよめく。
「地上は広い。
資源も、他の竜も、魔術も、文明もある。
頼れるもんはいくらでもあるだろ?」
グラナシルの雲の体が止まる。
黄金の瞳が細く、かすかに揺れる。
「……地上は――汚れている。」
「……」
俺が眉をひそめると、グラナシルは続けた。
「魂を喰らう魔物。
魂を取引し、売買する者たち。
魂を縛り、操り、兵に変える術。」
島民達の顔が恐怖で固まる。
「地上は……魂を“資源”と見る世界だ。
この空の民が、地上へ降りれば――
“純粋な魂の匂い”は、すぐに狙われる。」
その言葉に、俺の背中を冷たい汗がつたう。
(魂を狙う存在……奴隷商、盗賊、戦争、略奪……キリはねぇな)
リネアがそっとささやく。
「……だから、この島は……空に……」
グラナシルの瞳がわずかに伏せられた。
「守るために……空に逃れたのだ。」
島民たちは泣きながらうなずいていた。
誰一人、“地上へ行けばいい”とは言えない。
それほどに“危険性”を理解した。
(……確かに……こんな平和なところからいきなり、
魔物が巣食う場所に放おり出してみろ…目も当てられない)
俺は深く息を吸った。
「……“地上を避けた理由”はよく分かった。」
グラナシルが静かに頷く。
「では――どうするのだ、人の子よ。」
評議の視線がすべて俺に向く。
俺は一歩前へ出た。
「――だからこそ、“地上での出稼ぎ”だ。」
ざわざわっ!!!!
島が揺れた。
長老が瞠目し、
グラナシルまでもわずかに目を見開く。
「……地上へ……降りる……?」
「汚れてるんじゃ……危険では……?」
「でも……もし地上で力を得られるなら……!」
俺は手を上げて黙らせる。
「もちろん全員降りるわけじゃねぇ。そんな無謀なことはしない。」
島民たちが息を呑んで固まる。
「俺が“選抜隊”を作る。
戦い方すら知らねぇお前らに、戦争を教えるつもりはねぇ」
俺はにやりと笑った。
「だが――“何が何でも生き残る方法”なら、いくらでも教えられる。」
沈黙。
(これは……この島の性格に合ってるはずだ)
「地上に汚されず、魂を狙われず、
でも生き抜いて帰ってくる。
そんな最低限の力なら――教えてやれるさ。」
グラナシルの黄金の瞳が、わずかに揺れた。
「……それは……“魂”ではなく、“人の技”で……
この空を支える力を得るということか。」
「そうだよ」
俺は笑う。
「魂を削らずに済む方法なんて、
千年空だけ見てたらそりゃ思いつかねぇ」
広場の空気が少しずつ変わっていく。
「でも地上の世界は……
お前らが思うよりずっと、選択肢が多い。
……っま、危険も多いがな?」
風が吹いた。
グラナシルも、島の全員も息を呑む。
「――魂を差し出さない方法を選ぶんだ。
そのための力をつけて、地上で“取りに行く”」
長老がゆっくりと目を閉じた。
「……評議は、決を取るまでもない。
すでに皆……その道を望んでいる。」
人々が涙を拭きながらうなずいた。
グラナシルは静かに空を震わせた。
「……人の子よ。
その道が可能であるなら――
我も……“生贄”など二度と望まぬ。」
その言葉に、島全体が大きく息を吐いた。
ーーーーー
――湖の評議が終わると、
島は一気にざわめきだした。
「選抜隊……?」
「地上へ降りる者を募ると……!?」
「ハッリ、お前も行くのか!?」
「もちろんだ! ノッタを救えるのなら……!」
運び手たちが真っ先に集まり、
年長の者も、若い者も、
“自分が行く”と手を挙げ始める。
(やっぱりこうなるな……)
空島は元々“危険な下界へ荷を運ぶ者”が誇り。
地上へ行くというのは、彼らにとって“使命”に近い。
「焦るな。人数は俺が決める。
向こうでの立ち回りは、お前らが思ってるより厄介だ」
俺がそう言うと、
ハッリたちは慌てて背筋を伸ばした。
「は、はいッ!」
「じゃあ、それまでにある程度鍛えとけ、地上舐めたらマジで死ぬ。
そうなる前には、潔く俺がここで殺してやるからそのつもりでいろ」
ひとまず今日はこれで解散、次から本格的に動く。
人の波が動き出し、
島じゅうに“初めての未来”の空気が流れ始める。
――そんな中。
俺はふっと背を向け、島の端へ歩き出した。
草原の先から一段下――
そこだけ古い遺跡のように、
石柱が風で削られ、円形の広場が残っていた。
足を踏み入れた瞬間、
背後の雲がゆるく揺れた。
「……覚えているのか、人の子よ」
低い声。
振り返れば、
グラナシルの巨大な雲の体が、
広場を“囲む”ように降り立っていた。
「しらねぇよ、俺はここの生まれじゃねぇって……
あいつらにもここがなんなのか、聞いてねぇ」
「そうだろう。
今や、島の誰も知らぬ“始まりの場所”だ。」
風がゆるく、古い石を撫でていく。
「かつて……
この島が、まだ空へ上がりきっていない頃。」
「……」
「地上にいた“最初の民”と……
我が話し合った場所だ。」
その言葉の重さに、俺は息を止める。
(千年前……か…)
グラナシルはゆっくりと顔を近づけた。
「当時の地上は荒れ果て……
魂を奪う厄災が大地を燃やし尽くしていた」
黄金の瞳が、どこか遠くを見ている。
(……さっきまでの“守るやつの顔”じゃねぇな)
ほんの少しだけ、寂しそうに見えた。
「なぁ、グラナシル」
「なんだ、人の子よ」
「さっきから、その顔だ。
俺は、その顔を知ってる。……大事な何かを…置いてきちまった顔だよ」
グラナシルは、はっとしたように瞬きをした。
そして、諦めたように小さく息を吐く。
「……お前は本当に、無遠慮だな。
――だが、そういう者にしか話せぬこともある」
雲の体が、広場を囲むように低く沈む。
「この世界にはかつて、
“光”をもたらす女神アーリアと、
その対となる“闇”があった」
風が、ひゅう……と冷たく吹き抜ける。
「闇は形を持たぬ。
だが、その欠片を身に宿したものたちがいた。
人の世界では、こう呼ばれていたはずだ――“魔族”とな」
(……魔族)
「魔族の中でも、とりわけ厄介な存在がいた。
すべての魔を従え、世界を滅ぼし、闇に捧げようとした“王”」
黄金の瞳が、静かに細められる。
「――魔王だ」
空気が、ひときわ重くなる。
「魔王とその眷属たちは……
魂を闇に捧げることで、力を得ていた。
命を刈り取り、恐怖を喰らい、希望さえも“代価”に変えた」
俺は思わず舌打ちしたくなった。
(魂を資源扱い、か……。
こいつが地上を“汚れてる”って言った理由の半分はそれだな……
人間も同じようなもんだし)
「女神アーリアは、それに対抗した。
選ばれた人間――“勇者”と共に、光の力を振るい……」
グラナシルは、ほんの少しだけ声を和らげた。
「……その側に、幼い一頭の竜がいた」
「……幼い、竜?」
「ああ。
今よりずっと小さく、愚かで、臆病だった竜だ。
その名を――“クラナ”と言った」
(クラナ……)
「クラナは、二人とともに、世界を渡り、
人々の願いを運ぶ“ただの弱き竜”だった。
“彼女”に育てられ、勇者に守られ……
いつか自分も、世界を守れる存在になりたいと――
そんなことを、夢見るような子どもだった」
そこまで聞いて、ピンと来ないほど鈍くはない。
「……つまりお前、昔は“クラナ”って名前だったわけか」
「そうだ」
グラナシル――いや、かつてクラナだった竜は、
否定も照れ隠しもせず、ただ静かに認めた。




