第155話:千年の空に問われる名
――ギギギギギ……ッ!!
黒と白の渦がぶつかり合い、
空気も景色も上下左右がわからなくなるほど歪んでいく。
黒い竜巻の中心にいる俺の輪郭が、
ぶれた。
(……あ?)
指先――素の皮膚がのぞいた。
頬――一瞬だけ“普通の俺”の顔が出た。
影がまとわりつくように震え、
体表から“ズルッ”と剥がれかける。
(やっべ……限界か……!)
「おいおい……! 今じゃねぇだろおまえら!!
あとちょい……あとちょい押し込むだけで……ッ!」
黒い渦がわずかに“しぼむ”。
同時に、白い竜巻が――膨らんだ。
――バギィィィィィッ!!!
「ッおおおおおおッ!!?」
回転の中心を外された。
体が竜巻の外へ“もぎ取られる”。
白空がぐるんっと反転し、
俺は回転したまま――吹き飛ばされた。
視界はぐるぐる周り、方向を掴めない。
「くっそぉおお……!! まだ、だろ……ッ!」
視界に影が走る。
――イルクアスター。
白霧の中から現れた船体が、
俺の進路にジャストで飛び込んできた。
「コール!!!」
リュカの叫び声が聞こえた瞬間――
――ドンッ!!!!!!
「グハッ!?!?!?」
甲板が派手にひしゃげ、
全身が板をぶち抜く勢いで叩きつけられた。
「コール! 生きてっか?!」
「コール様!? 無事ですか!?」
「し、心臓止まるかと思った……」
リュカが真っ青な顔で舵を握りしめ、
シアとリネアが駆け寄ってくる。
影がズル……っと肩から剥がれ落ちた。
(……あー……限界だわコレ……)
「へへっ……おい……誰だよ……
俺を船で受け止めようなんて、命知らずな真似考えたのは……」
「……コールを助けるのは、当たり前」
リネアの声は震えているのに、
言葉だけは強かった。
「……バカかお前……
落ちてくる怪物を受け止めんなよ……死ぬぞ?」
「死なないって、知ってるから」
その言葉に、
影がほんの僅か、守るように動いた。
そのとき。
――グゥゥゥオオオオ……
白い雲の海が静まり返った。
グラナシルの黄金の瞳が細まり、
ゆっくりとこちらを“観察する”ように動く。
次の瞬間。
――「……人の子よ」
空気そのものが喋った。
声というより、
“風”が直に喉へ入り込んで語りかけてくるような響き。
「……ッ……しゃ、喋った……!?」
「りゅ、龍が……」
「……大っきい……」
「…今は、敵意がないか…」
リュカもシアもリネアとネラも、
声を震わせている。
(マジかよ……普通に喋れんのかよお前……)
グラナシルは、
俺たちの驚きをあざ笑うように
ゆるく雲の体を蠢かせた。
「問いに答えよ。
――何者だ、お前は」
体の奥に直接響く声だった。
「地上の人間が……空を越えるなどあり得ぬ。
その身ひとつでこの高さを渡るなど……なおさらだ」
(そこが疑問なわけか……)
さらに風がざわりと揺れる。
「それだけではない。
……お前からは、懐かしき“彼女”の匂いがする」
(彼女?……まさか)
胸の奥が一瞬止まる。
だが周りの三人は、
“彼女”が誰かすら分かっていない顔だった。
当然だ。
アーリアの事なんて、そうそう出てこないだろう。
俺はただでさえこの島に来てから、
ソラル石や、船と同じ素材の木……
いろんなつながりを感じている。
グラナシルは続ける。
「我は千年以上この空の民を守り……
“彼女”が地を歩いた時代を知る者だ」
(千年前!?……アーリアが過ごした時代……?)
黄金の瞳が、
今度は完全に“俺だけ”を見据える。
「なぜその加護の匂いを纏い、
なぜ人の身で我が領域へ踏み込んだ?」
空が震え、
雲がうねり、
帆がびり……と震える。
問いは、ひとつ。
「答えよ、人の子。
お前は……何者だ?」
白い沈黙。
俺はゆっくり体を起こし、
影が剥がれた肩を押し戻すようにして立ち上がった。
「……俺は“コール”だよ」
黄金の瞳がわずかに細まる。
「見ての通り――空を飛ぶこの船で旅してる、ただの人間だ」
次の瞬間、俺の表情がひきつりながら歪んだ。
「つーかよ……!」
甲板に響くように声を張り上げる。
「お前……喋れるなら最初から言え!!
無言で噛みついてくんな!!
死ぬかと思っただろうが!!」
「こ、コール……!」
「今それですか!?」
「コール…らしい……」
「はぁ……」
仲間たちが呆れと安堵の混じった声を漏らす。
だがグラナシルは――
怒るでも、咆哮するでもなく。
雲の体をゆるりと動かしながら、
まるで喉の奥で笑ったように“風”を震わせた。
「……お前のような無礼な人間は、久しいな……」
「そりゃどうも!!」
俺は息を吸う。
「今度はこっちの疑問に答えてもらうぞ」
風が止まる。
黄金の瞳が、俺ひとりに焦点を合わせる。
「――なぜ最初から喋らなかった。
俺が来た時の嵐とか、全部“歓迎”にしちゃ荒っぽすぎるだろ?」
グラナシルの影がわずかに揺れた。
「……我は、お前が“敵か”どうか測っていた。
その力も、その心も」
「力比べが挨拶ってか?
乱暴すぎるだろ、千年生きてんだから加減覚えろよ!」
「学ぶ気はない」
「開き直るな!!」
風が小さく震え、
まるで雲そのものが笑ったようだった。
「しかし――理解はした」
グラナシルの瞳が細く光る。
「お前は倒しても引かぬ。
追い出しても戻る。
……実に、面倒な人間だ」
「余計なお世話じゃ!」
仲間が一斉にうなずいた。
「確かにめんどくさい」
「めんどくさい部分も確かに……」
「……うん、わかる……かも?」
「……まともな男では、ないな」
「お前らうるせぇ!!」
俺が怒鳴ると、
グラナシルの黄金の瞳がひときわ強く光った。
「だが――面倒な人間ほど、奴に似ている」
(……奴?……彼女じゃなく?)
「ゆえに問う、コール。
お前が求めるものを言え。
我はそれを聞き取るために、言葉を使っている」
風の声が沈んだ瞬間。
俺は無言で横に手を伸ばし――
「――俺はただの手伝いだよ」
ぽん、と背中を叩いた。
「用があんのはコイツだ。
はい、どうぞ。ほれ!」
「はぁあああああ!!?
だ、だだ旦那ァ!? お、おれぇ!?
なんで!? なんで俺!?」
ハッリが甲板で派手にすっ転ぶ。
「助けるって言ったろ?
ここまで空の底から連れてきて、“手伝い”は十分した。
――あとは、お前の番だ」
俺がにやりと笑うと、
ハッリは顔面蒼白のまま、唇だけをぎゅっと噛んだ。
それでも、一歩。
ギシ、と甲板を鳴らして前へ出る。
「……グ、グラナシル様」
普段の軽口からは考えられないほど、
低く、震えた声だった。
黄金の瞳が、ギョロリとハッリひとりを射抜く。
「……その声。
空の民か。――名を言え」
「お、俺は……ハッリ。
この島の……運び手です。
長老の家に、ガキの頃から世話になってきた、
ただの……空の子です」
ハッリの喉が、ごくりと鳴る。
それでも下を向かないように、
必死で顎を上げていた。
「……お前が、我が島の民でありながら
“外の者”を島へ導いたな?」
風が、かすかに低く唸る。
「掟を知っていながら、だ」
「……はい」
ハッリは拳を握りしめた。
「グラナシル様の、お力がなきゃ……
島が落ちるのも、水が尽きるのも分かってます。
毎年の“捧げもの”が、島を生かしてきたことも……
頭じゃ、分かってるんです」
その言葉に、甲板の空気が少し重くなった。
リネアが息を呑み、
シアがそっと胸元を押さえる。
リュカは耳を伏せながら、
それでも目だけは逸らさない。
「……だけど」
ハッリの声が、そこで一度ひび割れた。
「今年、差し出されるのは……
長老の娘のノッタです。
血は繋がってねぇですけど……
俺にとっちゃ、妹みてぇなもんで……」
言葉を掴むみたいに、
胸元をわしづかみにする。
「“仕方ねぇ”って言って、
黙って笑って見送るなんて――
……そんなの、俺には、できねぇッス」
黄金の瞳が、わずかに細まった。
風の流れが変わる。
責めるようでも、嘲るようでもない。
ただ、千年分の重さで見下ろしている目だった。
「ゆえに――何を求める」
短く、低い問い。
ハッリは一度、目をぎゅっと閉じ、
開いた時には、もう震えだけではない光が宿っていた。
「ノッタを……“生贄”から外してほしいッス」
はっきりと言った。
「今年だけじゃなくて、できるなら――
もう誰も、落とさないで済むようにしたい。
……勝手な願いだってのは、分かってます。
島の皆の命を預かってるのが、
グラナシル様だってことも……分かってます」
それでも、とハッリは続けた。
「それでも……
“妹を殺す島”を、
俺は、このまま当たり前みてぇな顔して歩けねぇ」
沈黙。
風だけが、甲板の上をゆっくりと撫でていく。
(……言ったな、ハッリ)
俺は横顔を見ながら、鼻で笑う。
(そういう“勝手”を通すから、
人間はいつまで経っても面倒くさい生き物なんだ……
俺は好きだぜ)
グラナシルの黄金の瞳が、
ハッリから一瞬だけ俺に流れ、
再び空島の青年へと戻る。
「……空の子が、掟を噛み砕いてまで願うか」
風の圧が、
すこしだけ緩んだように感じた。




