第128話:駄々っ子の牙
怪物が地を抉る勢いで突っ込んできた、その刹那――
空気を裂く轟音が夜空を叩いた。
ドォォォンッ!!!
イルクアスターの側面、残された“たった一本”の大砲が火を噴いた。
砲弾は月光を引き裂き、一直線に多脚の化け物へと吸い込まれる。
命中。
爆炎が怪物の胴を砕き、巨体が草原に叩きつけられた。
ウッドエルフもどきの仮面の“顔”がいくつも砕け、黒い蒸気が四方に散る。
「……やったか!?」
「いや、まだだ!!」
地面が不気味にうねった。
六本の脚が土を掴み、ずるり、と持ち上がる。
化け物は…一撃食らった程度じゃ止まらなかった。
レピリアはというと、砲撃の寸前にひらりと跳び降りていた。
黒い傘を軽く回しながら、砂埃ひとつかぶっていない。
「ひどーい。わたしの“お気に入り”を邪魔するなんて」
ふくれっ面は子供らしい。
だが、声の底は氷みたいに冷えていた。
「――死んじゃえ」
その小さな指が、ふいにイルクアスターを指した。
化け物の身体が、ぎょろりと船の方向へ向く。
ウッドエルフの仮面が一斉に“そっち”を見て、口が裂けた。
「まずい!! 船を狙ってる!!」
叫びの直後。
イルクアスターの甲板から、闇がゆらりと湧き上がった。
黒い影が人の形を取る――
イルクアスターの無言の船員、影の兵たちが姿を現した。
甲板、舷側、帆柱の影から次々と湧き出し、
怪物に向かって一斉に飛びかかった。
――だが。
化け物が脚を振るった瞬間、
シャドーズはまるで紙人形みてぇに吹き飛ばされた。
メキッ。
ひとりが踏み潰され、黒い霧になって弾ける。
ズバッ。
別の一体が甲殻の棘に貫かれ、霧散する。
……だが、死なない。
霧はすぐに一箇所へ収束し、また黒い影の形に戻る。
再び飛びかかり、また踏み潰される。
「……シャドーズが……押されてる……!」
シアの声が震えていた。
不死身のはずのシャドーズが、
復活するたびに“薄く”なっていく。
輪郭がぼやけ、影の色が灰色に濁り、
まるで存在そのものが擦り減っているようだった。
(……魔力が……尽きかけてる……?)
何故かそれを理解し、胸が冷たくなる。
シャドーズも、イルクアスターも――
本来なら「不滅」であるはずの存在……それが……。
(俺はなんでそんな事……知ってる……?)
「やめてって言ってるのに……」
レピリアの声が、草原に冷たく響く。
「わたしの邪魔、しないでよ?」
化け物が吠え、
シャドーズの群れがさらに蹴散らされる。
黒い霧が、夜の空気に溶けるように消えて――
復活の速度すら遅れはじめていた。
オルデアの空気が、一気に凍りつく。
(まずい……シャドーズも……イルクアスターも……落ちる……!!)
考えるより先に、身体が動いた。
「ナイル!?」
誰かの声が聞こえたが、もう遅い。
俺は防壁から飛び降り、
草原へ着地すると同時に銃を抜き、
怪物に向かって走っていた。
黒い甲殻の化け物がこちらへ向き直る。
節の間に並ぶ“仮面”の顔が、ぞっとするほど一斉に俺を見た。
「――ッ!!」
撃つ。撃つ。撃つ。
銃声が夜を裂き、黒い蒸気が噴き上がる。
(効いてねぇ……けど――いい!)
狙いは怪物の注意だ。
ウッドエルフの仮面がギギギと鳴り、
化け物の全身が俺へ向き直る。
六本の脚が大地を抉り、振りかぶられた。
月光に照らされたその巨脚が、
まるで鉄柱みてぇに俺の頭上に影を落とした。
(――まずいッ!!)
「ふふ……あはは!!!
死んじゃえ、死んじゃえ~~!!」
レピリアの無邪気な歓声が夜に響く。
脚が落ちる。
避けられない。
死んだ、と確信したその瞬間――
「つかまれッ!!」
腕を乱暴に引っ張られた。
「――ッ!!?」
視界が跳ね、世界がぐらりと傾く。
俺の身体はいつの間にか、
ケントールの広い背中に引き上げられていた。
「キリサ……!!」
「声は後でいい! 落ちるな!!」
キリサは獣の咆哮みたいな息を吐き、
蹄で大地を蹴り上げながら全速力で走り出した。
背中の俺はしがみつくのが精一杯。
振り返れば、怪物が大地を割りながら迫ってくる。
六本の脚が槍のように土を刺し、
その度に草原が跳ね上がる。
「くそっ……速すぎる……!!」
「足に自身はある!! だが限度があるぞ、ナイル!!」
キリサの声が震えている。
それだけ、あの怪物は常軌を逸していた。
レピリアは化け物の背の凹みに再び腰掛け、
楽しそうに足を揺らしていた。
「すっごーい!
ほんとに逃げ足だけは速いんだねぇケントールさん!」
その声は、残酷なほど明るい。
「でもねぇ?
逃げるのって、追うより疲れちゃうんだよ?」
化け物の脚がさらに速度を増した。
夜風が刃みたいに頬を切りつけ、
怪物の咆哮が背中に迫る。
キリサの体が震え始める。
「ナイル……!
来るぞ……!」
(このままじゃ……追いつかれる……!
キリサごと押し潰される!!)
背後で、地面が爆ぜた。
六本の脚が跳躍し、
化け物がこちらへ向かって飛びかかる――
距離はもう、目と鼻の先。
(振り切れねぇ――!!)
化け物の六本の脚が跳び上がる。
その影が俺とキリサを丸ごと呑み込もうと落ちてくる。
(終わった――!!)
その瞬間。
「――どけェッ!!」
地面を割るような怒号が夜を裂いた。
ドガァッ!!
突風みてぇな衝撃が俺たちの横を通り抜ける。
次の瞬間、
怪物の巨脚が“止まった”。
――否、止められていた。
バルグだった。
熊の巨体が、信じられねぇほどの勢いで突っ込み、
六本のうちの一本――一番太い前脚を両腕で抱え込んでいた。
「ググッ……ァアアア……!!」
腕の筋が浮き上がり、背中が盛り上がり、
地面に爪がめり込む。
怪物の脚がバルグごとズズッと引きずられる。
だが、バルグは離さない。
「バルグ……なにを!!」
キリサが絶叫する。
「隊長を死なせねぇって……
決まってんだろうがァ!!」
バルグの咆哮が夜空を震わせた。
化け物が脚を振り上げようとすると、
バルグは反対側の脚に回り込み、また押しとどめる。
「今だァァァァ!!
テメェら!! 撃てる奴は撃てぇ!!
投げられるやつは投げろ!!
それができねぇなら――」
バルグは首を反り、夜空に吠えた。
「ミラァァァァァァァァ!!!!
ぶっ壊せェェェェェェッ!!」
「はぁぁ~~~い」
ドッドッド……っと重い足音が響く。
そしてそれとは真逆の、のんびり声が響く。
――ミラが笑顔で現れた。
投石機はもう弾切れ。
石も、丸太も、もう何も残ってねぇ。
だがミラの手に握られていたのは――
丸太みたいに太い、鉄塊のハンマー。
握っただけで地面が沈むほどの質量。
普通の戦士なら持ち上げることすら無理な武器。
ミラはその巨大ハンマーをひょいっと肩に担ぎ、
怪物の脚の下に滑り込む。
「バルグさん、手、放さないでね~?」
「誰が放すかァ!!」
「じゃ、いっくよぉ~~!」
ミラが息を吸い――
大地が裂ける一撃を叩き込んだ。
ドッッッッッッッッ!!!!!!
衝撃が草原を走り、
地面が波みたいに盛り上がる。
怪物の脚の節が――砕けた。
甲殻が割れ、黒い蒸気が噴き上がり、
内部のねじれた筋がぷつりと切断される。
“ウッドエルフの仮面”の顔が、
一斉に悲鳴のように歪んだ。
レピリアの笑顔が凍りつく。
「なに……!!」
ミラはにこにこしながら、
ハンマーをもう一度肩に担いだ。
「足、一本だけじゃすぐ治っちゃうから……」
ぺたぺた、とハンマーを叩く。
「“全部”砕かないとね~♡」
「やめなさい、それ……っ!」
レピリアが日傘を開き、黒い霧を溢れさせる。
だが――遅い。
「バルグさん、次!!」
「おうよォォォォ!!」
熊の巨体が化け物を押さえ込み、
ミラの巨ハンマーが唸りを上げる。
ドガァン!
バキィッ!
メキィィ!!!
怪物の脚が一本、また一本と砕かれ、
化け物は崩れ落ちながら地を引きずる。
レピリアは歯を噛みしめ、
まるで癇癪を起こした子供みたいに叫んだ。
「やめて!! やめてよ!
わたしの……わたしの怪物なのに……!!」
ミラは笑顔のまま言う。
「ごめんね~、
ナイルちゃんを狙った罰だよ♡」
化け物が絶叫し、黒い蒸気が大地に溢れた。
ナイルとキリサはすでに距離を取り、
いつでも飛び込める体勢に戻っていた。
バルグの咆哮がもう一度夜に響く。
「ミラァ!!
とどめだァァァァァァ!!!!」
ミラの巨ハンマーが、振りかぶられる。
(これで――)
とどめを叩き込むはずだった、その瞬間。
空気が、ねじれた。
ミラの足元から、真っ黒な霧が噴き上がる。
「――ッ!?」
バルグが目を見開く。
黒霧の中から、レピリアの細い腕が伸びた。
次の瞬間――
ザシュッ!!
赤い線が、夜の中にいくつも走った。
「が、ハッ……!」
バルグの胸、肩、腹に斜めの爪痕が走る。
分厚い毛皮も筋肉も、紙みてぇに裂けた。
血飛沫が夜気に散り、
バルグの巨体が後ろへ吹き飛ぶ。
「バルグ!!」
キリサの叫びが裏返った。
バルグは数度転がり、
土を抉ってようやく止まる。
まだ息はある。
だが腕がぶらりと下がり、
さっきまで怪物の脚を押さえていた力は、完全に抜けていた。
解放された多脚の怪物が、ぐらりと身を起こす。
ミラのハンマーは空を切り、
巨体のすぐ脇に叩きつけられ、地面だけを砕いた。
「バルグさんっ……!!」
ミラが顔を上げる。
そこに立っていた“それ”を見て――笑顔が消えた。
レピリア、だった“もの”。
さっきまでのフリルとレースのゴスロリドレスは、ぼろぼろに裂け、
その下から、黒い紋様がびっしりと走る肌がのぞいていた。
背中からは、細い骨のような突起がいくつも伸び、
髪の間からは小さな角が覗く。
指先の爪は、さっきよりもはるかに長く、鋭く伸びていた。
まるで黒曜石を削り出した刃。
口元からは、子供とは思えない長さの牙が覗き、
瞳は淡い紫から、深い闇色へと沈んでいる。
それでも――表情だけは、子供のままだった。
ひどく機嫌が悪そうな、
“駄々っ子”の顔。
「ああぁぁぁあああああああ!!!」
レピリアが喉を裂くように叫んだ。
「もうぅおおおお!!!
この姿、嫌いなのに……!」
牙を剥き、黒い霧を吐きながら、
ギロリとミラとバルグを睨みつける。
「――許さない」
その一言が、地面より重く落ちた。
レピリアの足が、ふっと消えたと思った瞬間――
キンッ!!
鋭い金属音が響いた。
ミラの真正面にレピリアが立っていた。
伸びた爪と、ミラのハンマーの“柄”が、
火花を散らしてぶつかり合っている。
「っ……!!」
ミラの足元の地面が、めり込む。
「へぇ……」
レピリアが笑う。
「受け止めたんだ。
お姉さん、力だけはあるんだね」
「バルグさん、いじめたからね……」
ミラの額に汗が滲む。
「ちょ〜っとだけ、ムカついてるよ~」
「でもね――」
レピリアの耳がぴくりと動いた。
横から、多脚の怪物が脚を振り抜く。
「っ!?」
ミラがそちらを見たときには、もう遅かった。
ドゴォッ!!
巨大な脚がミラの脇腹を捉えた。
鉄塊のハンマーごと吹き飛ばされ、
ミラの体が地面を何度も跳ね、
遠くの岩に叩きつけられる。
「ミラァァァ!!」
俺の喉から声が出た。
砂煙の向こうで、
ミラはぐらぐらしながらも起き上がろうとする。
それでもハンマーは、まだ手放していなかった。
レピリアは、がりがりと牙を鳴らしながら息を吐く。
「……やっぱりこの姿、動きやすいけど……気持ち悪い……」
爪を見下ろし、
心底うんざりしたように顔をしかめた。
「だからねぇ?」
ゆっくりとこちらへ顔を上げる。
「“すぐ終わらせる”って決めてるの」
黒い霧が、レピリアの足元から静かに立ち上る。




