第125話:投石機さん
防壁の上。
冷たい風が草原をなでていく。
石の縁に立つと、足元からもじわりと冷えが這い上がってくる。
俺は西の森をじっと見据えていた。
草原まで姿は見せない。
だが――まだ“いる”。
森の奥で、黒い影が蠢くのがわかる。
枝の揺れ方、鳥の飛び立ち方、風の流れ。
全部が“何か大きいもの”の呼吸に引きずられている。
引き返したように見えて、あれは引いてねぇ。
(……待ってるんだ。次の号令を)
額にうっすら浮かんだ汗が、風で冷やされて気持ち悪い。
背筋をつたうのは、疲れじゃない。
もっと底のほう――本能が鳴らしてる警鐘だ。
その時、背後からのそりと重い足音が近づいてきた。
「うんしょ……よいしょ……っと」
のんびりした声。
この空気にまるで似合わない、いつもどおりの間延びした響き。
振り返ると、牛人のミラが巨大な荷物を抱えて立っていた。
身長“2メートル後半”。
肩幅も俺の倍。
近くで見ると、筋肉の筋までわかるのに――表情だけは、ふんわりしている。
「ミラ? 何だそれ?」
ミラはニコッと笑って答えた。
「うふふ。これはですねぇ〜?
ちょっとした遊び道具……じゃなくて、試作兵器だよ~」
「遊び道具って言いかけたよな今」
「気のせい気のせい♪」
肩で笑いながら、ミラは防壁の端に“謎の木枠”を置いた。
ぎこちない形の木材、滑車と板バネと太い縄。
分解した荷車みたいだが……その雑さのわりに、妙に重そうだ。
(嫌な予感しかしねぇ……)
「ここに、石を置いて……」
ミラが丸い岩をセットする。
防壁の石より少し大きい、きっちり詰まった岩だ。
「ちょ、待て、お前――」
「じゃ、いくねぇ~?」
ミラはハンマーを肩に担ぎ、
そのままふんわりした笑顔のまま――
ドガァンッ!!
鉄の塊でできたハンマーを木枠の台座へ叩きつけた。
空気が一瞬、耳の奥でつぶれたように感じた次の瞬間。
「うおっ!?!?!?」
岩が、俺の頭上を超え、防壁を越え、
風を裂きながら弧を描いて――
ヒュゥゥゥン……ドッ、ガァン!!
草原のずっと向こうに落ちて、地面が盛大に炸裂した。
土と砂が一気に舞い上がり、
モクモクとした砂煙が空に広がる。
遅れて、地面から腹に響く低い振動が伝わってきた。
「…………」
俺はしばらく言葉が出なかった。
ミラは胸を張って、
まるで新作クッキーを褒められ待ちしてるかのような顔でこちらを見る。
「えへへ、どう? 新作、“投石機さん”だよ」
「さん付けすんな。
てか……お前、これ一人で作ったのか?」
「うん! ひまだから~。
これなら、街の中からでも遠くにいる敵を叩けるかなぁって思って♪」
悪びれゼロ。
本人は完全に「いいことしたって顔」。
(いや、威力ありすぎだろ……
弾がずれたら門ごと吹っ飛ぶぞこれ)
俺は額を押さえながらも、ちらりと西の森を見る。
さっきの炸裂地点。
ほんの一瞬だが、影が“ビクッ”と動くのが見えた。
森の端にいたやつらが、揃って身をすくませたように見える。
(……効いてる。少なくとも牽制にはなる)
「ミラ、その“投石機さん”、いくつ持ってきた?」
「えっとねぇ~……」
ミラは後ろを振り返り、
防壁下、大通りを荷車いっぱいの木枠を運ぶケントール兵が、
そろいもそろって青ざめた顔で歩いてくるのが見えた。
「あと六個~あるよ♪」
「多ッ!?!?!」
俺は思わずツッコんだ。
ケントール兵のひとりが「マジかよ……」と小声で漏らしている。
しかし、草原の向こうで蠢く黒い影を再び見た瞬間、考えが切り替わる。
(……悪くねぇ。どころか、“今のオルデア”には必須だ)
俺は深く息を吸い、ミラに言った。
「ミラ、準備できたら援護頼む。
敵が森から出てきたら、遠距離から叩いてくれ」
「うんっ! 任せて♪
“投石機さん”、がんばるよ~!」
ミラは嬉しそうに投石機を撫でる。
その仕草だけ見れば、ただののんびり職人だ。
そのほんわかした背中の向こう――
森の影が、こちらをじっと伺っていた。
(……来るか?)
ミラの投石機が遠くの草原を爆ぜさせたあとも、
森の影はじっとこちらを睨むように潜んでいた。
風が冷たく吹き抜け、頬を切る。
防壁の石の隙間から、かすかに街のざわめきが上がってくる。
そのとき――
防壁の階段で軽い2つの足音。
「……やっぱりここにいた」
振り返ると、
猫耳をぴくっと動かすリュカ、
その後ろで犬耳がひょこりと顔を出すシア。
二人とも、埃まみれのまま駆け上がってきた。
毛並みにも、服にも薄く血と灰がついている。
「リュカ、シア? どうした」
リュカは額の汗を手の甲で乱暴にぬぐい、
少し息を整えてから、短く言った。
「……あたしたち、一度戻る」
「戻る? どこに?」
「イルクアスターだよ」
シアが言葉を補う。
「コール様の……飛ぶ船です。
覚えて……ない、ですよね……」
「あぁ……あれの事か」
口から勝手に出た言葉に、自分で少し驚く。
どこかで聞いたことのある響き。
けど、映像も匂いも追いついてこない。
一瞬だけ静寂。
リュカの猫耳がピタッと止まり、
ゆっくりとこちらを見上げる。
「……やっぱり、覚えてねえんだな」
責めるような口調じゃない。
でも、痛いくらいに胸へ刺さる声音だった。
「悪い……まだわからねぇ」
喉の奥がひりつく。
謝罪の言葉が、自分でもむかつくくらい軽く感じる。
俺がそう言うと、
リュカは小さく笑おうとして、
でも笑えず――目を伏せた。
「……わかってる。あんたのせいじゃないって。
でも、ムカつくもんはムカつくんだよ」
強がりとも本音ともつかない言い方。
それでも“離れない”選択をしているのがわかる声だった。
シアが横で優しく言う。
「でも、船は……私達たちが動かせます。
いざとなれば避難場所にもなるし……
絶対に必要になるはずです」
「……そうか。助かる」
本心だった。
今のオルデアに、“空の避難先”があるのは心強い。
そんな物が本当にあればだが……。
二人は階段を降りかけて、
シアがふと振り返った。
「ナイルさん……無理、しないでね。
私たち……もう一回、戻ってきますから」
続いてリュカも、短く背中越しに言う。
「……勝手に死ぬなよ。
たとえアンタが……あたしらのこと思い出してなくても」
言い終えると、
リュカのしっぽがほんの少しだけ沈んだ。
二人は足早に階段を降りていく。
耳としっぽの影が、視界の端で消える。
残された俺は、胸の奥が妙に重くなりながら、
もう一度、黒く沈む西の森を見つめた。
(胸がチクチクする……。
戦いの傷とも、ただの疲れとも違う……
なれない感覚だ……)
――――
その後の昼を過ぎても森は動かず、
草原にも影一つ踏み出してこなかった。
カラスですら、
あのあたりを避けるように大きく迂回して飛んでいる。
(……出てくる気はねぇってわけじゃない。
“夜を待ってやがる”)
そんな確信だけが、
喉の奥に引っかかったままだった。
防壁の上では交代で兵士が見張り、
下の街では、
負傷者の手当てと修繕の準備がひたすら続いている。
人が動き、道具の音がしているのに――
オルデア全体に、どこか“息を潜めた静けさ”があった。
日が落ち、
オルデアに夜の冷気が降りた瞬間――
森の奥で黒が揺れた。
「来るぞッ!!」
見張り台の怒号と同時に、
ミラの「いっくよ~~!」という間の抜けた声が重なる。
ドガァンッ!!!
“投石機さん”が夜空を裂き、
大気を揺らし、
土を散らしながら森を砕く。
石が落ちたあたりで、
黒い群れが散り、
木々がなぎ倒された。
土煙の隙間を縫うように、
ウッドエルフの戦士たちが弓を構え、狙いを定める。
「この距離なら……落とせる!」
彼らの矢には
“森に適応した魔除けの薬草”が塗られている。
低級化け物にも効くのかはわからねぇが――
(多少は足を止められる……!)
草原へ足を踏み入れようとした化け物の群れは、
矢と石の嵐に押されて、
引きずられるように後ずさる。
黒い影が、
森の境界線にぴったり張り付いたまま押し寄せてくる感覚。
森の外まで出さなければ、街は持つ。
“境界線”を越えさせなければいい。
「ミラ、次、右側の群れだ!!」
「はぁい、右いきま~す!」
ドガァンッ!!
別の方向に石が飛び、闇をえぐる。
薬草の匂いを含んだ風が、防壁までかすかに届く。
「はいは~い、皆さんどんどん石置いてくださいね~」
「石っていうか……これかなりでかい岩なんだが」
投石機さんには数名の部下をつかせ、石を用意させていたが、
戦ってる時よりも死にそうな顔をしていた……。
夜通しの攻防は続き、
矢筒が空になり、
石の山が目に見えて減っていく。
何度目かの投石と、
矢の斉射が終わった頃――
気がつけば空が薄く白む頃だった。
「……引いた、のか?」
森は静かだった。
だが、静寂の質がまるで違う。
獲物を見失ったあとの“空っぽ”じゃない。
嵐の前に、息を潜めたときの沈黙だ。
(待ってる……なにかを。
夜になればまた来る気だ)
そんな考えが頭を離れなくなったその時だった。
――西のさらに向こう。
アルシェルの方角の空が、
一瞬、白昼のように光った。
「……っ!?」
視界が焼ける。
目を細めなければ直視できないほどの光。
次の瞬間――
天を貫くような“光の柱”が上がった。
遠く離れているはずなのに、
地面の奥から小さく震えが伝わってくる気がした。
「……なんだ、ありゃ……」
周囲の兵も、
ミラも、
ウッドエルフの戦士も息を呑む。
誰もが言葉を失い、
ただその光景を見ていた。
光は、数秒か、十数秒か――
時間の感覚が狂うほどの短さで、
すっと消えた。
だが、
あれほど濃かった西の黒みが……
ゆっくりと薄れていく。
「……黒雲が……消えていく?」
誰かがぽつりと呟く。
確かに、空を覆っていた黒い幕が、
端から端へとめくれるように退いていく。
だが森は、沈黙したまま蠢きをやめない。
光で何かが消し飛んだ。
だが、“全部”ではない。
(……あの光の向こうで何が起きた?
誰が、何を、相手に戦ってやがる?)
胸の奥に、
言い知れない焦りがじわじわと広がっていく。
(……どこまでが終わって、どこからが始まりなんだ)
消えた黒雲の下。
森の奥に残る気配は、
まだ、ゆっくりと――確かに呼吸していた。




