第123話:予兆
カンッ!! カンカンカンッ!!
石畳すら震わせる警報の鐘が、オルデアの朝を裂いた。
「――港側ッ!! 海と空、両方から魔物の群れ!!」
詰所が一瞬でざわめきに沈む。
俺とキリサは同時に駆け出した。
港へ近づくほど、潮風の中に“血の匂い”が混ざってくる。
(……この感じ、普通じゃない)
視界が開いた瞬間――それは“群れ”ではなく“空襲”だった。
空を埋める飛行魔物。
海面を割って這い上がろうとする巨大な海魔。
街はまだ寝静まっていたが、次の瞬間には悲鳴が上がる。
「……っ、多いな」
俺が呟くより早く、キリサが吠える。
「港側の衛兵、全員――私の後ろだ!!
上陸させるな! 盾を前へ!!」
「はっ!!」
いつもの冷静さのまま、声だけは鋭い。
その一言で港兵全体の空気が締まる。
「ナイル!!」
「なんだ!」
「空はお前に任せる! 弓兵をまとめて――
“市街の上を絶対に通すな”!!」
「了解ッ!!」
俺は即座に弓兵部隊へ目配せをする。
「全員ついて来い! 屋根に上がる!!」
「は、はい隊長!」
――――
キリサは長槍を構え、
波間を割って上がってくる海魔へと真っ向から踏み込む。
蹄が石床を叩き、海水が跳ねた。
「押し返せ!! 上陸前に落とす!!
盾、角度そのまま固定!!」
「了解!!」
「槍隊!! 突け!!!」
槍の穂先が海魔の顎を突き砕き、
別の一体の脚を蹴り折る。
重い槍の扱いは人間では真似できない。
半獣の脚力で踏ん張り、
波に逆らって突き落とし続ける。
さらに一瞬の隙、
キリサはしぶきを蹴って跳び、
海魔の頭部に飛び蹴りを叩き込んだ。
バシュッ!!
海魔が海面に沈む。
「次!! 左の触手型、来るぞ!!
盾兵、下がるなッ!!」
声は落ち着いているのに、指揮が速い。
誰もが“キリサがいれば崩れない”と信じられる声だった。
――――
一方その頃、市街にて
俺は弓兵を率いて屋根に飛び移る。
「弓兵、縦三列!! 構え!!」
「た、隊長!? あの数……っ」
「ビビるな! 狙いを見ろ!」
空の魔物は、街そのものを狙ってはいない。
ただ押し出されているような乱れた動線――
だが、市民の真上を低空で通ろうとしている。
襲われたらたまったもんじゃない……。
「あの動き……聞け!!
“あいつらの目的は街じゃねぇ”!!」
「え……?」
「だが、市民の頭上を通させるな!
守る方に全力を回せ!!
地上に落ちそうなやつを――全部、上で落とす!!」
弓兵たちが息を呑んだ。
「隊長……でもどう判断すれば!? 早すぎます……!」
「文句はいい! 構え!!
第一列――撃てッ!!」
――バシュッ!!
弓が一斉に火を噴き、
魔物たちの動きが乱れる。
その一瞬、俺は銃を構えた。
(落ちろ……)
パンッッ!!
一撃で一体を撃ち抜く。
「第二列、左側散らせ!!
落ちるルートを街から外せ!!」
「はっ!!」
広く撃つ弓兵=“面の削り”
俺の銃=“点で殺す”
組み合わせが完璧に回り始める。
――――
海ではキリサが槍で海魔を叩き落とし、
空では俺の銃弾が飛行魔物の頭を撃ち抜く。
二つの戦場は別々だが、
どちらも崩れない。
「隊長! でかいの来ます!!」
「見えてる!! 第一列、角度を上げろ!!」
俺は連射し、
キリサは踏み込み、
兵たちは声を合わせ、
港と街を守り続けた。
――――
しばらくして
突然、空の魔物が一斉に旋回を止めた。
「……動きが……止まった?」
次の瞬間――
魔物は全てそのまま“西の彼方”へ吸い込まれるように飛び去る。
海魔も同じ。
まるで“何かに呼ばれた”ように、深海へ消えた。
キリサが海を睨む。
「……暴走ではない。
統率された“後退”だ……」
(統率……? なら指揮してる奴がいるのか?)
胸に嫌なざわつきが広がる。
世界のどこかで――
巨大な闇が目を覚ました気がした。
――――
魔物の影が完全に空から消えたあと、
屋根の上には風の音だけが残った。
「……全員、休め! 深呼吸しろ!」
俺の声で弓兵たちがようやく一息つく。
さっきまで恐怖で震えていた数名は、
弓を握る指がまだ硬直していた。
「隊長……もういない、んですよね……?」
「ああ。今のところはな。でも油断すんな」
屋根から見下ろす街は、
混乱しつつも大きな火災はない。
魔物が“街”を狙ってなかったのが幸いした。
だが――
遠く、港側には海水と血が混ざって赤い筋が見えた。
(……キリサの方は、まだ動いてるな)
「第一班は負傷者の確認!
第二班は屋根の見張りを続けろ!
三班は地上に降りて住民の避難誘導だ!」
「了解!!」
弓兵たちが散っていく。
その間に俺は素早く階段の屋根から飛び降りた。
着地した瞬間――住民の声が耳に飛び込む。
「た、隊長さん! 魔物、もう来ませんか!?」
「家が……屋根が……矢が刺さって……!」
「子供が怖がって外に出られません……!」
「落ち着け! 怪我してるやつから先に見せろ!」
混乱は当然だ。
市民は誰一人、今回の規模を予想してなかった。
(……この街は守れた。だが――)
胸の内側で、理由がわからないざわつきが止まらない。
魔物の数、動き、統率。
どう考えても“自然”じゃなかった。
港に着いた瞬間、
潮と血の匂いが鼻を刺した。
「……キリサ!」
長槍を肩で支えたキリサが、
海面を鋭く見据えたまま振り向いた。
「ナイル。空は?」
「去った。全部、西の方角へ」
「こちらも同じだ……バルグと抑えきれたが……。
上陸しようとしていた海魔たちが、
一斉に引くように沈んでいった」
槍の先から海水が滴る。
キリサ自身も無傷ではない。軽い裂傷が数ヶ所ある。
「負傷兵の数は?」
「重傷五、軽傷多数だ。
だが……“死者ゼロ”だ」
「……さすがだな」
「……私の役目だ」
キリサは呼吸を整え、
海の奥を睨み続ける。
「ナイル……これは『偶然の魔物暴走』ではない」
「……わかってる。
海も空も同時に引いた……」
「そうだ……あれは意思がある動きだ」
言い終えたキリサの表情に、
わずかな緊張が走る。
「……ナイル。
私は兵たちをまとめつつ、港の封鎖を行う。
お前は街の被害確認と――」
その瞬間。
俺たちの背後で、叫ぶような声が上がった。
「おい! ナイル! 探したぞ!」
「ナイルさん、ご無事で?」
二つの影が走ってくる。
黄色い尻尾と銀の耳。
リュカとシアだ。
(……来たか)
二人は全力で駆けてきて――
俺の前で同時に止まり、
息を切らしながら叫ぶ。
「生きてたな……ッ!!」
「よかった……!!」
完全に号泣モード。
キリサは少しだけ眉を上げ、
俺の方を見て小さく呟く。
「……賑やかだな」
「……まあな」
その言葉に、彼女は軽く頷く。
「では私は港の処理に戻る。
ナイル、街の方を頼む」
「ああ、任せろ」
リュカとシアは避難民の誘導と怪我人の捜索を手伝っている。
そこに港の見張り台から兵が走ってきた。
「隊長ッ! 飛行魔物の進路を確認しました!」
「どこへ向かった?」
「西――もっと西です!
ウッドエルフの森の向こうです……!」
「森の……向こう?」
胸がざわつき、
思わず空を見上げた。
まだ朝日が昇り切っていないはずなのに、
西の空だけが薄く黒い。
(……嫌な感じがする)
“世界のどこかが、穴ごと抜け落ちた”みたいな黒さ。
キリサが言っていた言葉が蘇る。
――統率
――意思
――命令している者
(まさか……)
魔物たちは暴走ではなく、
“呼ばれて”来て、
“呼ばれて”帰った。
なら――その“何か”が、
この世界のどこかで力を増している。
俺は静かに息を飲んだ。
(……遠くで、何が起きてやがる)
空気が冷えていく。
この日は、
“何も知らないオルデア”が
世界の危機に最初に触れた日だった。




