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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第120話:痛みを拾いに


昨日のナイルは、やっぱり……変だった。


新しい武器を手にした途端、

戦い方がまるで別の人みたいで。


“ナイル”じゃない――“誰か”の姿に重なって見えた。


(……怖い……)


胸が押しつぶされそうで、

考えれば考えるほど苦しくなる。


(……でも。

 ぼんやりしてても仕方ない……)


自分に言い聞かせて、

小さく深呼吸する。


「……買い出し、行かなきゃ」


いつもの市場へ向かうため、家を出た。


ーーーーー


朝の街は、行き交う声で少し騒がしい。

そのざわめきの向こうで――


すすり泣きが、かすかに聞こえた。


(…………?)


角を曲がると、

人の少ない裏道で“二人”が座り込んでいた。


黄色い毛並みの猫獣人──リュカ。

銀の毛並みの犬獣人──シア。


二人でくっつくようにしゃがみ込み、

シアは顔を両手で覆って泣いていた。


「……っ、コール様……っ……ぐすっ……」


胸の奥が、ズキッと痛む。


リュカは泣くシアの肩を抱きながら、

歯を食いしばっていた。


「……ったく……泣くなよ、シア……

 泣いたって……戻んねぇんだから……」


「だってっ……うぅ……っ

 コール様……あの剣、持ってたのに……

 目が合っても……わたしのこと……」


シアの声は途中で震えて言葉にならない。


リュカは妹の背中をぽんと叩きながら、

目元を袖で乱暴に拭った。


「……あいつ……

 本当に……覚えてねぇんだな……」


その言い方は、いつもの勝ち気な声じゃない。

悔しさと痛みを押し殺した声だった。


「立ち方も……歩き方も……

 全部コール様のまんまなのに……

 呼ばれんのは“ナイル”だけなんだもんな……」


シアは泣き声を震わせながら、

姉の袖を握る。


「……わたし……

 もういちどでいいから……

 “コール様”って……ちゃんと呼びたい…っ」


リュカの肩が小さく揺れた。


「……バカ……

 そんなこと……言うなよ……

 あたしまで……泣きたくなんだろ……」


リュカは決して泣かないタイプなんだ…。

でも今は、涙を堪えているのがわかった。


(……わたしと……同じ……)


ナイルが変わっていく不安。

呼んでも返ってこない寂しさ。


その痛みを抱えてるのは、

わたしだけじゃなかった。


(この子たちにとっての“コール”は……

 わたしにとっての“ナイル”と同じくらい大事……)


胸が締めつけられる。


でも、立ち聞きしていい話じゃない。

そっと踵を返す。


背を向ける瞬間──


シアの涙声が追いかけてきた。


「……コール様ぁ……っ……」


その一言が、鋭い棘みたいに胸に刺さった。


「…ッ」


シアの嗚咽が遠ざかる前に、

私は足を止めてしまっていた。


(……わたし……逃げようとしてた…)


胸の奥がずきずき痛む。


怖いから。

自分も同じだから。

ナイルと“誰か”が重なる不安があるから。


でも──


(この子たちは……もっと辛い)


忌み子だった私にはわかる。

自分を“忘れられる痛み”は、刺すより痛い。


私はただ、ナイルがくれた優しさを守りたい……。

だから……。


(……話さなきゃ。聞かなきゃ……)


拳をぎゅっと握りしめ、

裏道に向き直る。


足音を殺して近づき、

でも、逃げずに声を出した。


「……あの……」


二人の耳が、ぴくりと動く。


リュカが泣き腫らした目で睨んだ。


「……ッおまえ……なんだよ、何か用かよ……」


強がった声……でも力はない。

拳を握ったまま、私は一歩だけ前に出た。


「…………リネア、です」


声が震える。

でも、逃げたくなかった。


シアが涙で濡れた目をこちらに向ける。


「……ナイルさんと……一緒にいた……」


リュカは歯を噛んだまま睨みをきかせる。


「だからって、覗き見してんじゃねーよ。

 “ナイルはナイル”なんだろ?

 あたしたちには関係ねぇって顔、してたじゃんか」


言葉が刺さる……。

でも、その通りだと思ったから、否定できない。


「……ごめんなさい」


頭を下げた。

カゴがぎこちなく揺れる。


「……ナイルはナイルだよって……

 “コールなんて知らない”みたいに言って……

 ふたりのこと……すごく傷つけたと思う」


リュカの眉がぴくりと動く。


「今さら……何しに来たんだよ……。

 “ナイルの女です”って言いにきたのか?」


胸がびくっとする。

図星に近いところを突かれて。


(……わたし、そんなふうに見えたんだ……)


でも、違う。

違うからこそ、ここに来た。


私はそっと、自分の胸に手を当てた。


「……ナイルは、わたしの“帰る場所”って言ってくれた……

 それが、すごく嬉しくて……」


そこまで言って、一度、息を飲む。


「でも……“コール”って名前を呼ばれたときの、ナイルの顔も……見てるから」


シアの肩がぴくっと揺れた。


「……顔……?」


「苦しそうだった。

 思い出せなくて、胸が痛いって……

 家で……泣いてた」


ふたりが同時に目を見開いた。


リュカの喉仏が、ごくりと動く。


「……泣いてた……?」


「うん……

 “前の名前には、きっと自分を大事にしてくれた人たちがいたはずなのに、何も思い出せない”……って」


言葉にすると、胸がまた締めつけられた。


「……だから……」


私は二人をまっすぐ見る。


「……私……ちゃんと、知りに来たの」


自分でも驚くくらい、はっきりと言えた。


「ナイルが“誰だったのか”……

 ふたりにとっての“コール”が、どんな人だったのか……

 ……知りたいの」


沈黙。


裏道に、行き交う通りのざわめきだけが遠くに聞こえる。


先に視線をそらしたのは、シアだった。

両手で目元をごしごし拭いながら、小さな声をこぼす。


「……わたしたちなんかに……聞いて……

 ナイルさん、取られちゃうかもって……思わないんですか……?」


本音だ。

胸の一番深いところを、そっと刺された感じがした。


本当は、怖い。

“やっぱりコールの方がいい”って、ナイルが言う未来が、怖くてたまらない。


それでも――私は首を振った。


「……怖いよ」


正直に言った。


「……すごく、怖い。

 わたしより……“コール”を知ってる人がこんなに近くにいるって……

 知るのがこわい……」


リュカが少しだけ目を丸くする。


「じゃあ、なんで……」


「……でもね」


言葉を選びながら、ゆっくり続ける。


「ナイルの“痛いところ”を知らないまま、

 “今だけ見てればいい”って顔をするのは……もっと嫌…」


忌み子だった昔の自分を、少しだけ思い出す。


「わたし、ずっと“見ないふり”される側だったから……

 泣いてる人を、見なかったふり……したくない」


リュカの耳がぴくっと動く。

強気な顔をしているのに、目の奥の揺れが少しだけ柔らかくなった気がした。


「……ナイルのこと、縛りたいんじゃない。

 “コール”を消したいわけでもない……」


自分で言いながら、

それがちゃんと本音だって分かる。


「ただ……ナイルが“痛いまま”立ってるのを、黙って見てるのが嫌なだけ……」


シアが、ぽろりと涙を落とした。


「……ナイルさん……そんな顔してたんだ……」


リュカは舌打ちみたいに小さく息を吐いた。


「……ほんっと……バカだよ、コールは」


そう言いながら、壁にもたれかかり、空を仰ぐ。


「……あたしらから見りゃ、今の“ナイル”だって

 充分バカみたいに誰か守ろうとしてんのにさ。

 自分だけ苦しくなってんじゃねーかよ……」


それを聞いて、思わず小さく笑ってしまった。


「……うん。バカだね」


その笑いに、リュカがちらっと目を向ける。


「……あんた、変なやつだな。

 もっと、“あの人はナイルですから! 近寄らないでください!”って顔してくんのかと思った」


「あの時は……そうだったから……」


自分でも情けなくなる。


「でも……このままだったら、たぶんきっと後悔する……

 ふたりの涙も、ナイルの涙も……

 見ないふりしたままになるから……」


シアが袖の端をぎゅっと握る。


「……コール様の……お話をしたら……

 ナイルさん、もっと苦しくなっちゃうかもしれません……」


「……うん。そうかもしれない」


でも、と続ける。


「“理由が分からない苦しさ”よりは……

 “ちゃんと名前のついた痛み”の方が、まだ……

 誰かと分け合える気がするから……」


リュカがふっと笑った。

少しだけ、肩の力が抜けたみたいな笑いだった。


「……あんたさ」


「……なに?」


「……気に食わねぇくらい、コールが好きそうな考え方すんだよな」


胸がどきっとする。


「えっ」


「“誰も見てねぇ痛みを拾いに来る”ところとか、

 “自分が怖くても話を聞きに来る”ところとかさ。

 あー……マジ腹立つ。コールの女の趣味、変わってねぇじゃん……」


「!?」


耳の先まで熱くなるのが、自分でも分かった。


シアが、まだ泣き顔のまま、くすっと笑う。


「……なんか……わかります……

 コール様、そういう人……好きそう……」


「やめて……なんか……恥ずかしい……」


顔を両手で覆いたくなりながら、

でも、少しだけ肩の力が抜けた。


リュカは大きく息をつき、しゃがみ込む。


「……座れよ。立ったまま話すことじゃねーだろ」


「……いいの?」


「勝手に“話せ”って空気出してるのは、そっちだろ。

 だったら、ちゃんと最後まで聞けよ……“コール”の話をさ」


シアも横に寄って、ちょこんと座る。

私はそっと三人の輪に加わった。


石畳は少し冷たくて、

でも、三人分の体温で、狭い裏道が少しだけあたたかくなった気がした。


「……じゃあ……教えて。

 ふたりにとっての“コール”を」


そう言うと、

リュカは遠くを見るような目で、ぽつりと口を開いた。


「……あたしらが初めて会ったのはさ――」


その声には、痛みと、懐かしさと、

少しだけ誇らしさが混ざっていた。

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