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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第116話:名前のない痛み


ミラ工房を出て、

夕暮れの街を俺とリネアは並んで歩いていた。


「あの人……すごい職人さんだったね……」

「ああ。あれなら安心だな」


リネアは嬉しそうで、

指輪をちらちら見ながら微笑んでいる。


――その瞬間。


ガッ!!


いきなり後ろから肩をつかまれた。


「……っ!?」


振り返る間もなく――


ドンッ!!


胸に柔らかい衝撃。

腕が、ぎゅっと俺の身体に回される。


「こ、コール様ぁぁぁぁ~~っ!!」


俺に飛びついてきたのは、

瞳が潤んだ、銀の髪の獣族の少女。


涙と鼻声でぐちゃぐちゃになりながら、

俺にしがみついてくる。


「ずっと……ずっと……探してたんですぅぅう……!!

 帰ってこないなんて……っ心配しました〜……!」


「ちょ、ちょっと待て!? 痛っ……! 誰だお前!? 離れ――」


言い終わる前に、さらに声が飛ぶ。


「おいコール!!!」


荒々しい靴音。

地を蹴る勢いで近づいてくる影。


日に照らされて金色に見える髪、鋭すぎる目。

腰に短剣の少女。


肩で息をしながら、

怒鳴りつけるように叫んだ。


「バカ野郎!!!

 ずっと帰ってこねぇから心配してたんだよ!!!

 何考えてんだお前!!」


「お、落ち着けって! 俺はコールじゃな――」


「はあ!? ふざけんなよ!!

 その顔で言うな!!

 声も匂いも歩き方も、何もかもコールだろうが!!」


もう一人は顔を胸にうずめたまま、泣き続ける。


「コール様ぁ……っ……っ!!

 ずっと……会いたかったんですよぉ……!」


(ま、まずい……! 完全に人違いじゃねぇか!!)


俺はなんとか泣きわめく女の子を引きはがそうと必死だったが、

全力でしがみつかれてビクともしない。


そして――

ここで“爆発”が起きた。


少女が俺に抱きついている光景を見たリネアの顔色が、スッと変わる。


胸の前で握った手が震え、

目が潤んで、唇がかすかに震える。


「……ナイル……?」


声が小さくて苦しそうな声だ。

俺は慌てて言う。


「リネア、違う! 俺はこの子を知らねぇって!!」


だが。

金髪の子が俺の胸ぐらを掴み上げる。


「死ぬほど心配させといて、女と一緒に歩いて……何の冗談だ?」

「ひどいです、コール様……他の女の人と〜!」


目に涙を溜めて震えている。


そして――リネアは一歩前に出る。


コールと呼ばれ続ける俺の腕を、

ぎゅっと掴んで奪い返すように引いた。


「……ナイルは……ナイルだよ……

 わたしの……大切な人………!」


その声は震えていたけれど、強く……。

はっきりと“譲らない”意志があった。


二人の耳がピクリと震えた。

勝ち気な方の子は目が鋭くなる。


俺は両者の間で完全に板挟みになりながら叫ぶ。


「待て待て待て!!!

 お前ら誰だ!!

 俺は“ナイル”だ!! コールなんて知らねぇ!!」


……沈黙。


「知らない人に……勝手に触られちゃ……ダメ……!」


リネアは俺を自分の後ろに隠すように立ち、

胸を張って二人を睨む。


「ナイルは……わたしの大切な人……“コール”なんて知らない……!」


泣いていた子の手が宙に浮いたまま震える。


「……コール様……じゃ……ない……?」


睨んでいた子の表情が苦くゆがむ。


「……匂いも声も……全部コールのまんまなのに……

 なんで“他人のふり”なんか……!」


リネアは即座に言い返す。


「二人とも……迷惑……ナイルは“ナイル”って言ってる……それで十分!」


俺の腕を握る指に、

不安がぎゅっと込められているのがわかる。


「ナイル、行こ……!」


リネアは俺の腕を引いて、

そのまま二人から距離を取るように歩きだした。


「ま、待ってください!!」

「おい! 話はまだ――!」


リネアは振り返らず、

俺の手を引いたまま強く言った。


「ついてこないで!!……ナイルは今……“わたしと一緒”!!」


その声の強さに、

二人は一瞬だけ足を止めた。


その隙に、

リネアは俺を抱えるようにして路地の奥へ進む。


夕暮れの影が伸び、

二人の姿がゆっくりと遠ざかっていく。


俺は腕を引かれながら、

リネアの背中を見つめるしかなかった。


ーーーーー


家の扉を閉めた時、

リネアは俺の手を握ったままだった。


けれど強く引き寄せたりはしなかった。

ただ、不安に縋るようにそっと握っているだけ。


しばらく沈黙が落ちる。


リネアがためらうように言った。


「……ナイル……さっき……ごめん……」


「なんで謝るんだよ」


「……だって……

 私……ちゃんとわかんないのに……

 あんなふうに……言っちゃって……」


リネアの声は震えていたが、

嫉妬ではなく“怖さ”の滲んだ震えだった。


「ナイルが……いなくなったら……

 私……怖くて...ひとりになっちゃうから……」


胸がきゅっとなる言葉だった。


(……そうか、こいつ……ずっと頼るものがなかったんだもんな……)


返事をしようとしたとき、

リネアが俺の顔を覗き込んで目を見開いた。


「ナイル……泣いてるの……?」


「……え?」


頬に触れた指先が濡れていた。


(…………なんだこれ……)


理由もわからないのに、

胸の奥がぎゅっと痛んで勝手に涙が溢れる。


リネアは驚きながら、

すぐに俺の手を包むように握り直した。


「ナイル……!」


「ちげぇんだ……

 なんでかわかんねぇ……

 ……胸が……すげぇ痛くて……」


リネアは静かに首を振った。


「痛いなら……思い出さなくていいよ」


「……」


「ナイル……ねぇ……

 “無理しなくていい”んだよ……?」


リネアは涙をこらえるように笑って、続ける。


「私……ナイルの全部を欲しいわけじゃない……

 過去があっても、なくても……

 ナイルは……“今のナイル”だから……

 それで、いいの……」


俺は言葉を失った。


(……なんでこいつの方が……こんなに優しいんだよ)


「……でも……」


俺はつぶやく。


「……俺の前の名前……きっと大事にしてくれた奴らがいたんだと思う……

 なのに思い出せねぇ……もしかしたら……」


リネアはそっと頬に手を添えた。


泣きそうな顔なのに、

俺じゃなく“俺の痛み”を見てた。


「思い出したくなった時でいいよ……」


ぎゅっと俺の手を握りしめる。


「……ナイルには“帰る場所”があってほしいの……

 それが……私だったら……嬉しい……」


独占じゃない。

後ろめたさでもない。


……ただ、「自分も大切にしてほしい」「ひとりが怖い」

そんな切ない願いだった。


胸の痛みが少しずつ和らいでいく。

俺はゆっくり息を吐く。


「……リネア、ごめんな。

 不安させて……」


「ううん……ナイルが謝ることじゃないよ……」


リネアの指が震えているので、

今度は俺がその手を握った。


「でも……言っとく。

 “今の俺”は……お前を大切に思ってる」


リネアの目が驚いて揺れ、

ゆっくり涙がにじむ。


「……ほんと……?」


「ああ。

 だから……そんな顔すんなって」


リネアは胸に手を当て、

小さく、ほっと笑った。


「……ナイル……ありがとう……」


二人の距離は近いのに、

どこか少しだけ不器用で、

でも確かに寄り添っていた。


ーーーー次の日


昼前。

市場での巡回任務中、

俺は二人の部下を連れて中央通りへ向かっていた。


「班長! ここも異常なしです!」

「よし次、南区に向かうぞ」


街は今日も人の声と商人の呼び声で賑やかだ。

もう衛兵としての動きに慣れてきていた、そのとき――


「……っ!」


空気が変わった。


人混みの向こうから、

異様な視線が突き刺さる。


(……またかよ)


銀髪の少女、シア。

金髪の少女、リュカ。


昨日泣いて絡んできた二人が、

今度は真正面から道を塞ぐように立っていた。


リュカは腕を組んで睨みつけ、

シアは潤んだ目で震えながら近づいてくる。


「コール様……!」

「コール……!」


その様子に、

部下Aが困惑する。


「班長……知り合い、ですか?」


「違う。……人違いだ」


そこへ二人の少女が一気に距離を詰めてくる。


リュカが指を突きつけた。


「昨日の続きだ。今度は逃がさねぇぞ、コール!」


「コール様……本当に記憶がないんですか……?」


周囲の人がざわつきはじめる。


(……マズい。勤務中だ……俺が騒ぎ起こしたなんてキリサが聴いたら怒られる)


俺は一歩前へ出て、

衛兵としての声で二人に告げた。


「悪いが、俺は“ナイル”だ。

 お前らの探してる“コール”じゃない」


シアは唇を震わせ、

リュカは食ってかかる。


「ふざけんな! 匂いも、声も、歩き方もお前だろうが!――」

「俺は勤務中なんだよ。邪魔するな」


その瞬間だった。


――ダダダッ!!


部下Bが全力で駆け寄ってきた。


「班長っ!! 大変です!!

 南区の広場で大型同士の喧嘩が! 怪我人も出てます!!」


「ったく……!」


任務が優先。

体が自然に動く。


「行くぞ!!」


俺は即座に部下たちへ指示を飛ばし、

リュカとシアに向けてだけ短く言った。


「悪いが……仕事の邪魔をするな」


そして、駆け出した。


部下たちが続き、

人混みを切り裂くように走る。


「コール様ぁぁ!!」

「おい待てコールッ!!」


叫ぶ声が追いかけてくるが――

振り返らない。


だが、その声が耳に届くたびに……。


(……くそ。なんでこんな時に……)


胸が痛むのを、無理やり押し殺して走る。


俺は今、“ナイル”だ。


衛兵として動く。

任務を優先する。


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