第114話:いまの約束
朝、キリサの家の扉が叩かれた。
何かを受け取ったキリサは一読し、笑顔で告げる。
「ナイル、リネア。評議員から通達が来た。
――二人の住居が決まった」
「おお、本当にか!」
俺は半分まだ筋肉痛の身体を起こしながら立ち上がる。
リネアは慌てて髪を整えながら、きゅっと俺の袖を握った。
「い、いっしょに住む家……なんだよね……?」
「まあ、保護民扱いだしな。しばらくは同じ家らしい」
リネアが小さく赤くなる。
キリサは腕を組んだまま、ため息をひとつ。
「評議会が準備した“保護住居”だ。
多種族共存区の端、比較的静かな地域になる」
「静かなとこは助かるな。騒がしいのは苦手だ」
「いや、騒がしいより、ナイルは“また問題に巻き込まれんように”だろう」
「そりゃそうだが……俺そんなに巻き込まれ体質か?」
キリサは目を細めた。
「入国数日で出世株扱いになる者は珍しい」
「うぅ…………」
(たしかに否定できねぇ……)
キリサは軽く笑って歩き出した。
「行くぞ。案内する」
ーーーーー
キリサに案内されて数分。
多種族地区の奥まった場所に、その家はあった。
「ここが、二人の住む家だ」
木と石を組み合わせた、こぢんまりとした平家。
外観は質素だが、手入れが行き届いていて、どこか温かい。
「入ってみろ。中は“標準型”だ」
標準型……つまり、どの種族でもある程度使える造りってことか。
キリサが扉を押し開けると、柔らかい光が差し込んだ。
中は思ったより広い。
背の高い種族でも頭をぶつけない天井。
床は木板で、足に優しい。
台所は火炉だけじゃなく、複数の高さの調理台が並んでいる。
一番低い台の前で、リネアが「あ……」と両手を胸の前で合わせた。
「わ、私でも……届く……」
「本来は小柄な地底民用だが……まぁ使えるだろう」
キリサが淡々と言う。
奥には二つの部屋があった。
どちらも寝台と収納の棚付き。
リネアはそっとその部屋を見つめ、
頬を赤くしながら小さな声で呟く。
「……二人で……暮らすんだよね……ここで……」
その声は、俺の耳にはっきり届いた。
急に変な汗が出てきた。
「ま、まぁ……そうなるな。あくまで“保護”だから……その……」
「う、うん……その……」
リネアは両手を服の裾でぎゅっと握りしめ、
視線を伏せたまま、小刻みに揺れている。
耳まで赤い。
(な、なんだこの雰囲気……!?)
俺まで一気に落ち着かなくなる。
「べ、別に変な意味じゃねぇぞ? その……住むだけで……」
「わ、わかってる……けど……
その……ナイルと……一緒、っていうのが……なんか……」
「…………っ」
言葉の最後が、細く震えていた。
くそ、なんだこの空気……!
キリサはそんな空気を切るように入り込む。
「寝床は好きに決めろ。
二部屋あるが、夜中に騒ぐなよ?」
「騒がねぇよ!?」
「騒がないよ!?」
俺とリネアが同時に叫ぶ。
キリサは「……?」という顔をしつつ、肩をすくめた。
「まぁ、二人で暮らすのが初めてで落ち着かんだろうが……
ここは安全だ。好きに使っていい」
リネアは胸の前でそっと手を合わせ、
安心したように微笑む。
「ナイルと……住める家……
ほんとに……もらえるんだ……」
その横顔が妙に可愛くて、心臓が跳ねた。
(……やべぇな、これ)
俺は視線をそらしながら、ぼそりと言った。
「……まぁ、いろいろ大変だったしな。
やっと……ちゃんと休める場所ができたってことだ」
「……うん……!」
リネアの明るい返事が、胸にじんわり沁みた。
ここが――
俺たちの新しい“始まり”なんだ、と気づいた。
ーーーーー
それから数日。
その日は、珍しく“休み”だった。
キリサもバルグも夜勤明けで、訓練はなし。
家でのんびりしようと思っていたところで――
「ナイル……髪、伸びてきたよ?」
リネアが眉を寄せて俺の額に触れた。
「……そうか? 風が顔に当たりにくくなった気はするが」
「うん……前より長い。切ってあげる」
「え、切れんのか?」
リネアは小さくうなずき、少し誇らしげ。
「うん、たぶん?……動かないでね……?」
言われるまま椅子に座ると、
リネアは真剣な表情で俺の後ろに立ち、小さく息を吸った。
シャキ、シャキ……
ハサミの音が静かに響く。
リネアの指が耳の後ろに触れるたび、
くすぐったいような、妙に落ち着かないような感覚が走る。
「……ナイルの髪、やわらかい……」
「そんなこと気にして切ってるのかよ」
「だって……なんか……落ち着くから」
声が少し照れくさそうだった。
数分で切り終わり、リネアは前に回って俺をまっすぐ見る。
「……うん。似合ってるよ。
ナイルは……短い方が好き」
「そっか。ありがとよ」
自然と笑えた。
リネアも嬉しそうに微笑む。
「今日は……街、見に行こう? ナイルの休み……でしょ?」
「そうだな。行ってみるか」
多種族が行き交うオルデアの市場は、
色とりどりの布、香辛料、武具、宝飾品で賑わっていた。
リネアは初めて見るものばかりで、目を輝かせている。
「わぁ……これ、木の実のお菓子……!
ナイル、食べてみよう?」
「ああ、買ってみるか」
そんな穏やかな時間の中で、ふと――
銀細工の露店が目に入った。
そこに、見覚えのある形のイヤリングがぶら下がっていた。
(……これ)
俺の耳についている、青いガラスの銀のイヤリングと同じ型。
露天商が気づいて声をかけてくる。
「お、兄ちゃん。“潮の約束”の片割れを持ってるな? 恋人に贈り物なんかどうだい?」
「潮の……約束?」
「知らねぇのか? 海の民の風習だよ。
片方を大事な相手に渡して、
“必ず帰る”“必ず守る”って祈る証だ。
家族、恋人、血縁……いろいろだけどな」
「…………」
胸の奥が、ずきり、とした。
そして――
隣にいたリネアが、小さく息を呑むのがわかった。
「……だれか……いるの……?」
声は、とても小さかった。
露店の喧騒に消えそうなほどに。
俺は答えられない。
記憶がない。
ただ、このイヤリングが“誰か”と結んだものだとしたら――
リネアは視線を落とし、両手を胸の前でぎゅっと握る。
「……ナイル……は……
だれか、大事な人が……いた……?」
いないとは言えなかった。
だが、いるとも言えなかった。
沈黙が、重く落ちた。
数歩離れた銀細工の棚で、リネアは足を止める。
並んだ指輪を見つめながら、そっとつぶやいた。
「……ナイルと……
私だけの……約束がほしい……」
「リネア?」
振り返ったリネアは、
不安そうで、それでも決意のこもった目をしていた。
「その……ナイルの……その耳飾り……
誰かとの……“約束”なんだよね……?」
「……わからねぇ。ただ……そんな気はする」
リネアはこくりとうなずき、
震える指で銀の指輪をひとつ手に取った。
「じゃあ……“いま”の約束が……私も欲しいの……」
その言葉に、胸が強く締めつけられた。
「ナイル……一緒に、生きるって……
そういう形が……ほしいの」
その指輪は装飾のない、細い銀の輪。
ただ“次の一歩”だけを示すような、控えめな輝きだった。
「……買うのか?」
「うん……ナイルが……迷惑じゃなければ……」
「迷惑なわけねぇよ」
気づけば、手が自然に伸びていた。
リネアの手の上に重ねていた。
リネアの瞳が揺れ、
ほんの少し、安心したように微笑んだ。
「……ありがとう……」
夕暮れの光の中。
二人で買った小さな包みを手に家へ戻る。
俺が扉を開けると、
リネアはすぐに俺の横顔をちら、と見た。
……イヤリングの方を。
(気になるよな……そりゃあ)
その視線はほんの一瞬だった。
でも、不安がにじんでいた。
俺は棚から小さな木箱を取り出し、
自分で作った簡易の蓋を閉じる。
そして――イヤリングを外し、そっと箱の中へ置いた。
カタン、と小さな音。
リネアが目を丸くする。
「……ナイル……?」
「記憶が戻るまで、しまっておく。
誰のものかもわからねぇんだ。
リネアを不安にさせるのも……違うだろ」
リネアは驚いたあと、
胸に手を当てて、ぎゅっと目を潤ませた。
「ナイル……っ……」
「……まぁ、その……
今は“お前との約束”の方が大事だしな」
リネアの頬が一気に赤く染まる。
「…………っ!」
その小さな震えた笑顔が、
妙に胸の奥にあたたかく広がった。
(俺は……こうやって誰かを支えて生きてきたのかもな…)
そう思いながら、俺は“いま”目の前の彼女を見て。
指輪の包みをそっと握りしめた。




