第113話:生き残るための剣
リネアが心配そうに俺の袖をつかむ。
「な、ナイル……危ないよ……」
「平気だ。やってみたい」
自分でも驚くほど、迷わず言えた。
胸の奥が、ざわつくどころか――
“おさまっていく”。
まるで、ずっと失くしていた「自分らしさ」が、ピタリとはまるような感覚。
キリサが腕を組みながら、うなずいた。
「バルグ、手加減はするのだぞ」
「へっ、わかってるよ。死なせはしねぇ」
バルグは訓練場の中心へ歩き、俺に手招きする。
「構えろ、坊主。好きにしていいぜ。正面から来ても、逃げてもな」
正面から?
そんなの無理に決まってる。
俺はゆっくりと息を吐き、剣を下げたまま歩を進める。
周囲の衛兵たちがざわつく。
「おい、あれ……構えてねぇぞ?」
「素人か? いや、でもさっきの斬撃……」
「なんだあれ、隙だらけじゃねぇか?」
バルグも眉をひそめた。
「……構えねぇのか?」
「いや、構え方がわからねぇんだ。ただ……動き方は、なんとなく」
バルグは鼻を鳴らす。
「いいぜ。好きにしろ。来いよ、坊主!」
ドンッ!!
巨体が地面を蹴って迫る。
バルグの踏み込みは重いのに速い。
普通に受けたら、腕が吹き飛ぶ。
だけど――身体が勝手に動く。
(近づくな。まず逃げろ)
俺は一歩横へ“流れる”。
肩を落とし、胸を引き、刃の軌道から軽く外れる。
バルグの剣が空を裂いた。
「ほぉ?」
避けただけなのに、周囲からざわめきが上がる。
「今の見たか? 紙一重だぞ……」
「避け方が、素人じゃねぇ……」
バルグが笑った。
「おもしれぇ。もう一発いくぞ!」
二撃目。
三撃目。
四撃目。
どれも俺は、“ふらり”とした足運びで、最小限だけズラして避ける。
受けない。
止めない。
ただ、相手が振り切る瞬間を“待つ”。
バルグの額に汗がにじむ。
「なんだその動き……掴めねぇ……ッ!」
(……そろそろ、だ)
バルグが苛立ち、踏み込みすぎた瞬間――
俺は距離を一気に詰めた。
「――!?」
周囲がどよめく。
「速っ!?」
「さっきまで動いてなかったのに――!!」
剣を振ると見せかけて、俺は剣を“途中で止める”。
本命は別だ。
重心が沈む。
右足に力が溜まる。
(イラついた相手の懐――そこが一番がら空きだ)
「はッ!」
ドンッ!!
俺はバルグの足元へ、低く鋭い足払いを叩き込んだ。
巨体が揺れる。
「ぐっ――!?」
さらに体が倒れかけた、その瞬間。
俺はすかさず前へ滑り込み、
喉元に剣の切っ先を突きつける。
訓練場が、一瞬で静まり返った。
バルグは地面に膝をつき、目を見開いたまま俺を見上げた。
「おいおい……マジかよ……
蹴りが本命とは……なんて戦い方しやがる……」
キリサが目を細め、満足そうに言う。
「やはりな。ナイルの戦い方は“勝つため”ではなく、
“生き残るため”だ」
衛兵たちがざわつく。
「誘って……」
「踏み込みを誤らせて……」
「蹴りでバランス奪って……」
「最後は喉元……反則的だが、実戦向きだ……」
リネアは胸に手を当て、震えた声でぼそりと言った。
「ナイル……ほんとうに……戦ってたんだね……」
俺は剣を下げ、バルグに手を差し出した。
「悪い。つい……身体が勝手に」
バルグは豪快に笑いながら、手を掴んだ。
「勝手でこれかよ! 坊主、お前……相当ヤベぇぞ!!
衛兵どころか、前線でも通用するぜ!」
そして、キリサが俺の前に歩み寄り――
真剣な目で言った。
「ナイル。そなたは“戦士”として生きていける」
胸の奥で、何かが一つ、音を立ててはまった。
(……ああ。これだ。これが、俺の戦い方……)
思い出してはいない。
でも確かに“知っている”。
――俺はきっと、こうやって生きてきたんだ。
バルグは俺の手を離すと、ニヤッと口の端を持ち上げた。
「気に入ったぞ、ナイル!
こんだけ動けりゃ推薦状なんざいらねぇ!
今すぐウチの隊に入れ!!
今日から訓練漬けにして――」
「待て、バルグ」
キリサの声が、鋭く割って入った。
バルグが、ぴたりと動きを止める。
「……お、おう? なんだよ、キリサ隊長」
キリサはこめかみを押さえ、ため息をついた。
「その“無茶な勢い”は直らんのか。
ナイルはまだ保護民だ。身元の整理も、正式な手続きも終わっていない」
「だぁ? そんなもん後でいいだろ!
こいつは戦えるぞ! ついでに俺の右腕に――」
「その“後でいい”を許した覚えはない。
それにナイルの怪我は完全ではない。今鍛えれば悪化する」
バルグは、むっすりと眉をしかめる。
「ちぇっ……手がかかる隊長だぜ」
キリサは腰に手を当て、バルグを睨んだ。
「手がかかるのは、そなたの方だ。
いつも突っ走っては、後処理を我に押し付けるのだからな」
衛兵たちから、
「確かに……」
「隊長正しい……」
と小声が上がる。
バルグは一瞬だけたじろぎ、そっぽを向いた。
「……うぐ……まぁ……否定はしねぇ……」
キリサは俺の方を振り返った。
「ナイル。正式に衛兵試験を受けさせる。
本来、推薦が必要なところだが……
バルグがここまで言うなら、問題あるまい」
バルグが親指を立てた。
「任せとけ! 試験の教官は俺だ!
あの避け方……クセが強ぇが、磨けば光る。いや、光りすぎる!」
リネアが心配げに、俺の袖をつまむ。
「ナイル……無理しないでね……?」
「大丈夫だよ、リネア。
まだ“試験”を受けるだけだ」
バルグがニヤッと笑う。
「試験って言ってもよ、安心しろ。
“死にさえしなけりゃ合格”だ!!」
「いや安心できねぇよ!?」
訓練場が、爆笑に包まれる。
キリサは眉を寄せ、バルグの後頭部を軽く叩いた。
「死なせるな。絶対にだ」
「わ、わかってるって!」
キリサは改めて、俺の前に立つ。
「ナイル。
そなたの戦い方は――生きるための戦いだ。
それはオルデアにおいて、とても価値のある力だ」
そして、静かに告げた。
「安心していい。
ここでは“戦える”者は、重宝される」
俺は深く息を吸い、拳を握りしめた。
「そいつは……ありがてぇな」
―――――数日後の夕方。
オルデアの空が赤く染まり始めた頃――
俺はフラフラになりながら、キリサの家の木戸を押し上げた。
「……ただいま……」
「ナイル!!?」
真っ先にリネアが駆け寄り、目をまん丸にする。
「ど、どうしたの!?
なんでボロボロなの!?
怪我……あっ、ここ血が……!」
「大丈夫……大丈夫じゃねぇけど……まあ、生きてる……」
次にキリサが現れた。
腕を組んだまま、眉をひくりと引きつらせていた。
「……その姿を見ると、どう謝ればいいのか分からんな……」
「え? キリサ……?」
キリサは額を押さえ、深くため息をついた。
「……説明してやる。
ナイルは衛兵試験には“合格”した。正式に採用が決まった」
「ほんと!? ナイル、よかった……!」
リネアは喜んだが――
キリサの表情は、微妙そのものだった。
「問題は、その“試験内容”だ」
「…………」
俺は遠い目をしていた。
リネアが恐る恐る聞く。
「……ど、どんな内容だったの……?」
キリサは信じられない、とでも言いたげに声を低くした。
「――十対一だ」
「じ、十……対……一……?」
リネアが固まる。
バカみたいな数だが、俺は肩をすくめる。
「まぁ……なんとかなった」
「なんとかなったのがおかしいのだぞ?」
キリサが小声で突っ込む。
「本来の試験は“同格相手と一対一で数回”だ。
だがバルグは勝手に“実戦を想定”と称し、訓練場の新人を十名呼びつけた」
俺は体を引きずりながら苦笑する。
「全員が武器持って来た時は……さすがに帰ろうかと思ったぜ」
「帰るという選択肢をなぜ選ばなかった……!」
キリサが、半ば叫び、半ば呆れたように頭を抱えた。
リネアは顔色を真っ青にして俺を見る。
「ナ、ナイル……ほんとうに十人を……?」
「まぁ……ちょこちょこ動いて、転ばせて、蹴って……
なんとか倒したよ」
「なんとか、って……!」
リネアが泣きそうな声を出す。
だが、キリサの険しい顔は、まだ終わっていなかった。
「そして……問題はその次だ」
俺は天井を見上げた。
「あー……うん。次な……」
キリサは目を細め、深いため息をついた。
「十対一で“全員倒した”のを見たバルグが……
“よし、次は俺だ!!”と言って飛び出してきたのだ」
「あの人……ほんとに……!」
リネアが頭を抱える。
俺も苦笑いするしかない。
「いや……もうムリだから帰りたいって言ったんだけどよ……」
キリサが口を挟む。
「評議員がちょうど視察に来ていた。
“せっかくだから見せてもらおう”などと言い出してな」
「………………」
俺は額を押さえた。
(なんでこうなるんだよ……)
リネアは震えた声で聞く。
「じゃ、じゃあ……二人は、本気で……戦ったの……?」
「……ああ。
正直バルグ相手は、十人よりきつかった……」
あの巨体と怪力を相手に、ギリギリの攻防。
足は痛むし、腕はしびれるし、最後はもう気力だけで動いていた。
「でも……最後は勝った」
小さく笑うと、リネアは涙をこぼしそうになった。
「なんでそんな無茶を……!」
キリサが、代わりに答える。
「……ナイルが強いと分かった途端、
評議員の数名がその場で“目をつけた”からだ」
「“目をつけた”って……?」
キリサは、わずかに肩を竦めた。
「この国は多種族国家ゆえに、“戦える者”は重宝される。
ナイルの力は、珍しく、そして貴重だ。
評議員たちは、半分引き、半分喜んでいた」
俺は思わず苦笑する。
「うれしいんだか、めんどくせぇんだか……」
「間違いなく、めんどくさい方だ」
キリサが即答した。
「だが――ナイル。
そなたはすでに“注目の出世株”だ。
間違いなく、これから面倒ごとに巻き込まれる」
「やっぱりかよ……」
俺は天井を仰ぎ、
リネアは心配そうに袖を握りしめる。
キリサは俺の前に立ち、真剣な声で言った。
「……すまなかった。
バルグの暴走を止めきれなかったのは、私の落ち度だ」
「いや、キリサのせいじゃねぇよ。
あの人は……どう考えても止められないだろ」
「その通りだが、責任は取るべきだ」
キリサは、深く頭を下げた。
「ナイル。
よく……生きて戻った」
その声は、珍しく震えていた。
俺はしばらく黙ってキリサの横顔を眺め、
ふっと笑った。
「大げさだな。
こう見えて、しぶといんだよ、俺は」
キリサの肩が、わずかに震え、
リネアは泣きそうになりながら俺の手を握る。
「……無茶しないって言ったのに……」
「悪い。今度から“少しだけ”気をつける」
「“全部”気をつけて!!」
家中に、リネアの怒声が響いた。
だが――
その怒りには、心底ホッとした響きがあった。




