第70話 わからない
これまでの出来事を話して聞かせ、またスーの話も聞いて名坂警部補がいう。
「手鏡の件と無関係とは了解した。ぬいぐるみが贈られたころ、あなたは横浜にいて、この店もまだ開く前だったようだな」
「ええ、そもそも私が扱うのは、まじないの類いであって、のろいの類いでは御座いません。漢字で書けば、同じ呪いですけれど」
「まじないとのろいと、どう違うのか御高説を賜りたいところだが、せっかく道士様の曾孫に会えたのだ。まずは、この写真を見ていただきたい」
差し出したのは例の写真だ。普通の人間には見えない小さな人影が写っている。
「おや、ちょっと珍しいものですよ。これは相当に古い。たしか日本では、魂のない器物さえ百年経てば神になるという言い伝えがあるそうですね。で、あれば、これなどは何と言えば良いものか……」
兄様と呼びかけると、生霊とされる透明な男が、ふっと息を吹きかける仕草をし、テーブル上に置かれた写真から、ぼんやりとホログラムのような映像が浮かび上がった。和装の童女だろうか。手の平に乗るほどの大きさで怯えた表情をしている。
「皆様、よく見ておいてくださいね」
自身も目をそらさず、浮かび上がった映像を見ながらスーがいう。
「兄様の術で、写真の前後を映し出してもらいます。この童女、実際の大きさもいま見ている程度で、むろん人ではない。俄かには信じ難いのですが、百年以上前の式神のようです。使い手もいないはずの時代に動いているなど、ありえません」
童女は周囲を警戒しながら走っているようだった。おかっぱ頭を揺らし、足をもつれさせながら。声は聞こえないが、しきりに何事か呟いている。
息を呑むような仕草と同時に、童女が立ち止まった。映し出されている限りでは何もないが、童女の着物が無残に斬り裂かれていく。目に見えぬ刃物に斬りつけられているようで、童女が何かから身をかわす。あるいは爪楊枝ほどの刀を手に、それと戦っているように見える。スーが、誰にともなくいう。
「これは目に見えぬ獣、野干の類いか。人ではない何者かの先触れ、ミサキでしょうか。それと戦っておりますね。しかし、孤軍奮闘も極まれり。朽ちかけた式神ではとても敵いそうもない。このままでは消滅するしかないでしょう」
その言葉どおり、ぼろぼろになった童女が力尽き、地面に横たわる。形を保てなくなってきたのだろう。童女の姿が薄れて消えかけた時、女の足が、そのすぐ横を踏み抜いた。不思議の術に呑まれ、五郎らも忘れかけていたが、この写真、もともとは夏野千里が映っているビデオから切り取ったものである。この足は千里のものであろう。ライダーブーツで、どん、どん、と周囲を踏みつける。
「なるほど、夏野千里という方ですか。音楽をされているのですね。妙にリズミカルで、舞い踊っているかのよう。舞と音楽は邪を祓う力がありますから、ミサキはこれに祓われたのでしょう。式神もなんとか逃げられたようです。みてごらんなさい。和紙製の姉様人形が風に乗って場を離れますよ」
ふわりと風に舞って姉様人形が飛んでいく、その情景を最後に映像が途切れた。
「ここまでですね。これ以上は兄様の術でも追えません。式神は、なんらかの目的に沿って使われるものです。野良の式神となってからは別として、この童女にもなにか目的があったはず。しきりに何か呟いていましたが、なんと言っていたのでしょうね」
「あ、あの」
おずおずと口を開いたのは、稲田美琴だ。
「わ、わたしは、耳が聞こえません。で、でも、くちびるの動きで、いくらかは。つぶやいていたのは、わからない、わからないって。しなければならない。でも、なにを? わからない、わからないって」
「わからない? そうですか。使命を忘れて、それでも何かをしなければならない。そう思っているのなら、哀れな、まことに哀れなもの。この式神、なんとか救ってやりたい」
とはいえ、私もこれで何かと忙しい身です。そちら様にお任せできますか、と問いかけられたのは温州蜜柑と神尾五郎である。




