第18話 御利益も300円分
さびれた銭湯の脱衣所で、小さなくまのマスコットが胡座をかいて、ぶつぶつ文句を垂れていた。
「身体中ベタベタや。きしょくわる。あ、そや、風呂に入ってこよかな。神様の湯なんやろ。ほんなら、わてが入ってもええやんな」
「え? おまえ、あれと入るの?」
驚いたようにいうのは神尾五郎だ。温州蜜柑の取り憑き先である。
「いやいや、あれやなんて失礼な。さっきの客神さん、どこぞの名のある神様やと思うで。男同士やから、ええやろ」
「男とか女とかあんの?」
「わても気分的には男神や。さ、入って来よっと」
言って浴場へ向かおうとする蜜柑を引き止めて、
「はい、一回300円」
と月子さんが手を出した。相手が神様でも入浴料はきっちり徴収するのだ。差し出された手をじっと見つめていう。
「お金ないよ」
「じゃあ、300円分の御力でも結構よ」
「そんなんわからんわ。五郎はーん」
「わかったわかった、出してやるよ。おまえ、本当に神様なの? 300円も払えないの?」
「うん。ごめん。なんかごめん」
とぼとぼと浴場へ向かう温州蜜柑の背中が寂しげである。が、そんな様子もその時だけのことだ。しばらく経って客神が去り、蜜柑も風呂からあがってくると、もう上機嫌である。
「いやぁ、ええ風呂やった。なんか元気でてくるわ。あの人、やなくて、あの神さん、ええ方やったで。もごもごと聞き取りにくかったけど、徳を積んで良き神になりなさいやて。ようわからんけど頑張るわ」
と言いながら、きょろきょろと脱衣所内を見回す。何を探しているのかと問われて曰く。
「いや、さっきの神さんな。脱衣所の鏡をよう見とけって言うてはったんや。なんやろと思って」
その時、三姉妹が、ひっと悲鳴をあげて息を呑んだ。蜜柑の言葉で何気なく脱衣所の鏡に目をやったところ、そこには血塗れの黒猫が映っていたのだ。それも鏡のなかにだけ。脱衣所には猫などおらず、鏡のなかから鳴き声がする。目をそらせずに見つめていると鏡にひびが入り、勢いよく砕け散った。
床に散乱した破片には、それぞれそこに居もしない黒猫の姿が映っており、無数の目が、こちらを覗き込むようにしていた。
しかし、それも一瞬の出来事で、鏡の中の黒猫が破片とともに消え失せた。割れたはずの鏡も元どおりで何事もなかったかのよう。黄色い電灯が、何の変哲もない銭湯の脱衣所を静かに照らし出していた。




