桃色の覇道、挫けぬ茨の行軍
オルブライト伯爵家の静謐なる居間にて、男たちは今日もまた、宮廷の模範と称されるにふさわしい完璧な立ち居振る舞いで腰掛けていた。
テーブルの上に広げられているのは、市街の精密な地図と、大公家の最新の動向を記した極秘資料である。
「……さて。本日のメイと大公閣下の逢瀬についてだが」
父ゲラルトが、極上の紅茶を優雅に嗜みながら、地を這うような重厚かつ品格に満ちた声で口を開いた。その瞳には、一国を平定した将軍としての威厳と、娘を害する者を絶対に逃さない漆黒の光が宿っている。
「前回の『手首への口づけ』という暴挙を鑑みるに、今回はさらに踏み込んだ接触を試みてくる可能性が高い。大将軍たる父上と私は、街頭査察の公務を拡大し、二人が入る予定のカフェの全方位百メートルを我が軍の演習区域として封鎖する準備を整えた」
「流石は父上、隙がありませんね」
次男ヴィンセントが、物静かで美しい聖者のような微笑みを湛えたまま、滑らかな手つきで羽ペンを走らせる。
「私も手配は完了しております。大公閣下がメイに不必要な身体的接触───例えば、肩に触れる、あるいは視線を三秒以上合わせるなどの過剰な求愛行動におよびになった瞬間、大公家の来期領地開発予算を『国家的財政精査』の名目で五十%削減する特別法案を発動させます。ハンス経由で閣下の執務机へ、目を通すだけで三日は徹夜になる書類の山を即座に投下する手筈も整えました」
「ふふ、二人とも実に素晴らしい手際だ」
長男シグルドが、令嬢たちを狂喜させる麗しい笑みを浮かべ、近衛騎士隊長としての強靭な指先で優雅に茶器を置く。
「私の率いる近衛の精鋭部隊も、全員現地へ配備完了している。大公閣下がメイの手を握ろうものなら、即座に『過激な街頭デモの鎮圧』を名目に二人の間に割って入り、物理的に距離を二メートル以上離す手はずだ。……言うまでもなく、すべて帝国の平穏を守るための正当な職務である」
男たちは、互いの完璧な大義名分と徹底的な防衛網に、深く、満足げに頷き合った。自分たちの行動はすべて正義であり、オルブライト家の男として当然の誇りある務めであると、微塵の疑いもなく堂々としている。
そこへ、高貴な淑女としての気品に満ちた足取りで、母ジゼルが室内へ足を踏み入れた。
「あらあら、まあまあ。今日も今日とて、みなさん本当に仲がよろしいですこと」
ジゼルは扇で可憐に口元を隠し、ぽっと頬を染めて胸を踊らせた。
「ふふ、今日はどのような素敵なロマンスが繰り広げられるのかしら? 街頭査察に、予算削減に、近衛の警護……まあ! 二人の甘い逢瀬を盛り上げるための、なんて豪華でドラマチックな演出ですの! 大公閣下も、これほど障害が多いほうが、かえってメイへの情熱を燃やされるに違いありませんわ。これぞまさに、試練を乗り越える運命の愛……! きゃあ、次の展開が楽しみで夜も眠れませんわ!」
「「……ジゼル!?」」
「「……母上!?」」
男たちの声が綺麗に重なり、居間の空気(殺気)が激しく跳ね上がる。
自分たちの完璧な排撃計画を、すべて「二人の恋を盛り上げるロマンチックな演出」として解釈し、脳内を完全に桜色に染め上げている我が家の絶対王者。
男たちが誇り高く掲げた「正当な職務」と「威圧」の全てが、ジゼルの放つ圧倒的な乙女の覇気によって、ことごとくロマンスの肥やしへと変換されていく。
ジゼルはうっとりとした表情から一転、ふうと優雅に溜息を吐くと、心底不思議そうに男たちを見渡した。
「本当に……それほどまでに溢れんばかりの情熱と知恵があるのなら、もっとご自分のお仕事へ素直に注げばよろしいのに」
そして、ジゼルは美しい微笑みを湛えたまま、まずは義父ガルフォードへと視線を向けた。
「お義父様も、引退もそう遠くないでしょうに……そろそろメイの監視以外の『情熱の注ぎ先』を他に見つけておかれてはいかがですの? そんな調子ですと、いざ退役された時に途方に暮れてしまいますわよ?」
「ぐ、ぬぅ……!?」
鬼将軍と恐れられた大将軍ガルフォードが、老後の生き甲斐を根底から否定され、言葉を詰まらせて撃沈する。
続けてジゼルは、可憐かつ完璧な笑みで息子二人へと向き直り、追い打ちの一撃を放った。
「シグルドもヴィンセントも、そんなに暇ならご自分の恋人の一人でも作ったらどうかしら? こんなにも美しく産んであげたんだから、早く素敵なお嫁さんをもらって頂戴。可愛らしいお嫁さんが来てくださったら、私、また新しいロマンスの観察で毎日が楽しくなってしまうわ! ……いい? メイが閣下に正式に嫁いでしまったら、あなたたちには何も残らないのよ?」
「な……何も、残らない……!? メイが、嫁ぐ……? あの不埒な大公に……っ、許さん……絶対に許さん……!!」
シグルドは頭の中で勝手に「メイが純白のウエディングドレスで大公の元へ旅立つ光景」を想像してしまい、完璧な姿のまま胸を押さえて激しく悶絶した。
一方でヴィンセントは、胸中で荒れ狂う暴風雨を一切表に出すことなく、物静かに眼鏡のブリッジを押し上げた。その完璧な聖者のごとき微笑みは寸分たりとも崩れていない。
(……私からメイという存在がなくなれば、ただの文官でしかないと……? ふふ、母上は相変わらず恐ろしいことを仰る。だが……妹を奪われ、その上母上の新たなロマンスの実験体にされるなど、万に一つもあり得ない……)
内面の狂気と誓いを完璧なポーカーフェイスの下に隠し、ヴィンセントは静かに息を吐いた。
「さあ、みなさん。大公閣下とメイの素晴らしいロマンスを陰ながら見守るために、お仕事へ行ってらっしゃいませ」
ニコニコと満面の笑みを浮かべるジゼルの前に、完璧な大義名分を誇っていた男たちは、もはや一言の言葉も挟むことができない。
「……行きましょう、父上、兄上。……公務(監視)の時間です」
「う、む……」
ヴィンセントは立ち上がり、一切の隙がない優雅な所作で書類を抱えると、男たちは堂々とした足取りで部屋を後にした。




