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麗しの薔薇には棘がある  作者: 夢羊
麗しき道化の幕間(番外編)
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華麗なるロマンスの特等席



 大公家からの内密な使いが去った後、オルブライト伯爵邸の応接室は、凍りつくような沈黙に包まれていた。


 机の上に置かれた一通の手紙──大公アルシードからの《偽りの婚約》の打診を睨みつけ、ガラルディア帝国が誇る最強の男たちが、同時に凄まじい殺気を滾らせている。


 将軍である夫のゲラルト、近衛騎士隊長を務める長男のシグルド、あるいは宰修補佐である次男のヴィンセント。国家の心臓部を担う三名が、額に青筋を浮かべて大公邸の包囲や合法的な絞め殺し計画を大真面目に語り合っている姿を、ジゼルはソファーで優雅に茶を啜りながら、ただ静かに眺めていた。



(あらあら……我が家の殿方たちったら、相変わらずメイのことになると、揃いも揃って物騒極まりないわねぇ……)



 ふわりと上品に微笑みながら、ジゼルの脳内では、昨日読み終えたばかりの愛読書──ロマンス小説『冷徹大公の不器用な身代わり花嫁』の頁が、凄まじい勢いで捲られていた。


それは、政争に巻き込まれた冷酷無比な大公が、窮地を脱するために美しい令嬢に身代わりの婚約を申し込み、やがて本物の愛に目覚めていくという、王道にして至高の物語であった。


 大公からの偽装婚約の申し入れ。それはまさに、その愛読書を彷彿とさせる、劇的な恋の幕開けを告げる最高の舞台装置に他ならない。


 ジゼルはふと、小首を傾げた。


 オルブライト家では、『茨』である男たちがメリッサを滅多に社交の場に出席させておらず、大公アルシードとは未だ一度も相見えたことはないはずであった。



(……ということは、大公閣下はどこかで偶然メイを見かけて、そのあまりの美しさに目を付けられたのかしら?)



 稀代のプレイボーイと噂される御仁である。いくら政争回避のための《偽りの婚約》とはいえ、形ばかりの花嫁に帝国一の美女を選ぶのは、至極当然の欲求のようにも思えた。


 しかし、ジゼルはすぐに、見透かしたような艶やかな笑みをその目元に浮かべた。


 あの若さで強大なる大公家を差配する男が、単なる色欲だけで動くはずがない。



(──いいえ、違うわね。我がオルブライト家が『武』と『文』の最高峰の名門であり、派閥に属さない中立派であることに目を付けて、二大公爵家を黙らせる最高の『盾』として選んだのね。──大公閣下、なかなかに怜悧な策士でいらっしゃる。流石ね)



 ジゼルの推測は、驚くほど正確に大公アルシードの理性的計算を射抜いていた。


 名門オルブライト家の価値を完全に理解した上での、非の打ち所がない政治的策略。しかし、ジゼルはその冷徹な真実に怯むどころか、むしろ母としての純粋な喜びと興奮に身を震わせていた。



(政治の道具に選んだということは、これから世間を欺くために、我が娘に『一目惚れした』という建前で熱烈に口説き落とすお芝居をするわけでしょう? 社交の場でも何度も見かけて知っているけれど、あの大公閣下の美貌は本当に素晴らしいもの。……ああ、あの二人が並び立ったら、それはもう、どれほど鮮烈な光景かしら!)



 ジゼルの脳裏には、それはもう恐ろしいほど鮮明な映像が流れ始めていた。


 華麗なる夜会の中心で、冷徹な瞳に熱い独占欲を宿らせた大公アルシードが、その力強い腕で情熱的にメリッサを抱き寄せる。その強引なまでの情熱に絆され、潤んだ瞳で彼をじっと見つめ返すメリッサ。やがてアルシードの美しい指先がメリッサの顎を優雅に持ち上げ、二人の唇が至近距離でゆっくりと重なる──



(──っ、きゃあ……っ!)



 あまりの熱烈な妄想の最高潮に、ジゼルは危うく淑女としての叫び声を上げそうになるのを、両手で自身の頬を強く包み込んで堪えた。あまりの尊さにソファーの上で身悶えしそうになるのを必死に堪え、何食わぬ顔で気品ある微笑みを維持する。


 メリッサの美貌目当てに寄ってくる有象無象の男たちを義父や夫、息子たちが全員容赦なく追い返してきたのは、



 ───すべてはこの甘美な運命の伏線だったのだわ……!



 初恋もまだ訪れていない我が娘に、最大級の極上のロマンスが訪れる。その素晴らしい神の配剤に、ジゼルの胸のときめきは激しく波打ち、どうしても止まらなかった。



「もしもメリッサがあの男前に本当に見初められたなら、文句なしの玉の輿じゃないのぉ〜! 帝国一の美男美女が並び立つなんて……ああっ!想像するだけでお似合いだわ!まさに眼福! 眼福よ!」



 ジゼルの言葉に、それまで静かに目を閉じていた大将軍ガルフォードが、ゆっくりと目を開けた。生ける伝説と呼ばれる老英雄の眼光が、ギラリと光る。



「……フン、ジゼルの言う通りだ。ガラルディア最強と名高いあのベルンシュタインの小僧が、どれほどの器か試してやるのも悪くない。ゲラルト、シグルド、ヴィンセント、お前たちも顔合わせには全員で同行するぞ」


「「「心得ました」」」



 三人の声が見事なまでに美しく唱和した。しかし、愛する娘を、妹を政治の道具にされかけている男たちの腹の虫は、どうしても収まりがつかなかった。


 大公ごとベルンシュタインの領地を更地にする覚悟を語るゲラルト。少しでも触れようものならその場で叩き斬る構えを見せるシグルド。本日中に合法的に破産する特例法案の雛形を完成させるヴィンセント。


 男たちが一斉に冷酷な笑みを浮かべ、応接室のガラスがビリビリと微かに震えた。


 そんな恐ろしいやり取りと華麗な妄想の中心で、当の本人であるメリッサは、ただ静かに微笑みを浮かべて座っている。その姿は世間には、儚く美しい、深窓の令嬢そのものに見えた。


 だが、メリッサはどこか他人事のように考えながら、茨たちの様子を眺めている。



(お父様もお兄様方も、本当に熱心ね……)



 茨たちの凄まじい熱量をよそに、メリッサは心の中で小さく呟く。



(大公閣下の婚約者役だなんて、私につとまるのかしら)



 一抹の疑問を胸に秘めつつも、メリッサの手は躊躇いなく動き、目の前の焼き菓子をぱくりと口に含んだ。


 いくら権勢を誇るオルブライト家といえども、最高爵位である大公からの打診を無下に断れば、国を揺るがす政争に発展しかねない。世間知らずなりに大局を理解しているメリッサは、この申し入れがすでに個人の感情で覆せるものではなく、家門の決定に従うのが最善の道であると冷静に受け止めていた。


 恐らくは、自分がその婚約者役をすることになるのだろう──。



(未だ一度もお目にかかったことがないから、どのような方かは存じ上げないけれど……素晴らしく見事な美貌をお持ちの方らしいわね。……それよりも、お人柄の良い方だといいのだけれど……)



 未だ見ぬ大公の素顔へと思いを馳せつつ、メリッサはさらに菓子をぱくりと口に運ぶ。その刹那、口内に広がったあまりの美味しさに、ただ無邪気に優雅な微笑みを浮かべるのだった。


 娘に訪れる極上のロマンスの予感にただ一人胸をときめかせているジゼルは、お菓子を美味しそうに食べている愛らしい我が娘を見つめ、再び上品にティーカップを傾けた。



(──さあ、麗しき大公閣下。神がお膳立てなされた最高に甘美な劇場の幕が、いま上がりますのね。ああ……本当に、本当に待ち遠しいことですわ)



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