麗しき棘
大公家からの内密な使いが去った後、オルブライト伯爵邸の応接室は、凍りつくような沈黙に包まれていた。
机の上に置かれた一通の手紙──大公アルシードからの《偽りの婚約》の打診を睨みつけ、ガラルディア帝国が誇る最強の男たちが、同時に凄まじい殺気を滾らせる。
「……大公め、我が最愛の娘を政治の盾にする気か」
将軍であるゲラルトは、戦場仕込みの鋭い眼光をさらに険しくし、低い声で唸った。その威圧感だけで、並の貴族なら失神しかねないオーラである。
「父上、近衛騎士隊を動かして、今すぐ大公邸を包囲しましょう。我が妹を道具のように扱う不届き者は、このシグルドが直々に排除します」
表向きは凛々しく、クールな美形として知られる近衛騎士隊長の長男・シグルドが、形の良い唇を歪めて物騒な提案をする。その目は完全に据わっていた。
「慌てないでください、兄上。物理的に滅ぼすのはいつでもできます。まずは私が宰相補佐の権限で、大公家の資産と政治的立場を合法的に絞め殺す法案を提出しましょう」
品性高潔な天才と名高い次男・ヴィンセントが、いつもの穏やかな微笑みを浮かべて座ったまま、吐き捨てるように恐ろしい計画を口にした。
「あらあら、随分と物騒な相談してるのねぇ……」
男たちの凄まじい殺気を、ソファーで優雅に茶を啜っていた当主夫人───ジゼルが、ふわりと吹き飛ばした。
「ヴィンセント、あなた、相変わらず性格悪いのねぇ」
ケラケラと楽しそうに笑いながらティーカップを置くと、ジゼルは艶やかな笑みを浮かべた。
「大公閣下は素晴らしくハンサムさんだもの。あの色男が大公家を継いでから、社交界の女狐……じゃないわ、ご婦人方がずっと煩い……じゃなくて、騒然となさっているでしょう? メリッサが偽りでも婚約者になってあげれば、少しは社交界も静かになるというものよ。それに……」
ジゼルは両手で自身の頬を包み込むと、うっとりとした表情を浮かべた。瞬時にきらびやかな一連の流れを脳内で想像したのだろう、その瞳を少女のように輝かせる。
「もしもメリッサがあの男前に本当に見初められたなら、文句なしの玉の輿じゃないのぉ〜! 帝国一の美男美女が並び立つなんて……ああっ!想像するだけでお似合いだわ!まさに眼福! 眼福よ!」
一癖も二癖もある男たちをケラケラと笑い飛ばす、オルブライト家の絶対王者──ジゼルの言葉に、それまで静かに目を閉じていた大将軍のガルフォードが、ゆっくりと目を開けた。生ける伝説と呼ばれる老英雄の眼光が、ギラリと光る。
「……フン、ジゼルの言う通りだ。ガラルディア最強と名高いあのベルンシュタインの小僧が、どれほどの器か試してやるのも悪くない。ゲラルト、シグルド、ヴィンセント、お前たちも顔合わせには全員で同行するぞ。可愛いメリッサに指一本でも触れようものなら、その場で大公家を叩き潰す構えでな」
「「「心得ました」」」
三人の声が見事なまでに美しく唱和した。──しかし、表向きはお上品に揃えてみせたものの、愛する娘を、妹を政治の道具にされかけている男たちの腹の虫は、どうしても収まりがつかなかった。
「大公ごとベルンシュタインの領地を更地にする覚悟で挑みましょう」
ゲラルトが鉄の拳をガチリと鳴らす。その口元には優雅な笑みを浮かべながらも、瞳の奥には、およそ正気の沙汰とは思えないすさまじい狂気の光がぎらぎらと滾っていた。
「あの男が少しでもメイに触れようものなら、その場で叩き斬る準備はいつでもできています、祖父上」
シグルドが腰の剣の柄に手をかけ、据わった目をさらに細める。
「大公家が本日中に合法的に破産する特例法案の雛形は、すでに頭の中で完成しておりますよ」
ヴィンセントが極上の笑顔のまま、冷徹に眼鏡のブリッジを押し上げる。
男たちが一斉に冷酷な笑みを浮かべ、応接室のガラスがビリビリと微かに震えた。
そんな恐ろしいやり取りの中心で、当の本人である──メリッサ・オルブライトは、ただ静かに微笑みを浮かべて座っている。その姿はまるで、儚く美しい、人形のようであった。




