優雅なる企て
大陸随一の歴史と格式を誇る大国、ガラルディア帝国。その大公であるアルシード・フォン・ベルンシュタインは、豪奢な執務机の上に肘をついて頭を抱えていた。
現在、帝国社交界は彼が誰を正妃に迎えるかという話題で恐ろしいほどの熱を帯びており、見合いを促す釣書が机の上に山と積まれているが、そのせいではない。その裏で暗躍する、二大勢力の圧力が鬱陶しくてたまらないのだ。ローゼンバーグ公爵家とハインリヒ公爵家が己の娘を大公家に嫁入りさせようと、醜くいがみ合っている。
「冗談じゃない……」
いくら『稀代のプレイボーイ』と名高い彼であっても、己の婚姻まで政治に利用されるのは真っ平ごめんだった。アルシードは忌々しげに舌を打つと、机の上に山積みにされた釣書の一束を、長い指先で無造作に払いのけた。紙の束がバラバラと音を立てて床に散らばる。
「勝手に決めるな。そんな気は一切ない」
傲慢とも取れる端麗な顔を歪め、アルシードは低く吐き捨てる。彼にはまだ、身を固めるつもりなど微塵もなかった。
アルシードは椅子の背もたれに深く寄りかかり、天を仰いだ。何か、この膠着状態を打ち破る打開策はないかと頭を巡らせる。
(……やはり、形だけでも花嫁を迎えるしかないか)
いくら格下の公爵家とはいえ、真っ向から突っぱねれば角が立つ。彼らの背後には帝国を二分する強大な貴族派閥が控えており、無下に断れば『大公家が敵対した』などと捉えられかねない。波風を立てずに縁談の申し出を断り、なおかつ今後も二度と再燃させない方法は、それしか思いつかなかった。
問題は、その『身代わりの花嫁』をどこから迎えるか、ということだ。
どこかの派閥に偏った立ち位置の貴族では、後々が面倒になる。特に公爵家寄りの貴族などもってのほかだし、かと言って皇帝派の息がかかった貴族というのも、悪くすれば己の首を絞めかねない。
あれこれと天秤にかけ、思考の海を彷徨った末に――――アルシードの脳裏に、ある一つの家名が浮かび上がった。
中立派の名門、オルブライト伯爵家。
現当主は高潔な将軍の地位にあり、その二人の息子はそれぞれ、帝国の近衛騎士隊長と宰相補佐を務めている。いわば帝国の『武』と『文』の最高峰、国家の心臓部とも言える要職を独占している一家だ。それゆえ、彼らの絶大な影響力を取り込もうと、宮廷からは何度も公爵への昇爵が打診されていた。しかし、当主はその公爵への昇爵という名誉ある打診すら、『伯爵家としての誇り』を理由にあっりと辞退したほど、権力欲とは無縁の硬骨漢だ。当主の誠実な人柄は領民からも深く慕われており、非の打ち所がない人格者でもある。
確かそのオルブライト伯爵家には、帝国一の美女とうたわれる愛娘がいるらしい。舞踏会などの華やかな場には滅多に出席しないため、アルシードもまだ一度も相見えたことはないが……好都合だ。それだけ他の有象無象の貴族たちから縁談の標的にされやすいということなのだろう。
大公家という強大な後ろ盾があれば、彼女に群がる不埒な男たちを近づけさせない防波堤にもなれる。お互いに悪い取引ではないはずだ。さらに、あの貪欲な二大公爵家を完全に黙らせるなら、もっともらしい理由が必要だ。例えば──帝国一の美男と名高いこの私が、同じく帝国一の美女とうたわれる彼女に、熱烈な『一目惚れ』をしてしまった、とでもしておけば社交界も納得せざるを得まい。
(そのためには、大公である私自身が直々に伯爵邸へ赴き、情熱的に求婚したとみせるのが一番の近道か)
政争が落ち着くまでの、ほんのしばらくの間。形だけの婚約者として、穏便に役目を果たしてくれればそれでいい。
(……さて、交渉に応じてくれるか)
アルシードは微かに残った紅茶のカップを傾け、まだ見ぬ『深窓の令嬢』の元へ自ら出向くべく、静かに席を立った。すぐに机の上の呼び鈴を鳴らすと、信頼できる側近へ向け、内密にオルブライト伯爵家への使いを出すよう命じた。




