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茨の鉄壁、揺らぐ黒薔薇



 オルブライト伯爵邸の応接室に足を踏み入れた瞬間、アルシードは思わず足を止めそうになった。


 視界を埋め尽くしていたのは、大輪の薔薇で埋め尽くされた仰々しい花籠の山と、金銀の刺繍が施された過剰なほど豪華な贈り物の箱の数々である。気品ある部屋の調度品を完全に無視して押し通されたその光景は、社交界の調和を重んじるアルシードにとって、いささか悪趣味な暴力に等しかった。


「──おや、大公閣下。ようこそおいでくださいました」


 贈り物の山を挟んだ向こう側から、極上の微笑みを浮かべたヴィンセントが声をかけてきた。


 その隣には、近衛騎士の礼装に身を包んだ長男シグルド、そして全軍の指揮権を握る父ゲラルトと祖父ガルフォードが、微動だにせず揃い踏みしている。


 男たちは誰一人として声を荒らげてはいなかった。しかし、その場に満ちる空気は、いつでも国家を数回は機能停止に追い込めるほどの、凍りつくような冷徹さに満ちていた。


「驚かれましたか? これらはすべて、我が家の宝の元へ届けられた『不躾な羽虫』からの貢ぎ物でしてね」


 ヴィンセントが手元の上質な万年筆を指先で軽く弄びながら、いつもの美しい微笑みを湛えてみせた。だが、その怜悧な視線は、皇太子ジュリアンの紋章が入った豪奢な贈り物の箱を、まるで道端の塵芥でも見るかのように冷たく射抜いている。


「会員制サロンでの一件以来、皇太子殿下はまことに熱心でいらっしゃる。毎日のようにこのような品を送りつけ、メリッサの視界を汚そうとされるのだ。……まことに不愉快極まりないな、兄上」


「ああ、ヴィンセント。近衛騎士隊長の権限で、皇太子宮の物資搬入経路をすべて臨時の特別検問で完全封鎖してやろうかと思索していたところだ」


 シグルドが爽やかな笑顔のまま、さらりと恐ろしい国家権力の行使を口にする。最高指揮官である父ゲラルトも、深く頷いてそれを肯定していた。彼らにとって、時期皇帝であるはずの男の動向など、少し庭の羽虫が増えた程度の認識でしかないのだ。


「まぁ、お兄様方。殿下はただ、私を気遣ってくださっているだけですわ」


 贈り物の山から少し離れたソファーで、メリッサは白銀の髪を揺らし、恥じらうように微笑んでいた。目の前で家族の男たちが国家転覆レベルの職権乱用で皇太子を合法的に圧殺する計画を練り、大公アルシードが胃を切り裂かれるような思いで引きつった笑みを浮かべているというのに、彼女だけはまるで春の陽だまりの中にいるかのように平然としている。


 アルシードは、引きつりそうになる口元を一流の社交的な微笑みで固定しながら、心中で激しく天を仰いだ。


 メリッサを口説き落とせない焦り。ハンスの勘違いによる無理な訪問。そこへ追い打ちをかけるように、皇太子の無知なアプローチのせいで、オルブライト家の男たちの防衛線(殺気)は三ヶ月前よりも遥かに跳ね上がっている。


 この空間にいるだけで、自らの大公家が巻き添えで物理的に滅ぼされかねないほどの乱気流を感じ、アルシードの胃壁は早くも限界を迎えていた。


「大公閣下。我が家の宝を守る『盾』として、貴方にはより一層の義務を果たしてもらわねばなりません。……おや、どうかされましたか? お顔色が優れないようですが」


宰相補佐としての怜悧な光を宿したヴィンセントのブルーの瞳が、アルシードを真っ直ぐに捉える。


「……いや、何でもないよ。ただ、少々、目眩が……」


 アルシードは笑顔のまま、かつてないほど長い時間、はるか宇宙の果てを見つめるような遠い目をして過酷な現実からの逃避を試みた。現実を直視すれば、今すぐこの場で卒倒してしまいそうだった。


「……急な公務を、思い出した。まことに名残惜しいが、今日はこれで失礼するよ、メリッサ嬢」


 アルシードは、大公としてのエレガントな佇まいを辛うじて維持したまま、逃げるように応接室を後にした。メリッサとまともな会話を交わす余裕すらなく、ただ男たちの圧に押し潰されただけの完全な敗北である。


 大公邸への帰路の馬車の中、疲れ果てて座席に崩れ落ちたアルシードの横で、側近ハンスはハンカチを握りしめて涙ぐんでいた。


「ああ、閣下……! 皇太子殿下からの贈り物の山を前に、愛するメリッサ様を奪われまいとする嫉妬と情熱に耐えかねて、あえて身を引かれるとは……! なんと切なくも美しい、大人の純愛でしょうか……!このハンス、閣下のその燃え盛るような熱情、しかと受け止めました!」


 馬車の振動とともに、アルシードはただ無言で胃のあたりを押さえ、二度と戻らないかもしれない自らの胃壁の平穏を想って、深く天を仰ぐのだった。



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