破滅の魔法陣④
ミルシャは、”ステファニーと友達になる”という偉大な目標を達成した。
だが、現実は甘くない。
昼食を共にするどころか、朝の挨拶以外で言葉を交わす機会すら訪れなかった。
学院は“爵位を気にせず平等に”を掲げている。
けれど、成人の儀を終えれば彼らはそのまま爵務を背負い、互いの立場は天と地ほどに離れていく。
未来が決まっている以上、対等に話すなど夢物語に近かった。
当然、ミルシャ自身は気にしない。
だが、王族と平民の差はあまりにも大きく、学院側も間違いが起こらぬよう、一組の生徒は他組と時間をずらして行動するほどだった。
その結果、伯爵以上の生徒と話す機会はほぼ皆無であり、ステファニーも例外ではない。
唯一の接点は、専攻科目が重なる特別学科。
しかしステファニーは侍女科を選び、王女にとって一番身近な技術を学んでいた。
侍女科の生徒にとって、仕えるべき至高の存在が同じ教室にいるという事実は、歓喜と緊張を同時に呼び起こし空気は常に張り詰めていた。
一方、ミルシャの属する薬医師科では、連日薬草の講義が続いていた。
薬医師は薬で治せる怪我や病気を扱う職であり、回復薬はその象徴ともいえる。
だが、医師の多くは貴族であり、自分で薬草を採取することはない。
そのため、薬草を見分ける授業はとても重要視される。
「さて、この一週間で薬草の仕分けを学んできたわけだが――最初から完璧に選別できたのは、ただ一人。 ミルシャだけだ」
教室がざわつく。
本来なら拍手が起きる場面だが、年下の平民が圧倒的な実力を見せたことで、複雑な空気が漂った。
「間違えた者も気にする必要はない。
ミルシャは五歳から薬草に触れていたそうだから、既に四年の経験がある。
回復薬の生成でも右に出る者はいないだろう。
だが、それは平民だからこそ積めた経験だ。
皆は貴族として覚えるべきことが多い。 この三年間で完璧にすればいい」
――はい!
(……あれ? これ、褒めてるようで馬鹿にしてない?)
ミルシャは講師の言葉に微かな棘を感じ、じとりとした視線を送った。
講師に向けたミルシャの視線は、まるで矢のごとく激しく突き刺さる
「べ、別に見下しているわけではないぞ! 本当に褒めているのだ!」
「ホントに?」
「もちろんだとも!」
ミルシャはぱっと花が咲くような笑顔を浮かべた。
「そっかぁ~。 嬉しいな!
あ、そうだ! お父さんの医院で使ってる毛生薬、すっごく人気あるよ!
先生いつでも来てね!」
「なっ……!?」
教室の空気が一瞬で変わる。
ミルシャは満面の笑みで、講師の薄く輝く頭頂部を指さした。
勿論、善意で――なのだが。
「余計なお世話だ!!」
講師は顔を真っ赤にし、両手で頭を守るように押さえた。
その仕草がまた妙に必死で、教室のあちこちから笑いを堪える気配が漏れた。
「あ〜、話がそれたが……」
講師は軽く咳払いし、机の上に並んだ薬草へと視線を走らせた。
「あらかじめ机に準備しておいた薬草を仕分けて、完璧にできた者から生成方法を教える。
では――始め!」
号令と同時に、生徒たちは一斉に薬草へ手を伸ばす。
木机の上で葉が擦れ合う音が、教室の空気を震わせた。
ミルシャもすぐに薬草を手に取り、慣れた手つきで仕分けを始める。
(褒められるのは嬉しいけど……あたし、植物を手にした瞬間に精霊術で薬草が分かっちゃうんだよね。
これって、やっぱりズルなのかなぁ?
でも、見ただけでも分かるし、問題ないよ……ねっ!?)
――バサッ!
指先から薬草が滑り落ちた。
ミルシャの肩がびくりと震え、顔色が一瞬で蒼白になる。
(こ、これって……!?)
手のひらが冷たくなり、背筋に氷柱が落ちたような感覚が走る。
薬草の束に紛れ込んでいた一本の草――その異常さを精霊術が鋭く告げていた。
そのとき、教室の向こうでテレネッサが舌打ちする。
公爵家の令嬢であり、宮廷治療院の薬医師を父に持つテレネッサ。
父の研究室には、薬草だけでなく間違えやすい雑草も並んでおり、彼女は幼い頃からそれらを見て勉強していた。
そして、ミルシャへの嫌がらせとして、毎回こっそり雑草を混ぜていたのだ。
だが、ミルシャはそれをすべて見抜いてしまう。
テレネッサは苛立ち、ついに父の書斎に厳重に保管されていた一本を持ち出してしまった。
薬草と酷似したその草は、決して触れてはならない危険なものだった。
ミルシャは震える指先を握りしめ、昔、父ゼルから聞いた話を思い出す。
「黒腐の魔喰草?」
「ああ、そうだ」
ゼルは硝子ケースに入った、薬草によく似た草を見せた。
「この草は薬草と同じように魔素を吸収して成長する。
だが、薬草とは違って大変危険な毒を含んでいる」
「そんなのがあるんだ……」
ミルシャは興味深そうにケースへ手を伸ばし、蓋を開けようとした。
しかしゼルがその手を強く押さえた。
「これは葉に毒があってね。 少しでも皮膚を傷つけると毒に侵される」
「ええっ!?」
「だから、素手で持つのは大変危険なんだ」
ミルシャは身をすくませながらも草をじっと見つめる。
「でも、薬草にそっくり……」
「ああ。 だが、明るい場所で見ると葉の模様が違うし、葉先も鋭い。
しかし、薬草を採取する暗い森の中では区別がつかなくて、とても危険なんだ」
「どうすればいいの?」
「防ぐには相応な手袋をするのだが、幸いこの大陸では発見されていない。
黒腐の魔喰草が生息するには、極めて高い濃度の魔素が必要らしい」
「よかった……」
ゼルは優しくミルシャの頭を撫でる。
「我々、水の精霊使いなら精霊術で見分けられるから、この成分を覚えておくといい」
「うん、わかった!」
「それから、黒腐の魔喰草は大陸に存在しないから、他言してはならないことになっているんだ」
「なんで!?」
「知っているのは医師資格を持つ者だけだ。
開院したときに、この見本を受け取ることになる。
悪意ある者が知れば、他の大陸から持ち込む可能性がある。 それは避けねばならない」
「うん、わかった! だれにも言わない!」
教室の空気が、ひどく冷たく感じられた。
黒腐の魔喰草――。
それが、よりにもよってミルシャの手元に配られた薬草の束に紛れ込んでいた。
見間違いかもしれないと自分に言い聞かせながら、ミルシャはそっと薬草で包むように手に取り、精霊術で草の成分を探る。
(――間違いない、黒腐の魔喰草だわ。
でも、なんで混ざっているの!?
ううん、問題はこれをどうすればいいかだけど……あたしが知っているのは不自然だし……)
喉の奥がきゅっと締まる。
すぐにでも皆の手を止めさせたい。 けれど、知識の出どころを問われれば父親の立場が悪くなる。
焦りと葛藤が胸の中で渦を巻く。 すると――。
「ん? ミルシャ、珍しく手が止まっているな。 それとも終わったのか?」
講師の声が、茫然としていたミルシャの思考を引き戻した。
その瞬間、胸の奥で何かが弾ける。
(今だ!)
ミルシャは勢いよく手を上げた。
「先生!」
「どうした?」
「なんか、よく分からない植物が混じってるの。 これって薬草なのかな?」
「どれどれ?」
ミルシャは“知らないふり”を完璧に演じ、毒草を見るように講師へ促した。
次の瞬間――。
「……っ!?
全員、即座に作業を中止! 薬草から手を放せ!」
怒号が教室の空気を震わせた。
生徒たちが一斉に手を止め、ざわめきが広がる。
(よかった……先生は黒腐の魔喰草を知ってた……)
胸の奥で張りつめていた糸が、少しだけ緩む。
医師を育てる講師なのだから当然だと分かっていても、もし知らなかったらと思うと背筋が冷たくなる。
「どうされたのですか?」
動揺する講師に、テレネッサが静かに問いかけた。
「す、すまない。 用意した薬草に毒草が混じっていたようだ」
「!?」
「このまま回復薬を作ると危険だ。 今日はこれで授業を終わる。
皆、薬草で手を怪我していないな? かすり傷でも医師に見せること。
いいな!」
――はい!
講師の説明で事態は収まり、ミルシャが毒草を知っていることも悟られずに済んだ。
だが、授業が突然終わったことで、教室には不穏な空気が残る。
この後、学院側が調査に乗り出すのは間違いない。
黒腐の魔喰草が紛れ込んだ経緯――それを知りたいミルシャだったが、生徒の立場ではこれ以上踏み込めない。
生徒たちは一人、また一人と教室を後にし帰路につく。
その中で、テレネッサは右手を左手で庇い、真っ青な顔で教室を出ていった。
二日後の早朝。
朝の光が薄く差し込む台所で、ミルシャはいつものように食後のハーブティーを淹れていた。
湯気は白い糸のように立ちのぼり、ほのかな香りが三人の暮らしに静かな安らぎを添える。
食器の片付けが終わると、三人で世間話をするのが日課になっていた。
「そういえば、昨日お父さん居なかったよね?」
ミルシャが湯気の向こうからゼルに問いかける。
彼女の指先はカップを包み、香りを楽しむ仕草はどこか優雅だ。
「ああ。 急に宮廷治療院から緊急招集があってね。
王都で開院している医師が全員集められたんだ」
ルーファス王国の医師はすべて宮廷治療院に属している。
新しい病気や治療法など、急ぎの伝達があるときは必ず招集がかかる。
それがこの国の仕組みだった。
「少し問題が発生してね」
「そうなんだ。 で、黒腐の魔喰草の出どころは分かったの?」
――ブホッ! ゲホッ、ゲホッ!
ゼルが盛大にむせた。
「あなた、大丈夫?」
「あ、ああ……ちょっと驚いてね」
ゼルは咳を抑えながら、信じられないものを見るような目でミルシャを見た。
「な、何故知っているんだい!?」
「あたしが見つけたんだもん」
「確かに学院で発見されたとは言っていたが、生徒が見つけたとは言わなかったはずだが?」
「うんっ! 上手く誤魔化せた!」
ミルシャは胸を張る。
その無邪気さに、ゼルは逆に頭を抱えた。
「いや、そんなことより……触っていないだろうね!?」
「それは大丈夫」
「そ、そうか。 それならいいんだ」
ゼルは胸を撫で下ろすが、顔色はまだ硬い。
「そんなに危険なの?」
「僕も実際の症状は見たことがないんだ。
ただ、毒が体に入ってから症状が出るまで数日かかるらしい。
そして、毒の入った場所から肌が黒く変色し、腐り始める……。
放置すれば腐敗が全身にまわり、命を落とすと聞いている」
「だから“黒腐”なんだ……。 治療方法はないの?」
「解明はされている」
「それなら――」
「だが、解毒薬が作れない」
「え?」
ゼルは苦い表情で続けた。
「解毒薬は黒腐の魔喰草の“花”から採取すると聞いている。
もしそれが本当なら、この大陸では解毒薬を作ることは不可能なんだ」
ミルシャは息を呑む。
「先日の会議では、誰かが触ったということはないといっていた。
ただ念のため、ミッシェルから王都全体の調査をするよう、個人的に依頼を受けている。
精霊術で黒腐の魔喰草を探索してほしい――とね。
とはいえ、広い王都を隅々まで調べるのは難しい。
その間、誰も症状が出ないことを祈るばかりだ」
「そっか……じゃあ学院はあたしが調べてみる」
「それは助かる。
もし見つけても近づいては駄目だ。
そのままにして僕に教えてほしい」
「うん、わかった! あっ、時間になっちゃった!
それじゃ、お父さん、お母さん、行ってきます!」
「気を付けて行ってらっしゃい」
ミルシャは元気に手を振り、朝の光の中へ駆け出していった。
その背中を見送る二人の表情は、どこか暗い影を落としていた。
「ねぇ、あなた……ミルシャの薬草に混ざっていたのって、偶然なの?」
「……分からない。
いや、偶然入るものではないね……」
「じゃあ、誰かに狙われて?」
「どうだろう……もし故意だとすれば出所は分かるはずだ。
僕たちに配られている黒腐の魔喰草は、本数まで細かく管理されている。
後日、確認のために宮廷治療院へ持っていくことになっている。
誰かの所持しているものが盗まれた可能性が高い」
「悪意が無いことを祈りたいわ」
「ああ……」
通学の時間とはいえ、ミルシャが学院へ向かうのはいつも早い。
急ぐ必要はないはずなのに、今日は足取りが自然と速くなる。
毒草の調査を精霊術で行うため、胸の奥がそわそわしていた。
学院の階段を駆け上がる靴音が、朝の静けさに軽やかに響く。
「今から調べれば、ステファニーちゃんが来るまでに終わるよね。
問題はどこで精霊術を使うかだけど……」
学院の正門前から建物を見上げると、円形校舎の中心にそびえる鐘塔が朝靄の中で淡く光っていた。
「……この時間なら、大聖堂には誰もいないよね!」
言葉より先に身体が動く。
ミルシャは正門に飛び込み、大聖堂へ向かって走り出した。
正門から真っすぐ伸びる道の突き当たり――そこに学院の象徴ともいえる大聖堂がある。
朝一番に扉が開けられているのは、熱心に女神を信仰する生徒たちが授業前に祈りを捧げるためだ。
扉をくぐり入った瞬間、ミルシャは息を呑んだ。
朝日が差し込む大聖堂の内部は、まるで後光そのものだった。
祭壇の奥に立つ女神像が、天使の模様を描いたステンドグラス越しの光を受け、七色の輝きを纏っている。
学院が朝日を背に建てられている理由は、この光景のためだった。
「これだけ明るければ、精霊術で体が光っても気付かれないよねっ!」
ミルシャは祭壇へ駆け寄り、片膝をついてそっと手を合わせる。
「……一応、祈っておこうかな。
黒腐の魔喰草で被害者が出ませんように――」
祈りを終えると、静かに精霊術を発動した。
瞬間、ステンドグラスから降り注ぐ彩光の中に、精霊術の小さな光粒が舞い散る。
水の精霊使いであるミルシャのオーラは水の玉となって現れ、光を反射して七色の輝きをさらに増幅させた。
だが、目を閉じて集中するミルシャは、その幻想的な光景に気付かない。
「――黒腐の魔喰草は無いみたい」
精霊術は意識した成分を探知できる。
学院の敷地全体を覆うように意識を広げたが、目的の毒草はどこにも存在しなかった。
「良かった。 学院の中で注意する必要はもう――ん?」
術を解こうとした瞬間、頭の奥に奇妙な情報が流れ込んできた。
「学院の地下に、水分のない空洞がある」
地中には通常、豊富な水分が含まれている。
だが、足元の一部だけがぽっかりと乾いた空間になっていた。
「何だろう? 洞窟? ううん、通路かな。
通路の床に水が流れてる……ああ、排水のための通路かな?」
その通路は円形校舎に沿って張り巡らされ、さらに複雑な枝道が幾重にも伸びている。
「すごいなぁ……こんな大きな建物だと、排水もこんなに入り組んでるんだ」
ミルシャはそれを排水道だと疑わず、全体の形を詳しく探ろうとはしない。
だが、その地下構造は彼女が思うよりずっと複雑で、学院の秘密が孕んでいることをミルシャは考えもしなかった。
――コッ、コッ、コッ……
(いけない……誰か来た!)
大聖堂に響いた足音に、ミルシャの心臓が跳ねた。
反射的に精霊術を解き、光の粒がふっと消える。
静かに立ち上がり、振り返ると生徒が扉から入ってきた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
ミルシャは優雅にスカートの裾をつまみ、膝を折る。
ステファニー教わった朝の挨拶は、今や完璧な所作となっていた。
(ふふふ……完璧な挨拶だわ)
自分の仕草に満足しながら、大聖堂を後にするミルシャ。
大聖堂から正門までは真っ直ぐな通路が続いている。
ミルシャは馬車の停車場所へ向かって全速力で駆け出した。
「あ~、もういっぱい生徒いる~! そんなに時間かかってたかなぁ?」
焦りが足を速める。 朝の光が差し込む廊下を駆け抜け――。
――トンッ!
「きゃあ!」
脇から出てきた生徒の足に引っかかり、ミルシャは派手に転がった。
姿勢を保とうと床に手をついた瞬間、手首に鋭い痛みが走る。
「い、痛ったぁ……」
頭から落ちなかったのは幸いだが、手首をひねってしまったらしい。
「あら、ごめんなさい。 大丈夫ですの?」
「あ、はい、大丈夫! こっちが走ってたのが悪いから」
差し伸べられた手を握り、ミルシャはすぐに立ち上がる。
しかし、顔を合わせた瞬間、生徒の表情が変わった。
「貴方でしたの……まったく、これだから躾のなっていない平民は嫌ですわ」
「テレネッサちゃん……っ!?」
「気安く名前を呼ばないでいただけます?」
「………」
ミルシャは無言のまま、テレネッサの手に両手を添えた。
「な、なんですの?」
「……テレネッサちゃん。 もしかして、あの時毒草を触ってたんじゃない?」
「!?」
テレネッサの肩がわずかに震えた。
「もし触っていたのなら――」
「知りませんわ! お放しなさい!」
テレネッサはミルシャの手を振り払うように離れた。
「待って! 少し話を!」
「いい加減になさい! 不愉快ですわ!」
怒鳴り声が廊下に響き生徒の注目を集めると、テレネッサはそのまま教室へと去っていった。
残されたミルシャは、しばらくその背中を見つめていた。
(そんな――今感じたのは……)
ミルシャは、触れた物をオーラを纏わずとも感じ取ることができる。
本来は意識していなければ発動しない能力だが、精霊術を使った直後だったため、テレネッサの手に触れただけで黒腐の魔喰草の毒を察知してしまった。
それでも再度確かめるため、両手を添えて身体の状態を感じ取った。
(テレネッサちゃんは、黒腐の魔喰草の毒に侵されてる。
――でも、解毒薬は……)
救う方法がない不治の毒。
その影に、ミルシャは死神の姿を見た気がした。




