破滅の魔法陣③
――チチチ……チュンチュン。
――タッタッタッ!
朝のメロディを奏でる小鳥の声に混じり、石畳を軽やかに叩く足音が響く。
朝の空気を切り裂くように駆けていく少女は、一直線に学院へ向かっていた。
「いっちば~ん!」
学院へと続く長い階段を一気に駆け上がり、最後の一段を跳ねるように飛び越えて着地。
勢いのまま振り返ると、眼下には王城と街並みが朝日に照らされて輝いていた。
「絶景! 最高~!」
胸いっぱいに空気を吸い込み、城まで届きそうなほどの声で叫ぶ。
学院は海に面して建てられているため朝日は見えないが、その代わりに朝日を浴びた王城と街の煌めきを独り占めできるのだ。
「随分早いじゃないか」
そんなミルシャの背後――学院の中からほうきを持った男性が姿を見せた。
「おはようございます!」
「ああ、おはよう……ん? 君は確か……」
「新一年生のミルシャです! よろしくねっ、お掃除のおじさん!」
「こちらこそ……いや、お掃除のおじさんじゃなくて……」
訂正しようとする男性を置き去りに、ミルシャは元気よく手を振る。
「それじゃあたし、これから綿密な計画があるのでまったね!」
「そ、そうかい?」
走り去るミルシャを見送りながら、男性はぽつりと呟く。
「……一応、学院長なんだがね」
興味のない人の顔は覚えられない――それがミルシャの残念な特技だった。
そんなミルシャの本命は、先日出会った同い年の生徒にもう一度会うこと。
そのための“綿密な計画”とは――。
「ここで待っていれば、必ず通るわ!」
驚くほど単純だった。
徒歩で来る生徒はミルシャのように階段を登ってくるが、貴族は学院裏の馬車道を通る。
馬車を降りて学院の門をくぐれば、全校生徒が通る通路へと繋がっている。
つまり、そこで待ち伏せすれば必ず会える――という算段だ。
とはいえ、まだ朝早い。
ミルシャは二階の教室に荷物を置くと、一年から三年までの教室をぐるりと巡ってみた。
「やっぱり誰もいないね~」
続けて三階へ。
廊下を一周したところで、「生徒会室」と書かれた扉の向こうから物音がした。
ミルシャはそっと扉を開け、ほんの少しだけ覗き込む。
中では、水色の髪の男子生徒が、ミルシャに背を向け丁寧に部屋を掃除していた。
その所作は無駄がなく、まるで儀式のように静かで美しい。
「うわぁ、こんな早くから掃除してる……すごいなぁ。
あたしなんて、自分の部屋すらしないのに」
ミルシャが小さく呟くと、男子生徒はわずかに微笑んだ。
しかし振り返ることはなく、気づかないふりをして掃除を続ける。
ミルシャはそっと扉を閉め、再び探検を続けた。
「さっきのお掃除おじさんといい、この学院の人は掃除好きなのかな?」
そんなことを呟きながら、ミルシャは今度は一階の探検へと足を向けた。
一階には職員室をはじめ、自由活動の拠点となる部屋がずらりと並んでいる。
栽培施設では薬草や珍しい植物が整然と育てられ、ほのかに土の匂いが漂っていた。
さらに建物中央には、空へ向かってそびえる鐘塔と、その下に荘厳な大聖堂。
そして、大聖堂と並ぶように全校生徒が集まる大講堂が構えている。
職員室にはすでに何人か出勤しているようだったが、用事を頼まれては困ると、ミルシャは壁際をそっと歩き、見つからないように通り過ぎた。
三十分ほどの探検を終え、ミルシャは最初に訪れた通路へ戻ってきた。
すると、さっきまで誰もいなかった廊下に、ちらほらと生徒の姿が見える。
「あ、もう人が来てる。 まだ来てないよね?」
歩いてくる生徒のほとんどは階段を登ってきた組で、馬車の気配はない。
ミルシャは通路の端に寄り、そわそわと落ち着かない様子で待ち続けた。
やがて、一台の馬車が門の前に止まり、侍女らしき女性が丁寧に頭を下げて扉を開ける。
ミルシャは期待に満ちた笑顔で、降りてくる生徒を待った。
しかし、姿を現したのは背の高い女生徒。
肩を落としつつ、次の馬車を待とうとした――そのとき。
背の高い女生徒は、真っ直ぐ通路を歩いてくると、突然ミルシャへ鋭い視線を突き刺した。
――!?
ミルシャは反射的に女生徒の手の届かない距離まで跳び退き、スカートを捲って短剣に手を――あてようとしたが、ここは学院。 武器など持っているはずもない。
「………」
「………」
わずかな睨み合いが続いたのち、女生徒はふいに視線を外し、なぜか馬車の方へ戻っていってしまった。
「……びっくりした。
本気のお父さんに、稽古で向けられたときみたいな感じだった。
……ううん、違う。 あれは殺気? ――まさかね。
あたし初対面だよね? あんな気を放つ人なら、さすがに覚えられそうだけど」
父からは、攻撃的な視線を向けられたときは、まず間合いを取れと厳しく叩き込まれてきた。
「ん~、学院って危険な場所なのかな?
でも武器持って登校したら怒られるだろうし……冒険者の小道具くらいは持って歩いた方がいいのかなぁ」
思わぬ女生徒の出現に、緩んでいた緊張の糸がピンッと張り詰める。
その女生徒は馬車の乗降場所近くに立ち、何をするでもなく、ただ静かに佇んでいた。
通学時間となり、次々と馬車が学院へ到着しては生徒を降ろし、また去っていく。
その間も女生徒は何もせず、ただ通り過ぎる馬車の家紋を眺めながら佇んでいた。
あきらかに誰かを待っている。
何台かの馬車を見送り、続けて入ってきた一台を見た瞬間――ミルシャの身体がピクリと動いた。
その馬車は、他では見ない白塗りの豪奢な馬車。 牽くのは白馬。
まるでおとぎ話の登場シーンそのものだった。
扉が開き、中から生徒が降りてくる。
たまたま居合わせた生徒たちが一斉に頭を下げた。
ミルシャに視線を向けた女生徒も丁寧に頭を下げて挨拶をする。
「ごきげんよう、ステファニー様」
「ごきげんよう、リーリア様。 皆様も、ごきげんよう」
馬車を降りてすぐ、優雅に挨拶を振りまく少女――ステファニー。
(あれ? こんな挨拶するんだっけ?
“ごきげんよう”って、なに?)
貴族の挨拶など知らないミルシャには、みんなが何を言っているのかさっぱりだった。
(でもっ! そんなこと、あたしにはどうでもいいわ!)
たった今馬車から降りてきた少女こそ、ミルシャが待ち望んでいた“お友達候補”その人だった。
ミルシャは、近づいてくるステファニーに胸を高鳴らせながら、今か今かと挨拶のタイミングをうかがう。
そして――ついに!
「おはよう! ステファニーちゃ――!?」
ミルシャは通路の端から勢いよく飛び出し、思いっきり抱きつこうとした。
だが、その進路を塞ぐようにリーリアが覆いかぶさってきた。
「ええっ!? ちょちょちょ!」
勢い余って止まれないミルシャ。
「なぁ~んて!」
ミルシャはリーリアの伸ばした腕を逆に利用し、体重のかかっている方向へグイッと引っ張る。
自分はくるりと一回転して、華麗にすり抜けた。
――ハグッ!
「きゃっ!」
「おはよう! ステファニーちゃん!」
突然の抱擁に、ステファニーは目を丸くした。
「あたし、ミルシャだよ! 同じ九歳だから仲良くしてく――おわぁっ!?」
言い終わる前に、ミルシャは背筋に走る“殺気”を感じ、反射的にしゃがむ。
その瞬間、頭上を激しい風が横切った。
「い、いま、頭に“げんこつ”が当たりそうだったよ!?」
「……当てるつもりだったのに……」
「ほんの少し近くで、元気に挨拶しただけだよぉ」
「初対面で抱きついて挨拶する人などいない」
「ここにいるっ!」
――タタッ! ブンッ!
リーリアは一瞬で間合いを詰め、再び拳を横に振り抜く。
ミルシャは飛んでくる拳に腕を当て、はじき返すように力を入れつつ自分の身体を下げ、拳の軌道からそらした。
「ふふ~ん! そんなじゃ、当たらないよぉ~!」
「!?」
ミルシャの動きは、まるで小動物のように軽くそして予想外だった。
当然、女生徒を怒らせてしまう。
だが、ミルシャは楽しくて仕方がなかった。
目の前の女生徒から闘争心がふつふつと湧き上がるのが分かる。
次の攻撃が来ると身構えたが、女生徒はスッと肩の力を抜き、戦意が消えていくのを感じた。
「――ふぅ。 ステファニー様、大丈夫ですか?」
さらに一手を期待していたミルシャは拍子抜けする。
女生徒は大きく深呼吸し、戦いをやめてしまった。
「あ、あれ? もっと遊ぼうよ」
しかし女生徒は聞く耳を持たず、ステファニーの様子を伺っている。
「ステファニー様? どうされました?」
突然のハグに驚いたのか、ステファニーは赤い顔をして俯いていた。
「……ちゃん」
ステファニーは小さく呟いたが、ミルシャには聞き取れない。
「調子悪かったら診てあげるよ? ステファニーちゃん!」
「!!」
「ま、またお前は!」
女生徒の隙をついて、ミルシャはまた抱きついてしまう。
女生徒の拳が空を切り、ミルシャを引きはがそうとする。
「あはは! それじゃ、また明日挨拶するね、ステファニーちゃん!」
「もうするな!」
「いやだもん! お友達になってくれるまで何度でもやる! あはは!」
そう言い残し、ミルシャは軽快に走り去っていった。
「まったく……大丈夫ですか? ステファニー様」
「……ステファニー……ちゃん……お友達……」
頬を赤く染めたまま、ステファニーは呟き続ける。
「ステファニー様?」
「は、はい。 少し驚いただけです。 教室へ参りましょう」
「はい」
二人は何事もなかったかのように歩き始めた。
その様子を遠目に見ていた生徒たちは、誰もが“王女に顔を覚えてほしい”と願い、声をかける機会をうかがっていた。
だが、ステファニーの傍らに立つ女生徒が護衛であることは明白で、とてもミルシャのように気軽に声をかける勇気はなかった。
そんな中、鋭い目を向ける三人の生徒がいた。
そのうちの一人は、初日に特別学科でミルシャを見下した令嬢だった。
「あの子、薬医師を目指すだけでは飽き足らず、ステファニー様に対してもあんな不敬を行うなんて……思い知らせてあげなければ気が済みませんわ」
「テレネッサ様、どうされるのですか?」
「フフフ。 薬医師科の初期は薬草の目利きだったわね?」
「確かそのはずです」
「私にいい考えがありますわ」
テレネッサは白銀細工の扇子を口元に当て、鋭い目をミルシャの走り去った通路へ向けた。
それからというもの、毎朝の日課のようにミルシャとリーリアの手合わせが繰り広げられることとなった。
リーリアは必死にミルシャを捕まえようと追いかけるが、ミルシャはその全てを軽やかにかわし、ステファニーへの朝のハグを成功させる。
どうしても捕まえられないミルシャに、リーリアは二人の生徒を頼み、三人がかりでミルシャを止めにかかった。
だが――人数が増えても、リーリアほどの身体さばきはない。
三人がかりでも、ミルシャを止めるには役不足だった。
「あはは! おはよう、ステファニーちゃん! そろそろ、お友達になってくれる?」
「それは……」
「いけません、ステファニー様! このような無作法な輩をお友達などと、お認めになっては駄目です!」
「ええ~? 作法は苦手なんだけどなぁ」
「――宜しいですわ」
「本当!?」
「はい。 ですが、一つ条件があります」
「なになに?」
「明日の御挨拶で、見事私に触れましたならお友達になります」
「それでいいの!? うんっ! 分かった!」
ミルシャは飛び上がって喜び、スキップしながら自分の教室へ向かっていった。
「宜しいのですか? ステファニー様」
「ええ、大丈夫です。
だって、今まで私、一度も避けていませんでしたから。
うふふ……避ける私を捕まえられるかしら?」
ステファニーは怪しい笑みを浮かべながらも、どこか楽しそうに胸を弾ませていた。
――翌日の朝。
いつものように早朝の王都を駆け抜けるミルシャ。
王都の朝は早い。
仕込みを始める商人、依頼のために出発する冒険者――街はすでに活気で満ちていた。
「おはよ~!」
「おう! 今日も早いな!」
「うんっ!」
通い始めて十日。
すれ違う“挨拶仲間”も増え、ミルシャの元気な声は街の朝の風景の一部になっていた。
そして最後の難関――二百段の上り階段。
大人でも息が上がるその試練を、ミルシャは小さな体で毎朝駆け上がる。
――タタンッ!
全ての階段を登り切り、最後の一段で大きくジャンプして着地。
「今日も一番! ――あれ?」
いつもは誰もいない通路の先で誰かが立っている。
「残念ですけど、今日は三番手です」
「ステファニーちゃん!」
顔を見るや否や、ミルシャはダッシュで駆け寄り、いつもの挨拶をしようとした。
だが、その足をリーリアの存在が止める。
「ふぅ~ん……今日は手加減してくれないんだね。
その手にしているのって――剣?」
リーリアはステファニーの前に一歩進み、長い布に包まれた棒をミルシャに見せた。
「今日から武術の時間が始まる。
私は剣術を受けるから、慣れた木剣を持参した」
「今使うの?」
「いや。 だが――うっかり手にした木剣が当たってしまうかもしれない」
「あ……そういうことなんだ。
じゃあ、いつもより大きく動かないとね」
「やめるなら今の内だが?」
「やめる? まさか!
折角、リーリアちゃんとの楽しい時間やめられないよ!」
「……楽しい?」
「うんっ!
それに、今日ステファニーちゃんに届けば、念願だった初めての友達になってくれるんだもん! 負けないよ!」
「初めて……?」
「あたし、今まで他の子と遊んだことなくて、ステファニーちゃんに初めての友達になってもらうんだ!」
ミルシャの言葉に、ステファニーはそっと俯いた。
その肩がわずかに震える。
「じゃ、行っくよ~!」
袋に包まれた木剣を握りしめ、リーリアは息を潜めた。
次の瞬間――床を擦る靴音が地を引っかくような鋭さで耳に届く。
リーリアの木剣が地面をなぞるように払われる。
しかしミルシャは軌道を読み、小さく跳ねて木剣を飛び越えかわした――はずだった。
ところが木剣は突然軌跡を反転させ、まるで弾力を持った球が跳ね返るように、予想外の角度で戻ってくる。
だが、ミルシャはその“戻り”すら読んでいた。
あえて離れるのではなく、逆にリーリアの懐へ踏み込むミルシャ――常識外れの選択。
「っ――!」
懐に入られたリーリアは、木剣を振るために後方へ跳ぶ。
その一瞬の判断が、致命的な隙となった。
ミルシャはリーリアが下がることを計算し、力の抜けた木剣を脇の下で力強く絡めると、リーリアとは逆方向へ軽やかに跳んだ。
袋に包まれた木剣は、リーリアの手を裏切るように滑り抜けた。
木剣を強く引き戻そうとした勢いのまま、リーリアは後ろへ転がり倒れる。
ミルシャの視界が広がる――そこにはステファニーが静かに立っていた。
ステファニーまで、あと一歩。
その一歩が、ミルシャの胸に確信を灯す。
ミルシャは喜びの中で、ステファニーへ両腕を伸ばした。
――フッ……。
「――えっ!?」
その瞬間、風が止まり、世界が静まり返った。
「避け……た?」
「うふふ」
ミルシャは空を抱き、驚きの表情を向ける。
「もう一回!」
ミルシャは本気でステファニーを捕まえようとする。
――フッ……。
「………」
だが、それはまるで舞い降る花びらのように、掴もうとする力を受け流し、ミルシャの腕をスルリと抜けていく。
「うふふ、私の勝ちですわね」
「……避けた」
「え?」
「う……うう……うわあぁぁん!
ステファニーちゃんが避けたぁぁ!
そんなに、あたしのこと嫌いだったんだぁ! うわあぁぁん!」
「えええ!?」
勝ちを確信していたミルシャは、突然泣き出し、その場にうずくまってしまった。
「うわあぁぁん!」
「い、いえ、嫌いだなんて誤解です!
こ、これは……そう! 純粋な勝負だったのです!
決してミルシャ様を嫌いというわけではないのです!」
突然泣かれたステファニーは動揺し、必死に弁解する。
「ほ、ほら、またお手合わせすればいいのですから、起きて泣き止んでください」
「うわあぁぁん!」
必死に取り持とうとするステファニーに、ミルシャは泣きじゃくりながら抱きついた。
そして顔をステファニーに埋めたまま、何事もなかったかのように泣き止む。
「………」
「お、落ち着かれましたか?」
「……あたしの勝ち……」
「はい?」
ミルシャは顔を伏せたまま、ステファニーを離さない。
「ステファニー様……騙されています」
「はい?」
ゆっくりと立ち上がったリーリアが呟くように言った。
ミルシャは伏せていた顔を上げ、満面の笑みを浮かべる。
「あたしの勝ち! これでお友達!」
「……だ、だましたのですか!?」
「ううん、念入りに練った至高の策!」
「そんな!? ……はぁ、分かりました。
ミルシャ様を私の“初めてのお友達”と認めます」
「やったぁ!!」
泣きまねとはいえ、確かに気を許し隙を見せてしまったステファニー。
ミルシャは両手を上げて喜んだ。




