破滅の魔法陣②
今日は、ルーファス王国が年に一度だけ、世界の商流の中心へと変貌する盛大な祝祭の日だった。
三日間続く大祭の幕開けに合わせ、王都は夜明け前からざわめきに満ちている。
王宮の廊下では侍女たちが忙しなく走り回り、城内が鼓動を早めているかのように王都全体が熱を帯びていた。
さらに、この三日間に合わせて他国の要人たちも続々と入国していた。
祭りを楽しむ――それは表向きの理由にすぎない。
実際には、王都のあちこちで密やかな対談が行われ、新たな商いの流れが生まれようとしていた。
華やかさと緊張が同時に渦巻く、この独特の空気こそが祝祭の姿だった。
期待と思惑が混ざり合い、街全体が一年を迎える準備をしている。
それでも、この祭りの主役は十五歳の“成人の儀”を迎える子供たちだ。
初日、国王はセイレーン学院に赴き、全校生徒と、各地から旅してきた新成人たちへ祝辞を述べる。
王都へ初めて足を踏み入れる子供たちの胸は期待で膨らみ、学院の広大な敷地は色とりどりの衣装と笑顔で埋め尽くされる。
学院は三年間の学び舎であり、卒業式という形式は存在しない。
この日行われる“成人の儀”こそが卒業の証であり、資格を得た者も得られなかった者も、この日を境にそれぞれの道へ歩き出す。
たとえ資格を取れなくとも、学院で学んだ三年間は尊ばれ、その経験は将来の道を照らす灯となる。
二日目は新一年生の“歓迎の儀”。
学院長の言葉が、厳かな鐘塔の真下にある大聖堂に響き渡り、新旧の生徒たちが厳粛に集う。
学院では身分差別を禁じているため、式典に参加するのは生徒のみ。
爵位を口にすることも許されず、生徒に上下関係は存在しない。
それでも、貴族の名は誰もが知っている常識として、空気の中に静かに漂っていた。
大聖堂の高い天井に反響する声は、新しい一年を告げる鐘の音のように澄んでいた。
そして三日目。
王都は朝から晩まで踊りと歌に満ち、成人した若者たちの門出を盛大に祝福する。
出店の香り、楽団の音色、笑い声、夜空を照らす花火。
そのすべてが混ざり合い、ルーファス王国の新たな一年が始まる。
夜空に開花する花火は、まるで星々が地上へ降りてきたかのようだった。
若者たちの未来を照らす祝福の光――そう思わせるほどに。
“歓迎の儀”から五日。
王都を包んでいた祝祭の熱はすっかり冷め、街はいつもの落ち着きを取り戻していた。
そして今日――ミルシャが初めて、セイレーン学院に登校する。
ミルシャは大きすぎる鞄を抱え、特別注文の小さな制服の裾を揺らしながら、ゼルとレリーナに見送られて家を飛び出した。
朝の光を受けて跳ねる左右の金髪が、まるで新しい世界へ向かう合図のようにきらめく。
王都には“一年学習”と呼ばれる基礎教育期間が存在しない。
富裕層の多いこの街では、家庭ごとに必要な教育を施すのが一般的だ。
家で教育できない者は、近隣の村や町の教会へ赴き、一年間の基礎学習を受けることになる。
その学習を経て、選ばれた者だけが通うことを許されるセイレーン学院。
ミルシャは薬医師を志望しており、ゼルとレリーナが毎日つきっきりで教えてきた。
数年に及ぶ熱心な指導の成果は絶大で、学力は同年代の中でも群を抜いていた。
学院に通う理由も、薬医師資格試験のためであり、いわば形式上の通学に近い。
だからこそ、ミルシャにとって学院は学びの場というより、未知の経験が詰まった新しい冒険だった。
胸の奥で期待が小さく跳ねる。
学院に到着すると、まず目に入るのはクラス分けが貼り出された大きな壁。
朝のざわめきと、初登校の緊張が入り混じった空気が漂っている。
「えっと~……あった、あたし五組だ!
ん~、補欠合格だから五組?
ふ……ふふふ……望むところよ……。
登り詰めて見せるわ、頂点に! あ~っははははは!」
突然の高笑いに、周囲の視線が一斉に集まる。
「な、なに、この子……?」
「えっ……あ、つい華麗な野望がこぼれてしまった……逃げよう」
ミルシャは苦笑いしながら、こそこそと人混みから離れた。
補欠合格だから五組というわけではないのだが、どんなことでも前向きに捉えるのが彼女らしい。
学院の学習内容をすべて習得済みのミルシャが補欠合格なのは不思議だが、ゼルは年齢によるものだと解釈していた。
当の本人は「学院に入れたから問題ないよ!」と、深く考える様子もなく喜んでいる。
「皆より三歳も年下だから背も低いし、席順は前にしてもらわないと。
とりあえず、入学案内にあった地図で五組に行ってみよう」
学院内は広大で、特別学科の教室や研究室が所狭しと並んでいる。
地図がなければ確実に迷うほど施設が多い。
二階が通常教室、三階には特別学科と生徒会室。
ミルシャの専攻である薬医師科も三階にある。
一階には職員室があり、自由研究部や食堂、各種研究施設が並んでいる。
面白いことに、各階の教室は円形の廊下で繋がっており、どの方向へ進んでも必ず目的の教室に辿り着ける――はずだった。
しかしミルシャは、なぜか円形の廊下をぐるぐると彷徨い、三周ほどした末にようやく一学年五組へ到着した。
息を整えながら、ミルシャは扉に手をつき頭を下げた。
「なかなか手ごわかったわ……」
ミルシャは肩で息をしながら教室へ戻る。
自分の席を探して視線を走らせると――。
「さて、あたしの席はっと……一番後ろだわ……」
綺麗に並べられた机。 その上には、まるで小さな塔のように教科書が積み上がっていた。
「しかも、机の上は教科書で一杯! あたしの体重と同じ重さあるんじゃないかな……」
冗談めかして呟くが、腕はすでにぷるぷるしている。
学院に通う子どもたちは、遠方から来る生徒であってもほとんどが貴族。
馬車通学が当たり前で、重い教科書を抱えて歩く必要はない。
だが――ミルシャは違う。
徒歩で通学し、一度は全部持ち帰らなければならなかったのだ。
「とほほ……まあ、鍛錬と思ってがんばろっと」
気合を入れて席に座るが、積まれた教科書の壁が高すぎて前がまったく見えない。
仕方なく、一番上にあった時間割を手に取る。
「午前中、一限目~二限目までが通常授業で、三限目は武術の時間。
お昼を食べて、四限目は専攻科目の特別授業――その後は自由研究部の時間なんだ。
今日はこの後、全校集会と教室に戻っておしまいなのかな?
なんにしても、明日からの授業楽しみ!」
声が弾む。
いつも両親に教わっていたミルシャにとって、先生に教わるというだけで胸が高鳴る。
ミルシャは積みあがった教科書に寄りかかり目を閉じた。
「……おいっ!……一番後ろの生徒……起きろ!」
「ん……ほぇ? ……ハッ!」
「まったく……大講堂に向かうぞ」
「あはは……」
気づけば教科書を枕に爆睡していた。
大講堂への入場が始まってから一時間が過ぎようとしているのに、五組の呼び出しが一向に来ず、眠ってしまったのはミルシャだけではなかった。
「入場だけで一時間待ちとか無いわぁ~……誰だって寝ちゃうよ……」
ぶつぶつ文句を言いながら、最後尾をトコトコ歩くミルシャ。
そのまま入れると思いきや、入口で止められ、一人ずつ名前を呼ばれ、お辞儀をして入場する形式らしい。
「うわぁ、顔見せな感じ?
ここで紹介したって、あたし一人も覚えられない自信があるわ……。
ま、あたしのことなんか誰も見ないでしょ」
そう思いながら、大きなあくびをひとつ。 緩み切った顔のまま入場するミルシャ。
その瞬間、大講堂にいた在校生たちの視線が一斉にミルシャへ吸い寄せられた。
『おい……あれが九歳で入学した平民の新入生か?』
『そうみたいだな……』
『小さくてかわいい!』
『でも、ぎりぎりの補欠入学って聞いたぞ?』
『そうなのか?』
『え? 私は二人とも成績はトップだったって聞いたわよ?』
『じゃあ、なんで補欠なんだ?』
『分からないわよ』
『二人って――もう一人は誰だよ』
『それは……』
本人はそんな視線の渦に気づくはずもなく、眠気に負けた瞳をこすりながら、ふらりと進み、椅子に腰を落とした。
「あ~、静粛に。
今日から新一年生となった君達のお披露目と、学院の形態について説明する」
朗々と響く声。
先日の歓迎の儀で祝辞を述べていた学院長が、壇上でゆっくりと視線を巡らせる。
「ここでは学院長に私が就いているが、もう一人――理事長として正教会の大司教が就任している。
見ての通り、学院は教会に属する施設であり、学院全体を監督する立場にある。
だが、それでは方針に偏りが出てしまうため、王宮から命を受け私が赴任しているというわけだ」
淡々とした説明。 しかしその裏には、王政派と教皇派の均衡を保つための繊細な政治が透けて見える。
――そんな重たい話の最中。
「うぐ……ぐぐ……ぐうぅぅぅ――スヤ~Zzzz」
ミルシャは、限界だった。
椅子に沈み込むようにして寝ていた。
『おぉう……凄いなあの子、俺入学したては緊張して眠気なんて感じなかったよ』
『私も……』
『やっぱり、九歳で入学するだけあって普通とは違うな』
大講堂の空気が、妙な一体感を持ち始める。
誰もが学院長の話より、すっかり熟睡している小さな新入生から目を離せない。
学院長の話が終わり、続いて紹介された理事長が前に出る。
もちろんミルシャは起きない。
さらに、生徒会長の挨拶が始まる。
生徒会長もミルシャが気になるらしく、壇上から生徒の隙間越しにチラチラと視線を送っていた。
普段なら気配に敏感なミルシャだが――
この大講堂はやけに暖かく、椅子は丁度良い角度。
何より大勢の視線が心地よい毛布のように彼女を包み、起きる気配はまるでない。
「それでは最後に、九歳にて見事首席で合格され、ご入学を果たされたステファニー様より、新入生代表挨拶です」
「Zzzz……えっ!! 九歳!?」
ミルシャは跳ねるように席を立った。
寝起きのまま驚愕し、目をぱちぱちさせる。
ミルシャは同学年から見ても背が低く、頭がちょこんと列の上に出るだけだった。
「ん~、見えない~!」
壇上のステファニーを見ようと背伸びするが、まったく届かない。
その小さな姿に、周囲の生徒たちは思わず笑みをこぼした。
仕方なく椅子を前に出し、前の男の子の頭に手を乗せて椅子に立ち上がった。
「………」
「見えた! ありがと!」
「ど、どう……いたしまして……」
笑顔で礼を言われてしまえば、クシャクシャになった髪の文句など言えるはずもない。
けれど、そのおかげで人より頭一つ分飛び出し、ステファニーの姿をはっきりと見ることができた。
そして、当然ステファニーからもミルシャがよく見え、二人は視線を交わした。
「へぇ~、あたしと同じ歳なんだぁ。
それは、ぜひお友達にならないとねっ!」
ミルシャは嬉しそうに笑顔を向ける。
だが、見られた側のステファニーは、ほんの一瞬だけ目を合わせたあと、すぐに視線をそらし挨拶を続けた。
「わぁ、綺麗な髪~。 あたしの癖毛とは違うなぁ。
仲良くなって、お手入れの秘訣聞かないとね!」
学院では爵位による差別を禁じているため、司会はステファニーの身分を説明しない。
だが、一国の王女であることなど誰もが知っていて当然だった。
そのため、彼女には常に「お近づきになりたい」という思惑の目が向けられる。
ステファニーにとってそれは、ただの不快な視線でしかない。
ミルシャの笑顔も、所詮は同じ類のものだと――そう思い込んでしまった。
代表挨拶が終わり、ステファニーが席へ戻る。
そこは最前列、一年一組。
今回のクラス分けは王女の入学に配慮され、ある程度爵位で区分されていた。
一組は公爵~伯爵。
二組は子爵まで。
三組は男爵以下。
四・五組は平民。
学院の理念とは異なる、身分による線引きが静かに敷かれていた。
生徒たちが各教室へ戻ると、ミルシャは勢いよく教室を飛び出した。
目的地はもちろん――一組。
だが、廊下に出た瞬間、どれだけ走っても前に進まない。
足は空を蹴り続け、ミルシャはその場で宙に浮いたまま走っていた。
「どこへ行くつもりだ?」
「え?」
「え? じゃない。 まだ終わっていないぞ」
「あはは……」
制服の襟をつままれ、ミルシャはひょいと持ち上げられていた。
普通の生徒なら浮かせることなどできないが、体の小さいミルシャは、まるで首根っこをつままれた子猫のようにおとなしくなり、そのまま自分の席まで連れていかれてしまった。
クスクスと笑い声が広がり、教室の空気が少しだけ和らいだ。
「さて、皆席についているな。
この後は各自専攻である、特別学科の教室に移ってもらう。
武術の授業は後日見学してから決めることになる。
専攻の教室は、配られている案内にあるから各自向かってくれ。
それが終われば今日のところはそのまま帰ってよし。
明日に備えてくれ」
――はいっ!
教室に明るい返事が弾けた。
その声と同時に、ミルシャは椅子から跳ねるように飛び出した。
(よし、一組に行けば彼女に会える!)
期待を胸いっぱいに詰めて一組の教室へ駆け込む――が、そこには静寂だけが広がっていた。
「う~、残念……」
肩を落としながらも、すぐに気持ちを切り替え特別学科の教室に向かう。
三階へ向かう階段を上がり、二周ほど迷子になった末、ようやく薬医師科の教室へたどり着く。
「こんにちわぁ!」
勢いよく扉を開け、元気いっぱいに挨拶する。
しかし――返事は、ない。
六人ほどの生徒がいたが、誰もがミルシャを見て目を丸くし、まるで異人が迷い込んだかのような表情を浮かべていた。
「初めまして~、ミルシャです! 宜しくお願いします!」
気にせず自己紹介をやりきるミルシャ。
「……貴方、教室を間違われてはいませんこと?」
近くにいた金髪の女生徒が、巻き髪を揺らしながら上品な声で問いかけてくる。
その瞳は宝石のように澄んでいるのに、どこか冷たい光を宿していた。
「へ?」
「九歳で入学したという、平民の方ですわよね?」
「うんっ!」
「ここは、医師を目指す者が踏み入れてよい教室ですわよ?」
「薬医師希望でっす!」
「ご冗談を……悪いことは申しませんから、自分に合った専攻に変えてもらいなさい」
「大丈夫! あたしに合ってる専攻はここだから!」
「聞き分けの無い子ですわね。
平民の分際で至高の医師を目指すなんて――」
「問題ないですよ」
女生徒の言葉を遮るように、柔らかな男性の声が割って入った。
「!!」
声の主は、一人の男子生徒。
その姿を見るなり、女生徒は緊張のあまり硬直してしまう。
「僕も平民ですが、皆さんと同じ薬医師を目指しています。
なれるかどうかは、誰にも分からない未来の話です」
「それは……そうですが……」
女生徒は言葉を詰まらせ上手く話せない。
「九歳での入学、おめでとう――ミルシャ」
男子生徒は柔らかく微笑み、その名を呼んだ。
「えっと……だれ?」
――その瞬間、教室の空気が止まった。
全員がミルシャを見た。
驚愕と、呆れと、そして少しの笑いが混じった視線で。
「あはは……君はずっと寝ていたからね」
「うん! 気持ちよく寝れた!」
「改めてまして、僕はルゥ。
君と同じ薬医師を専攻する三年生で、一応――生徒会長だから」
「そうなんだ! あたしミルシャ、よろしくねっ!」
「ああ、よろしく」
ルゥは右手を差し出し、ミルシャはその手を両手で握り握手を交わした。
ミルシャが初めてルゥに出会った瞬間だった。




