公爵令嬢の願い㉔
ミルシャを抱くステファニーとアメリア。
その二人の前へ、フェンイルとパティ、そしてルゥが足早に近づいてきた。
ケイト王太子は白騎士を伴い、セリアの部屋へ向かっていく。
雨に濡れた空気がまだ肌に残っている。
「騒ぎは落ち着きました。
みんな濡れていますから、すぐに着替えた方がいいでしょう」
フェンイルはステファニーの腕の中でぐったりとするミルシャを見つめ、静かに提案した。
「ステファニー様、まずはミルシャをどこかで休ませないと」
アメリアが声をかけるが、ステファニーは立ち上がろうとしない。
その瞳は、まるでミルシャから視線を離すことを恐れているかのようだった。
「アメリア……馬車の準備をしなさい」
「かしこまりました。
ですが、その前にミルシャの手当てを――」
「ミルシャは、私――フェンイルが責任をもって看病いたします」
フェンイルはミルシャの傍に膝をつき、そっと抱き上げようと手を伸ばした。
「ミルシャを城に連れていきます」
「え?」
ステファニーの言葉に、その場の空気が一瞬止まった。
誰もが耳を疑い、そして彼女の真剣な表情に言葉を失う。
「私が看病いたします。 すぐに馬車の準備をしなさい」
「……はい」
アメリアは深く一礼し、外へと駆けていった。
「本気ですか? ステファニー様」
「はい。 ミルシャが危険であるのなら尚のこと、城で療養するのが一番安全です」
「そうかもしれませんが……」
フェンイルはステファニーの瞳を見た。
その真っ直ぐな光に、説得の余地はないと悟る。
「わかりました。 では、私が馬車までお連れいたします」
「……お願いします」
フェンイルはミルシャを抱き上げ、アメリアの向かった方へ歩き出す。
その後ろでパティが口を開いた。
「セリア様には私からお伝えしておきます」
「宜しくお願いします」
「はい」
パティは丁寧に一礼し、セリアの控室へ向かっていった。
フェンイルはミルシャを抱え、ステファニーとルゥと共に馬車へ向かう。
その背中を見送る者たちの間に、不安のざわめきが広がる。
「あの女性は確か……聖女シャロン様に“異な者”と追い出されたという……」
「それってどういうことですか……?」
「わからんが……」
微かな陰口が、湿った空気の中で後ろ髪を引くように響いた。
フェンイルの胸に渦巻く不安が、現実の形を取り始めている。
外へ出ると、アメリアが誘導した馬車が門に横づけされ、扉が開かれていた。
フェンイルはミルシャをそっと寝かせ、自分は外へ降りる。
ステファニーとアメリアが乗り込み、扉が閉まると、馬車は王城へ向けて走り出した。
「僕もセリア様にご挨拶して、ゼル先生の所へ報告に行きます」
ルゥはそう言ってその場を離れようとしたが、フェンイルが呼び止める。
「待ってくれ。
ルゥには、少し付き合ってもらいたいことがあるのだが、いいだろうか?」
「かまいませんが……どういったことでしょうか?」
「先ほどの強い威圧を放ったエルフが、私の控室で寛いでいてね。
少し話を聞かせてもらおうと思っているんだ」
「!?」
「最初に受けた弱い威圧では、誰がエルフか分からなかったが、先ほどの威圧ではっきりと分かった」
「………」
「手荒な真似はしない。 少し話を聞くだけだ。
会場はめちゃくちゃにされたが、幸い死傷者は一人も出ていない」
「わかりました」
「よし、行こう」
「はい」
二人は大講堂へと戻り、フェンイルの控室へ向かって歩き出した。
嵐の名残がまだ空気に漂う中、静かな緊張が二人の背中に影を落としていた。
祝宴の余韻がまだ空気に残っているはずの大講堂は、今や教皇の企みによって地獄の残滓だけを抱えていた。
白騎士たちが瓦礫を運び、割れた装飾を片づけ、焼けたカーテンを外す。
その中に混ざる聖職者たちの姿は、一見すると献身的な協力者に見える。
だが、よく見れば違う。
彼らは視線を泳がせながら、今回の災厄の原因となった“燃える水”を、まるで罪を隠すように物陰へと回収していた。
フェンイルはその様子を見て眉をひそめる。
指摘して取り調べたいのだが、それをすれば、ミルシャの存在も無視できないものとなる。
王女がミルシャを連れ出したのは、その危険を避けるためだ。
今は目を瞑るしかなかった。
何より、教皇が黒幕だという証拠はどこにもない。
自作自演だと訴えれば、精霊術を使ったミルシャの立場はさらに悪くなる。
聖女に「異な者」と呼ばれた以上、どちらの言い分が信じられるかは火を見るより明らかだった。
「尋問して……自害しませんか?」
ルゥが不安げに声を落とす。
「さて、どうだろうな。 そうならないように話すさ」
フェンイルは静かに答えた。 二人は控室へと入る。
「起きていたか」
ソファには、手足を縛られ、口に布を巻かれたエルフが横たわっていた。
鋭い視線だけは自由で、二人を刺すように睨んでいる。
「君を捕まえた事は、私とこの者しか知らない。
騎士団に突き出すつもりもない。
だから、早まったことはしないと約束して欲しい」
エルフはフェンイルとルゥを交互に見て、静かに頷いた。
フェンイルは布を外し、紐を解き、エルフを自由にする。
対面のソファに腰を下ろし、ルゥはその背後に控えた。
――その瞬間。
空気が震えた。 弱い威圧が肌を撫で視界が揺らぐ。
突然、エルフの姿が消えた。
「フェンイル様!」
ルゥは慌てて周囲を見渡すが、どこにもいない。
フェンイルは目を細めた。
――バシッ。
何もない空間へと手を伸ばし、力強く掴む。
「ぐっ……!」
掴まれた腕とともに、エルフの姿が空間から滲み出るように現れた。
「無駄だよ。 君たちが幻覚を使うことは知っている。
心力を使うとき、威圧を伴うこともね。
それが分かってしまえば、あとは気配を辿ればいい。 簡単なことだ。
例え幻覚で自分の複製を作っても、君以外には気配がないから直ぐに分かる」
フェンイルは淡々と言うが、ルゥは完全に騙されていた。
「まあ、座りたまえ」
「………」
エルフは観念し、元居た場所に戻った。
「さっきも言った通り、君をどうこうするつもりはない。
答えられる質問にだけ答えてくれればいい」
フェンイルは穏やかに言い、ルゥへ視線を向けた。
「すまないが、そこのお茶を入れてくれるかな」
「はい」
ルゥは慣れた手つきでハーブを選び、精霊術で水を温める。
湯気がふわりと立ち上がり、控室の空気を柔らかくした。
三人分のハーブティーを淹れ、カップ二つテーブルの中央に置く。
ルゥは立ったまま、静かにカップを傾けた。
「毒なんて入ってないから、安心して頂くといい。
何なら好きな方を取ってもらっていい」
フェンイルの声音は柔らかいのに、どこか試すような響きを含んでいた。
エルフは一瞬だけ瞳を揺らし、並んだ二つのカップを見比べる。
やがて、彼は片方のカップを自分の前へと寄せた。
フェンイルは残った方を迷いなく手に取り、口をつける。
「うん。 美味しいね」
「……ありがとうございます」
「………」
フェンイルが毒を証明したにもかかわらず、エルフはカップを口にしようとはしない。
「さて、では始めようか」
フェンイルは椅子の背にもたれ、静かに視線を向ける。
その眼差しは、柔らかいのに逃げ場を与えない。
「まず、君は誰に頼まれてここに来た?」
「………」
「正教会の誰かに依頼されたのか……あるいは、全く別の誰かか」
「………」
「まあ、言えるわけないか」
「……知らされていない」
「え? 君は指示役ではないのかい? それほどの力を持っているのに」
エルフの肩がわずかに揺れた。
「そうか――それだと色々聞いても分からないね。
先日、王宮でもエルフを見つけたんだが、まさか国王の側近に潜り込んでいるとは思わなくてね。
対応に困っていたんだが、そちらに聞くのが早いか」
「!?」
「……その様子だと、これは知っていたようだね。
王政派と教皇派、両方にエルフがいるとは思わなくてね。
てっきり、君も教皇の密偵だと思ったのだが……違ったのだね」
「俺は“はぐれ者”……ただの“捨て駒”だ」
その言葉は、苦い血を吐くようだった。
「それほどの力を持って“捨て駒”と言われても、こちらとしては立つ瀬が無いのだがね」
「……あんた、英雄フェンイルだろう?」
「ほう、エルフに知られているとは光栄だ」
「一緒にいた司教たちが騒いでいた。 困った奴がいるってな。
なるほど、計画の邪魔になるはずだ」
フェンイルは肩をすくめる。
「気分転換に来ただけなんだが、おかげで君と話せて良かったよ」
「………」
「私を知っているなら、一つ聞いておきたい」
フェンイルの声が低くなり、空気がわずかに張り詰めた。
「私の息子に呪いを命じた者が正教会の中に居てね。 何か知らないかい?」
その瞬間、エルフの表情が怒りに震えた。
拳が机の下で強く握られる。
「俺は数日前にここに来たばかりだ。 正教会の話は全く知らない」
「……そうか。 では、次の質問を最後にしよう」
フェンイルは視線を逸らさず、静かに告げる。
「――暴動が始まるのは、いつかな?」
「………」
「バーンズ帝国が攻めてくると、何の罪もない人たちが命を落としてしまう。
その前に起こる暴動すら止められないだろう。
だからせめて、子供たちを避難させてやりたいんだ」
フェンイルの声は穏やかだが、揺るぎない。
その誠実さに、エルフの肩がわずかに震えた。
「君の存在は誰にも言わない。 だから、暴動までの時間が知りたい」
「………」
「駄目かい?」
エルフは俯き、強く拳を握りしめた。
やがて、絞り出すように言葉が落ちる。
「……十日後だ」
「ありがとう。
君の事は誰にも言わない。 このまま皆の元に合流するといい」
エルフは立ち上がり、無言のまま出口へ向かう。
「君の名前を聞いてもいいかな?
もし、私の助けが必要になったら、いつでもラングレイ領に来てくれ。
必ず力になろう」
「………ガリスン」
「わかった。 門番には友人として伝えておこう」
ガリスンは何も返さず、静かに扉を閉めて去った。
「フェンイル様、国王の側近のお話は……」
二人の話に聞き流せないものがあり、ルゥは直ぐに尋ねた。
「作り話だよ。 けれど、肯定されてしまったね」
フェンイルは苦笑する。
「バーンズ帝国が攻めてくる話も適当だったんだが、彼は否定しなかった。
陛下は知っているかもしれないけど、後で報告しておこう」
「本当にこのまま帰してしまってもいいのですか?」
「かまわない。 というか、彼は誰かに脅されているね」
「!?」
「弱みを握られているか……私と同じように家族を捉えられているか。
“はぐれ者”という言葉も気になる」
フェンイルは窓の外を見つめる。
その横顔は、英雄ではなく一人の父のものだった。
「どうにも、この騒動は一筋縄で収まりそうにない。
一番気になるのはミルシャの今後だが……。
あの二人が大きな力になってくれることを祈っているよ」
「はい……」
二人はその場を後にした。
ルゥがセリアの元へ向かうと、ミルシャの件を聞いたセリアがケイト王太子に懇願し、王城へ向かった後だった。
ミルシャが倒れたと聞き、セリアは真っ青になっていたという。
――それから数日、ミルシャが目を覚ますことはなかった。




