公爵令嬢の願い⑳
学院の長い階段を、まるで世界から切り離されたような虚ろな目で降りていく。
石段に落ちる影は冷たく、すれ違う者は誰一人いない。
学院の裏道から正門へ馬車を寄せられるため、わざわざ港から続く長い階段を登る者などいない。
だからこそ、この階段は静寂に満ちていた。
海から吹き上げる潮風が、ミルシャの沈んだ心をさらに深く、冷たく沈めていく。
「……あたし、また何もしてあげられなかった。
助けられる力があるのに……今度はその力が、あたしの行動を拒んだ……。
もう、侍女としても務まらないよね……」
階段を降りる足取りは重く、言葉は風に溶けて消えていく。
胸の奥に広がる絶望は、出口のない霧のようにまとわりついた。
学院の周りを真円に囲む二重の高い塀――そのいちばん外側の門を抜けると、ミルシャは足を引きずるように街の中へと消えていった。
――同刻。
王女のために用意された控室では、ベルーナの知らせを聞いたセリアが、まるで心を掴まれたように乱心状態となっていた。
「な、何故教皇様がいらっしゃるのですか!? ヨハン!」
「も、申し訳ございません!
教会の方からは、確かに大司教様がお見えになると伺っておりましたもので、まさか、このようなことになろうとは……」
「国王陛下と同じお立場の教皇様が来て、陛下がお見えにならないなど、ヘイゲル公爵家が“教皇派”と宣言したようなものですわ!」
「そ、それは……」
「……いいえ、今はそれよりもミルシャが心配です!
馬車の用意をしなさい! すぐにお迎えに行きます!」
「いけません!」
部屋から飛び出そうとするセリアを、ベルーナは体を張って止めた。
セリアの瞳は涙で揺れ、必死に前へ進もうとする。
「おどきなさい!」
「どきません! ミルシャ様は、ご自分で去ることをお決めになったのです!」
「わたくし……嫌ですわ!」
「ミルシャ様に対する聖女様の発言が、貴族の方々に知られてしまいました!
自分が居れば、生誕会に害を及ぼすと判断されたのです!」
「かまいませんわ!」
「気をお静めください!
それでは、今後のミルシャ様の立場も危うくなりかねないのです!」
「でも……わたくしはミルシャに傍に居て欲しいの……。
そう願うことすら、いけないことなのですか?」
セリアはその場に崩れ落ち、涙が床に落ちた。
サリナとベルーナが両手を取り、そっと椅子へ座らせる。
ヨハンも言葉をかけられず、重い沈黙が部屋を満たした。
――コンコン。
扉を叩く音が、静寂を破った。
サリナはハンカチでセリアの涙をそっと拭い、ベルーナが扉へ向かう。
「はい。 どちら様でしょうか?」
「ルゥです」
その名を聞いた瞬間、セリアは涙を隠すように背筋を伸ばし、必死に表情を整えた。
「どうぞ」
ベルーナが扉を開ける。
ルゥは丁寧に一礼し一歩中に入ると、そのまま横に移動し、後ろに立つ来客を招き入れた。
その姿を見た瞬間――セリアの瞳が大きく揺れた。
「お久しぶりです。 セリア様」
「ス、ステファニー様!」
セリアは震える足で立ち上がり、ステファニー王女へ歩み寄ると、その腕にしがみついた。
「ステファニー様……わたくし、ミルシャに取り返しのつかないことを……」
涙がこらえきれず、王女の足元に崩れ落ちる。
ステファニーも膝をつき、セリアの手をしっかりと取った。
「お話はルゥ様から伺いました。
ミルシャがここに居られなくなってしまったと」
「はい……わたくしは……」
「セリア様――ミルシャは大丈夫です」
「……え?」
「必ず心を鎮めて、セリア様の元に戻ってきます。
ですから今、セリア様がなさねばならないことは、帰ってくるミルシャのために、この生誕会を成功させることです」
「ステファニー様……」
「あの子は大丈夫。 必ずここに帰ってきます」
「………」
ステファニーの瞳は真っ直ぐで、揺らぎがなかった。
その確信に満ちた言葉は、セリアの胸に静かに灯をともす。
セリアは震える手でステファニーの手を握り返し、大きく深呼吸をした。
涙の跡を拭い、ゆっくりと気持ちを整えていく。
「もう……ステファニー様には叶わないですわ……」
「うふふ」
触れた指先にそっと力を込め、ステファニーはセリアを立たせた。
「お二人は仲が宜しいのですね」
ルゥが微笑むと、セリアもふわりと花が咲くような笑顔を取り戻す。
その瞬間、ステファニーの背後に控えていた側近の女性が静かに歩み寄った。
「お二人の関係は――そうですね。
私ども平民の言葉で伝えるなら、”古き悪友”です」
「「”幼なじみの親友”です!(ですわ!)」」
息の合った返答が、部屋の空気を軽やかに震わせた。
「だそうです」
「まったく、アメリアったら!」
ステファニーは頬をふくらませ、側近を睨む。
その様子は、気品をまとったまま拗ねる猫のようで、どこか愛らしい。
「うふふ――相変わらずですわね、アメリア」
「恐縮です」
「ステファニー様も……お会いしたかったわ」
「私もです、セリア様」
セリアの声音は、再会の喜びをそっと包むように柔らかかった。
「そうですわね。
ミルシャもわたくしも、これから始まるのですから、伏せっている場合ではありませんわ。
ミルシャも、わたくしの侍女になってくださるのですから、主がしっかりしないと」
その言葉に、ステファニーの耳がピクリと揺れた。
「……今、なんとおっしゃいました?」
「え?」
「私には、ミルシャがセリア様の侍女になったと聞こえたのですが?」
「その通りですわよ?」
「………」
ステファニーの表情から、穏やかな笑みがすっと消える。
胸の奥で、静かに火が灯る気配があった。
「セリア様? 私、ミルシャをご紹介したのは、気を落とされていたセリア様に希望を授けてくださると思ったからです」
「ええ、この御恩は感謝してもしきれませんわ。
おかげさまで、とても優秀な――傍に居て欲しい侍女ができたのですもの!」
「……差し上げませんわよ?」
「はい?」
「ですから、ミルシャは差し上げません」
「あら、ごめんなさい。 もう同意は得ていますのよ?」
「なっ!? そんなの撤回していただきます!」
「うふふ、もう遅いのですわ。 陛下の承諾も得ていますのよ?」
「な、なんですって!? お父様が!?」
――同刻、王城。
「うおっ!?」
ミッシェルは突然、背中に氷を落とされたような感覚に襲われた。
「どうされました? 陛下」
執政室で書類を捌いていた側近のキースが顔を上げる。
「い、いや……一瞬寒気がな」
「お風邪でしたら、お薬をお持ちいたしますが」
「大丈夫だ、必要ない」
「かしこまりました」
(う~む、今のは一体……)
娘に恨まれている事など、微塵も知らないミッシェルだった。
――学院に戻る。
「と、とにかく、ミルシャは差し上げません!」
「あら、わたくしが一歩前に出ておりますのよ?」
「な、何をおっしゃいますの?
私とミルシャの長い長~いお付き合いは、十歩は前に出ております!」
「あらあら、それは後ろに下がってしまわれたのではなくて? おほほ!」
「む! ――これは、ゆっくりとお話する必要があります!」
「望むところですわ!」
――バチバチッ
見えない火花が二人の間で弾ける。
空気がわずかに震え、部屋の温度が一度ほど上がった気がした。
その時、アメリアがすっと二人の間に立ち、優雅に頭を下げた。
「円満解決、おめでとうございます」
「「してませんっ!」」
「さようでございますか。 では、三つ巴の続きは後日のお楽しみにお持ち帰りください」
「「………」」
アメリアの言葉に、二人は渋々ながらも眉をひそめて頷いた。
「そろそろ、入っても宜しいかな?」
まるで嵐の後の静けさを見計らったかのように、廊下から落ち着いた声が響いた。
「あ、すみません」
ルゥは声の主に頭を下げ、部屋へ招き入れた。
入ってきた男性の後ろには、パティが丁寧に頭を下げて続いている。
「お初にお目にかかります、セリア様。
私はラングレイ領を任されております、フェンイル・ド・ラングレイと申します。
この者はご存じかと思いますが、侍女のパティと申します。
この度はお招きいただき、感謝の念に堪えません」
凛とした声が部屋に響く。
その姿は、まるで戦場から帰還した英雄が礼を尽くす瞬間のようで――空気が一瞬張り詰めた。
「存じておりますわ、ラングレイ男爵。
いえ――英雄、フェンイル様」
セリアは優雅に微笑む。
「光栄です」
「こういった催しに、ご自身は出席されないと聞いておりましたが……。
うふふ、それなのにパティさんと御一緒に見えられたということは、今回の事でご助力いただける――で、宜しいですわね?」
「もちろんです」
「これもまた、ミルシャが取り繕ってくれた縁ですわね」
「はい」
セリアは自分のために集まった面々を見渡し、静かに息を吸い込んだ。
その瞳は迷いなく、まるで夜空に浮かぶ星のように澄んでいた。
「ヨハン、直ぐに王城に出向き、教皇様が出席されることをお伝えしなさい。
招待状を持さないのは失礼ではありますが、事の顛末を伝えご指示を仰ぎなさい」
「わかりました」
「ベルーナは、教皇様の御出席に侍女たちが動揺しないように管理を」
「はい!」
二人は一礼し、足早に部屋を出ていく。
その背中を見送りながら、セリアは静かに次の指示を紡いだ。
「サリナ、すべては予定通りに事を進めてまいりますから、その様に準備なさい」
「はい。
では、そろそろ来賓の方々が見えられると思いますので、ご自分の控室の方にお戻りください」
「わかりましたわ」
「それでは、僕は不審な来賓が居ないか監視して回ることにします」
「ルゥ様、よろしくお願いします」
「はい」
「私とパティも目を光らせていましょう」
「よろしくお願いいたします、フェンイル様、パティさん」
「お任せください」
セリアはステファニーの手を取り、ふわりと微笑む。
その笑みは、緊張を溶かす春風のように柔らかかった。
「貴方のおかげよ、ステファニー様。
来てくださったこと感謝いたしますわ」
「お誕生日おめでとうございます、セリア様」
落ち着きを取り戻した二人の間に、アメリアが静かに声を差し込む。
「それでは私がミルシャ様をお迎えに行って参ります」
「そうですね、貴族でなければ入れませんし、顔を知っているアメリアにお願いしましょう」
「承りました」
丁寧にお辞儀をするアメリア。
だが、その瞬間――ルゥが軽く手を上げて言葉を挟んだ。
「ミルシャなら一人で帰って来られると思います。
学院には地下通路があり、そこから容易に入れると言っていましたから」
その言葉は、まるで静かな湖面に石を投げ込んだように、場の空気を揺らした。
ステファニーとアメリアの表情が一変する。
「記憶が戻ったのですか!?」
ステファニーが思わず声を上げる。
しかしアメリアがそっと背中に触れ、首を振った。
「記憶?」
「あ……いえ……」
「ミルシャは使用用途までは思い出せなかったようですが、魔法陣を形成するための通路だと言っていました」
「………」
二人は目を合わせる。
その沈黙は、過去の影を呼び起こすように重かった。
ルゥは胸の奥で静かに確信する。
(ミルシャに起きた異変をゼル先生に伝えたのは、間違いなくこの二人だろう。
けれど、素直に話してはくれなそうだね……)
思いが交錯する中、セリアがその場をまとめた。
「わかりましたわ。
では、ミルシャは本人の意志にお任せすると致します。
それでは皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
セリアは静かに頭を下げ、部屋を退室していく。
ルゥ、フェンイル、パティも続き、残されたのはステファニーとアメリアだけとなった。
「ステファニー様……」
「ええ、分かっています。
ミルシャの記憶が戻って、あの時のように錯乱するようでしたら、私たちで守ってあげなければなりません」
「はい、必ず」
二人は、どこか遠い昔を思い出すような目で、青く晴れ渡る空を見上げた。
――王都裏路地。
学院からミルシャの家へ戻るには、馬車なら大通りを大きく迂回しなければならない。
裏路地も通れなくはないが、人の波が絶えず、小さな荷馬車でもない限りかえって時間を食う。
そんな雑踏の裏路地を、ミルシャは魂の灯が風に揺らいでしまったかのように、ふらり、ふらりと歩いていた。
俯いた視線は石畳の影ばかりを追い、足取りは頼りなく、唇がかすかに震えている。
すれ違う人々の視線が、彼女の肩を刺す。
この国では膝を出すスカートも、肩を露わにしたドレスも珍しい。
エスコートする男性がいればまだしも、ひとりでその装いをしている女性は、どうしても良い印象を持たれない。
大人の女性は眉をひそめ、男性は心ない目を向ける。
子供たちは興味を隠さず、特に女の子は人形のような姿に胸をときめかせていた。
そんな思いが渦巻く街中の影に溶け込むように歩いていく。
「ん? あれ……ミルシャじゃないか?」
「……え?」
突然、耳に馴染んだ声が、薄い霧を裂くように届いた。
「おお、やっぱりミルシャだ!
そんな洒落た格好してるのなんて、お前くらいなもんだろ! ははは!」
「ホルフさん……」
声の主は、父ゼルの兄であり、ソルシャの息子のホルフだった。
ミルシャは、彼の背後にある家がソルシャの家だと気づく。
「そんな綺麗なドレス着て、パーティか何かか?」
「………」
「ああ、そういえば今日は学院で催しがあったな。
俺はそういうの興味ないから知らんけど、ハンターギルドから何人か警備に出てたよ」
「………」
「そうかそうか、その催しに出席した帰りという……おい、何があった?」
「………」
ミルシャは歯を食いしばり、喉まで出かかった言葉を必死に飲み込んだ。
「……まあ、家で休んでいけ」
「……うん」
ホルフはそっとミルシャの背を押し、家の中へ招き入れた。
中へ入ると、以前来た時よりも家具が減っていることに気づく。
空気が少し広く感じられ、静けさがやけに耳に残った。
「ドレスで木の椅子は座りにくいだろうが、我慢してくれ。
今、お茶を入れる。 美味しいハーブティーは期待するなよ?」
ホルフは椅子を引き、ドレスが引っかからないよう気遣いながら座らせると、笑いながら奥へ歩いていった。
ミルシャは、ソルシャが病に伏していた部屋へ目を向ける。
扉は開いていて中が見えるが――そこには、何も残っていなかった。
「家の中、スッキリしてるだろ?
母さんが旅立って、俺もハンター家業に終止符を打てたからな。
家を売って、冒険者として旅に出るつもりなんだ」
「……え?」
「葬儀の時、そう話したろ?」
「うん……」
ホルフは両手にカップを持って戻ってきた。
「家を残してもいいんだが、この場所は日当たりが悪くてな。
人が住んでないと湿気でやられちまう。
たまに帰って朽ちてるのを見るより、誰かに住んでもらって、遠くから懐かしむ方がいい」
「そうなんだ……。 うん、そうかもしれない」
「だろ?」
ホルフはミルシャの前にお茶を置き、自分も口をつけた。
「――それで、何があった?
精霊使いを知る俺になら、何でも話せるだろ?」
部屋を沈黙が包む。
ホルフは急かさず、ただ静かに待った。
開け放たれた窓から入ってくる潮風が、二人の頬を撫でながら通り過ぎていく。
ミルシャは、一つ大きく深呼吸すると静かに話し始めた。
「あたし……皆に迷惑ばかりかけてしまって。
今も、貴族様の生誕会で――」
ミルシャは今日の出来事を、そしてこれまでの経緯を、ぽつりぽつりと語り始めた。
ホルフは腕を組み、真剣に耳を傾けていた。
「なるほどな……ん~。 俺は口下手でな、人を言葉で励ますのは得意じゃないんだが……。
ミルシャの助けたいという気持ちは理解できる。 だが、全てを救うことなんてできやしない。
お前は、それら全てを完璧にこなそうとするから、些細なことで折れてしまう」
「そんなこと……あたし、完璧になんて……」
「今お前がここに居る。 それが証拠だ。
危険は伴うが、教皇様相手にお嬢様と事を起こす選択肢もあっただろう?」
「それは……そうだけど……」
ミルシャは息を呑む。
「ヘルパーの依頼では経験できなかっただろうが、ハンターには心に刻むべき鉄則がある。
それは、依頼内容を完遂することだ」
「それならヘルパーだって同じだよ」
「いや、違う。
例えば、荷馬車の護衛依頼を受けたとき、その馬車を無事現地まで届けることが仕事だ。
だが、そういう依頼がある場合は、必ずと言っていいほど盗賊に襲われる。
そういう荷物だからだ。
そんなとき、荷主と荷物を守りつつ盗賊と戦うわけだが、実はハンターギルドの契約には、人以外の護衛は入っていない」
「え?」
「荷馬車の護衛なのに、荷物は対象外なんだ」
ミルシャは言葉を失った。
ホルフは続ける。
「宝石が山ほど積まれていたら、その数だけ護衛対象になる。 そんなの守り切れるわけがない。
場合によっては、荷物を囮にして逃げることもある」
「それじゃ、荷主さんは困るんじゃ……」
「ああ、困る。
だが、荷主が無事なら依頼は成功なんだ。
もちろん、そうならんように準備はするがな」
ホルフはミルシャを見つめた。
「お前は、それら“全部”を守ろうとしている」
「………」
「例え全てを守り切り依頼が成功しても、依頼主が笑顔でなければ、それは失敗だ。
話しを聞く限り、お前に信頼を置いているそのお嬢様は、お前に笑顔を絶やしたことがあるか?
もしあるなら、それはどんな時だ?」
「……セリア様があたしに不安な顔を向けたのは……!!
そうだ――あたしが盗賊と戦うために、馬車から飛び出そうとした時……。
それじゃ、あたしが消えてしまった今のセリア様は!?」
ミルシャの声が震えた。
「セリア様?」
だが、ホルフはその名に眉を寄せた。
「――もしや、お前の言うお嬢様は、ヘイゲル公爵家のセリア様か?」
「え? あ、うん。 そうだよ」
「また狙われているのか。 公爵令嬢ともなると大変なんだな」
「また?」
ミルシャの問いに、ホルフは腕を組み重く息を吐いた。
「……他言無用の案件だが、そういう事ならミルシャには話してもいいだろう。
誰にも言うなよ」
「う、うん……」
「二年ほど前のことだ。
セリア様の乗った馬車が、身代金目当ての盗賊に襲われた」
「えっ!?」
「そういったことは、貴族の中では珍しい事じゃない。
護衛の騎士団に負傷者は出たが、幸いセリア様は無事だった。
本来なら、それで終わるはずだった――だが、終わらなかった。
その時、セリア様の侍女がセリア様と間違われてさらわれたんだ」
「!?」
「訳ありの侍女だったらしくてな。
セリア様と同じようにドレスを着ていたらしい」
ミルシャは息を止める。
「すぐにハンターギルドのAランクに極秘の指名依頼が出て、暗黙の盗賊狩りが始まった。 依頼は侍女の奪還。
侍女一人に、手の空いているAランク全員だぞ。 報酬額だけで貴族の館が建つ」
「………」
「その甲斐あって、盗賊のアジトはすぐに見つかり救出に向かった――だが」
ホルフは言葉を飲み込むように、静かに続けた。
「……セリア様ではないとバレていたらしく、その場で無残な姿になっていた」
「!?」
「第一発見者のハンターたちは怒り狂い、その場の盗賊を皆殺しにするほどに。
その後のことは何も分からん。
Aランクを招集したのも、事件を表に出さないためだった」
ミルシャの顔から血の気が引いていく。
(襲われた時のセリア様のあの表情……あたしは盗賊への恐怖だと思ってた。
でも違った。 あたしが――その人と同じようになってしまうのが怖かったんだ。
それなのに、あたしは馬車を飛び出して……どれほど心配させてしまったんだろう)
胸の奥がぎゅっと縮む。
もし自分が逆の立場だったなら――そう考えただけで、足の震えが止まらなかった。
「行かなきゃ……」
かすれた声で呟くと、ホルフが短く頷いた。
「ああ、それがいい」
ミルシャはゆっくりと立ち上がり、ホルフへ向き直る。
その瞳にはもう迷いはなく、いつもの芯の強い光が戻っていた。
「じゃ、行ってくるね!」
「ちょっと待て!」
勢いそのままに飛び出そうとしたミルシャを、ホルフが慌てて引き留める。
「お前、その恰好……武器持ってないだろう?」
「あ……」
「ちょっとまってろ」
ホルフは奥の部屋へ消え、しばらくして大きな木箱を抱えて戻ってきた。
テーブルに置き、ガサガサと中を探る。
「えっと……あったあった。
これ、ちょっと古いが母さんが足に着けていた隠し短剣だ。
それと、目くらましの発光玉。
まあ、その格好で持っていけるのはこのくらいか」
「嬉しい! ありがとう!」
ミルシャは短剣を受け取ると、ためらいもなくスカートをめくり太股に装着し始めた。
その瞬間――ホルフは「うおっ」と声にならない声を飲み込み、視線の置き場に困って固まった。
「つ、使わないのが一番だが……もしものためにな。 がんばれよ」
「うん! ありがとう、ホルフさん!」
「ああ」
ミルシャは大きく手を振り、勢いよく家を飛び出した。
ホルフはしばらくその場に立ち尽くし、見えなくなるまで見送った。
「やれやれ……まさかゼルの娘にドキッとさせられるとはな。
こりゃ本格的にいい人見つけないと……だな」
頭をかきながら、ため息まじりに苦笑するホルフだった。




