↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/75

公爵令嬢の願い⑰

 パティが城へ向かい、遅めの昼食を終えたミルシャは、胸の奥にふわりと灯る創作の火を頼りに、再びアトリエへ戻ってきた。

 裏口の扉を押し開けると、そこには帷(とばり)を張り巡らせる侍女たちの姿があった。

 夕暮れの光を吸い込むような深い紺の布が部屋との境に垂れ、厚手の生地が空気のざわめきさえ閉じ込めていく。

 その一角には、出入口を仕切る二枚の布幕が揺れ、まるで秘密の部屋へ続く扉のように静かに佇む。


 ミルシャに気付いたサリナが、優雅に一礼する。

 ミルシャも軽く頭を下げながら、視線をそっと室内へ走らせた。


(セリア様、一緒に来るって言ってたけど……?)


 どこを見渡しても、セリアの姿はない。


(用事が長引いてしまったのかな……)


 胸の奥で小さく呟き、ミルシャは階段を上がった。


「ごきげんよう、ミルシャ」

「こんにちは、お姉……様っ!?」


 二階へ足を踏み入れた瞬間、製作途中のマネキンの影から声が降ってきた。

 振り向けば、そこには一人掛けの椅子を持ち込み、本を片手に微笑むセリアの姿。

挿絵(By みてみん)

「な、何故二階に!?

 折角一階を模様替えされたのに、ここでは寛げないのでは!?」

「あら、わたくし一人で下に居るのは寂しいですもの。

 お邪魔はいたしませんので、こちらに居させてくださいませんこと?」

「それは……あたしも話し相手が居て嬉しいですけど……」

「では、決まりですわね」


 言い切るセリアの声は、どこか嬉しそうで、どこか拗ねたようでもあった。

 ミルシャは二階の散らかりを指摘しようとしたが――その必要はなかった。

 糸くずも紙片も跡形もなく、床は磨かれた鏡のように光を返している。


(こんな短時間に……サリナさん、凄いわ)


 昼食に出ていたのはたった一時間。

 侍女三人とはいえ、この手際は職人技と呼ぶほかない。


「この状態では、完成形が思い浮かびませんわ。

 ドレスの分かるスケッチはありませんの?」


 セリアは立ち上がり、紙と布を貼り合わせただけのマネキンを興味深そうに眺めながら、くるりと回った。


「完成イメージは私の頭の中だけになりまして……最初に何枚も描いたラフはありますけど……」

「拝見させていただけます?」

「えっと……」


 床に散らばって――と言おうとした瞬間、すでにサリナの手によって机の上へ整然と積まれていた。

 ミルシャはその束を手に取り、一枚一枚めくっていく。

 そして――目的のラフを見つけた瞬間、固まった。


(こ、これ……セリア様に見せていいのかな……)


 その絵は、裁縫師のラフ画というにはあまりに幼く、どう見ても”幼児が描いた王女様”だった。

 衣装デザインというより、気持ちだけが先走った落書きに近い。

挿絵(By みてみん)

「どうされましたの? 見せてくださいませ」


 促され、ミルシャは冷や汗を垂らしながら、視線を逸らして絵を差し出した。


「………」

「………」


 沈黙がやけに長く感じられた。


「……ミルシャ?」

「は、はいっ!」


 背筋を伸ばし、ミルシャはセリアの前に立つ。


「この絵――頂いてもよろしくて?」

「え? あ、はい。

 ドレスのイメージは頭にありますので、それでよろしければ……」

「ありがとう。 大切にいたしますわ」

「でも、その絵ではますます完成形が分からないのでは……」

「これはミルシャが、初めてわたくしのために描いてくださった絵なのでしょう?

 これほど嬉しいものは他にありませんわ。

 ドレスだけでなく、わたくしの顔まで描いてくださったのですもの。

 これは、わたくしの肖像画ですわ」

「ええ!? そんな大層な絵では――」


 言いかけたミルシャは、セリアの表情を見て言葉を失った。

 その顔は、優しさに満ちているのにどこか寂しげ。

 まるで、長い間誰にも触れられなかった心の奥を、そっと撫でられたかのような表情だった。

 ミルシャは胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。


「セリア様?」

「お姉様ですわ」

「お、お姉様!」


 そのやり取りは、まるで二人だけの秘密の合図のように、階上の空気に柔らかく溶けていった。


「……そろそろ、一階の準備も整いましたわね。

 少し書き物がございますので、後ほどお食事の時にでもご一緒してくださいませ」

「はい、喜んで……」


 セリアは絵をそっと本に挟み、まるで宝物を隠すように閉じると、静かな足取りで階段を降りていった。

 その背中が帷の向こうへ消える瞬間、ミルシャの胸に小さな違和感が触れていったが、それを深追いすることなく再びドレスへ向かい合い、針と糸の世界へ没頭した。


 それから夕刻まで、セリアが二階へ来ることはなかった。

 一度だけサリナが様子を見に来たが、集中しているミルシャを見て声を掛けずに戻っていった。

 やがて外は群青色に染まり、蝋燭のランプが揺らめくころ。

 再びサリナが階段を上がり、食事の支度が整ったことを告げて丁寧に頭を下げた。

 気付けば、アトリエには香草と肉の芳しい香りが満ちている。

 ミルシャは素直に返事をし、制作途中のドレスをそのままにサリナの後を追った。


(セリア様、いつまでここに泊まるんだろう。

 生誕会の準備もあるはずなのに……)


 そんな疑問を胸に抱きながら、帷で仕切られた部屋へ足を踏み入れた。


「え?」


 ミルシャは固まった。


 豪奢なカーテンは閉ざされ、ランプの灯りが柔らかく反射し、外からは中の様子が伺えない。

 その中心で、セリアが椅子に腰掛け、微笑みながらミルシャを迎えていた。


 だがミルシャが驚いたのは、その椅子とテーブル。

 そして、並べられた豪華な料理だった。


 昼間のソファと小さなテーブルではない。

 どうやって運び込んだのか分からないほど大きく、重厚な木製のテーブル。

 そしてその上には、高級料亭の料理が整然と並び、湯気と香りが優雅に漂っている。

 ミルシャは思わず、帷の外にある簡素なキッチンへ視線を向けた。


(こ、これ、どうやって? 調理師さん、ここに来ていたの?)


「さあ、ミルシャ。冷めないうちにいただきましょう」

「………」


 言葉を失ったミルシャの前方で、ヨハンが静かに椅子を引いた。

 その所作は、まるで王城の晩餐会で鍛えられた執事のように洗練されている。


「あ、ありがとうございます……」

「どういたしまして」


 ぎこちなく座るミルシャ。

 貴族御用達の料亭など行ったことのない彼女にとって、これは人生最大級の緊張だった。


(な、なんか……最近もこんなことがあったような……)


 頭の中で必死にテーブルマナーを思い出していると、サリナがワインボトルを手に近づいてきた。


「ミルシャはワインをたしなまれるのかしら?」

「飲まないわけではありませんが……すぐ眠くなってしまうので……」

「そうですのね。

 ではサリナ、料理に合う飲み物をお出して差し上げて」

「はい、セリア様」


 サリナは一度部屋を出て、すぐに戻ってくると、ミルシャのグラスに鮮やかな果実のジュースを注いだ。


「ありがとうございます」


 ミルシャが礼を言うと、サリナは柔らかく微笑んだ。

 続けて最初に見せていたワインを、セリアのグラスへと静かに注ぐ。


「それではいただきましょう」


 セリアはグラスを軽く差し出した。

 ミルシャも慌ててジュースのグラスを持ち、そっと重ねる。


――チンッ……


 澄んだ音が、帷に囲まれた小さな世界を満たした。

 二人は一口飲み、ナイフとフォークを手に取る。


(変な音を立てないように……優雅に……美味しそうに……)


 必死にマナーと戦うミルシャは、味がまったく分からなかった。

 その様子を察したセリアが、穏やかな世間話を振り、ミルシャの緊張を少しずつほどいていく。

挿絵(By みてみん)

 やがて食事が終わり、食後のハーブティーが二人の前に置かれると、ヨハンとサリナは静かに部屋を後にした。


「凄くおいしかったです、お姉様!」


 その純粋な笑顔に、セリアは優雅に微笑む。


「そう。 それは何よりですわ」

「こんな素晴らしい料理、誰が作ってくださったのですか?」

「先ほどまで、館の料理長が居りましたの。

 外出先でもおもてなしができるように、調理設備を備えた馬車もございますのよ」

「えっ……そんなものまで……! すごい……」


 アトリエの簡素なキッチンでは到底作れない品々。

 ミルシャは、ようやく全てに納得した。


「ねぇ、ミルシャ」

「はい?」


 セリアの声は、いつもより少しだけ緊張しているように聞こえた。


「わたくし、ミルシャにお願いしたいことがありますの」

「お願い? 良いですよ、何でも言ってください!」

「来年からになると思いますけれど……

 わたくしの専属の侍女になってくださいません?」

「そんなことで良いのでしたら、もちろん喜んで受けさせていただきます!

 ――ん?」

「まあ! とても嬉しいですわ!」


 即答した自分に、ミルシャは一拍遅れて疑問符が飛び交った。


「ちょ、ちょっと待ってください……それって、王太子妃の……王宮の侍女という事ですか!?」

「そうですわよ?」

「ええぇぇぇぇ!?」

「断られると思っておりましたから、本当に嬉しいですわ!」

「あ、え、う……」

「ありがとう、ミルシャ!」


 満面の笑みを向けられ、ミルシャはもう逃げ道を失った。

 頭が真っ白になり、引きつった笑みを浮かべるしかない。


「あたしなんかが務まるのかな……」

「あら、ミルシャほどの適任者が他に居りまして?」

「そ、そうでしょうか……」

「お医者様で裁縫師で、護衛としても申し分ないAランク冒険者。

 何より――人の為になれる精霊使い。

 最高の侍女ですわ」

「……人の為になれる精霊使い」


 その言葉は、ミルシャの胸の奥にそっと灯をともした。


「でも、ミッシェル様が許してくださるかどうか……」

「許可はいただけましたわ」

「え?」

「公務で外交も多いのが王族。 ミルシャには世界を見せてやってくれと、申されておりましたわ」

「……ミッシェル様らしいわね」

「よろしくお願いしますわ、ミルシャ」

「はい……お姉様」


 冷静に考えれば悪い話ではない。

 むしろ、今までの努力が認められた結果だと気付く。


(王宮勤めなら……ステファとも話せるし……嬉しいかも)


 ミルシャは胸の奥でそっと微笑んだ。

 その後も二人は、王宮での生活を想像して盛り上がり、気付けば就寝時間まで話し込んでしまっていた。


 ミルシャはセリアに手を振り、ヨハンとサリナに一礼して帰宅する。

 ヨハンは白騎士と合流し、交代で外の警戒へ。

 サリナはセリアの就寝の支度を整えていた。


「セリア様。 本日はミルシャ様とご一緒に就寝されると伺っておりましたが?」

「ええ……でも、今夜はやめますわ。

 一緒に寝てしまうと――涙が止まらなくなりそうですもの」

「……承知いたしました」


 サリナは静かに帷の外へと下がった。


 セリアはソファに腰を下ろし、そっと本を開く。

 そして、ミルシャの描いた絵の入った頁を開き、それとは別の頁に挟まっている紙を引き抜いて、ミルシャの絵と並べて本の上に乗せた。


「うふふ……見て。 ミルシャの描いてくれたわたくしの絵。

 貴方と同じ、とても優しい絵でしょう?」


 紙に描かれたもう一人の少女へ、セリアは指先を添える。


「貴方がなるはずだった、わたくしの侍女は……ミルシャが快く受けてくれましたわ。

 でも、貴方は怒るかしら……。

 どうか、わたくしたちを導いて……ネリス」


 一筋の涙が静かに頬を伝い、本の頁へと落ちた。

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。