公爵令嬢の願い⑮
先日の襲撃――胸の奥に残るのは、やはり教皇が残したあの言葉だった。
――ヘイゲル公爵家として最後の祝い。
“無事”に執り行われることを祈っておるよ。
その声音は、祝福というよりも、どこか呪詛めいた響きを孕んでいた。
「盗賊が生きていないのでは、神父を突き止めるのも難しいですよね」
「ええ、そうですわね。
教皇様の仰せになった言葉、あれが今回の襲撃を指しているとは到底思えませんの。
まるで、呪いの前触れのように感じましたわ」
セリアの声は静かに震えていた。
「生誕会は予定通り行うのですか?」
「もちろんですわ。 当日まで、あと七日。
遠方の来賓の方々はすでにこちらへ向かっております」
「危険ではありませんか?」
「本来は一般の方々にも開放する予定でしたけれど……今回の件で、身元の確かな貴族のみといたしました」
「それが良いと思います」
「ただ、生誕会を狙う理由がわかりません。
王太子殿下はご参加されますけれど、国王陛下はお見えになりません。
そのような場で惨事を起こすなど、考えにくいのです」
「ご婚礼に反対する者の企み、という可能性は?」
「ええ、それも踏まえて対策を――」
――コン、コン。
セリアの言葉を断ち切るように、扉を叩く音が部屋に響いた。
来客の予定はない。
空気が一瞬で張り詰め、ミルシャは反射的に立ち上がり、カウンターからナイフを取る。
ヨハンとサリナは、セリアを庇うように前へ出た。
「は~い、誰?」
ミルシャはいつも通りの声で、扉越しの来客に問いかける。
「ミルシャ、夜分にすまない。 少し、いいかな」
「ルゥ?」
「うん、僕だよ」
「わかった。 すぐ開けるね」
ミルシャはナイフを戻し、扉を開いた。
「――ルゥ?」
その名に、セリアが反応した。
「どうかした?」
「いや、無事ならいいんだ。
家の周囲に、妙な視線を放つ男たちがいてね。
昨日のことをゼル先生から聞いていたから、気になって声をかけてみたんだ」
「ああ、それは多分――」
「ルゥ様!?」
ミルシャの説明が終わる前に、セリアがヨハンとサリナの間から飛び出した。
「え? セリア様!?」
「ほ、本当に……ルゥ様でいらっしゃいますのね! ああ、なんてことでしょう!」
セリアは勢いそのままにミルシャを押しのけ、ルゥへ抱きついた。
「えええっ!?」
バランスを崩して尻もちをついたミルシャは、ぽかんとしたまま動けない。
いつものハグとはまるで違う、嵐のような抱擁だった。
「セ、セリア様までこちらに!?」
「まさかミルシャのアトリエでお会いできるなんて!
わたくし、ずっと探しておりましたのよ、ルゥ様!」
「僕を……ですか!?」
ルゥもさすがに動揺を隠せず、ミルシャは思考停止。
見かねたヨハンが静かに口を開いた。
「ルゥ様は、学院で共に学ばれた御学友でございます。
常に成績は一位、生徒会長を務められ、学院の貴公子と呼ばれておりました。
それはそれは、お嬢様方の憧れの的でございました」
「はぁ……まあ、在学中に噂は聞きましたけれど。
――というか、セリア様は私が入学した時に三年生だったのですね」
「さようでございます」
ルゥが在学中にモテた話は聞いていたが、本人は誰とも付き合っていないと言っていた。
(あたし……自分が抱きつかれた時は気にしなかったけど、王太子殿下の婚約者が男の人に抱きつくって、どうなんだろ……)
そう思いヨハンに視線を送るが、これといって気にしている様子もなく、いつもの紳士なヨハンが立っている。
「ル、ルゥ、とりあえず中に入って」
「あ、ああ……そうだね。
さぁ、セリア様。 中でゆっくりお話ししましょう」
「はい! もちろんでございますわ!」
ルゥは柔らかな微笑みをセリアへ向け、
まるで舞踏会のエスコートのように、そっとその手を取った。
(あれぇ? こんな所作、あたしにしてくれたことないんだけど?)
胸の奥に、ちくりと小さな棘が刺さる。
ミルシャは自分でも驚くほど、瞬間的に不快を覚えた。
(……まあ、あたしにされても困るけどね)
その棘はすぐに溶けて消え、ミルシャは肩をすくめて“やれやれ”と首を振った。
セリアはソファに座るのではなく、嬉々としてルゥを座らせると、自分はそのまま、ルゥの膝の上に腰を下ろした。
「セ、セリア様!?」
「お気になさらなくてよろしくてよ!」
ミルシャはこの瞬間、二人掛けのソファにしなかった自分を心の底から呪った。
「卒業してからのご足取りが全く分かりませんでしたので、
わたくし、とても心配しておりましたのよ?
平民の医師資格は難しいと存じておりましたから、
父に頼んで当家の推薦で、医師になっていただくつもりでしたの」
「申し訳ありません。
ゼル先生に推薦していただけて、無事に合格できました。
ただ、薬医院での推薦は前例がないとのことで、内密にと」
「よろしいですわ!
こうしてまたお会いできたのですもの、すべて良しでございます!」
弾む声に、部屋の空気が華やぐ。
ヨハンは窓際へ移動し外を警戒し、サリナは気を利かせてキッチンで洗い物を始めていた。
(あ、二人とも離れた……。
数年ぶりの再会なら、話したいことも山ほどあるよね。
あたしは二階で続きをしよっと……)
ミルシャは二人の前に立ち、そっと声をかけた。
「ルゥ、折角の再会みたいだし、少し時間を――」
「お嬢様」
いつの間に背後へ来たのか、ヨハンが静かに告げた。
「お時間でございます。
お迎えの馬車が到着いたしました」
「え〜、もうでございますの〜? 仕方ありませんわね〜」
セリアは口を細くして愚痴をこぼす。
その仕草は、これまでミルシャに向けていた“公爵令嬢の仮面”とは違い、可愛らしさが滲み出ていた。
(か、かわいい!
今までの私への言葉遣いと全然違う……まあ、そうよね)
ミルシャは思わず見惚れてしまう。
「そうですわ!
ミルシャはわたくしの生誕会にご出席なさいます。
ですのでルゥ様も、ミルシャのパートナーとしてぜひご参加くださいませ!」
「……ええっ!?」
ミルシャは首が取れそうな勢いで飛び上がった。
「い、今、あたしの出席が決定事項みたいに聞こえたんですけど!?」
「そのつもりで申し上げましたわ」
「貴族様以外はダメって言ってませんでした!?」
「あら? あなたはわたくしの――?」
「……妹です」
「はい、決定事項でございます!」
「うう……」
ミルシャは、まるで運命に押し流されるようにうなだれた。
「いや、でも僕にはご招待していただける理由が……」
「理由なら、山ほどございますわ。
学院の同期生で、生徒会長でいらして……それにゼル先生のお弟子様で――え? お弟子?」
セリアは、吸い寄せられるようにルゥの顔を覗き込んだ。
その距離は、息が触れ合うほど近い。
「な、何か?」
「もしや……ルゥ様も?」
「火の精霊使いです」
「ミルシャ!?」
ミルシャがさらりと暴露した瞬間、ルゥは目を丸くした。
「大丈夫。 ここにいる皆さんは、全部知った上で応援してくれてるの。
ミッシェル様から聞いたそうよ」
「そうなのか……」
「陛下にゼル先生、そしてミルシャさんにルゥ様まで精霊使いだなんて!
ああ、わたくし、精霊使いという存在が大好きになってしまいましたわ!」
セリアは膝の上に座ったまま、器用に身体をひねってルゥへ抱きついた。
「もう、ルゥ様にも絶対に生誕会へお越しいただかなくてはなりませんわ!」
「ミルシャは、平民と言っても家名がありますから良いと思いますが……僕は家名もない教会の孤児ですし……」
「ルゥ様……わたくしの生誕会にご出席くださるの……嫌ですの?」
セリアは両手を胸の前で合わせ、涙を含んだような瞳で見上げた。
その表情は、どんな騎士でも膝を折るほどの破壊力を持っていた。
「う……喜んで、お受けいたします」
「きゃあぁぁ! わたくし、とても嬉しゅうございますわ!」
歓喜の声とともに、再びルゥへ抱きつくセリア。
(セリア様にはルゥでも勝てないわね……ルゥって、こういう“お願い”に弱いんだ。
今度あたしも使ってみようかな……)
ミルシャは、ルゥに可愛くお願いする自分を想像してみた。
(……いや、無理だわ。
あたしはあたしらしく“お願い”しよっと)
ミルシャの“お願い”とは、「〜行くよ!」「〜しておいて!」など、断る余地のない命令形に近い。
だが不思議と、ルゥはそれを頼まれるのが嬉しかった。
「名残惜しいのですが、先日の今日ですし、もう戻りませんといけませんわ」
「またゆっくりお話ししましょう」
セリアはルゥの膝から降り、優雅に手を取って別れの挨拶をした。
「はい! ではまた明日!」
「うん。 また……明日?」
ルゥは焦ってミルシャを見る。
ミルシャはすでにセリアの行動を読んでおり、“明日来る”ことは想定の範囲内だった。
ミルシャは店の入り口の扉を静かに開けた。
そこには、先ほどまではなかった馬車が待ち構え、白騎士の護衛が二人、月光を受けて立っていた。
「はい。 お待ちしております、お姉様!」
ミルシャの言葉に、セリアはぱっと花が咲くように笑い、突然ミルシャへ抱きついた。
「それでは、ごきげんよう!」
セリアは手を振り、ヨハンにエスコートされ馬車へ乗り込んだ。
最後にサリナが出ようとした時、ミルシャが声をかけた。
「サリナさん、少し待ってください」
「はい」
ミルシャは急いで二階へ上がり、先日のドレスを手に戻ってきた。
「これをお返しします」
「はい。 確かに受け取りました」
ミルシャはドレスを渡す際、そっと手を離さず一言添えた。
「このドレス……どなたのですか?」
「!?」
サリナの顔が強張る。
「セリア様と同じ彩のドレスでしたから、一晩で用意するのは難しいと思って。
借り物なら、生誕会の時にお礼をと思っただけです」
「それは……」
「あ、もしかしてセリア様の昔のドレスですか?
お好きな彩なら、似ていても不思議じゃないですね」
「はい……」
「とてもいいドレスでした。 ありがとうございます」
「いえ……失礼いたします」
ミルシャが扉を支え、サリナは一礼して馬車へ乗った。
ヨハンが扉を閉め、御者席に座ると、馬車は静かに走り出した。
「ねぇ、ルゥ?」
「ん?」
「セリア様に妹っているの?」
「僕が知っているのは、四つ下にご令息がいらっしゃることだけかな。
卒業後に生まれたなら、僕にはわからない」
「………」
「どうしたんだい?」
「……亡くなった妹さんが居たのかなって思って」
「いや、それはないと思う。
公爵様は学院に多大な支援をされていて、生徒会長だった時に一度ご挨拶に伺ったことがあるんだ。
その時紹介されたご家族に妹はいなかったよ」
「そっか……あたしの思い過ごしかな……」
「気になることでもあるのかい?」
「あたしに、誰かの面影を求めてるのかなって……。
ううん、気にしないで。 あたしの勝手な思い込みだから」
「気になることがあったら、何でも聞いてくれていいよ。
セリア様とは、三年間一緒に学んだからね」
「うん、ありがと」
(でも……あのドレスの持ち主が居たことは確かだよね。
きっと、あたしが触れてはいけないことなんだ……)
ミルシャは、馬車の消えていった街道を見つめながら、胸の奥に沈む小さな影をそっと抱きしめた。




