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公爵令嬢の願い⑬

 マリオンとの対話が終わり、転移門の光が静かに閉じた頃。

 ミルシャたちを乗せた馬車は、王都まで三十分ほどの地点まで戻ってきていた。


 陽はとうに傾き、空の端で赤紫の残光がほどけていく。

 もとより日暮れを覚悟していた旅路だが、夜の帳が落ちる速度は思いのほか早かった。


 車内では、最初こそセリアと笑い声を交わし、揺れる馬車の中で小さな幸福の時間が流れていた。

 しかし、外から差し込む光が薄れゆくにつれ、ミルシャの瞼は重く、夢の方へと引かれていく。

 やがて――セリアの肩にそっと寄りかかり、ミルシャは小さな寝息を奏で始めた。

挿絵(By みてみん)

「お嬢様……勝手な真似をしてしまい申し訳ありません」


 沈黙を破ったのは、サリナのかすかな声。

 彼女は深く頭を下げ、震える指先を膝の上で握りしめていた。

 セリアは驚くこともなく、眠るミルシャを見つめながら静かに微笑む。


「気にしないでいいのよ。

 最初に見たときは、あまりのことに言葉を失ってしまいましたけれど……。

 貴方の気持ちは、ちゃんと伝わりましたわ」

「恐れ入ります……」

「でもね、サリナ。

 ミルシャは、あの子の代わりではないの。

 髪型を似せても、形見のドレスを着てもらっても――ミルシャはミルシャよ」

「……はい」

「わたくしは、このままのミルシャに傍にいてほしいのです」


 セリアの声は、夜風のように静かで――どこか遠い。

 その響きが耳に触れたのか、ミルシャは薄く目を開け、セリアの肩からそっと身を離した。


「すみません、お姉様……私、寝ちゃって……」

「いいのよ、ミルシャ。

 昨日も出かけていたのでしょう? 疲れて当然よ」

「えへへ……ありがとうございます」


 恥ずかしそうに笑うミルシャに、セリアは柔らかな眼差しを向けた。


「ねぇ、ミルシャ?」

「はい?」

「もし良かったらなのですけど……。

 わたくしが王太子妃となったら、ミルシャにわたくしの――」


――ガタッ!!


 馬車が揺れたわけではない。

 ミルシャが突然、立ち上がったのだ。


「殺気……!」


 その瞬間、空気が鋭く裂けた。

 ミルシャは咄嗟にセリアとサリナの腕を掴み、馬車の床へと二人を押し倒した。

挿絵(By みてみん)

――タンッ! タンッ! タンッ!


 矢が雨のように降り注ぎ、屋根を貫いた矢じりが車内へ突き刺さる。

 もし一瞬でも遅れていたら、ミルシャもセリアも鋭い矢に胸を貫かれていた。


「ぐあっ!」

「ヨハンさん!」

「だ、大丈夫です! 矢がかすっただけです!」

「な、なに事です! ヨハン!?」

「何者かが後方から襲撃してきました!

 顔を出さないでください! 馬は無事です、このまま逃げます!

 サリナはお二人を守りなさい!」

「はい!」


 サリナはミルシャと位置を入れ替え、自らが盾となるように覆いかぶさった。

 ヨハンは手綱を強くしならせ、馬車は闇の中を必死に駆ける。

 後方では、幌だけの軽馬車に乗った盗賊たちが弓を構え、矢を間髪入れず放ってくる。

 剣を持った男たちは不気味な笑みを浮かべ、獲物を追う獣のように距離を詰めていた。

 訓練された馬ではないため、速度は盗賊と変わらない。

 むしろ軽い馬車の分、敵の方が速い。

 このままでは馬に矢が当たるのは時間の問題であり、そうなれば逃げ道は断たれる。


(精霊術で……ううん、今使えばセリア様にばれてしまう……。

 応戦したくても、武器が何もない……迂闊だったわ……)


 いつもなら腰に短剣を装備し、スカート裏の足に投擲短剣を忍ばせている。

 だが今日は侍女に着替えさせてもらったため、何ひとつ持っていなかった。

 闇が迫り、矢が唸り、馬車が軋む。

 夜の静寂はとうに破られ、ただ生の鼓動だけが三人の胸で激しく鳴っていた。


「ヨハンさん! 盾になるような物はありませんか!?」


 矢が空を裂く音が、耳の奥で鋭く跳ねた。

 剣士が相手なら、まだ拳で応じる余地はある。

 だが――矢は容赦なく命を奪う。

 盾がなければ、敵へ近づくことすら叶わない。


「いけません! ミルシャはわたくしと一緒にいてください!」

「ですが、このままでは! 大丈夫、私はAランク冒険者です!」

「駄目です! お願い、わたくしと一緒にいてください!」


 今にも外へ飛び出してしまいそうなミルシャを、セリアは必死に抱きしめ、震える指先でその腕を掴んだ。

 その声は、矢よりも鋭くミルシャの心に突き刺さる。


「お願い! わたくしを一人にしないで!」

「……セリア様?」


――ザクッ!

――ヒヒィーーーン!


 悲鳴とともに、一頭の馬が矢に射抜かれた。

 馬車は激しく傾き、世界が横へと倒れ込む。


――ズザザザーーッ!


 地面を滑る衝撃が、骨の芯まで響いた。

 馬車は道を外れ、数十メートルを引きずられながら横転する。

 窓が砕け、木片が舞い、サリナは必死に二人を庇った。

 もし道が整備されていなければ、木々や岩に叩きつけられ命はなかっただろう。

 それでも、横倒しの衝撃は容赦なく三人の身体を打ち付けた。


「う……あ、……つ……」


 ミルシャは痛みに顔を歪めながら、必死に体を起こす。


「ご、ご安心を……私が命に代えましても……お二人をお守りします……」


 サリナの額から血が流れ、肩は震えていた。

 その腕の中で、セリアは右肘をかばいながら痛みに耐えている。


「お姉様、大丈夫ですか!?」

「え、ええ……肘を強く打ってしまっただけです……」


 セリアは汗を滲ませながら、無理に微笑んだ。

 ヨハンは護衛として戦えるが、サリナは違う。

 彼女は、自分の身体を盾にするつもりなのだ。

 ミルシャの胸に、焦りが渦を巻く。 武器はない。 精霊術も使えない。

 心の奥で、初めての「無力」が牙をむいた。


(どうすればいいの!? こんなの初めて……。

 精霊術を使わないようにしたことはあっても、“使えない状況”なんて、一度もなかった……)


 ふと、ミルシャは自分の歩んできた道を思い返した。

 幼い頃から、父ゼルが傍にいてくれた。

 欲しいものは与えられ、学びたいことは全て教えてくれた。

 ミッシェル国王の配慮で、ヘルパーギルドでは精霊使いだけのパーティ。

 誰にも邪魔されず、自由に精霊術を使える環境。


(……そっか。 あたし……ずっと守られてたんだ……。

 あたしが自由に戦えるように……。

 精霊術を好きなだけ使えるように……)


――小娘……お前、人を殺したことがないな?


 賊長の声が脳裏に蘇る。


(Aランクだからって、有頂天になってた……。

 あたしが人殺しをしないように、みんなが庇ってくれてたんだ。

 だから、この程度のことで動揺してる……。

 教会堂に入れなかったことも、全部否定された気がして、勝手に落ち込んでただけ……)


 ミルシャは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 夜気が肺を満たし、心のざわめきが静かに沈んでいく。


「あたしも、まだまだだなぁ」

「ミルシャ?」


(考えることなんて何もない。

 今すべきことは――ただ一つ!)


 心の中心に、ひと筋の決意が落ちた。

 それは、闇の中で灯る小さな光のように揺らぎなく。


「お姉様、行ってきます!」


 その言葉は、夜気を震わせる決意の刃だった。

 ミルシャの身体を淡い水光が包み込み、まるで月の雫が形を成したかのように、透き通ったオーラが揺らめく。


 セリアとサリナは息を呑む。


「あなたは一体……」


 セリアが言葉を紡ぎかけた、その瞬間。

 横倒しになった馬車の上の扉が、乱暴に開かれた。


――アクア・スフィア


「くくく、金になりそうな女が三人も――ぐはっ!」


 ミルシャは振り返りもせず、頭ほどの水球を生成し、盗賊の顔面へと投げつけた。

 速度の速い水球は、石のような硬度を持ち、男の顎を歪めながら吹き飛ばす。


「ミルシャ……」


 セリアの声は震えていた。

 水光を纏うミルシャは、夜の闇に淡く浮かび上がり、幻想と現実の境界に立つ存在のようだった。

 ミルシャは微笑み、外へと飛び出す。


 横倒しの馬車の上に軽やかに着地し、周囲を見渡す。

 盗賊は八人。 そのうち三人が弓を構えている。


「なんだ、このガキは!」


 ヨハンは倒れながらも上半身を起こし、状況を見守っていた。


「ガキはいらねぇ! 殺せ!」


 賊長らしき男が叫び、弓術士たちが矢を放つ。


――アクア・フロー


 ミルシャの周囲に、分厚い水流の壁が立ち上がった。

 矢は流れに触れた瞬間、力を奪われ、水の外側へと弾き飛ばされる。


「な、なんだこいつ! 魔法使いか!?

 どこかに魔道具を持っているはずだ! 奪い取れ!」

「へいっ!」


 人間族は杖なしに魔法を放てない。

 だが、たとえ杖があっても火球一発で魔力が尽きる。


――アクア・ニードル


 水流の壁が消えると同時に、空中に極細の水針が無数に生まれた。

 ミルシャが腕を横に振ると、針は光の軌跡を描きながら盗賊へと飛び込む。

 水の針はミルシャの意思に従い、形を保ったまま肉体へ食い込む。


「ぐあぁぁぁ!!」

「ひぃぃぃ!!」

「た、助けてくれぇ!!」


 透明な水針は視認が難しく、刺さった瞬間に実体を失って消える。

 何に襲われているか分からない恐怖が盗賊たちを包み、軽傷の者は背を向けて逃げ出した。


「逃がす訳ないでしょ!」


――アクア・スフィア

挿絵(By みてみん)

 再び生成した水球を、逃げる盗賊の頭へと放つ。

 水球は形を変えず高速で飛び、盗賊の頭部に直撃すると、その場に倒れ動かなくなった。

 水球は、もはや石塊と変わらぬ破壊力を持っていた。


「くそっ! あの神父、こんな化け物が乗っているなんて言わなかったぞ!」

「……神父?」


――アクア・ヴェール


ミルシャは盗賊の顔に水膜を張りつけ、呼吸を奪う。


「ガゴガゴゴ!」


苦しむ姿を見て、ミルシャは術を解いた。


「ゲホッ……ゲホッ……!」

「死にたくなかったら、誰に頼まれたか言いなさい!」


 ミルシャの瞳は冷たく、無慈悲な表情が恐怖を与える。


「ヒイッ!」

「言わないのなら……」


 ミルシャは右手を前に出し、再び水球を生成する。


「な、名前は分からねぇ!

 突然、俺たちのアジトに神父が来て、金を積み上げていったんだ!」

「あたしたちを襲え……と?」

「そ、そうだ!」


 ミルシャは馬車から飛び降り、男の前に立つ。

 水球を顔へ近づけると、男は必死に叫んだ。


「う、嘘じゃねぇ! それしか知らねぇ!」

「………」


――バキッ!


「ぐあ……」


 ミルシャは男の顎を蹴り、気絶させた。

 他の盗賊たちは足を引きずりながら逃げようとする。


――アクア・スフィア


 意識のある者に水球を放ち、その場の盗賊全員を気絶させた。


「人を殺せない……か。

 考えたこともなかったけど、それには同意だわ」


 ミルシャは、夜風に揺れる髪をそっと伏せながら呟いた。

 その声は、戦いの余熱が残る中で静かに溶けていく。


「あ! ヨハンさん!!」


 はっと顔を上げ、負傷したヨハンの姿を思い出す。

 ミルシャは水光を纏ったまま駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」

「は、はい……柔らかいところに落ちたのが幸いでした。

 それよりもお嬢様は!?」

「安心して、無事よ」


 ヨハンはミルシャの姿を見て、目を大きく見開いた。

 淡い水光を纏う少女は、まるで夜の精霊そのものだった。


「ミルシャ様……そのお姿は……」


 ミルシャは微笑み、ヨハンの身体へそっと手をかざす。

 精霊術による診断が、淡い光となって彼の体をなぞった。


(良かった、打撲だけで骨は折れてないわ。

 でも、まずは矢の傷を治療しないと)


 周囲を見渡すと、森の影が夜空に黒く浮かんでいる。


(お願い、薬草が生えてて!)


 探索の術を使うと、幸運にもすぐ薬草が見つかった。

 ミルシャは空中に小さな水球を生成し、回復薬を作り出す。

 その光景に、ヨハンは言葉を失った。


「回復薬です。 今は何も聞かずにこれを飲んでください」


 ヨハンはしばらく迷ったが、やがて決意したように水球を口へ含む。

 すると、痛みがみるみる消えていき、呼吸が楽になった。


「これは……素晴らしい……」

「これと同じものをセリア様にも飲んでもらいたいのだけど……」

「……それはできません」


 ヨハンは静かに首を振った。


「素晴らしい薬だと思います。

 ですが、この薬で傷が癒えても、別の理由でセリア様がお体を害された場合、ミルシャ様に多大な迷惑が掛かってしまいます」

「そうなんだ……うん、そうかもしれない。

 それじゃ、一刻も早く戻らないと」

「はい」


 しかし、馬車は激しく横転し使い物にならない。

 ヨハンは急いで馬車へ戻り、壊れた窓から二人を助け出した。


「ミルシャ……その力は何なのですの?」


 セリアの瞳には、驚きと、わずかな恐れが混じっていた。

 精霊使いの存在は、王族と一部の者しか知らない。

 貴族であっても、その知識はほとんどない。


「――セリア様。 あたしは……水の精霊使いです」

「!?」

「これが教会堂に入れなかった理由だと思います」

「そんな……ミルシャが、そんな恐ろしい存在なんてありえない……」

「事実です。

 でも今は、すぐにここを離れて王都に戻りましょう。

 この馬車は使えませんが、幸いアレがあります」


 ミルシャが指差した先には、盗賊たちの馬車があった。

 セリアの顔が強張る。


「お嫌かもしれませんが、この襲撃は神父に頼まれたと盗賊が言っていました」

「なんですって!?」

「急がなければ再び襲われる可能性があります」

「……わかりましたわ」

「サリナさん、お願いします」


 サリナは頷き、馬車の中からクッションや毛布を取り出し、盗賊の馬車へ敷き詰めた。

 ヨハンはセリアの手を取り、丁寧に乗せる。

 サリナはセリアに布を被せ、外から見えないように隠した。


「準備ができました」

「お願いします」


 ヨハンの言葉に、ミルシャは静かに頷いた。

 馬車は闇の中を走り出し、王都へ向けて夜道を駆けていく。

挿絵(By みてみん)

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