公爵令嬢の願い⑫
ミルシャを抱き寄せたまま、まるで離すことを惜しむように腕を緩めないマリオン。
その肩にそっと寄り添うように、フードで顔を隠したミッシェルが静かに声を落とした。
「マリオン様……皆さまがお待ちです」
「……ええ、そうね。 嬉しさのあまり、少し取り乱してしまって、お恥ずかしいわ」
「いいえ。 ミルシャとの再会をこれほど喜んでくださったのでしたら、わたくしどもも、はるばる参った甲斐があったというものですわ」
柔らかな光が差し込むような、マリオンとミルシャの再会。
その温度に、場の空気がふわりと和らいだ。
だが――ミルシャの胸の奥に、小さな疑問がひっそりと芽を出す。
(あれ? 今の声……)
マリオンの腕からそっと離れ、ミルシャは後ろに立つフードの男へと近づいた。
ミッシェルは慌てて顔をそらし、影の中へ逃げ込むように距離を取る。
(ん~~?)
ミルシャはさらに詰め寄る。
ミッシェルは冷や汗を浮かべ、フードを深く深くかぶり直す。
「あの――」
「あっ! そうでしたわ、パティさん!」
ミルシャが声をかけようとした瞬間、マリオンが慌てて割って入り、ミルシャの言葉を遮った。
「皆さまをお連れしたということは、何か私にご用があるのよね? ねっ?」
「は、はい。 お伺いしたいことがございます」
「そうなのねっ、わかったわ!
ネルフィー、皆さまをお部屋へ案内して差し上げてください!」
勘の鋭いミルシャに大慌てでごまかしに入るマリオン。
その時、セリアが頭を下げつつ話しかけてきた。
「残念なのですが、わたくしどもはご挨拶のみで戻らなければなりませんの」
「あら、そうなのですか? 折角いらしたのに。
せめて、お茶のひと時を楽しんではいただけませんか?」
セリアはヨハンに視線を送る。
「それでしたら、問題ございません」
「そう。 では、折角のご厚意ですので、楽しませていただきますわ」
「ネルフィー、お願いね」
「かしこまりました」
「………」
ミルシャはなおもフードを被った男に心を引かれ、隙あらばとマリオンの防御に攻撃を仕掛ける。
マリオンも負けじと防御を強化し、左右に体を揺らし、ミルシャの目線を遮る。
しかしそれもつかの間、ネルフィーの柔らかな案内に背を押されるミルシャ。
ねっとりとした視線を残しつつも、館の奥へと消えていく。
小さな攻防戦が終わり、大きくため息をつく二人。
マリオンはミッシェルが拾い上げていた神杖を受け取り、静かに息を整えると、再び魔人族へ念話を送った。
『目的は何なのですか?』
『何もない』
『依り代と言いましたね? 彼女を守ってくれるのですか?』
『この依り代が滅べば、我もまた消滅する。
我がなせるは“言葉”を授けることのみ。
魔気の一端は操れても、敵を払う力は持たぬ』
『言葉とは?』
その問いかけは、沈黙の闇へ吸い込まれるように消え戻らなかった。
その時、背後でミッシェルが肩を落とし、ため息まじりに呟く。
「……助かった。 ここで正体が割れたら、本当に洒落にならん」
「ふふ。 “丸投げ国王”として名声が増えるかもしれないわよ?」
「いらんぞ! 本気でいらん!」
ここは、船でしか辿り着けない離宮。
転移術を知らぬセリアたちから見れば、護衛も連れずに訪れたミッシェルの姿は、遊んでいると誤解を生むに十分だった。
「それで、魔人族はどうだ?」
「害はないと……。 今はただ、そう願うだけよ」
「そうか……ゼルには、まだ伝えない方がいいかもしれんな」
「ええ。 それで、貴方はこの後どうするの?」
「話したいことがある――少し時間をもらえるか?」
「だと思ったわ。 皆が帰るまで待てるの?」
「できる限り待つ」
「わかったわ」
ひとまずマリオンはミッシェルと別れ、ネルフィーの案内した部屋へ向かう。
部屋では、ヨハンがセリアの後ろに控え、サリナとパティがミルシャの背後に立っていた。
「パティさんは私のお客様なのですから、どうぞお座りください。
そちらのお二人も大切なお客様です。
席は沢山ありますから、遠慮なさらずに座ってください」
「ありがとうございます」
パティが静かに礼を述べると、ヨハンとサリナも深く頭を下げた。
三人はネルフィーに導かれ、湖畔の光を受ける席へと腰を下ろす。
「改めまして、私はマリオンと申します。
三年ほど前まで聖女会に属し、聖女として務めておりました。
お時間も限られているようですし……早速、ご質問を伺いましょうか」
「はい。 実は――」
セリアはすっと立ち上がり、教会で起きた出来事を淑やかに、しかし誇り高く語った。
「そう……でしたか」
マリオンはカップを指先で包み、湯気の向こうに情景を思い描く。
(シャロンも……ミルシャのオーラを見たのね。
だから、教会から遠ざけた――あの子らしい慎重さだわ。
もし魔人族の魔気が神紋陣に触れれば、どんな波紋が広がるか分からない。
聖教会を預かる者として、正しい判断……でも、大丈夫かしら)
「マリオン様?」
マリオンの沈黙に、セリアが少し不安げに声をかける。
「ごめんなさい。 少し考えていたの。
恐らく、シャロンの勘違いだと思うわ」
「勘違い、ですの?」
「ええ。 聖女といっても、授かるのは浄化のための力。
状況判断は皆さんと同じ人間よ。
水の流れを読むように複雑で、時に見誤ることもあるの」
「つまり、気にする必要はない……ということですの?」
「ええ、もちろん。 シャロンには私から話しておきます。
私の親友の娘が、“異なる者”であるはずがないもの」
「良かった! これで安心して帰れますわ」
セリアは胸をなでおろし、ほっと微笑んだ。
その横でミルシャは、マリオンの言葉の奥に潜む“水の精霊使い”の示唆を感じ取り、そっと小さく頷いた。
その反応を見て、ミルシャが魔人族のことを知らないと確信する。
――カーン……カーン
湖面を渡る波紋のように、遠くから四の鐘が響いた。
「お嬢様」
「ええ、もうお時間ですわね。
名残惜しいのですけれど、わたくしどもはこれにて失礼いたしますわ」
「……残念ね。
ミルシャちゃんはどうするの?」
「私もお姉様と帰ります。
両親に、日帰りと伝えていましたので」
「そう……今度はゆっくりお話ししましょうね」
「はい!」
元気な返事とともに、皆は船着き場へ戻り、一人ずつ乗船していく。
最後にミルシャは駆け寄り、マリオンへ両腕を広げた。
「また来ます、マリオン様!」
「ええ、いつでもいらっしゃい。
私は聖女の務めで、あなたに会いに行くこともできなかったの。
ソラ君のことも……すべてが終わってから知ったのよ。
生まれていたことさえ知らなかった……。
せめて、最後のお祈りは私がしたかったわ」
「その言葉だけで、きっとソラは喜んでいます!」
「そう言ってくれると……本当に嬉しいわ」
マリオンはミルシャを強く抱きしめ、そっと船へ送り出した。
「さようなら!」
「また会いましょう」
ミルシャは来た時よりも大きく手を振り、
船は湖面を滑るように静かに離れていった。
ミルシャたちと別れたあと、マリオンはパティから報告書を受け取った。
指先が紙の重みを感じた瞬間、すぐにでも読み解きたい衝動が胸を満たす。
だが、今は国王陛下を待たせている。 聖女としての心が疼いても、優先すべきことは分かっていた。
「助かったわ、パティさん。 ありがとう」
礼を告げると、ネルフィーに部屋への案内を任せる。
その足でマリオンはミッシェルの待つ部屋へ向か……わず、ふと立ち止まり向きを変えると、地下の貯蔵室へと続く階段を降りていった。
薄暗い石壁の奥、静かに眠る秘蔵の果実酒。
熟した香りが瓶の内側で微かに揺れ、マリオンの心をくすぐる。
飲み頃の二本を選び、籠にそっと収める。
グラスも二つ……これは、ただの酒ではなく、心を整えるための儀式なのだ――そう一人で頷く。
ミッシェルの控えている部屋に着くと、彼は湖面を眺めながら、ネルフィーの淹れたハーブティーを口にしていた。
窓の外では、夕光が湖を薄金色に染めている。
「今日はこっちが飲みたい気分でしょう?」
マリオンは籠をテーブルに置き、一本を掲げて軽くグラスを鳴らした。
「いただこう」
――キュポッ!
栓が抜ける小気味よい音。
「相変わらずだな」
「好きなものがあれば、それだけで何でもできるものよ」
「ふふ、違いない」
静かに注がれる琥珀色の液体。
その瞬間、爽やかな果実の香りがふわりと空気を満たし、部屋の空気が柔らかくほどけていく。
マリオンはミッシェルの前へグラスを差し出し、自分の分にも注いで向かい合う。
――チンッ!
言葉はいらない。
最初の一杯は、ただ味わい、心を落ち着かせるためのもの。
二人はゆっくりと喉を潤し、静かな時間が流れた。
「美味いな」
「私のお気に入りよ」
マリオンが二杯目を注ぎ始めると、ミッシェルが口を開いた。
「ミルシャたちの話は何だったのだ?」
「シャロンがミルシャちゃんのオーラに気付いたのよ」
「なに!?」
マリオンは肩をすくめ、しかし声は落ち着いていた。
「安心して。 魔気とは言っていないみたいだから。
ただ、精霊使いだと悟られたかもしれないって……それとなく伝えたわ」
ミッシェルは息をつく。
「そうか……」
「でも、心配だわ」
「ミルシャの事か?」
「それはもちろんなのだけど、……シャロンの方よ」
マリオンはグラスを指先でなぞりながら、静かに続けた。
「あの子、人一倍思いつめるところがあるの。
教会のためとはいえ、何の罪もないミルシャを突き放してしまった。
いいえ……突き放すことで、立ち去ってくれることを願ったのよ。
私でさえ魔人族には手も足も出ないのだもの……」
ミッシェルは眉を寄せる。
「だが、魔族の気配とは言わなかったのだろう? 守ってくれたじゃないか」
「ええ。 でもあの子はきっと、ミルシャちゃんを見捨てたと後悔してるわ。
助けられたかもしれないって――そういう子なのよ」
「そうか……」
「明日の朝、様子を見に行ってみるわ」
「そうだな。 それがいい」
二人は再びグラスを傾ける。
果実酒の甘い香りが、夜の静けさとともに心へ染み渡っていった。
「それで、今日はどんなお話が聞けるのかしら?」
マリオンが穏やかに問いかけると、ミッシェルは一瞬だけ視線を伏せた。
その沈黙は、湖面にうごめく影のように重く、どこか不吉な色を帯びていた。
「ミッシェル?」
「……もうすぐ、この国で反乱が起こる」
「!?」
グラスが指先から滑り落ちそうになる。
その言葉は、果実酒の甘い香りを一瞬で吹き飛ばすほど衝撃的だった。
「本当なの!?」
「ああ。 密偵が掴んだ、確かな情報だ」
マリオンは息を整えながら、静かに続きを促す。
「……どうしてそんなことに?」
「発端は、貴族たちの不平不満だ」
ミッシェルの声は低く、どこか遠い場所から響いてくるようだった。
「立ち行かなくなった貴族が居るの?」
「それはない。 だが――それが原因ともいえる」
「どういう事?」
「我が国では、裕福な貴族が困窮した貴族を支援する仕組みがある。
だが、裕福な側が男爵で、支援される側が子爵や伯爵だった場合……爵位の優位性が揺らぐ」
「下の爵位に支援されるのは面白くない、ということね」
「そうだ。 支援を受けている以上、男爵より贅沢な生活はできなくなる」
「それは自業自得でしょう? 相応の爵務を果たせばいいだけの話ではなくて?」
「そうなのだが……特に領務は得手不得手が大きく出る。 民の貢献度に大きく左右される」
マリオンは小さく頷く。
領地を治めるということは、ただの役職ではなく、民の生活そのものを背負うことなのだ。
その悪い例が、ルベイル領だった。
「そして、その不満を王族の失態だと吹き込んでいるのが――」
「教皇ね」
ミッシェルは苦々しく息を吐いた。
「以前から王政に異を唱えていた。
何年もかけて、王族に反旗を翻す貴族を集めていたらしい」
「何年も? それはおかしいわ。
あの教皇に、そんな長期の策を練れるとは思えないし、実行できるわけないわ」
「我もそう思う。 あれは我慢などできぬ男だ。
恐らく後ろに黒幕がいるのだろうが……そこまでは掴めていない」
「そう……」
ミッシェルはグラスを置き、重い事実を告げる。
「だが、一つ分かっていることがある。
バーンズ帝国が、国境付近に進軍してきている」
「!?」
「このまま反乱が起これば、その隙を突かれ甚大な犠牲が出るだろう」
「そんな……なんとか反乱を防げないの?
兵力で言えば、バーンズに圧力をかけることくらい容易でしょう?」
「策は講じている。 だが効果は薄い。
貴族や民衆に、長い時間をかけて不満を擦り込んでいるようでな……王家への不信が根深い」
「王家批判を名指しで誘導するのではなく、民自身から“悪いのは王家だ”と思わせるよう仕組んだ……ということね」
「ああ。 だから繋がりが見えず、どれほどの民が誘導されているのかも分からない」
「困ったわね……」
ミッシェルは静かに告げた。
「それでだ。
近いうちに、マリオンとシャロンはこの国を離れてほしい」
「え……?」
「教皇が関わっている以上、内乱が始まれば敵対関係になりかねない。
それに、聖女という立場上、民衆を束ねるために利用される可能性がある」
「そうね……分かったわ。 明日、シャロンと相談してみるわ」
「頼む」
二人の間に、静かな時間が落ちた。
気づけば果実酒は空になり、窓の外では星々が湖面に散りばめられ、まるで夜空が水に溶けて万華鏡になったようだった。
ミッシェルはその光景を見つめながら、最後の話題を切り出す。
「最後に――ミルシャの事だ」
「ええ」
「驚かずに聞け……とは言えんが、心して聞いてほしい」
「………」
「ミルシャの体の中に――魔石が存在している」
「……え? そんな、まさか……!?」
「我も信じていなかった。 今日、マリオンの話を聞くまではな」
ミッシェルは遠い記憶を辿るように語る。
「四年前、王都に怨霊が集まったことがあっただろう?」
「ええ。 あの気配は、この町に居ても肌を刺すほどだったわ」
「その怨霊を鎮めた者たちが言った。
ミルシャの中に魔石が入り込んでしまった、と」
「その話だけなら私も信じないわ。
でも、あのオーラを見てしまったら……いえ、体の中に魔石があるのなら、魔人族が依り代と言うのも納得できる」
「色々調べたが、魔石が体に入った例はなく、対処法も皆無だ。
しかも、ミルシャに魔石の記憶はなく、体に異常もない。
我は何かの間違いだと思い、見守ることにしていた」
「相手が魔人族では……手の打ちようがないわね」
「助けてやれぬことが、口惜しい」
ミッシェルは立ち上がり、精霊術で転移門を開いた。
淡い光が床に広がり、空気が震える。
「また何かあったら来る。 相談に乗ってくれ」
「もちろんよ」
微笑みを残し、軽く手を上げてミッシェルは門の中へ消えた。
一人残されたマリオンは、空になったグラスの縁を指でなぞりながら、静かに未来を思案する。
「シャロンには……すべて話す必要があるわね。
ミルシャちゃんの助け人になってもらうためにも……」




