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596:イギリスが欲しいけど、イギリスはどこにあるのやら

萩原朔太郎「ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し」



【第三層群屋上庭園】


「雨ですね。」

 マリーは下界を覆い尽くす分厚い雲を見ながら言う。

「砂漠惑星とは言え全く雨が降らない訳では無いが……今年は雨が増えていないか。」

「はい。見沼の水面や田畑の植物が大気に大量の水を供給していますからね。とはいえ、まだ長くは雨は続きませんが。」


「それでも洪水を起こすには十分というわけか。」

「元々砂漠で、土の保水力が乏しいですからね。ダンジョン影響圏に新しく作った村は当然地形を考慮していますが、元からある村は水没したり流されたりもします。ダンジョン影響圏外ではダンジョンの機能で堤防を作ることも出来ません。おかげで村を移転させる手間が省けますが。残念ながら、天気予報は完璧ではありませんし、危険を知らせても避難しない者も居ますから、死者ゼロとはいきませんが。」

 ダンジョン影響圏外で死なれてもダンジョンには何の得も無い。


「そのうち異世界のイギリスみたいに雨が多くなったり……。」

「海がありませんから、さすがにそれは無いと思います。ただ、イギリスの雨は霧雨で、傘が役立ちません。頻度は低くても、そういう雨が降ると大変ですね。」

「イギリス人は傘を持っていても使わない。だったか。」

「『昔、あるイギリス人に雨傘を与えた。雨が降り出すと、それをたたんで、わき下にかかえ、雨にぬれなが歩いて行ったという。』こちらの方が正確ですね。」


「でも、このダンジョンで産業革命を起こすにはイギリス人が必要。だったな。」

「資本・労働力・市場に加え、マックス・ヴェーバーによると宗教的な要因も大きいとのことです。」

「マリーさん、それなら産業革命に適した宗教を人為的に普及させる。とか可能だろうか。」

「無茶ですね。日本人は怠惰な民族ですから、『予定説』なんか信じられたら、好き放題して社会が崩壊します。江戸時代日本で勤勉だったのは、『篤農家』と呼ばれる自作農の一部と、商人のごく一部だけですね。生産力が低かったので、貧乏でやむなく働きづめだった人はたくさん居ましたが。」


「生産力なんて十分な余裕が出来たのは異世界でも数十年前、今世紀(21世紀)に入ってからだろ。」

「西欧諸国は技術革新が早いので既に前世紀(20世紀)末から失業率が問題になっていました。人の欲望には際限が無いと言っても、時間と物理的スペースには限界があるので、材やサービスの需要には限度があり、生産性が向上していけばどこかで深刻な労働力供給過剰になります。」

「無限のコレクションという訳にも行かないか。」

「帽子が3,000個あったところで全部被ることは出来ませんね。」

「全部同時に重ねたら、とんでもないことになりそうな。」

「革命前のフランスではありませんから。でも、これが靴3,000足だと同時に履くのは不可能ですね。著作権がまだ切れていないので詳細は触れませんが。」


「……本だって到底全部読むことは出来ない気がするが……。」

「はい。普通の人なら蔵書は1,000冊かそこらですが、だいだい書斎が埋まって溢れる程度なら数千冊。こうなると時代の異なる漱石全集が3セットあったりします。個人で1万冊以上の管理は困難でしょうね。イギリスのリチャード・ヒーバーやトーマス・フィリップスだと蔵書は10万冊を越え、小型の職員研修用図書館である第一層群の8万冊より多くなります。この数では人間の場合、一生掛かっても読むことは困難です。」

(ただし、ヒーバーは観賞用・保存用・布教用と3セット買っていたため、種類数はその分少なくなる)


「長命種ならその辺は余裕があるだろうが。」

「わたしは寿命が無いので理論上は世界が茹で上がるまで何億年も時間はありますが、それだけダンジョンを存続させるのが困難ですね……。ちなみに、今居る第三層群の蔵書は軽く200万冊を超えます。」

 本来のチュートリアルの流れは、第一層群が研修用の小図書館、第二層群が市の中心となる図書館、第三層群が県の図書館。ダンジョンモンスターは文豪の著作由来の図書館職員。となるはずが、マスターが英語を読まなかったため現状に。なお、本来の第三層群は地上11階・延床面積3.5ha程度。実際に複製召喚した第三層群は地上11階地下4階で延床面積3.7ha(うち図書館は2.7ha)と、規模は似たようなもの。


「読むより焼く方が多いのが現状か。」

「はい。本は戦争にも使えますし、処刑用具としても多才で、石打刑みたいに投げつけたり、像に踏ませるように押しつぶしたり、火炙りの燃料にしたりできます。このダンジョンでは基本的に死刑はギロチンなので戦争にしか使いませんが。」

「切腹は、また違うな。」

「切腹は、この世界では『名誉ある自決』で、刑罰とはまた違いますね。ここにあえて手を加えることは、社会制度上きわめて困難です。」


「明治維新を意図的に起こして近代化するのは難しいか。」

「わたしは維新の志士ではありませんし、異世界の人類史を見ても高確率で上手く行かないでしょうね。」

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