588:なぜ人を殺してはいけないのか
【第三層群屋上庭園】
「……『なぜ人を殺してはいけないのか』……ですか。殺人がダメなのは宗教的に禁止されているから。というのが唯一の理由ですね。このダンジョンの法律では情状酌量の余地がない殺人は死刑。って決めていますが、法はバレなければ処罰できません。あと、哲学。というのもありますが、これは難解で敷居が高いと言う問題がありますね。」
ダンジョンの位置を書き込んだ地図を見ながら、マリーが言う。ダンジョンを破壊するとダンジョンマスターは死ぬが、それが殺人になるのか。という議論。
「無神論者、『無道』には道徳がありません。つまり、捕まらないなら平気で物を盗み人殺しもします。もし『予防処刑』を認める立場なら、無神論者はそれだけで死刑ですが、死刑そのものが殺生ですから乱用は出来ませんね。このダンジョンでは一部の外道種族以外は寺請制度の対象ですが、無神論者は人別帳に記載されない無宿なので、サド金山ダンジョンで小判の採取に使用しています。」
女王様が豚と呼んで鞭で叩くと金塊が落ち、これを小判に加工する。もちろん錬金術では無く、金原子そのものは世界の核由来。
「基本的には仏教。だな。」
「はい。図書館都市ダンジョンの宗教政策は、徳川幕府と同様に、基本的に仏教なら何でも良い。というところです。僧侶でありながら肉食の蛸坊主も、熱心な法華経信者のウグイスも居ますね。ただ、土地ばかりか水もダンジョンから供給されていますから、『不受不施派』は存在できません。」
なお、畜生が死後極楽往生する時に、一度人間道に輪廻転生する(順後往生)か、すぐに極楽往生出来る(順次往生)かは不明。
「そして、問題はどこまでが殺生の範囲か。だな。吾輩は『華氏-321度』でも呑んでいれば良いが、多くの肉食獣人はヴィーガンにはなれない。」
「図書館で華氏-321度は微妙な問題がありますが、そもそも、このダンジョンは司書が居らず、これまで散々本や新聞を焼いてきましたからね。あと、肉食も生きるためなら一般的には構わないと思います。創作のドリトル先生も日本人以外のあらゆる人間や動物と会話出来ますが、肉料理は食べていましたね。」
日本語だけは決して習得しない、独身である。このことから、おそらく若い頃に婚約者と日本旅行して悲劇に見舞われたと推測される。1823年に同行した山オランダ人のシーボルトよりもオランダ語の訛りが無く、怪しまれずに入国したが……。というのは二次創作。
「厳密なところは僧侶の管轄だが……。」
「最も広義には、あらゆる生物。六師外道の1つは、断食して餓死することを崇高な行為としていますね。これは極端すぎますが。狭義には、修羅・人間・畜生のうち知的生命体、ダンジョンが感情エネルギーを得られる生物ですね。この世界の一般的な法律もその範囲です。わたしは餓鬼は人と見ていませんが。あと、名前無しのダンジョンモンスターは生きていません。」
「ダンジョンモンスターは、あらかじめ決められた行動しか出来無いからな。知能が無いにしても、せめて人工知能でも使えれば違うだろうが。」
「あくまでもダンジョンモンスターの制御システムであって、図書館の蔵書管理システムみたいに利用者との対話は想定していないのでしょうね。まぁ人工知能もデータベースとアルゴリズムであって、厳密には『知能』はありませんが。」
「人工知能よりも、このダンジョンみたいに世界樹が情報処理をした方が速いと。」
「単にダンジョンシステムには人工知能が無いだけですね。何でも、特に大規模なダンジョンの最奥部には、膨大な情報を処理するために、巨大な樹木、記録結晶、演算流体、不滅の炎、あるいは思考する肉塊など何らかの『情報装置』があるという噂もありますが。」
「世界樹ならこの上にも生えているが、他のダンジョンは分からないな。とにかく、情報を蓄積し処理できる何かがあるということか。」
「でしょうね。複雑なダンジョンの制御は天才であっても、おそらく手に余ります。修羅は人間より頭が良いと言っても、わたしもこのダンジョン全体を管理することは到底出来ません。」
「確か、この世界では人、つまり六道のうち知的生命体を殺すのは殺人、犬猫を殺すのは『殺人』では無いが宗教的に好ましく無い。だったな。」
「はい。家畜も感情はありますからね。ただ、好ましく無いとは言ってもカシワ・サクラ・モミジ・ボタンは食べられていますね。江戸時代の日本もそうですが、馬は食べるのに牛は食べない理由は不明です。」
「他にもタヌキ汁は有名だが実際に食べる例は少ないな。」
「人間には不味いですからね。修羅には味覚はありませんが肉は食べません。あと、異世界では、犬はかつては薩摩が有名で、猫は『吾輩は猫である』に書かれているように九州・唐津の郷土料理ですね。明治期には唐津中学の学生寮では猫料理が流行ったという記録もあります。ですが、この世界ではどうなっているか不明です。」
「さすがに21世紀には鹿児島でも犬は食べないと。」
「はい。鹿児島では黒豚と西郷隆盛を馬鹿にすると叩き斬られることもあるそうですが、犬料理は忘れ去られていますね。」
第二次世界大戦が無かった世界なので、銃刀法は少し緩い。とはいえ、鹿児島は尚武の地ではあるが殺人事件は少ない。
【第三層群屋上庭園】
「それで、人のことはさておき、ダンジョンが存続のために生贄を意図的に殺すのは情状酌量に値するんだろうか。ダンジョンの『価値』によっては老人や病人の自然死では難しそうだが。」
「法は人為的な物ですが、はたして、宗教的にどうなのでしょうね。冒険者がたまに遭難するのなら自己責任ですが。なお、ダンジョンへ生贄を『差し出す』行為は迷信の類で違法ですが、ダンジョンそのものを罰する法律は作っていません。そもそも他のダンジョンは図書館都市の法令が及ばない場所ですから。」
「マリーさんが今後積極的にダンジョン狩りをするなら、やはり大義名分は必要になるのでは?」
「そんなものが必要なダンジョンは抵抗してきますから、容易には破壊できませんね。手は出さない方が良いでしょう。それに、わたしから知的生命体を攻撃して殺害したことは一度もありませんよ。確かに検討だけはしますが。」
「それは、良く知っているが。さすがに三角草野以来、手を出してくる者は居ないな。」
「自殺志願者はそうそう居ないでしょうね。ただ、人であれダンジョンであれ、何らかの作戦を立て、勝つつもりで挑んでくる者が居ないとも限りません。」
「このダンジョンを攻略するとしたら、どういう方法があるだろうか。」
「方法はいろいろありますね。巨大ダンジョンと言えども弱点はありますし、このダンジョンが人間牧場である。という点による制約もあります。なにより、22世紀の技術にはおそらく対抗できません。ただ、それらを実行できるか。となると相手によるでしょう。」
「来世紀の技術など想像も付かないな。」
「このダンジョンの技術も、知識だけで実体化できないだけで、江戸時代並のこの世界にとっては超技術でしょうね。」
「何度も言っているが、やはり本の知識だけで再現するのは不可能なのか。」
「無理ですね。」




