天使と悪魔は本当に居るの?
親方は銀のプレートに細かな模様を彫り込んでいた。
小さな彫刻刀を動かすたび、
銀の表面に蔦のような模様が浮かび上がっていく。
少年は窓際の木箱に腰掛けて本を読んでいた。
勇者が活躍する冒険譚だ。
ページをめくる手が止まる。
挿絵には大きな翼を持つ美しい人物が描かれていた。
少年は顔を上げる。
「ねぇ親方」
「親方じゃないけどなに?」
「天使や悪魔って本当に居るんですか?」
親方は少し考える。
そして手元の作業を続けながら答えた。
「実際に見たって話は聞いたことないねぇ」
「居ないんですか?」
「どうだろうね」
「古い文献や聖典には記録が残ってるみたいだから」
「研究してる人達は居るみたいだけど」
親方は彫刻刀を置き、
銀板を光にかざした。
細かな模様を確認している。
「でもドラゴンや妖精みたいに目撃談が残ってるわけでもないんだよね」
「だから本当に居たのかどうかも分からない」
少年は本の挿絵を見つめる。
天使も悪魔も、
物語の中では当たり前のように登場していた。
だから本当に居るものだと思っていた。
「聖典にも出てくるんですか?」
親方は頷く。
「聖典に出てくるのは天使だけだね」
「なぜだか悪魔の記述は無いみたい」
少年は少し不思議そうな顔をする。
「天使と悪魔って一緒に描かれると思ってました」
「私もそう思ってたんだけどねぇ」
親方は肩を竦めた。
「天使はどういうものなんですか?」
「物語に出てくるものと大きくは違わないかな」
親方は指を折りながら数える。
「神様の言葉を伝えた」
「人を導いた」
「神に代わって裁きを与えた」
「聖典でもそういう話が多いみたいだね」
少年はこれまでに読んだ本を思い返す。
確かに天使はそんな存在として描かれていた。
「じゃあ悪魔はどういうものなんですか?」
親方は少し考える。
「邪神や魔界の使徒」
「人を惑わす者」
「生き物の命を奪う者」
親方は指を折りながら答えた。
「こうやって比べると真逆の存在みたいだよね」
少年は頷く。
確かに天使と悪魔は対になる存在に見える。
「どうして聖典には出てこないんですかね?」
親方は作業の手を止めた。
そして少し考え込む。
「もしかしたらだけど」
「見る方向が違ってるだけだったのかもしれないね」
「見る方向ですか?」
少年は首を傾げる。
親方は完成しかけた銀板を指先で軽く叩いた。
「例えば神に代わって裁きを与えた」
「これって裁きを受けた側から見たらどうかな?」
少年は考える。
「嫌な気持ちになると思います」
「そうだよね」
親方は頷く。
「もしかしたら悪魔の仕業に見えるかもしれない」
少年は少し驚いた顔になる。
親方は続けた。
「人を導く天使もそう」
「導かれた人に助けられた人から見れば天使かもしれない」
「でもそのせいで困った人から見れば」
「悪魔に見えちゃうかもしれない」
少年はしばらく考え込む。
確かに同じ出来事でも、
見る人によって感じ方は変わる。
「じゃあ天使と悪魔は同じなんですか?」
親方は肩を竦めた。
「どうだろうねぇ」
「結局は私の妄想でしかないから」
そう言って少し笑う。
「それにそんなこと言ったら」
「教会の人には怒られそうだしね」
親方は口元で指を交差させた。
悪戯を企む子供のような表情だ。
少年もすぐに一人の顔を思い浮かべる。
「シスターを怒らせるのはダメですね」
親方は深く頷いた。
「あの子は怒ると怖いからねぇ」
「悪魔みたいにですか?」
少年が小声で尋ねる。
親方は思わず吹き出した。
「普段は天使なのにね」
少年もつられて笑う。
二人は顔を見合わせる。
そして揃って口元で指を交差させた。
「内緒だよ?」
「はい」
工房には二人の笑い声が響いていた。
終
※本作は note にも掲載しています。
※挿絵付き版のほか、作者ブログや『親方の秘密の考察ノート』などの関連コンテンツも公開しています。




